第二十六話 縁ふたたび
ヴィックを追って『白カモメ亭』を出たアレクだったが、追いつくことはできなかった。
夜明け前に出発したヴィックたちに対し、アレクの旅立ちは正午過ぎ。
さらに相手の荷馬車は馬、こちらは驢馬のパリス。半日以上の差は埋まらず、焦りだけが募っていった。
五日目。急ぐあまり街道を外れ森の近道に入ったとき、パリスが突然立ち止まり苦しげに鳴いた。
「パリス!? おい…どうした…」
息荒く首を垂れるパリス。過労が限界を超えたのは明らかだった。周囲に村はなく、アレクは絶望に肩を落とす。
そのとき、森の奥から一人の男が現れた。
「その驢馬、相当無理をさせたな。……手当てはできる。俺の小屋へ来るといい」
名はイーサン。狩人だと名乗った男は、薬草と水でパリスの体を冷やし、丁寧に看病した。
落ち着いたところでアレクは問いかける。
「どうしてここまで…? 見ず知らずなのに」
薪をくべながら、イーサンは静かに答えた。
「……懺悔ってやつだ」
かつて彼は、与太話と偽りの情報を語って、旅の宿や食事を恵んでもらう詐欺まがいの放浪者だった。
ある漁村で『赤髪の双剣使い』という冒険者を知っていると嘘をつき、少年にサントゥスの冒険者ギルドの話を語った――根拠もない嘘の話。
「…あの少年の瞳を見たとき、俺は自分がどれだけ小さな嘘で生きてきたかを思い知らされた。あれがきっかけで足を洗った。
だから、困ってる奴を助けるのが、俺の償いなんだ」
アレクは名乗らなかった。
あの少年が自分だと言うことも。
イーサンの嘘を信じ、『サントゥス』に行く夢を描き続けた挙句、その夢が壊れた時、傍にいたヴィックにその失望の怒りをぶつけた。自分には、彼を責める資格などない。
それに『サントゥス』に行くと言う、あの夢があったからこそ、彼は領地を追われたにも関わらず、旅立つ決心がついたのだ。そうでなければ国を出ていなかったかもしれない。あれが偽りの夢だったとしても彼には希望であったのだ。
二日後。パリスは元気を取り戻した。
「あなたのおかげです。本当に…ありがとうございました」
旅の資金から貴重な銀貨を一枚差し出すが、イーサンは首を振った。
「償いに対価はいらないさ。相棒を大切にな」
パリスを撫でる手には、嘘など一つもなかった。
アレクの胸には、怒りの残滓ではなく、深い敬意だけが残った。
その後もパリスと共に街道をひた走り、アレクはついにその目的地――『中央都市サントゥス』へたどり着いた。
巨大な石造りの門をくぐると、眩い光景が広がった。どこまでも続く石畳、空を突くような塔や壮麗な建物、露店から漂う香辛料の匂い。冒険者、商人、旅人が入り乱れ、馬車の轟音、客引きの声、子供の笑い声が、地方都市とは比べものにならぬ熱量で渦巻いている。
アレクは思わず目を丸くした。だが――
「(これが……サントゥス……)」
胸に湧いたのは驚きこそあれ、期待していたような高揚ではなかった。あれほど憧れていた『赤髪の双剣使い』との邂逅。そのために来た冒険者ギルドは、イーサンの嘘だった。街に対する夢は、その嘘がわかった瞬間から砂のように崩れ落ちていた。
「すごい街だけど……なんか、な」
そう呟きながら、街道沿いの露店でパンと水、そしてロバのパリスのための草を買い揃える。
本当の理由は、夢が崩れたからだけではない。
「(ヴィックが、いないからだ)」
ひとりで旅をする景色は、想像していたものよりずっと味気なかった。強引に突き放された怒りや寂しさは胸の奥でまだ澱んでいる。だがそれ以上に――隣にヴィックがいないという事実が、この街の輝きを奪っているのだと、アレクは漸く気づいた。
もはやアレクにとって『中央都市サントゥス』は東に向かうための通過点でしかなかった。先を急ぐべきだと荷馬車の荷物をまとめていたその時だった。
相棒の驢馬のパリスが耳をぴくつかせ、地面を掻いた。呼び止める暇もなく、パリスは何か懐かしい匂いを追うようにアレクの制止を振り切って走り出した。
「わっ! パリス、どうしたんだ!」
慌てて手綱に手を伸ばすが、ロバは言うことを聞かない。荷馬車は露店の間を抜け、賑やかな広場へ突っ込んでいく。
アレクが必死に追いかけると、パリスは一人の女性の前でぴたりと止まった。
「パリス!」
息を切らしながら追いつくと、女性はロバの頭を撫で、にっこりと目を細めた。
「おや! 似たようなロバだと思ったら……やっぱりパリスかい」
鮮やかなオレンジ色のスカーフを巻き、日焼けした健康的な肌をした女性。パリスに慣れた手つきで接する姿に、アレクは困惑した。
やがて女性はアレクを上から下まで素早く見て、いきなりずっしりと重い袋を押し付けてきた。
