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第二十四話 二律背反の英雄論

レニードは、ヴィックに頼まれた用事を果たすため、一旦白カモメ亭を後にした。

夕刻、食堂に一人でいたラナは、階段から聞こえてきた足音に驚き、顔を上げる。


「おや、ヴィクトリア、どうしたんだい?」


「身体がなまる」

ヴィックはそう言って、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。


「なまるって、あんたねぇ! まだ傷口がちゃんと塞がってないんだよ。何かあったらどうするんだい!」

ラナは半ば呆れ、半ば心配して声を荒げた。


その声を聞きつけ、部屋で休んでいたアレクが慌てて階段を駆け降りてくる。

食堂に立つヴィックを見た途端、彼も息を呑んだ。


「ヴィック! 部屋でなぜ寝ていない?」


困惑とも怒りとも取れる声だった。

ヴィックは冷たく答える。


「二人とも過保護すぎる。私が何をしようがそれは私の自由だし……お節介はよせ」


ヴィックの冷たい言葉は、献身的に看病にあたったアレクの努力までを無碍にするように響いた。ラナは流石に呆れ、そして怒って声を荒げた。


「ヴィック! そうは言ってもね、あんたは死にかけたんだよ!」


ちょうどその時、レニードが戻ってきて食堂の戸を叩いた。

彼は中に漂う冷たい緊張を感じ取り、眉をひそめる。


「アレク、一応紹介しておく。私の昔からの知り合いのレニードだ」


それだけしか言わなかった。

つまりヴィックは、レニードがどういった人間なのか、アレクに語るつもりがないということだった。

それは、自分自身の素性も、アレクに明かす気がないのだとラナは悟った。


アレクは、ヴィックから「知り合い」とだけ紹介されたレニードに、一歩進み出て静かに頭を下げた。

礼儀として当然の態度だった。


レニードは「どうも」と短く返し、アレクを上から下まで値踏みするように見やる。

昼間ラナから聞かされた話が頭をよぎり、得体の知れない男を探るような視線だった。

アレクはその目に気づいたが、意味までは測りかねた。

ただ、彼が何かを確かめるように自分を見ていることだけは感じ取った。


「要件は片付けました」

レニードはヴィックにそう告げる。

ヴィックは椅子に座り直しながら頷いた。


「そうか……では問題はないな」


やがてラナは、張り詰めた空気を少しでも和らげようと、夕食の支度に取りかかった。

やがてヴィック、アレク、レニードの三人が食卓を囲む。

しかし、沈黙が食堂を支配していた。

時折、カトラリーが皿に触れる音だけが響く。


アレクは、無理をしているヴィックに言葉をかけたい衝動を、必死に押し殺した。

彼女の冷たい言葉を思い出し、喉元で言葉が止まる。

レニードも何も言わず、ただ観察するように食事を進めていた。


食事が終わると、ヴィックは皿を片付けようとするアレクを制した。


「アレク」


その声に、アレクは顔を上げる。


「部屋に来い」


右肩を庇いながら立ち上がったヴィックの表情には、感情の色がなかった。

命令のような響きだけが残る。


アレクは黙って後に続き、二人は二階へと上がった。


部屋に入ると、ヴィックは左手で重い椅子とテーブルを引きずり、寝台に向かい合わせるように配置した。

動作の合間に微かに息を詰める音が漏れるが、顔には痛みの影すら浮かばない。

まるで機械のようだった。


彼女はレニードから渡された丸まった紙を広げ、寝台に腰を下ろす。

アレクは向かいの椅子に座るよう促された。

その張り詰めた空気に、背筋が自然と伸びる。


「今から話すことは、頭に叩き込んでおけ」


その声は冷徹で、命令的だった。

まるで部下に指令を与える将校のような口調。


「今はここ、『ラナハイム』これからお前は『サントゥス』に向かうことになるが……前にも言った通り、『サントゥス』には教会の本部と商業ギルドの本部しかない。中央都市ゆえに人も物も集まるが、人の繋がりは薄い。詐欺や揉め事に巻き込まれても孤立しやすい。修行や働き口を考えているなら、それはやめたほうがいい。論外だ。物価も他と比べ物にならないほど高い」


