とおくにいこう
深夜0時を過ぎる、ほんの少し前。
ユミから着信があった。
受話器を取った私の耳に、彼女の明るい声が響く。
「ねえ、聞いて!」
彼女は、せかせか話し始めた。
「さっき変な夢、見ちゃって」
どんな夢を見たのか、彼女は語り始める。
「夢の中でね、お母さんがごはん作ってたら、玄関のチャイムが鳴ったの」
「それで、あたしが家のドアを開けたら、黒い影の人が立っていたの」
ーー黒い影の人って誰?
「よくわからない。空気のような、液体のような、
曖昧な形。でも、ちゃんと人の形……人形のような見た目をしていたの」
それでね、と彼女は続ける。
「その影が怖くて、立ちすくんじゃったんだけど、お母さんは優しく家の中に招き入れてね。お父さんも部屋から出てきて、その影の人をもてなし始めたの」
「お父さんもお母さんも、すごく優しく接していたんだけど、その人に注いでいるお酒が進むと、その人、どんどん、喚き散らして、暴れ始めたの」
「その人、とっても怒っていたけど、同時に泣いているような、君の悪い叫び声あげていて……」
「その人、包丁を手にして、お母さんの首を切り裂いてしまったの」
「お父さんが黒いその人を止めようとしたんだけど、逆にその人に、お腹を何度も、何回も刺されてちゃって」
何度も。
何度も。
何回も。
「影の人は砂のように崩れ落ちちゃった。そしたら、家の中が黒い霧と靄に覆われて、真っ暗になって、本当に真っ暗闇になって、何も見えなくなっちゃった……」
「怖くて、夢から飛び起きたんだけど、そのままベッドで泣いちゃって」
「そしたらね。お父さんとお母さんがあたしの部屋に駆けつけてくれて、夢だから大丈夫だよ、って慰めてくれたの」
「しかも元気づけてくれるために、みんなで旅に出よう。これから、どこか遠くに行こうって言ってくれて」
彼女の声は、パァっと明るくなる。
「家族旅行の話になったのが嬉しくて、あたしってほら、あまり旅行とか行けてなかったから」
彼女は弾んだ声でいた。
思わず「よかったね」と言ってしまいそうなくらい。
軽快に。
明るく。
--でも私は知っている。
三年前、彼女の父親は借金を苦に、妻の首を切り裂き、家に火をつけたこと。
その子は助かったが、それは奇跡的なことだった。
そして父親は、炎の中で、ひとり、自ら命を絶ってしまったことを。
電話口からは、大人が二人、談笑しているような声が聞こえた。
それは同時に、まるで断末魔のような、甲高い声。
それらの声はもしかしたら、私の気のせいだったのかもしれない。
ただ、ユミの声は、本当に嬉しそうに、明るく弾んでいた。
心の中から。
本当に。
幸せそうに。




