21話 花束を彼女へ
手の中に収まらないほどの花束を贈れば、彼女は喜んでくれるだろうか。いつも花や木に囲まれている彼女に、それは意味のないことなのかもしれないと思うけど。
花束を彼女へ ―いつも花に囲まれているけれど―
彼女に切花はあげられない。
美しさよりも先に、その命の短さを嘆息するからだ。普通の少女なら喜ぶような花束も、彼女の前ではすぐに枯れてしまう儚いものでしかないのだ。
「だからって、それはないよ、アル。ありえない。王子として、そのセンスは今すぐ捨てたほうがいい。他国に知られたら恥だ」
「煩いぞ、レオン。本当に煩い。人のセンスのあるなしを、お前が判断するな」
執務室の中で繰り広げるには、少々緊張感のない内容だったが、こちらはいたって真剣だった。
机の上においてある鉢植えがこの話の中心で、レオンの非難の的だ。
小さめのその鉢は、どこにでもありそうな地味なもので、その鉢に植えてあるのはラベンダーだった。
匂いもいいし、色々な使い道があるからプレゼントにうってつけだと思うのだが。
「ラベンダーはリゼットが好きな植物の一つだが?」
「花のチョイス云々じゃないよ。色気のあるなしが問題なんだ」
鉢植えを見つつ、レオンが苦々しく言った。
確かにたくさんの女性を相手にしているお前から見れば、色気の欠片もないだろう。しかし別に色気を求めているわけではない。
むしろ、必要ない。
「鉢植えってねぇ、アル。いくらなんでもダメだよ。しかもお洒落って言うか、実用的過ぎるし」
「あえてだ、あえて」
彼から鉢植えを取り上げて、隠すように背へと回す。
どうしてそこまで言われなければいけないんだ。自分はただ、いつも世話になっている彼女のために、植物を贈りたいだけなのに。
「アル。どんな女の子も腕一杯の花束をもらって、嬉しくないなんてことありえないんだよ。一回やってみるといい。あの笑顔が見れるなら、何度でもやれる」
一人で納得して、レオンは頷く。
遊び人の言い方だな、と思った。どこまでも相手に尽くしているくせに、その実全てが自分のためだというところとか。
それをまったく気にせず、表に出しているところとか。
それは彼が女性に感じている『恋』と、自分が彼女に感じている『モノ』の違いだからか。それとも個人の違いか?
「女心が分かってないなぁ。だから勝手に婚約者候補を連れて来られるんだよ」
「なっ。お前っ!! どこからそれを?!」
「うーん、どこからっていうか、実しやかにあちこちで囁かれてるって言うか」
リゼちゃんに知られていいの?
婚約者候補がいるって。説明したほうがいいんじゃないの?
「どうしてリゼットが出てくる。説明って、何をだ。……あと、リゼと呼ぶな」
「どう呼ぼうが勝手でしょ? まぁ、まだ会ったことないけど」
そうか。言い訳をしようともしないわけか。アルはつくづくお馬鹿さんだね。
くすくすとレオンが笑った。無性に腹立たしくなって睨みつけるが、レオンはまったくと言っていいほど気にしていない。
その証拠に、笑いながらこちらをからかい始めてきた。
王子相手にここまでできるのは、こいつくらいのものだろう。ただでさえ、婚約者云々の問題で頭を悩ませているのに。
「一度やってみさえすれば分かるよ。まぁ、今の君には無理だろうけど。言い訳しようともしないアルには、鉢植えがお似合いだよ」
「今も、この先も、俺は変わらないつもりだが。俺はリゼットが喜ぶものを贈りたい。それだけだ。何も知らないお前に、とやかく言われる筋合いはない」
不機嫌そうな声を取り繕うこともせずに出した。普段は隠せる感情だったが、目の前の男には別だ。手加減する必要もない。
彼女との関係を、誰かにとやかく言われるのは嫌いだ。何もかも知っているというように、口出しされるのも腹立たしい。
自分はただ彼女が大切で、傷つけたくなくて、守りたいだけだ。
それなのにどうして皆、他の感情と結びつけるのか。どうしても結び付けなくてはいけないのか。
「何も知らないわけじゃないよ。全てを知っているわけじゃないけど」
何を知っていると言う? リゼットに会ったこともないのに。
あの不思議な瞳も、優しい笑顔も、何も知らないのに。何も知らない、はずなのに。
「彼女を知らなくても、アルが彼女をどう思っているかは言動で分かる。その『大切』の種類は分からないけど。それでも、『大切』でしょ?」
「当たり前だ。大切に決まってる。だけどそれが」
――それがただ、恋愛感情じゃないだけだ。
恋愛感情にならないだけで、大切に思っていることに変わりはない。恋愛感情でないからといって、この大切さが、恋愛関係においての『大切』に劣るとは思わなかった。
手元にある鉢植えを胸に抱き寄せて、ふわりと息を吐く。
自分も好きなこの香りが、唐突に切なくなった。こんなこと、彼女の傍にいれば思いつきもしないのに。どうして、無理やりこのことを考えさせようとするのか。
今まで思ってもみないことを突きつけられて、無意味な焦燥感を感じてしまった。ラベンダーの香りも無駄になる。
「その区分はよく変わるからね」
「お前は変わりっぱなしだろう」
ため息を吐いて、近づいてきたレオンを押しのけた。
考えすぎるのはよくないことだ。思考力を使うのは、読書と勉強だけでいい。友人達との会話にまで持ち込みたくはない。
「ちょっとアル、どこ行くの。今休憩してるだけで、仕事が終わったわけじゃないよ。一人でサボるつもりなわけ?」
「いや、休憩時間を延ばす」
手の中にラベンダーの鉢植えを置いたまま、追いかけてくるレオンを避けて扉を開けた。
執務室から出れば空気は澄んでいて、彼女に会えると思うと心の中の不安は消えた。もっと早くこうすればよかったと思う。
考えるのが怖いわけじゃない。戸惑いが大きすぎるだけだ。そう自分に言い聞かせた。
ラベンダーの花言葉は、『あなたを待っています』『私に答えてください』です。無自覚でこんなものを選んでいる辺り、アルは侮れません。