淡々とした口調に、有無を言わせぬ迫力があった。

アレクはただ頷くしかない。


「だが、それでもサ『ントゥス』に行くというなら止めはしない。……まぁ、行くしかないだろう。北はもっと悪い」


「何故? ですが……北は採掘で人手を欲しがっていると聞きましたが」


「北は駄目だ。治安が良くない」


ヴィックは即座に切り捨てると、アレクを試すように問いを投げた。


「北の財源は何だ?」


「鉱山が主な産業だと聞いています」


「そうだ…だがそれももう枯れている。今は鉱山というより採石しかやってないのが現状だ。事実、『王権統一戦争』前に大方掘り尽くして、あと数年で財源がなくなる寸前だった。王位を統一するとかもっともらしい建前をほざいていたが、枯れ欠ける財源を他に求めたに過ぎない。

北・南・西三つどもえの戦いで、これらの国は相当の被害を出した。物的な被害だけでなく、人の被害も多かった。どこも人が不足している…だから人買いが横行している。もっと酷い、人さらいもあるが…」


アレクは息を呑む。

鉱山の現状や枯渇の時期、さらには『王権統一戦争』の裏にある経済的動機、そしてその結果としての人身売買の増加という、極めて機密性の高い、あるいは歴史の裏側の事実。


どれも、一般人が知るはずのない情報ばかりだった。

それは書物や噂で得た知識ではない。


アレクは、目の前の女の底知れぬ深さに戦慄した。

世界を俯瞰するようなその視線。

彼女は一体、どこからその知識を得たのか。


「ヴィック……貴方は何者なんですか? ただの商人ではない……」


ヴィックはアレクの探るような目を、静かに跳ね返す。


「私のことを本当に知りたいのなら——お前がその目で、耳で探してこい。

誰かの一人の言葉を信じるのではなくてな」


ヴィックはそう言って、アレクの探るような視線を一蹴した。その瞳には、アレクの疑問を拒絶する冷たい壁が築かれていた。彼女は、アレクに真実を教えるのではなく、自分の足で探し出せと命じているのだ。



重苦しかった昨晩の空気は消え、今朝の食堂には穏やかな時間が流れていた。

ふと、レニードが口を開いた。


「君は、何故旅をしているんだい?」


唐突な問いかけだった。


「アレクは、赤髪の双剣使いに憧れているそうだ。それで、武者修行の旅に出ている」


アレクの代わりに答えたヴィックは可笑しそうに言い、レニードは「おお?」と目を見開いた。

赤髪の双剣使い――それは。


シンクで作業をしていたラナは、その会話を盗み聞きしながら、必死に顔が緩むのを堪えていた。

彼女も、その『赤髪の双剣使い』が誰であるかを知っていたからだ。


ヴィックは肘でテーブルを軽く叩き、茶化すように続ける。


「現実はただの汚いオッサンかもしれないのに……どうせ憧れるなら、絵本の中の騎士にでも憧れるべきだよな!」


さすがにこれにはアレクも反論した。

彼の言葉には、憧れの人への熱い想いが込められていた。


「俺は、例えその人が汚いオッサンだったとしても、その人が俺のヒーローであることに変わりはありません!」


彼は両手をぎゅっと握りしめ、キラキラとした瞳を輝かせた。


「レニードさん、聞いてください! 俺のヒーローは、ただの赤髪の双剣使いなんかじゃありません!

あの人は、俺の…俺達の村の命の恩人なんです!」


アレクの声が熱を帯びていく。

その場の空気が変わった。


「夜の闇、武器を持った大人たちが、略奪と暴力!

村の男たちは抵抗したけど、訓練された兵士には敵わない!

子どもたちの泣き声、母さんの悲鳴! もう終わりだって、全員がそう思った、その時ですよ!」


彼は息を吸い込み、一気に続けた。


「どこから現れたのか、まるで絵本の中から飛び出してきたみたいに、血のように燃える赤髪が夜闇を切り裂いた!

二本の剣を抜き放ち、たった一人で、あの絶望的な状況に立ち向かった!

信じられますか!? たった一人で!

まるで舞を踊っているみたいに――いや、嵐みたいに!

