少年の瞳と玉子焼き 2
クマのストラップのついた鍵を差し込み扉をあける。
「ただいまー」
返事がないことは分かっている。雪菜は鍵を下駄箱の上に置いてある籠の中に放り込んだ。
部屋に戻り制服から楽な服に着替えると夕飯を作るために台所へ移動する。
家事全般は雪菜の役割になっている。
1番早く帰ってくるということと家族3人の中で誰よりも器用にこなすことが出来るのが理由だ。
考えれば、それは当たり前のことだったのかもしれない。
父は仕事で、雪也は部活で帰るのが遅い。母親の手伝いをするのはもっぱら雪か雪菜だった。
料理は雪よりも雪菜の方が上手ね
それは雪菜のささやかな誇りとなった、言葉。
「・・・・・」
料理する音と時計の音が静かな台所に響く。戸棚から食器を取り出しながら、チラリと壁時計を視界の端にとらえる。
八時ちょい過ぎ――――そろそろ雪也が帰ってくる頃だ。
長い針がもう一度動いた時、入り口の方で音がした。雪菜の予想通り雪也だった。
「ただいまー。腹へったー」
雪也は汗まみれの顔をタオルでふきながらイスに座ると溜息をついた。
「疲れた?ご飯できてるよ、はい」
雪菜はご飯をよそって雪也の前に置いてやった。雪也は疲れた様子をしつつも、出されたご飯をむさぼるように食べていく。見る見るうちになくなっていく食卓の上が、毎日見ている光景だとしても面白い。
雪菜も手を合わせていただきますのポーズをとってから食べ始める。
毎日の家事は大変だが、雪菜は嫌いじゃない。
夕飯の支度は、特に。
夕飯の用意が必要ということは、帰ってきてくれることの証でもあるからだ。
雪菜の気持ちを知ってか知らずか父も残業が長引いた時以外は家で食事をとるようにしてくれている。
食事を食べ終わった雪也が部屋へ戻り、雪菜は父の分を分けて後片付けに入る。
学校の宿題が終わるころに父が帰宅し、雪菜が夕飯を出す。雪也も自室から出てきた。
短いけれどもこの家族団らんの時間が雪菜は大好きだった。
反抗期をむかえるこの時期の同級生は男親や男兄弟を毛ぎらう気があるが雪菜にはそれが理解できない。
だって、たいせつな家族じゃないか。
大好きな、家族だもん。
一緒に過ごす時間は楽しい。かわす会話は面白い。心の底から笑える時間だった。
父が風呂に入りに行き、雪也が部屋に戻るのと同じタイミングで雪菜も自室へ入る。
部屋に入った雪菜は電気もつけずにしばらく立ち尽くす。
体にたまっていく、言葉にならない感情。
楽しい時の後に必ずやって来る独りきりの淋しい時間。
部屋の窓から入ってくる月の光。
壁にかかった鏡の中で、もう一人の自分が力なく笑った。