第5話:裏市場の仕事
三日後、俺は再び裏市場にいた。
今度は客ではない。
労働者としてだ。
「こっちだ」
例の老人に連れられ、裏通路を進む。市場の喧騒が遠ざかり、空気が冷たくなる。
通された部屋には、大きな机と山積みの書類があった。
「全部、依頼品だ」
老人が言う。
「計算、帳簿整理、暗号の解読。できるところまでやれ」
俺は書類をめくる。
密輸の収支表、賭場の配当計算、商人同士の契約書。
無秩序に見えて、規則はある。
「期限は?」
「日没まで」
短い。
だが不可能ではない。
「始める」
俺は椅子に座り、羽根ペンを取った。
⸻
時間の感覚が消える。
数字が流れ込み、頭の中で組み替わる。
不正な計算、隠された損失、意図的な誤魔化し。
罠がいくつも仕掛けられていた。
単なる計算係ではない。
試されている。
俺は一つずつ暴いていく。
正しい数値を書き込み、理由を余白に記す。
途中、扉が開いた。
「調子は?」
リネアが顔を出す。
「順調だ」
嘘ではない。
だが楽でもない。
「無理するな」
「無理はしてない。仕事してるだけだ」
リネアは小さく笑い、扉を閉めた。
再び集中する。
⸻
日没前、最後の書類を終えた。
同時に、部屋の空気が変わる。
いつの間にか、あの大男が立っていた。
「終わったか」
「ああ」
書類を差し出す。
男はざっと目を通し、眉を上げた。
「……全部、修正されてる」
「当然だ」
俺は指摘する。
「三番目の帳簿。意図的に赤字を隠してる。気づかないと損するぞ」
男の目が鋭くなる。
「誰がやった」
「知らない。だが、内部だ」
沈黙。
重い空気が落ちる。
男は低く笑った。
「面白い」
そして扉の外に声をかける。
「入れ」
一人の男が連れてこられた。
怯えた目をしている。
大男は帳簿を突きつけた。
「説明しろ」
男は震え、やがて崩れ落ちた。
裏切りだった。
部屋の温度がさらに下がる。
俺は目を逸らさない。
ここで弱さを見せれば、終わる。
「お前」
大男が俺を見る。
「使えるな」
「仕事をしただけだ」
「それができる奴は少ない」
男は笑う。
「三日の約束は無しだ。今日で帳消しにしてやる」
「助かる」
「それと――」
男は身を乗り出した。
「継続契約だ。定期的に働け」
予想していた。
だが即答はしない。
「条件がある」
男の眉が動く。
「言え」
「俺の素性を探らないこと。地下教室には関わらないこと」
賭けだった。
一瞬の沈黙。
やがて男は笑った。
「いいだろう」
手が差し出される。
俺は握った。
契約成立だ。
⸻
外に出ると、リネアが待っていた。
「生きてる」
「当たり前だ」
「どうだった?」
「悪くない」
俺は言う。
「資金の目処は立った」
地下教室は続けられる。
むしろ拡大できる。
だが同時に――
「深みに入ったな」
リネアが呟く。
「ああ」
否定しない。
俺たちはもう、裏市場と繋がった。
簡単には切れない。
「後悔してる?」
「してない」
即答だった。
「必要なことだ」
リネアは少しだけ安心したように笑う。
その時だった。
遠くで鐘が鳴る。
学院の方向だ。
「……嫌な予感がする」
リネアの表情が変わる。
「何かあった?」
「わからない。でも――」
彼女は走り出した。
俺も後を追う。
胸騒ぎがする。
地下教室に、何かが起きている。
⸻
(第5話 終)