兵士たちの武器を弾き、正確に、素早く、必要以上の傷を負わせることもなく!」


「脱走兵たちは『悪魔だ!』って叫んで逃げ出しました!

夜が明けた時、そこには倒された兵士と、呆然と立ち尽くす俺達村人だけが残っていた。

そして、あの人はもういなかったんです。

まるで夢か伝説か、それくらい鮮烈で、でも間違いなく、現実に起こったことなんです!」


アレクの頬は紅潮していた。


「母さんも、村の人も、俺自身も、あの人がいなければ生きていなかった!

俺の人生は、あの日、あの人に救われたんです!

俺にとって、あの赤髪の双剣使いは、

憧れなんて生ぬるいものじゃない!

命の恩人であり、生きる伝説であり、俺の神なんです!」


彼は胸を張り、力強く言い切った。


「だから、例え汚いオッサン? そんなこと、どうだっていいんです!

あの人の剣の輝きは、俺の心の目には、今も鮮やかに見えていますから!!」


「……ああ! いつかまた会って、その背中に少しでも近づきたい!

……っはぁ、すいません、ちょっと早口になりすぎました!」


実際は、アレクは気を失っていたから赤髪の双剣使いの活躍を自分の目で見たわけではない。この話はアレクの母が話した事である。ただ母の話をアレクは盛大に盛っていた。


今現在(平成の日本)の言葉で語るならオタが推しを熱く語るという状況である。


アレクの熱弁に、ヴィックは俯き、笑いをこらえるのに必死だった。

赤髪の双剣使いの現状を最も知る人間として、アレクがそれを知ったらどんな顔をするか――想像するだけで可笑しくて仕方がなかった。


ラナはシンクの影で静かに息をついたが、レニードは違っていた。

彼は笑顔を絶やさず、何度も何度も深く頷きながらアレクの話を聞いていた。


「ほうほう。そうですか。赤髪の双剣使いに憧れた、と」


「もしかしてレニードさんは、その赤髪の双剣使いに会ったことがあるんですか?」


「会ったことがあるも何も……赤髪の双剣使いは――」


そこでヴィックが咳払いをした。

その顔は「余計なことは言うなよ」と言っていた。


「……何度か会ったことはあります。ただ、それほど親しい間柄ではないので、詳しくは」


「そうですか……」


せっかく手がかりをつかめると思ったのに、また空振り。

アレクは目に見えて落胆していた。

食事が終わると、気分を切り替えるように、アレクは洗い物の仕事をかつて出た。


二階に戻ると、レニードは小声でヴィックに言った。


「彼の言う赤髪の双剣使いとは……オヤジ様のことですよね?」


「まぁ、そうだろうね。他に双剣使いはいるかも知れないが、赤髪だって言ってるから」


「お嬢、なぜ教えて差し上げないのですか? 自分の父親ですって!」


「何故って……自分の父親がそうです、って言うのは嫌だな。居場所くらいは教えてやっても良かったんだが、なにせ『会わせる前に多少の苦労はさせろ!』っていう方針らしいので」