「ちょうどよかったよ兄ちゃん。これをその荷馬車に載せな」
「え、あの……」
状況を飲み込む暇もない。
そこへ店の奥から、もう一人の女性が顔を出した。
「アイラ! 勝手に誰かに荷物を押し付けてちゃだめだろ!」
「勝手もなにも、パリスだよ! パリス!」
「え? あら本当だ。パリスだ。その頭の飾りボンボンはパリスだね」
確かに、パリスの鬣には特徴的なボンボンの飾りがついている。
二人の女性はアレクを値踏みするようにじっと見た。
「ふ〜ん……マイラ。この荷馬車もう荷物で一杯だし、残りはパリスに運んでもらおうかね」
「そうだねえ。兄ちゃん若いし、手伝ってもらえばすぐだよ」
完全に話が勝手にまとまっていた。あまりの強引さにアレクは固まったが、促されるように荷物を受け取る。
「兄ちゃん……女の人には親切にするもんだよ」
それはもはや『親切』の域を越えていたが、結局押し切られてしまった。
どうやらアイラとマイラは、冬に備えて大量の買い出しに来ていたらしい。荷馬車が満杯になったため、パリスを見つけるや否や『渡りに船』とばかりにアレクを巻き込んだのだ。
マイラの荷馬車を先頭に、アレクはその後を追う形で街を抜け、山道を登り始めた。
そもそもアイラとマイラはなぜパリスを知っているのか? 疑問が湧き上がるが、御者台の横に当然のように座ったアイラが、世間話のように話しかけてくる。
「本当助かったよ。買いすぎて荷物が乗らなくなってねえ。マイラとどうしたもんかって言ってたところなんだ」
アレクは苦笑いするしかない。
「そういやあ兄ちゃん。名前、まだ聞いてなかったね」
「アレクといいます」
「へえ……アレク。アレクねぇ……もしかしてアレクサンダーかい?」
「正式名はそうです。アレクは愛称です」
「家族は母さんが一人?」
「え……そうですけど」
首をかしげるアレクに、アイラは何かを知っているような――からかっているような――意味深な笑みを返した。
「あの…前にどこかで会ったとか…」
「いや…お兄ちゃんとは会うのは初めてだよ。そうそう、あたしはアイラ・ルベルコルス。前にいるのがマイラ・ルベルコルスであたしの双子の妹だ」
アイラは続けて、まるで追い打ちをかけるように告げた。
「ついでに言うけど、モリス・ルベルコルスはあたしの末の息子だよ」
アレクの知るモリスは、一人しかいない。
「えぇっ!!」
驚きのあまり、思わず声を上げてしまった。
旅に出る前、アレクはグレイ伯爵家の厩で働いていた。モリスはグレイ伯爵家の御者で、アレクの剣の師でもある。
そもそもモリスがルベルコルスという姓だと言うのもアレクはこの時知った。長年一緒にいたにも関わらず、モリスは自分の私生活を語らず、アレクも人のプライベートに関して根掘り葉掘り聞くタイプではなかったからだ。
「縁っていうやつだね。まぁ奇跡っていうやつか……ガラ様(神の名前)のお導びきだね」
アイラは意味深に微笑んだ。目の前にいる女性が、剣の師モリスの母親。その事実だけでアレクの頭の中が一杯になり、パリスと彼女たちの関係を聞くのを忘れてしまった。
やがて村の入り口が見えてくると、子供たちが駆け寄ってきた。
「アイラ様! 荷馬車の荷物なに?」
「さあなんだろうね。お前たちも手伝うんだよ。ほら兄ちゃんも!」
促されるまま、アレクは再び荷物を運ぶ羽目になった。
その最中、アイラは子供たちに尋ねた。
「ディオはどうしたんだい?」
「ディオなら、トーリィと上の滝に行ったよ!」
「なんだって! トーリィは出かけたのかい!」
アイラは驚いて顔を上げた。
「身体がなまるって言って出て行った」
「しょうがないねえ、全く……怪我が治りきってないのに治す気があるんだろうかね」
『トーリィ』『怪我』――まさか?
アレクの心臓が大きく跳ね上がった。
その時だった。
村へ続く坂道から、子供と、もう一人の背の高い女性がゆっくりと降りてきた。しかし、そのすらりとした体躯にオレンジ色の髪は否応なく目を引いた。
その姿を見た瞬間――アレクはすべての思考を捨てて駆け出していた。
「ヴィック!」
声が山間に響き渡る。
アレクは、自分を置き去りにして『白カモメ亭』で別れたはずの、大切な人の名前を叫んでいた。
『本編を読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』
ヴィックを追ってサントゥスに辿り着いたアレクは、師匠モリスの母アイラと偶然出会う。彼女の強引な誘いで村へ向かうと、そこには怪我を負ったヴィックの姿があった。嘘から始まった旅路の果てに、アレクはついに再会を望んでいた大切な相棒を見つけ出した。




