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第二十八話 策士策におぼれる

夕食が終わり、ハンナがアイラに、「アレク様の宿泊される部屋の準備が整いました」と報告する。

アイラは満足げに頷き、アレクに「ハンナに部屋を案内させましょう」と促した。


アレクと共に食卓を出たヴィックは、怒り心頭だった。


「何が既成事実を作れだ! 自分の姪にそんな事を言う叔母がどこの世界にいる!!」


確かに世界中探しても、ヴィックの叔母だけであろう、そんな事を言い出すのは…。


自分の部屋に戻ろうと廊下を進むヴィックを、ハンナが呼び止めた。


「お嬢様もこちらの部屋に」


ハンナはアレクのために準備した部屋に入るように促した。


「ん?」


アレクのために準備した部屋に促され、ヴィックは不思議そうな顔をしつつも従った。


アイラがアレクの為に準備した部屋は、元は自分の長男であるラシードが居た部屋だった。広くて南側の一番良い部屋である。

その部屋をアレクの為の客間で提供するのだ。アイラがアレクを心からもてなす気であるのは一目瞭然だった。


だが、ヴィックは部屋を見回し、違和感を覚える。


「やけに寝台が大きくないか? 1人にしては」


大人二人が悠々と眠れるんじゃないかと思う程の寝台が存在感たっぷりに鎮座していた。


「それは……」


何故だかハンナが言い淀む。彼女は俯くと、


「アイラ様が、『アレクさんとトーリィは婚約者なんだから、一緒に部屋にするべきだ』と……」


ハンナは、その言葉を口にするのが心底苦痛であるかのように告げた。


アレクは、さっきこぼした酒以上に顔を真っ赤にし、壁に張り付くように固まった。

ヴィックは怒りを通り越して呆れた表情で、信じられないものを見るかのように寝台、そしてハンナを見つめた。


「冗談じゃないぞ! 一緒の部屋だなんて」


ヴィックの怒りは当然だった。


ヴィックは自分の部屋に帰ろうとして、様子を見に来たアイラとマイラと鉢合わせる。

部屋から逃げようとするヴィックを、アイラは意味深な笑みで引き留めた。


「若くて生きの良い羊がやってきたんだ。いつ食われるか? 分からないからね。トーリィ、夜もしっかり羊の番をしとかないと…」


「せっかく婚約!!までしたのに…台無しになるものね」


何故だかマイラは『婚約』の2文字をことさら強調して畳みかける。


アレクは自分が『羊』であり、『狼』とは村の女であり、『食われる』とは──

要はそういうことだと、いくら恋愛関係に鈍いアレクでも話の流れ的に悟った。


今更ながらアレクは、とんでもない村に来たんじゃないかと思った。


「わかった!! 一緒の部屋にすればいいんだろ」


ヴィックは半ばヤケクソだった。


「えぇっ!!」アレクは裏返った声をあげた。


「それじゃあ、おやすみ。なにかあったら言っとくれ」


そう言ってアイラとマイラが去り、ヴィックは頭を抱えていた。

それはアレクも同じだった。


「それでは私もこれで」

とハンナも去っていった。


いよいよ部屋にはアレクとヴィックの二人きりになった。


「しょうがない、もう腹を括るしかない」


「腹をくくるって?」


「春まで、お前とこの部屋で一緒に過ごす」


これにはアレクは必死に抵抗した。


「いやいやいや…それはない」


「何がだ! 宿屋で一緒に寝たじゃないか?!」


それは、動揺を悟られまいと強がって吐き出した意地の言葉だったが、

人が聞いたら、物凄く誤解を生むような事をヴィックはサラッと言った。


確かに宿屋で部屋が一つしか取れなくて、同じ寝台で寝た。

だがそれはヴィックが男だと思っていたからであって…

しかもあの時はユリウスを真ん中に挟んで、右と左に分かれて寝ただけだ。

今とは状況が全く違う。


「それは駄目だ、それだけは」


「何がどう駄目なんだ?」


「俺の…理性が保てない」

と言ってアレクはハッとした。


理性が保てないと言うのは…要はヴィックをそういう目で見ているという事だ。

彼は恐る恐るヴィックの顔を見た。