「なんですか? その方針は!」


「知らん……。まぁ、あれだけ熱弁を振るうとは。もはや永遠に会わせないほうが、失望しなくて済むんじゃないかという気になってきたぞ、私は」


「でも、オヤジ様は若い頃は紅顔の美少年でしたぞ」


ヴィックは心底うんざりしたように鼻で笑った。


「レニード、お前はうちの親父びいきだからな。審美眼が狂ってるぞ」


彼女はため息をつき、左手の指を折りながら、アレクの英雄像と懸け離れた現実を冷徹に羅列し始めた。


「下戸。酒が一滴でも入ると、すぐに赤くなって呂律が回らなくなる。

ひげ面。あれ、手入れしてないんだよ。

あと中年太り。お気に入りの上着のボタンがいつも弾けそう。

あと、足は臭い。高級なホーズ(長靴下)を二日履きっぱなしにするし、その後の革靴の中なんて、地獄の香水の瓶をひっくり返したようだ。

そして、前髪がハゲかかって、額が広くなっている。本人はまだ大丈夫だと思っているみたいだけどね」


彼女はさらに言葉を続けた。アレクが聞いたら卒倒するであろう、英雄の内面の残念な部分だ。


「おまけに…話しがつまらない。延々と商売の話か、剣術の話か、どうでもいい過去の話ばかり。

ダンスも踊れない。貴族の社交パーティーに呼ばれても、フロアの隅で壁のシミになっているか、無理にステップを踏もうとして盛大にコケるかだ。

当然、女性と踊ることなんてない。

服のセンスが絶望的。色と柄の組み合わせが最悪で、人目を引くけど、褒め言葉じゃない。

あと、あれでいて極度の方向音痴。街中すら一人で歩かせると迷子になる。

良いとこがひとつもないぞ。」


彼女は心底不思議そうに首を傾げた。

アレクがヴォルフを『神』として語るのとは対照的に、ヴィックは容赦なく父親をこきおろす。


「お嬢はオヤジ様の評価が厳しすぎです」

レニードは苦笑するしかなかった。


それにしてもとレニードは思った。

ヴォルフがシオス村で暴れた脱走兵を片付けていた時に遅れて馳せ参じたのがレニードであった。


「(彼があの少年だったとは…

あの幼かった子供がもうあんなになるのか…

私やオヤジ様が歳を取るはずだ…)」


レニードは、アレクの熱弁を思い出し、ふと口元が緩むのを禁じえなかった。


あの時、母親の傍らで気を失っていた小さな子供が、今や英雄を追い求める熱い若者になっている。


レニードは、オヤジ様を心から敬愛している。それだけに、アレクの熱い想いを尊いと感じ、余計に肩入れしてしまった。

彼は迷うことなく決意して、階下にまた戻った。


彼はアレクに話しかけると

「私は東のローゼリアン王国にある港町のソルティにある『ルベライト商会』に勤めている。レニード・クレイグだ。

もし君が東に寄ることがあれば、訪ねてくれば良い!オヤジ様も歓迎するだろう。」

と言って胸ポケットから紙を取り出すと

サラサラと『ルベライト商会』の場所と

自分の名前を書いてアレクに手渡したのだった。



レニードは、ヴィックに頼まれた用事を果たすため、一旦白カモメ亭を後にした。

夕刻、食堂に一人でいたラナは、階段から聞こえてきた足音に驚き、顔を上げる。


「おや、ヴィクトリア、どうしたんだい?」


「身体がなまる」

ヴィックはそう言って、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。


「なまるって、あんたねぇ! まだ傷口がちゃんと塞がってないんだよ。何かあったらどうするんだい!」

ラナは半ば呆れ、半ば心配して声を荒げた。


その声を聞きつけ、部屋で休んでいたアレクが慌てて階段を駆け降りてくる。

食堂に立つヴィックを見た途端、彼も息を呑んだ。


「ヴィック! 部屋でなぜ寝ていない?」


困惑とも怒りとも取れる声だった。

ヴィックは冷たく答える。


「二人とも過保護すぎる。私が何をしようがそれは私の自由だし……お節介はよせ」


ヴィックの冷たい言葉は、献身的に看病にあたったアレクの努力までを無碍にするように響いた。ラナは流石に呆れ、そして怒って声を荒げた。


「ヴィック! そうは言ってもね、あんたは死にかけたんだよ!」


ちょうどその時、レニードが戻ってきて食堂の戸を叩いた。

彼は中に漂う冷たい緊張を感じ取り、眉をひそめる。


「アレク、一応紹介しておく。私の昔からの知り合いのレニードだ」


それだけしか言わなかった。

つまりヴィックは、レニードがどういった人間なのか、アレクに語るつもりがないということだった。

