第4話:裏市場
第4話:裏市場
裏市場は、街の地下にあった。
「……本当に来るとは思わなかった」
リネアが小声で言う。
俺たちは古い排水路の入口に立っていた。石の階段が闇へと沈み、湿った空気がゆっくりと這い上がってくる。
「他に方法がない」
地下教室の生徒は増え続けている。教材、場所、そして試験料。どれも足りない。
正規の手段では追いつかない。
「学院の下級生には、裏で情報を売る奴がいる」
リネアは苦い顔をした。
「私も昔、一度だけ利用した」
「何を買った」
「E級の中でも、《基礎計算術師》の過去問」
短い答えだった。
「公式には流通しない資料。ここなら手に入る」
俺たちは階段を降りた。
足音が石壁に反響し、やけに大きく聞こえる。
⸻
地下は別世界だった。
灯石の青白い光が並び、粗末な屋台が通路を埋め尽くしている。香辛料の刺激臭、金属の擦れる音、低いざわめき。
誰もが顔を隠していた。
「目を合わせるな」
リネアが囁く。
「余計な興味を持たれる」
俺は頷き、人の流れに紛れる。
耳に入ってくる単語は危険なものばかりだった。
「偽造証書」「登録番号の改竄」「代理受験」
この世界の闇が、ここに凝縮されている。
「こっち」
リネアが袖を引いた。
奥まった区画に、小さな机がある。老人が一人、帳簿をめくっていた。
「試験資料を探してる」
リネアが言う。
老人はゆっくり顔を上げた。
「どの資格だ」
「E級の中でも、《基礎計算術師》の過去五年分」
俺が答えると、老人の目が細くなった。
「高いぞ」
「いくらだ」
「銀貨三枚」
予想以上だった。
今の資金では届かない。
沈黙が落ちる。
「……分割は?」
俺が言うと、老人は鼻で笑った。
「ここは慈善事業じゃない」
その瞬間、周囲の空気がわずかに変わった。
視線が集まる。
まずい。
「買わないなら去れ」
老人が帳簿を閉じる。
その瞬間――
「待て」
低い声が割り込んだ。
振り向くと、大柄な男が立っていた。腕に刺青。明らかに用心棒だ。
「そのガキ、さっきから妙に目立つ」
俺のことだ。
「学院の匂いがするな」
心臓が跳ねる。
リネアの肩が強張った。
「違う」
俺は即座に言う。
「ただの受験生だ」
「証明できるか?」
できない。
空気が張り詰める。
逃げ道は遠い。
ここで揉めれば終わる。
頭を高速で回転させる。
そして――賭けに出た。
「問題を出せ」
男を真っ直ぐ見る。
「今ここで解いてやる」
ざわめきが広がる。
「面白い」
男が笑う。
老人が一枚の紙を滑らせた。
見た瞬間、頭の奥で何かが起動した。
――《試験構造解析:有効》
問題の骨格が透けて見える。
罠は二箇所。誘導は一箇所。本質は単純な比率計算。
前世で何百回も見た構造だ。
俺は地面に指で式を書く。
思考が澄み切る。周囲の音が遠ざかった。
数十秒後、答えを書く。
沈黙。
老人が確認する。
そして、小さく笑った。
「正解だ」
空気が変わる。
敵意が、興味に変わった。
「いい腕だ」
大男が肩を叩く。
「気に入った。値引きしてやる」
老人が渋々言う。
「……銀貨二枚だ」
それでも足りない。
だが――
「残りは働いて返す」
俺は言った。
「問題作成でも計算でも。使えるだろ」
老人はしばらく考え、
「……三日だ」
と答えた。
「三日働け。それで残りを帳消しにしてやる」
そして帳簿を開きながら、面倒そうに付け加える。
「三日後、ここに来い。俺が案内してやる」
交渉成立だった。
⸻
資料を受け取り、俺たちは裏市場を出た。
地上の空気がやけに清々しい。
「無茶する」
リネアが呟く。
「でも、成功した」
俺は資料を握りしめる。
これで生徒たちの合格率は跳ね上がる。地下教室は次の段階に進める。
同時に――
「三日間、裏市場で働くの?」
「そのつもりだ」
危険だ。
だが必要な賭けだった。
リネアはしばらく黙り、
「……私も行く」
と言った。
「一人じゃ死ぬわよ」
俺は笑う。
「心強いな」
闇に足を踏み入れた実感があった。
もう後戻りはできない。
⸻
(第4話 終)