ヴィックは呆れ果てた顔をするわけでも赤面するわけでもなく、無表情だった。

その顔からいったい何を考えているのか? アレクは読み取る事も出来なかった。


「だったら必死になって理性とやらをかき集めるんだな。言っとくが、私はこの村の雌狼よりも獰猛だぞ! 食い殺すかもな?」

と冷たく言い放った。


要は「私に手を出すような事をしたら、ただではおかないぞ」という警告のつもりだったのだが、

一歩間違えると他の意味にも取られかねないことに、ヴィックは気づいてなかった。


今夜のヴィックは、叔母コンビに散々振り回されたせいで切れ味が悪かった。


結局、大人二人が余裕で眠れる寝台で共に寝ることになったが、アレクはとてもじゃないが冷静ではいられなかった。


しかも、よりによって、旅の道中で一緒になったユリウスの言葉を思い出した。


「だって女の人の匂いがしたもん!」


アレクがヴィックをまだ男だと思っていた時、ユリウスはヴィックを女の人だと言い切った。

確かに、ヴィックはなんとも言えない、男とは違う匂いがしている。

今、隣にいる彼女の側から微かに漂ってくるのは、甘いような、それでいて芯の通った独特な香りだった。


それまでヴィックの匂いなど気にも止めていなかった。

意識してはいけないと考えれば考えるほど、余計に意識してしまい、アレクの心臓は跳ね上がった。


冷静さを取り戻すために羊を数えてみたが、羊の数は増えていくだけで、落ち着きは訪れなかった。


アレクは寝台の端で固まり、首筋には汗が滲んでいた。


そのうち、隣でヴィックは寝息をたてていた。

ほどなくして、ヴィックが一度大きく寝返りを打った。寝台がわずかに軋み、その揺れと、シーツを通して伝わってくる微かな体温がアレクを直撃した。


彼は呼吸を止め、自分の存在を消そうとするが、すぐ隣で続く寝息が、物理的な近さを嫌というほど突きつけてくる。


アレクが必死で理性の糸をかき集めている横で、彼女は微かな寝息をたてている。


自分とヴィックの感情の温度差に、アレクは愕然とした。


自分は、男として彼女にとって何の色もない風景の一部でしかない。

その事実は、アレクの自尊心を木っ端微塵に砕き、同時に彼の心を説明不能なモヤモヤで満たした。


アレクはそっと寝台から這い出て、窓辺へと向かった。

窓の外は静まり返った夜の闇。見上げれば、雪が止み青い月が寒空を照らしていた。


春まで…ずっとこの部屋で…

それは、地獄だ。


彼の心は落ち着かず、体の反応と彼女の無関心の狭間で引き裂かれていた。


ヴィックが自分を「男」として認識していないという事実が、彼の胸に鉛のように重くのしかかるのだった。


「最悪だ……」


つぶやきは夜の帳に吸い込まれた。


窓際に置かれた椅子に座り、夜空を眺めるうちに、アレクはいつの間にか眠りに落ちていた。


ふと目を覚ますと、部屋には温かい朝の光が差し込んでいた。

身体を包んでいた毛布が、パサリと床に落ちる。

誰かが、自分が寝ている間に掛けてくれたのだろう。


しかし、部屋にはヴィックの姿が見当たらない。


『(またか……)』


彼女に置き去りにされた、『白カモメ亭』での記憶が蘇る。


「まさか、この雪の中で出て行ったのか?」


いくら何でもそれは考えられないが、アレクの胸には焦りが湧き上がった。

立ち上がって探しに行こうとした、その時。


部屋のドアが開き、ヴィックが入ってきた。

彼女はアレクの焦燥に満ちた顔を一目見て、全てを察した。


いつものヴィックであれば、「なんだ? 私がまたお前を置いて出て行ったとでも思ったか?」とでも言い放つだろう。

だが、今回は違った。自分のせいでアレクに余計な気遣いをさせたこと、そして昨夜の騒動全てに対するわずかな負い目を感じていたのかもしれない。


ヴィックは、叔母たちが仕掛けた「同室」という既成事実は、アレクにとってあまりにも酷な試練だったことを悟っていた。

そして今朝、アレクが窓際の椅子を座っているのを見て、ヴィックはアイラの部屋へ向かった。


アイラはヴィックが来るのを待っていたようだった。こうなることを彼女は既に察していた。


