14話 剣を振るう
兄王子に勝るところが一つでもあるとすれば、それは武芸の腕だろうと思う。体の弱い兄に代わって武芸に励むことが自らの役割だと思っていたから。
剣を振るう ―何も考えず、何も感じず―
ガン、と重たい音がして腕に痺れが走った。
押し返そうと力を込めるも、まるで刃が立たずに慌てて剣を凪いだ。まともにやっては体力が根こそぎ奪われてしまう。
それに隙もできやすい。
「殿下。逃げ腰は感心しませんぞ?」
「将軍の一振りを受け止めただけでも、進歩だと思う、がっ」
息つく間もなく続けざまに剣を振り下ろされる。
相手が、剣先を潰し、更に(当たったときに軽症で済むように)軽量化された訓練用の剣を使っているとはいえ、まともに喰らえば酷い有様になることはとっくに分かっている。
自分の持っている剣は実際のものとほぼ変わらないので、振り回すには重過ぎるというのも逃げ切れない一因だ。
……かと言って、相手に実際の重さの剣を使われてしまえば、きっと受け流すこともできないだろう。
どっちにしろ、敵わないということだ。
「将軍っ。あまり振り回すな」
「殿下の御身を案じて、軽いものにしているのです。速さは慣れればいいだけのこと」
度重なる攻撃は容赦というものをまるで知らない。
息を詰めて応戦するも、すでに腕が痺れて感覚がなくなっていた。
悔しいことに、一日中書類を捌くことが多い自分と、日々鍛錬に勤しむ相手とでは、天と地ほどの差がある。
若さと体力だけでは勝てないのだ、と実感して唇をかんだ。小さい頃からの剣の師を見つめて息が出る。
「馬鹿力め!」
「今更ですなっと」
掛け声と共に力を込められ、均衡を保っていた剣が揺らいだ。
痺れている手は呆気なく剣を零し、からんと空しくそれは転がる。今日はもう少し時間を使うと思っていたのに。
「最近、特に上達しておられますな」
「将軍相手だと、己の力の成長なぞ分からないがな」
軽口を叩きつつも、落ちてしまった剣を拾い腰に佩く。
そして頭を下げると、相手も同じように礼を返した。さっさと自分の剣を仕舞うところを見ると、今日はもう終わりらしい。
助かったと思う反面、もっと訓練を続けたいとも思う。
知識も剣の技術も足りない自分は、もっと努力を重ねていかなければならないのだ。
「いや、お強くなられました。あぁ、そうそう。ところで殿下には想い人がいらっしゃるとか」
何気なく、いやそれを装いつつも目を輝かせて、こちらを見つめてくる。
『はぁ?』と語尾を上げて反論の意を示すと、がっちりとした体つきの男は『違うのですか?』と聞いてくる。
「誰に聞いたか知らないが、根も葉もないな、それ。俺が一番驚いたぞ」
「おかしいですな。ハノーバー親子が口を揃えたはずなのですが」
あぁ、と納得する。
リゼットと森から帰って、それからレオンに礼を言おうとしたとき問い詰められたな。
あまりに執拗な追求だったので、髪留めを渡したのだと白状した。ノースは、まだ誤解をしたままなのかもしれない。
「友人に髪飾り、というか髪留めを贈っただけだ。何の含みもない」
「ほう。殿下が髪飾りを、女性に」
にやにやとどこか楽しそうに笑う将軍へ眉を寄せる。
何故全員同じ反応なのか。レオンにいたってはそれに加えて、『あ、やっぱり女性が好きなんだね、安心したよ』と言われた。
何がだ。
「大人になられましたなぁ。私も嬉しいですぞ、殿下。是非連れておいでなさい。お顔を拝見したい」
何故連れてこなければならない。
しかも友人としてではなく想い人として。大切な友人は、レオンにもノースにも、そしてこの将軍にさえ隠しておきたくなる。
特にレオンには絶対に会わせたくない。
「想い人ではなく、友人だ」
「ではそのご友人を連れてきてください」
その含み笑いから逃げたくなって剣を抜いた。
しっかりとした重量感を手で感じ、そのままゆっくりと回して水平に突き出す。
低い姿勢から足を元に戻し、次の型に移ろうと体重を後ろ足にかけて体を引いた。
足運びと素早い重心の移動、これが意外に難しく、幼い頃はすぐバランスを崩して倒れていた。
「殿下」
「何だ」
戦場でも訓練場でも、どこにいても遠くまで響くだみ声で、将軍は逃げ出そうとした俺を呼び止めた。
「集中して何も考えないことは、よいことばかりではありません。想い、というものは形を持たぬ不確かなもの。
それに枠を与えてしまうと、その想いはいつか消えてしまいますぞ。気付かなければ、いえ気付こうとしなければ、つかめないものは案外多い」
「俺はあの空気を好いているんだ変化を望んではいない。もちろん、消失もだ」
望むことは恒久の平穏であり、温かいだけのあの関係。
そこに友情や親愛以外の感情は必要ない。抑えの利かない熱情や、汚れた劣情などの塊でしかないモノなどに、何の特がある?
そんなもの、抱いてもいないし抱くつもりもない。
ただ、側にいて安心したいだけなのだ。
「何よりも大切な、友人なんだ」
再び剣を振るい始める自分は、何も考えず無心になれる方法を探していた。
胸に宿る焦燥感に、戸惑いに、気付かないふりをしたくて。