19話 婚約者候補の来訪
自分の運命を恨むことなどなかった。ある程度は変えられるものだと思っていた。自分さえ、行動を起こせば無理やり何かをさせられるなんてことない、と。……そう考えていた時期も、あったはずだ。
婚約者候補の来訪 ―いらないし、必要ない―
視察から帰って来て、その報告をする前にと自室へ向かう。
報告してしまえばこちらのものなので、その足で東屋へ行こうと思っていた。最近妙に開いてしまった彼女との距離を、元に戻したいと考えていたのだ。
一体何が原因かは分からなかったが、どこか違和感が残っているのは事実だ。その違和感さえどうにかすれば、元へ戻れるに違いないと確信していた。
「ノース、今帰っ……」
「あ、お帰りなさい。アルバート」
先に帰って報告書などの準備をしているはずであるノースを呼ぶつもりが、何故か部屋に母がいて驚く。
濃い茶髪は自分とよく似ているし、顔の作りもどちらかと言えば母親似だ。
そんな母がノースを横へ従えて、優雅にお茶を楽しんでいる。正直意味が分からない。そう思った瞬間、奥にもう一つの影を見つけた。
母とノース以外にもいたらしい。
「あの、母上。何事ですか、一体。私の部屋で何をしていらっしゃるのか」
「あら、言ってなかったかしら」
美しい顔も、すべらかな肌も。
政を知ることを嫌がった、母方の祖父によって作られた世間知らずさも。全てが自分に繋がっているのだ。
その白い手を見るたび、穏やかな笑顔を見るたび、ため息を吐きたくなるのだ。
「あなたの婚約者のことなんですけどね。わたくし、この子がいいと思うの」
奥にあった影が動いた。
淡いブロンドが揺れて、その動きと同じように翻るドレスが見えた。目の前に出てきて、やっとそれが年若い少女だと分かった。
その少女は、その年には似合わない、ひどく洗練された様子で膝を折り、笑いかけてくる。そしてそっと口を開いた。
「フィルスト侯爵が長女、ラヴィニアです。お見知りおき下さいませ。アルバート様」
にこりと笑った顔とその仕草。
母と懇意なフィルスト侯爵夫人を思い出した。あの人の娘か。確かに似ているが、その印象も一時のものだろう。
明日になれば忘れている気さえした。
「母上、婚約者の話は保留ではなかったのですか? 父上からそう聞きましたが」
「あら、そうだったかしら。まぁ、いいじゃない。お話しするだけなら」
頬に手を当てて、小首を傾げる。
王子の婚約者を独断で決められるわけもないはずなのに、この人はそんなことを言う。呆れすぎて何も言えず、ただ目の前へいる少女を見つめた。
白い肌によく手入れされた手、流行のドレスに身を包んでいる。
夜会にでも出れば、誰も放っておかないだろうということがわかる。しかしその反対に、それだけの印象しか受けなかった。
「アルバート様は書物をお好みになるとか」
返事をする気にもなれず、勧められたイスへ座る。
可愛らしい笑顔と、多分表現できるのであろうその表情に曖昧な返事をした。早く終わってもらいたいが、追い返すわけにもいかない。
出されたお茶を口に含んで、その味に眉を寄せた。
人を近くに置くことが嫌いな性分なので、大抵のことはこなせるようになってしまった。お茶を淹れるという作業もその一つだ。
それでリゼットにも教えた。なので彼女はそこら辺の侍女よりも上手い気がする。しかしこれは、……誰が淹れた?
「お口に合いませんでした?」
「いえ、ただ少し熱かったので」
「ラヴィニアのお茶は美味しいわよ。口に合わないわけがないわ」
少女が入れたのか。
素直に不味いとも言えずに誤魔化せば、隣で母が笑った。
この人には高い茶葉で淹れた紅茶を出す必要がないだろうと思うんだが。流し込むようにして飲み干し、席を立った。
茶番だ、こんなの。
不毛以外の何ものでもない。馬鹿らしいと、心の中で思って扉へ向かった。後ろで呼び止める声がする。
「もう、アルったら。照れてるの?」
「まだ早いと思うのですが。兄上の妃も決まっていないのに。――私にはまだ、必要ありません」
最低限の礼として、二人に向かって会釈した。そして少女の顔を見ないように素早く身を翻す。
見てしまえば、少なからず罪悪感を感じてしまうから。多分彼女は、王子二人の妃候補でもかなり有力な方なのだろう。
無駄のないあの優雅さを見れば、それはすぐに分かった。
おそらく、そのためだけに育てられたのだ。いずれ王族に入るためだけに。彼女が悪いわけじゃない。
むしろ同情さえしてしまう。
あの手の運びも、裾捌きも、一つの目的を果たすためだけのものだと、彼女は自覚しているのだろうか。
分かっていて、それを受け入れているんだろうか。
「馬鹿馬鹿しすぎるだろ」
しかし、自分もその一部なのだとどこかで分かっていた。
今ではなくとも、近い未来、自分はそういう少女達の中から、特に優れているものを選び出し妃にするんだろう。
自分の意思ではなく、父や母そしてその実家、果ては大臣達の思惑が絡んだ決定によって。ここまで来ればまるで人事だなと笑った。
まぁ、人事の方がまだ公正か。
自分の運命は変えられる気がしていた。兄よりずっと容易くできるものだと思っていた。
しかし、それもまた夢物語のようだ。自分も立派に、王族と言う巨大なからくりを動かす一つの歯車にしか過ぎないのだ。
そこから逃げ出そうとしても、四方八方からしっかり押さえつけられ、身動きも取れない。忌々しい呪縛だと思った。
――呪縛でしかないと、気付く王族はいったい何人いるのだろうか。
人前のアルバートを書くと緊張します。紳士でなければいけないので……。
冷たい、礼儀を失わない紳士。人前で見せる笑顔は作り物なので、どこか冷たい感じ、というイメージ。