「もっと早く降参するかと思ったのに、来るのが遅いよ、トーリィ。で…どうするんだい? まだ婚約ごっこの茶番をやる気かい?」


「お見通しか」ヴィックはため息をついた。


「ばれるに決まってるだろ? 何年あんたの叔母をやってると思ってるんだい」


アイラは腕を組み、姪を厳しい目で見つめていた。

その視線は、ヴィックが自分たちに相談せず勝手に婚約者という茶番を演じようとしたことへの制裁を含んでいるようだった。


「…トーリィ。確かにあんたは頭がいい子だよ。でも所詮は子供だ。あんたがその頭を絞って考える策のせいで、振り回される人間もいることを少しは考える事だ」


アイラは静かに、しかし有無を言わせぬ口調で諭した。その言葉はヴィックの胸に重くのしかかった。


「アイラ叔母さん…部屋を同室というのは取り消してください」

とヴィックは素直に頭を下げた。


「ふ〜ん。…婚約者の茶番劇の方はどうするんだい?」


「それは…」


「それも取り消すなら取り消すでよいが…今更って感はあるね。あんたが取り消した所で、もう話が大きくなってるからね」


ヴィックは何の事かわからなかった。

話が大きくなってるとはいったいなんの事だ。


アイラはため息交じりに言った。


「あんたが上の滝から降りてきた時、アレクさんがあんたの名前を大声で呼んで駆け寄ってきただろう?

再会して二人は抱き合ってたって話になってるんだよ」


ヴィックは愕然とした。

再会した時にヴィックはアレクの胸ぐらを掴んで「何故ここにいる」と叫んだだけだ。

それが何故抱き合っていたに変換されているのか。


「それで終わっておけばよかったのに、あんたが夕食時にヴォルフに婚約を反対されてるなんて変な事をいうから、『トーリィが父親の反対を押し切って家出して、この村で婚約者と落ち合った』という、カンドーの愛の逃避行のラブストーリーがすっかり出来上がってしまってるんだが…どうするんだい? あんた」


アイラの言葉に、ヴィックは頭を抱えて壁にもたれかかった。


──策士策におぼれる。


深いため息と共に、アイラの部屋から出たヴィックは脱力していた。

自分が何気なく撒いた種が、とんでもない物語を村人たちの中で紡ぎ出してしまっている。


村を出る春まで、『婚約ごっこ』どころか『愛の逃避行』をやらなければいけなくなったのだ。


少なくとも最も緊急性の高かった「同室」の問題だけは解消したことに安堵した。

それだけはよしとしなければ。

だが、これから先の事が頭が痛い。巻き込んでしまったアレクには申し訳ないが…。


「私は自分の部屋に戻るから、お前はこの部屋を自由に使え」


ヴィックは簡潔に告げた。


「え…でも、アイラさんに『一緒に過ごせ』と言われたんじゃ……」


「その件は、もう話はつけた」

ヴィックは言葉を継いだ。

「まあ、それでも一応、お前は私の婚約者というていで、周りには通すことになった。あとで色々と辻褄が合うように打ち合わせをするから、その時に詳しく話す。とりあえず……お前は寝ろ。顔色が最悪だ」


ヴィックの言葉には、有無を言わせぬ決意が込められていた。


事実、『ラナハイムの白カモメ亭』からヴィックのあとを追ってきた強行軍の旅路に加え、見ず知らずの村に連れてこられ、一晩中緊張し続けたアレクの心身は限界だった。ヴィックの言う通り、顔色は最悪だった。


アレクは、もう抵抗する気力もなく、素直に寝台へと向かった。大人二人が悠々と眠れる大きな寝台に、彼は今度は躊躇なく身を沈めた。シーツから漂う微かな彼女の香りが、今朝は不思議と彼を落ち着かせた。


彼は深い眠りへと落ちていった。


これから先続く

婚約ごっこの泥沼を知らずに…。



『本編を読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』


叔母アイラの策で同室となったアレクとヴィックだが、アレクは悶々とした夜を過ごす。翌朝、ヴィックの交渉で同室は免れるも、二人の仲は村中に「愛の逃避行」と誤解されていた。引くに引けない状況の中、波乱の婚約ごっこ(村人の妄想)が更に加速する。

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