それは、自分自身の素性も、アレクに明かす気がないのだとラナは悟った。


アレクは、ヴィックから「知り合い」とだけ紹介されたレニードに、一歩進み出て静かに頭を下げた。

礼儀として当然の態度だった。


レニードは「どうも」と短く返し、アレクを上から下まで値踏みするように見やる。

昼間ラナから聞かされた話が頭をよぎり、得体の知れない男を探るような視線だった。

アレクはその目に気づいたが、意味までは測りかねた。

ただ、彼が何かを確かめるように自分を見ていることだけは感じ取った。


「要件は片付けました」

レニードはヴィックにそう告げる。

ヴィックは椅子に座り直しながら頷いた。


「そうか……では問題はないな」


やがてラナは、張り詰めた空気を少しでも和らげようと、夕食の支度に取りかかった。

やがてヴィック、アレク、レニードの三人が食卓を囲む。

しかし、沈黙が食堂を支配していた。

時折、カトラリーが皿に触れる音だけが響く。


アレクは、無理をしているヴィックに言葉をかけたい衝動を、必死に押し殺した。

彼女の冷たい言葉を思い出し、喉元で言葉が止まる。

レニードも何も言わず、ただ観察するように食事を進めていた。


食事が終わると、ヴィックは皿を片付けようとするアレクを制した。


「アレク」


その声に、アレクは顔を上げる。


「部屋に来い」


右肩を庇いながら立ち上がったヴィックの表情には、感情の色がなかった。

命令のような響きだけが残る。


アレクは黙って後に続き、二人は二階へと上がった。


部屋に入ると、ヴィックは左手で重い椅子とテーブルを引きずり、寝台に向かい合わせるように配置した。

動作の合間に微かに息を詰める音が漏れるが、顔には痛みの影すら浮かばない。

まるで機械のようだった。


彼女はレニードから渡された丸まった紙を広げ、寝台に腰を下ろす。

アレクは向かいの椅子に座るよう促された。

その張り詰めた空気に、背筋が自然と伸びる。


「今から話すことは、頭に叩き込んでおけ」


その声は冷徹で、命令的だった。

まるで部下に指令を与える将校のような口調。


「今はここ、『ラナハイム』これからお前は『サントゥス』に向かうことになるが……前にも言った通り、『サントゥス』には教会の本部と商業ギルドの本部しかない。中央都市ゆえに人も物も集まるが、人の繋がりは薄い。詐欺や揉め事に巻き込まれても孤立しやすい。修行や働き口を考えているなら、それはやめたほうがいい。論外だ。物価も他と比べ物にならないほど高い」


淡々とした口調に、有無を言わせぬ迫力があった。

アレクはただ頷くしかない。


「だが、それでもサ『ントゥス』に行くというなら止めはしない。……まぁ、行くしかないだろう。北はもっと悪い」


「何故? ですが……北は採掘で人手を欲しがっていると聞きましたが」


「北は駄目だ。治安が良くない」


ヴィックは即座に切り捨てると、アレクを試すように問いを投げた。


「北の財源は何だ?」


「鉱山が主な産業だと聞いています」


「そうだ…だがそれももう枯れている。今は鉱山というより採石しかやってないのが現状だ。事実、『王権統一戦争』前に大方掘り尽くして、あと数年で財源がなくなる寸前だった。王位を統一するとかもっともらしい建前をほざいていたが、枯れ欠ける財源を他に求めたに過ぎない。

北・南・西三つどもえの戦いで、これらの国は相当の被害を出した。物的な被害だけでなく、人の被害も多かった。どこも人が不足している…だから人買いが横行している。もっと酷い、人さらいもあるが…」


アレクは息を呑む。

鉱山の現状や枯渇の時期、さらには『王権統一戦争』の裏にある経済的動機、そしてその結果としての人身売買の増加という、極めて機密性の高い、あるいは歴史の裏側の事実。


どれも、一般人が知るはずのない情報ばかりだった。

それは書物や噂で得た知識ではない。


アレクは、目の前の女の底知れぬ深さに戦慄した。

世界を俯瞰するようなその視線。

彼女は一体、どこからその知識を得たのか。


「ヴィック……貴方は何者なんですか? ただの商人ではない……」


ヴィックはアレクの探るような目を、静かに跳ね返す。


「私のことを本当に知りたいのなら——お前がその目で、耳で探してこい。

誰かの一人の言葉を信じるのではなくてな」


ヴィックはそう言って、アレクの探るような視線を一蹴した。その瞳には、アレクの疑問を拒絶する冷たい壁が築かれていた。彼女は、アレクに真実を教えるのではなく、自分の足で探し出せと命じているのだ。



