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竜胆の東屋  作者: いつき
本編
15/109

13話 過去

 柔らかそうな栗色の髪。明るい紫色の瞳。ふわりと膨らむ袖から伸びる手が、足首を押さえていた。

 唇をかみ締めて、涙をこらえている様子は不謹慎ながら可愛らしく、天使のようだと思ったことは秘密だ。


 過去 ―偶然であれば幸運、必然であれば運命?―


 その出会いはひどく唐突だった。

 授業をサボり、側近の目をかいくぐって森へ逃げ込んだ。

 剣や弓、乗馬の訓練も、歴史書を読むことも普通に好きだが、かといって長い間していられるかと問われれば答えは否、なわけで。

 退屈すぎる日々の繰り返しに、刺激を求めて外へ出た。

 前から潜り込んでいた森へ。そこは絶好の隠れ場所で、湖の近くにある開けた場所だ。木陰に体を寄せれば直射日光も遮られ、穏やかな空気に包まれる。

 用意していた本を開こうとしたとき、森の奥で小さな呼び声がした気がした。

 いや、確かに声が聞こえて、思わず持っていた本を取り落としてしまったのだ。それくらい、驚いた。

「誰だっ?!」

 一応の基礎はあるが、まだまだ使いこなしているとは言いがたい剣を抜く。

 気休め程度に持たされていた護身用の剣を抜く日がこんなに早く来ようとは思ってもいなかった。

「……けて」

「誰だ、ここは王宮の中だ」

 今にして思えば、命知らずな行為だと思う。

 命をも狙われる地位にいながら、正体不明の人間に近づくなんて考えられない。しかしあの時は呼び寄せられるように足を進めた。

 声の方へ向かって草を掻き分け、その主を探す。

 近づいたり、遠のいたりする声を探して、やっと再び開けたところを見つけた。

 そして、それと共に声の主を見つけて呆然とする。そこへいたのは不審者でも何でもなく、ただの女の子一人だった。

 城下に住む人間が着ているような服を着て、脇に小さな籠を置いて座り込んでいる。泣き出しそうな瞳がこちらを見て、ぱちっと一度瞬きをされた。

「人、いないのかと思っ……。よかった」

 庶民の女の子らしい彼女は、足首を擦りつつ息を吐いた。

 一方こちらは状況が飲み込めず、一応危険ではないらしいと剣はしまった。しかし最低限の警戒心は解かない。

 それくらいは、幼心にも気をつけていた。

「ここで、何をしていた?」

 自分より小さな子を相手にしたことがなかった。

 ゆえにどう接してよいのか分からず、戸惑いながら声をかける。小さな子がどうしてこんな森に、しかも奥へいるんだろう。

 どうやって入ったのかも見当がつかず、首を傾げて女の子を見た。

 どこからどう見たって、『普通』の女の子にしか見えない。まさかこんな子が侍女見習いなわけもないだろう。第一服装が違う。それに侍女見習いは森へ入ることなどない。

「おじいちゃんと、はぐれちゃって」

「……えっと、君の祖父殿は誰か聞いてもいいか? いや、君の名から聞こう」

 おじいちゃん、が彼女を連れてきたのか。

 しかし森へ入れるのは、王宮の中でも決められたほんの一握りの人間のはずだ。

 部外者が入る隙などない警備なのだから、もしかしたらこの子はすごく身分が高いのかもしれない。

「貴族の人は、皆、人の名を聞くとき、ご自分の名を言わないのです、か?」

 訝しげにひそめられた眉と、使い慣れてなさそうな敬語。

 こちらを貴族だ、と思っているらしい。こんな子供に礼儀云々を言われるとは思ってもなかったが、正論だろうと思って口を開く。

「これは、失礼した。俺はアルという。君の名を聞いてもいいかな、お嬢さん?」

「リゼ、です。お嬢さんじゃありません。えっと、アル、さん?」

「アルで構わない」

 迷った末に呼ばれた呼び方は新鮮だったが、敬称が好きではないので訂正する。こんなところに来て敬称なんて。

「で、君の祖父殿はどうしてこの森へ入ってるんだ?」

「ここの、庭師だから」

 そこでようやく合点が言った。

 この森は幾人かの庭師が共同で管理しているのだ。ある程度人手もいるから、身内がいても不思議ではない。

 まぁ、小さな女の子のする仕事ではないと思うが。

「薬草取りに来て、はぐれちゃって。足も挫いて。……どうしていいか分かんなくって、です」

 不自然に付けられた敬語に口元が綻ぶ。

 自分を王子だと知らず接してくれる彼女の態度は、心の奥を擽るようで少し居心地も悪い。

 しかし何とも言えない喜びもあって、つい笑いそうになるのを慌てて引き締めた。

「とりあえず、足の手当てをするか。あっちに湖があるから、そこで冷やそう」

 籠を彼女に持たせて掬い上げる。腕の中の彼女はひどく小さかった。こんな子供の腕に収まるくらい小さくて、弱い。

「あの、アル? 歩くよ?」

「足、痛みが長引く」

 その後、森の入り口まで負ぶって行くことになるのだ。

 背中の重みは、彼女が生きている証のようだと思った。そして、週に一度、あの森で出会うようになる。

 彼女は俺が誰か知らぬまま、森の中でだけ友人で居続けた。その数年後、彼女の祖父が亡くなるまで。 友人として、兄妹のような温かくて、安定した関係がずっと、続いた。

 彼女の祖父が亡くなり、彼女がこの王都を出るまでずっと。その後一度として出会わなかったが、自分たちはこうやって再会を果たした。

 それはとても、素敵な偶然なのかもしれない。

 それはほんの少しの間だと感じてしまうくらい楽しくて、毎回別れるのが惜しかった。

 自分の身分を偽っている負い目さえ感じなくなるくらい、離れがたかった。

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