10話 その髪を飾るのは
この髪には何度も触れた。褒めるために、慰めるために、何度も撫でた。だがこんな風に触れたことは、ただの一度もなかった。
その髪を飾るのは ―一生これだけでいいのに―
「あの、アルバート様。これは?」
「日頃の感謝を込めて、というよりは、お前に少女らしさを身に着けてほしくて」
彼女の手に箱を落とすと、案の定彼女は首を傾げた。
職人に『箱も作りましょうか?』と聞かれたが、そんなことをするといよいよ引き出しに仕舞いこんで、使わなくなりそうだったので、厚紙の簡素なものに入れた。
こちらの発言の真意を測りかねたらしい彼女は眉を寄せるも、『開けないのか?』というこちらの言葉に恐る恐る箱を開く。
「髪、飾り?」
「そうだな。そう見えてくれると嬉しい」
中から現れたのは、薄紫色を基調とした髪留めだ。
彼女の瞳の色より少し薄いそれは、髪に着ければ瞳をよく映えさせるだろう。モチーフにされている花は『竜胆』で、根が薬にもなるそれは、彼女が好んで育てている花だ。
しっかりとしている造りを前に彼女は首を振った。わずかに眉を寄せている。
「受け取れません」
「まぁ、予想はしていたが」
全く、予想を裏切らないにもほどがある。
喜ぶ顔が見たいのに、そんな表情を映さない。おまけに困ったような表情さえ浮かべられて、流石に落ち込みそうになった。
「リゼットは、この花が嫌いか?」
「いいえ、大好きです。とても、キレイ」
そっと言われた言葉に、この意匠が気に入らないわけではないらしいと安心する。
なら後は何の問題もないだろう。
「派手でもないし、丈夫に作ってある。宝石の類もついていないから、少々乱暴に扱ったところで壊れない。しっかりお前の髪を留める。それだけのものだ」
「でも、私は庭師ですからどこかに引っ掛けるかもしれないですし、土で汚れるかも。やはり受け取るわけにはっ」
それに、高価そうだし、と付け加えられる。
強情なのはよくよく知っているが、ここまでとは、と思わずため息を吐きたくなる。何が悲しくて、悩んで選んだものを付き返されなければいけないんだ。
「台座分だけだから、そこまで高いというわけでもない。お前の場合、もう少し自分を飾るべきだ。これはその手始め。
いつも旨い茶を入れてくれるお礼だ。あぁ、心配なら無用だ。これは水でも洗えるし、長くもつものだから」
着ければ着けるだけ味が出るらしい。十年以上使えるぞ、と繰り返し説得すれば、少しだけ心惹かれたらしい。
「ほら、着けてやるからじっとしてろよ。まとめにくいからな」
将軍仕込みの素早い動作が、こんなときに使えようとは思ってもみなかった。
彼女の頭を固定すると、抵抗もしなくなる。柔らかい栗色の髪を掬い、髪留めで固定した。これで大分動きやすくなるだろうし、緩むこともないので安心だ。
「悪いな、リゼット。俺の周りに『紫』を持つ者はいないんだ。
それに、これは俺がリゼットに贈りたいと思ったものだ。他の者にやれない。お前が受け取ってくれなければ、使い道がないんだがな」
「アルバート様が、そうおっしゃるなら。……ありがたく、いただきます。ありがとうございます、アルバート様」
ちらり、と見えた横顔は、ほんの少しだけ緩んでいた。
上気した頬で気に入ったことを知ると、もっときちんとまとめてやればよかったと思い、髪を一度ほどいた。
「リゼ、櫛」
「へ?」
「櫛だ。きちんと結ってやるから、櫛」
思わず昔の呼び方に戻った。
手を差し出せば、おずおずと出される。黒くて安っぽいそれは、使い勝手のよさだけが追求されたもので少女の持ち物ではない。
むっと眉を寄せて次の機会には、櫛と鏡を一緒にして贈ろうか、と計画する。櫛を受け取って髪を梳いていると、つい五、六年まではこれが日常だったと思い出す。
こうやって髪を結うことも頭を撫でることもその頃は普通で、何らおかしいことはないと思っていた。今の二人からは想像さえできないのに。
「相変わらず、器用ですね」
「そうか? 久しぶりだから、案外緊張してるんだが」
本当は、それだけではないけれど。
こんなふうに、彼女を『女の子』だと思って接するのは初めてだから。ずっと妹として接してきていたから。妙に緊張しているのは仕方のないことだと言い聞かせた。
「ありがとうございます。私でも、女の子らしくなれた気がします」
「お前の瞳に負けはしないかと心配してたんだが、杞憂のようだったな。よく似合ってる」
こちらを向いて礼を言う彼女に笑いかけ、改めて彼女を見た。
濃い色の髪に負けて、全く目立たないのではないかと思っていた髪留めは、少し大きめに作ったおかげで存在感がある。
しかし、かと言って目立つかと問われれば、そんなことはなく控えめに彼女の髪を彩っていた。思っていた以上に自分の見立てが正しく、少々浮かれた。
だから、気付かなかった。
その格好も、表情も、彼女が子供でないと示しているのだと。女の子、でもなく、すでに女性になりかけているんだと。
そんな当たり前のようなことに気付かなかった。気付かない、ふりをした。