重苦しかった昨晩の空気は消え、今朝の食堂には穏やかな時間が流れていた。

ふと、レニードが口を開いた。


「君は、何故旅をしているんだい?」


唐突な問いかけだった。


「アレクは、赤髪の双剣使いに憧れているそうだ。それで、武者修行の旅に出ている」


アレクの代わりに答えたヴィックは可笑しそうに言い、レニードは「おお?」と目を見開いた。

赤髪の双剣使い――それは。


シンクで作業をしていたラナは、その会話を盗み聞きしながら、必死に顔が緩むのを堪えていた。

彼女も、その『赤髪の双剣使い』が誰であるかを知っていたからだ。


ヴィックは肘でテーブルを軽く叩き、茶化すように続ける。


「現実はただの汚いオッサンかもしれないのに……どうせ憧れるなら、絵本の中の騎士にでも憧れるべきだよな!」


さすがにこれにはアレクも反論した。

彼の言葉には、憧れの人への熱い想いが込められていた。


「俺は、例えその人が汚いオッサンだったとしても、その人が俺のヒーローであることに変わりはありません!」


彼は両手をぎゅっと握りしめ、キラキラとした瞳を輝かせた。


「レニードさん、聞いてください! 俺のヒーローは、ただの赤髪の双剣使いなんかじゃありません!

あの人は、俺の…俺達の村の命の恩人なんです!」


アレクの声が熱を帯びていく。

その場の空気が変わった。


「夜の闇、武器を持った大人たちが、略奪と暴力!

村の男たちは抵抗したけど、訓練された兵士には敵わない!

子どもたちの泣き声、母さんの悲鳴! もう終わりだって、全員がそう思った、その時ですよ!」


彼は息を吸い込み、一気に続けた。


「どこから現れたのか、まるで絵本の中から飛び出してきたみたいに、血のように燃える赤髪が夜闇を切り裂いた!

二本の剣を抜き放ち、たった一人で、あの絶望的な状況に立ち向かった!

信じられますか!? たった一人で!

まるで舞を踊っているみたいに――いや、嵐みたいに!

兵士たちの武器を弾き、正確に、素早く、必要以上の傷を負わせることもなく!」


「脱走兵たちは『悪魔だ!』って叫んで逃げ出しました!

夜が明けた時、そこには倒された兵士と、呆然と立ち尽くす俺達村人だけが残っていた。

そして、あの人はもういなかったんです。

まるで夢か伝説か、それくらい鮮烈で、でも間違いなく、現実に起こったことなんです!」


アレクの頬は紅潮していた。


「母さんも、村の人も、俺自身も、あの人がいなければ生きていなかった!

俺の人生は、あの日、あの人に救われたんです!

俺にとって、あの赤髪の双剣使いは、

憧れなんて生ぬるいものじゃない!

命の恩人であり、生きる伝説であり、俺の神なんです!」


彼は胸を張り、力強く言い切った。


「だから、例え汚いオッサン? そんなこと、どうだっていいんです!

あの人の剣の輝きは、俺の心の目には、今も鮮やかに見えていますから!!」


「……ああ! いつかまた会って、その背中に少しでも近づきたい!

