10.5話 贈られたもの
一日の仕事が終わり、ほうと息を吐いて自分の部屋に入った。
官舎の中にある、ごく狭い一室。庭師としては紅一点なので、個人の部屋になりつつあるその部屋に入ってまたため息を吐いた。
祖父に与えられていた一室はもっと立派だったような気がしたけど、とここに来た当初は思っていた。今なら分かる。
単純に、階級の差だと。
確かに、祖父はあの森の管理人であった。他にも理由はあるのだが、これは公にできない理由だから、あまり部屋とは関係ないのかもしれない。
そんなことを思いつつ、自分の体にまとわりつく男物の衣服を脱ぎ捨てた。これを着ている間、私は私自身が年頃の少女であるということを忘れることができるのだ。
一時、忘れることができるだけだが。
何をするのも億劫で、ベッドに横になりごろりと寝返りをうとうとする。
しかし髪がベッドに引っかかり、上手くいかなかった。疲れた体を叱責して体を起こすと、自分の髪が肩に触れた。髪留め、あぁそうか。
「こんな、素敵なもの。本当に貰ってよかったの?」
今更ながらその思いが強くなってくる。
しかしあの方の顔を思い出せば、その迷いも無用なのではないかと思い始めた。あの方が自分のことを思って作ってくださった。
それだけで、心臓が止まってしまうくらい嬉しい。
どうしよう、と口の中で呟いて、頭からそっと髪留めを引き抜いた。紫色のそれはとても綺麗で、心惹かれたのは事実だった。
花をあしらった意匠はとても繊細で、宝石なんかついていなくても十分に高価そうなのが分かる。
自分には不釣合いのものだったが、使えば使うほど味が出るといわれたので、使いたいと思った。
十年間、ずっと使い続ければいずれ自分にも合うような気がした。たとえ彼が、誰かと一緒になっても、これさえあれば救われる気がした。
結ってくれた手は、相変わらず優しかった。
まどろんでしまいそうになるくらいそっと、私の髪を掬ってくれる。
相変わらず器用なその手先に笑ってしまう一方で、自分の立場が変わらず妹であることを知った。知っていることだったが、改めてそうされるとやはり傷ついている自分がいた。
『相変わらず、器用ですね』というセリフは、半分嫌味だったのに、彼は気付いていないようだった。
つまらない感情を彼にぶつけてしまったことに後悔したが、伝わらなかったのならいいと思う。
「リゼットーー。入っていい?」
手の中で髪留めを弄んでいると、外からノックと声が聞こえた。身近にあった服をまとった。少女らしいその服は、両親から贈られたものだった。
「いいよ、どうしたの?」
声を聞けば見知った人間の声だったので、すぐに声を返す。すると扉が開いて、印象的な赤毛が覗いた。
その中から青い目が覗き、私は微笑む。この王宮で、最初にできた友人だった。
赤くて長い髪は、遠くからでもよく分かってとても綺麗。自分にはない色合いに惹かれた。
「どうしたのってー。理由がなく来ちゃダメ?」
「そうじゃないけど……」
小さい頃はずっと、王宮の中で彼と遊んでいたから、友人ができた試しもなかった。祖父が亡くなると両親は王都から出てしまった。
私は私で薬師になりかったから、勉強ばかりしていたし、薬師を諦めた後も庭師になろうと本を読み漁っていた。
同じ年の女の子と遊んだことなんてないから、いまいち距離感が掴めなかった。
「リゼット、珍しいー。あなたが髪留めなんて! すごく綺麗。目の色に合うし、細工も素敵ね」
「あ、うん。友人が、お茶を淹れてくれるお礼にって」
彼女には、アルバート様のことを言えなかった。
当然のように、この関係は秘されるべきことだから。だけど、問われるままに彼のことを何度か話題に出したことがある。
幼い頃に知り合って、つい最近再会したのだと。とても、優しくて賢くて、いつも妹のように可愛がってくれるのだと。
「あ! 例のお兄様ね」
彼女は彼のことを、『例のお兄様』と呼ぶ。
何でも、聞いた限り高貴な雰囲気があるからだとか。確かに、間違ってはいないのだが、アルバート様が王子だと知っている私にしてみれば不敬以外の何ものでもない。
「その呼び方はやめてちょうだい」
「でも髪留めを贈るなんて、その方、本当にリゼットのことが好きで仕方ないのね」
ドキッとするような言葉を、時々友人は何でもないように口に出す。
私が、彼に恋していることを知っていて言っているとしか思えないその言い方に、毎回息が止まる思いがする。
「確かに、大切にしていただいてはいるけど」
「違うわよー。リゼットは何も分かってないのね」
殿方が女性に装飾品を贈るなんて、理由は限られてるのよ?
「そっ、そんな方ではないもの!」
顔が赤い。
ばれているのは明白ならしい。こんなに分かりやすいのに、どうしてアルだけ分からないの!
叫びだしそうになりながら、手の中の髪留めを握った。こんなに嬉しいのは、私だってどこかで期待しているからだ。
愚か者だと、誰かに罵られたい。そうすれば目が覚めると思う。でも、彼があまりにも似合うと言ってくれるから。
「でも、褒めてもらったんでしょう?」
「それは、そうだけど……でも。本当に私、妹みたいなもので。彼は、すごく優しい人で」
優しいのは、彼がお兄さん役だからだ。
ずっと変わらず、そう思わなければいけない。ばれてはいけないのだ。誰にも、彼にさえ。この友人にさえ。
ばれてしまえば、今のようなお茶会はできなくなってしまう。
贈られたもの ―それは、あまりにも唐突で―
少女らしさなんて身につけなくてよかったのだ。身につけてしまえば、私はその中に恋を宿す。
届かない想いを、何度もその身に刻む。こんなことなら、ずっと男物の衣類でいいとさえ思った。どうか私の中の『女』を見ないで。
アルは朴念仁。女心の理解度はほぼ0! レオンに『君、男が好きなの?』とか偶に聞かれて、『何でそうなる?!』とか言っちゃう。
読書と武術とリゼットにしか興味がないだけなのに。