15.5話 義務感だろうか
レオンさん視点。
やれやれと首を振り、友人が出て行った扉を見つめた。どうやら少し、突っつき過ぎたらしいと反省しながら自分も部屋から出る。
預けられた書類を所定の位置に戻してから、ぐるりと辺りを見渡した。近くにアルがいないところを見ると、どうやらどこかへと消えてしまったらしい。
……先ほどの会話から、それはここから離れた東屋でないかと勝手に予想した。元々彼は神出鬼没だ。どこへ行ったか分からないことなど珍しくない。
彼とは貴族の子弟達が通う学校で知り合ったが、その頃はどこか何かを諦めていたようだった。去年なんかは本当に酷くて、このまま彼は壊れてしまうんじゃないかと思った。
秋ぐらいから回復していたようだったけれど、それは彼女のおかげだろうか。それだったら、喜ばしい限りなんだけど。
まだしっかりと顔を合わせてないのに好感を抱いた。
「おぉ、レオン。どうした? アルバート様なら来てないが」
「いえ、アルバート様は今どこかに隠れておいででしょう」
仕事もひと段落着いたので、休憩がてら王宮に程近い庭の中を歩いていると、向こうの方から声をかけられた。
大きな体躯に、がっしりとした筋肉。野太い、少し掠れた声だったがその威力は十分だ。近くにいた侍女たちが小さな悲鳴を上げて瞬く間に逃げてしまった。
残念、声をかけようと機会を伺っていたのに。
「そうそう、アルバート様の想い人はどうやら『友人』らしいぞ?」
友人の剣の師であり、学生時代の怖い先生でもある将軍は、にやりとした笑みを浮かべてこちらを見た。
それは『友人』というアルの言葉を信じているというよりは、新しい情報がほしいという顔だった。確かに、あんな態度をされてはその友人という言葉も信憑性は薄れてしまう。
どこからどう見たって、恋しているようにしか見えないだろうに。
「アルは繊細だから、あんまりつっこむと自覚する前に逃げますよ」
「そうだな、あの方は存外、自分が王族であることに拘っておられるようだ。……クライヴ様のこともあるしな」
クライヴ様。
友人の兄であり、この国の第一王子であり、いずれこの国を背負うかもしれない人。
だけど体が弱くて、負担が大きい王の責務をいつまで果たせるのか分からない人。
だからこそ、人はアルを縛り付ける。第二王子だが、いつでも責務を果たせるように、第一王子同様に育てられているはずだ。
彼にとって、それは苦痛でしかないが。
「アルバート様は、その方をとても想っておられるのだろうか?」
「大切にしていることは事実ですね」
それが恋かどうかは、本人にも分からないようですが、と付け加えておく。
アルは色々と考えすぎているのだろうと思った。恋なんて、そんなに難しく考えるものではないと思うのだが、やはり彼にとっては違うのだろう。
彼の恋人はそのまま婚約者になり、王子の妃になり、そしてもしかすると……王妃になるかもしれないのだ。
だからだろう、彼は恋人を作らないし、作りたいとも思っていなかった。恋などというものに、現を抜かすこともなかった。
知っている限り、ただの一度も、である。学生時代からずっとだ。周りの仲間にからかわれても、何を言われても。
「アルバート様は、そういうことは考えたくないらしいが。お相手が、上流階級の人間ではないからだろうか」
「それもあるでしょうけど、でも彼は」
そう彼は、ただ認めたくないだけだ。
自らの心にそんなものがあるということを。恋を邪だなんて一体誰が決めたと言うのか。彼は恋心が彼女を傷つけると思っているようだ。
そんなこと、絶対にありえないというのに。少なくとも、アルならばそんなことは絶対ないと言い切れるのに。
それでも彼は、今の関係が壊れることを恐れている。
「恐れているようです、二人の関係の変化を。臆病にも、彼女を傷つけてでも、そこから動きたくないのでしょう」
からん、と足元に剣を投げつけられた。
木剣だったが、それを手に持つのはためらわれる。こんなところで、将軍の相手をする趣味などあるわけない。
随分と年上であるが、その肉体は衰えを知らないらしく、未だかつてアルにも負けたことがないのだとか。
つまり、自分が勝つ可能性など皆無なのだ。こちらもアルに勝ったことはない。
「将軍。何がしたいのか、僕にはさっぱりです」
「それで? お前はどうする、レオン・ハノーバー」
フルネームで呼ぶとき、将軍は本気だ。目も笑ってない。どういう意味だろうと考えるまでもなく、つい笑いが零れた。
言われなくても、分かっているつもりだ。僕は、アルを仕える人間に決めているのだ。アルになら、仕えてもいいと思ったのだ。
だから、望むことは唯一つ。
アルが、アルのままであること。
「そうですね、もしアルが諦めるなら。僕が引き受けましょうかねっ」
言うが早いか、こちらが木剣に手を伸ばす暇もなく目の前すれすれを剣が通った。
前髪が横に靡くのは、剣が額をかするくらい近いからだ。思ったよりも速い攻撃に舌打ちを打ちつつ、足元にあった木剣の先を踏みつけ、蹴り上げる。
浮いた木剣を手にしながら重心を後ろへと移動し、仰け反るようにして剣を避けた。
がっ、と剣の先が木剣を打つ。
「アルが幸せにしたくて、幸せにできないなら、僕が引き受ければいい。違いますか?」
掌で木剣を返し、剣を弾き返す。
すぐさま振り下ろされる剣を避けて、一歩二歩と後ろへ逃げる。立ち向かえないなら、逃げるしかない。自分の腕ではこの人には勝てない。
だから避ける。避けて、逃げて、たった一回の隙を見つける。
「違うな、レオン・ハノーバー。お前は確かに器用だが、そればかりはできまい。アルバート様に殺されるぞ」
足元を払う剣を飛ぶようにして避け、がら空きになった肩を狙う。
剣を持てないようにしてしまえばいい。そんなこと、相手に読まれているのは当然で。将軍は半歩だけずらして木剣を避けた。
鈍い音が響いて地面を打つ。それはこちらの隙に十分なりえて、将軍は低い体勢になったこちらを無造作に蹴り上げた。
随分と成長したはずの自分の体は、大した抵抗もなく地面に転がった。軽々と転がってしまった我が身を嘲笑いつつ、鈍く疼く体を起き上がらせた。
「手酷いですね」
「お前ができもしないことを言うからだ。お前がアルバート様に『アル』のままでいることを望むなら、その女性は隣にいなければいけないだろう。彼女はすでに、あの方の一部だ」
当を得すぎているその言葉に、返す言葉もなかった。
義務感だろうか ―馬鹿なことと言われるけど―
にやりとこちらを見て笑う将軍を睨みつければ、『馬鹿なことは考えないことだ』と言われた。馬鹿なことだろうか。友人の好きな人間を、代わりに引き受けようとするだなんて。