……っはぁ、すいません、ちょっと早口になりすぎました!」


実際は、アレクは気を失っていたから赤髪の双剣使いの活躍を自分の目で見たわけではない。この話はアレクの母が話した事である。ただ母の話をアレクは盛大に盛っていた。


今現在(平成の日本)の言葉で語るならオタが推しを熱く語るという状況である。


アレクの熱弁に、ヴィックは俯き、笑いをこらえるのに必死だった。

赤髪の双剣使いの現状を最も知る人間として、アレクがそれを知ったらどんな顔をするか――想像するだけで可笑しくて仕方がなかった。


ラナはシンクの影で静かに息をついたが、レニードは違っていた。

彼は笑顔を絶やさず、何度も何度も深く頷きながらアレクの話を聞いていた。


「ほうほう。そうですか。赤髪の双剣使いに憧れた、と」


「もしかしてレニードさんは、その赤髪の双剣使いに会ったことがあるんですか?」


「会ったことがあるも何も……赤髪の双剣使いは――」


そこでヴィックが咳払いをした。

その顔は「余計なことは言うなよ」と言っていた。


「……何度か会ったことはあります。ただ、それほど親しい間柄ではないので、詳しくは」


「そうですか……」


せっかく手がかりをつかめると思ったのに、また空振り。

アレクは目に見えて落胆していた。

食事が終わると、気分を切り替えるように、アレクは洗い物の仕事をかつて出た。


二階に戻ると、レニードは小声でヴィックに言った。


「彼の言う赤髪の双剣使いとは……オヤジ様のことですよね?」


「まぁ、そうだろうね。他に双剣使いはいるかも知れないが、赤髪だって言ってるから」


「お嬢、なぜ教えて差し上げないのですか? 自分の父親ですって!」


「何故って……自分の父親がそうです、って言うのは嫌だな。居場所くらいは教えてやっても良かったんだが、なにせ『会わせる前に多少の苦労はさせろ!』っていう方針らしいので」


「なんですか? その方針は!」


「知らん……。まぁ、あれだけ熱弁を振るうとは。もはや永遠に会わせないほうが、失望しなくて済むんじゃないかという気になってきたぞ、私は」


「でも、オヤジ様は若い頃は紅顔の美少年でしたぞ」


ヴィックは心底うんざりしたように鼻で笑った。


「レニード、お前はうちの親父びいきだからな。審美眼が狂ってるぞ」


彼女はため息をつき、左手の指を折りながら、アレクの英雄像と懸け離れた現実を冷徹に羅列し始めた。


「下戸。酒が一滴でも入ると、すぐに赤くなって呂律が回らなくなる。

ひげ面。あれ、手入れしてないんだよ。

あと中年太り。お気に入りの上着のボタンがいつも弾けそう。

あと、足は臭い。高級なホーズ(長靴下)を二日履きっぱなしにするし、その後の革靴の中なんて、地獄の香水の瓶をひっくり返したようだ。

そして、前髪がハゲかかって、額が広くなっている。本人はまだ大丈夫だと思っているみたいだけどね」


彼女はさらに言葉を続けた。アレクが聞いたら卒倒するであろう、英雄の内面の残念な部分だ。


「おまけに…話しがつまらない。延々と商売の話か、剣術の話か、どうでもいい過去の話ばかり。

ダンスも踊れない。貴族の社交パーティーに呼ばれても、フロアの隅で壁のシミになっているか、無理にステップを踏もうとして盛大にコケるかだ。

当然、女性と踊ることなんてない。

服のセンスが絶望的。色と柄の組み合わせが最悪で、人目を引くけど、褒め言葉じゃない。

あと、あれでいて極度の方向音痴。街中すら一人で歩かせると迷子になる。

良いとこがひとつもないぞ。」


彼女は心底不思議そうに首を傾げた。

アレクがヴォルフを『神』として語るのとは対照的に、ヴィックは容赦なく父親をこきおろす。


「お嬢はオヤジ様の評価が厳しすぎです」

レニードは苦笑するしかなかった。


それにしてもとレニードは思った。

ヴォルフがシオス村で暴れた脱走兵を片付けていた時に遅れて馳せ参じたのがレニードであった。


「(彼があの少年だったとは…

あの幼かった子供がもうあんなになるのか…

私やオヤジ様が歳を取るはずだ…)」


レニードは、アレクの熱弁を思い出し、ふと口元が緩むのを禁じえなかった。


あの時、母親の傍らで気を失っていた小さな子供が、今や英雄を追い求める熱い若者になっている。


レニードは、オヤジ様を心から敬愛している。それだけに、アレクの熱い想いを尊いと感じ、余計に肩入れしてしまった。

彼は迷うことなく決意して、階下にまた戻った。


彼はアレクに話しかけると

「私は東のローゼリアン王国にある港町のソルティにある『ルベライト商会』に勤めている。レニード・クレイグだ。

もし君が東に寄ることがあれば、訪ねてくれば良い!オヤジ様も歓迎するだろう。」

と言って胸ポケットから紙を取り出すと

サラサラと『ルベライト商会』の場所と自分の名前を書いてアレクに手渡したのだった。




『本編を読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』


負傷中のヴィックは、恩人ヴォルフ(赤髪の双剣使い)を神格化して熱く語るアレクを呆れつつ見守る。ヴィックは父の幻滅すべき実態を列挙するが、アレクの熱意に打たれた従者レニードは、主の命に背き、父のいる商会の紹介状をアレクに手渡すのだった。

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