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第二十話 決別、そして銃声

ヴィックに言われた通り、街道をひた走ると、前に通った小さな集落の前を通った。事故で崩壊した露店の残骸は綺麗に片付けられ、以前よりも頑丈そうな新しい露店が再建の途中だった。活気を取り戻した人々を見て、アレクはヴィックが街道の道を選んだ理由を理解した。彼は、あの集落の様子を自分の目で確かめたかったのだ。


アレクは心の中でヴィックの名前を呼んだ。時折冷酷に見えるが、彼の根底にあるのは、弱きを救い、腐敗を許さない強い正義感だ。


荷馬車は『ラナハイム』の町を抜け、細く寂れた道へ。まもなく、道の先に『カナス村』の家並みが見え始めた。アレクは静かに速度を落とした。ユリウスは不安と期待の入り混じった瞳で外を眺めている。


「……着いたぞ、ユリウス」

アレクが告げると、ユリウスは喉を鳴らした。ヴィックは遠くを見つめていたが、アレクは彼が僅かに身を硬くしているのを見逃さなかった。


ユリウスの家は、村の端にある古びた小さな一軒家だった。アレクが扉を叩くと、ユリウスと目元がよく似た痩せた中年の女性が開けた。


アレクは感動の再会を予想していたが、ユリウスを出迎えた母親は「なんだ!ユリウスじゃないか」と、明らかに怪訝な顔をした。久しい再会を喜ぶ色は微塵もない。


その瞬間、ヴィックは「やはりな」と呟いた。


「かあちゃん、僕…」

「なんであんたがここにいるんだい?あんたはとっくに出て行ったはずだろう」


母親の目は、厄介事を持ち込まれたような露骨な不満を帯びていた。


アレクは思わず食ってかかった。ユリウスの受けた屈辱を考えると、この母親の態度が許せなかった。


母親は大きくため息をついた。

「どこのどなたか知りませんけど、余計な事をしてくれたもんだ」


その一言で、アレクの怒りが頂点に達した。

「アンタはそれでも母親か! 自分の息子がひどい目に遭っていたんだぞ」


アレクが掴みかかろうとした腕を、ヴィックが咄嗟に掴んで引き留める。

「アレク!やめろ」


「余計なこと...そうですね。余計なことでした。子供を人買いから買い戻すなんて...」

ヴィックは皮肉を最後に口にすると、踵を返して荷馬車へ歩き出した。


アレクは呆然としているユリウスの手を取った。しかしユリウスはアレクの手を振り払い、戸口の母親にしがみついた。


「かあちゃん、かあちゃん…! 僕、何でもする…だから…だから…いらない子にはならないから!僕は…」


悲痛なユリウスの叫びが木霊する中、アレクは呆然と立ち尽くした。


その背後の荷馬車から、低く、しかしはっきりとした声が響いた。

「ユリウス」

ヴィックは、再び戸口へと歩み寄っていた。


その手には、ユリウスが街道で譲り受けた、竜や騎士の絵が描かれたあの絵本がある。

ユリウスは泣きじゃくるのをやめ、母親の手から離れ、ヴィックへと近づいた。


ヴィックは、ユリウスの目線までしゃがみ込んだ。絵本を差し出す。


「これは、もうお前のものだ」


ユリウスは鼻をすすり上げながら、震える手でそれを受け取った。


「うん……」


そしてヴィックは、幼いユリウスを両腕でしっかりと抱きしめた。

「ユリウス。この先、どんな未来が待ち構えていようが、お前の人生はお前のものだ。希望だけは失うな」


ヴィックは何も言わず立ち上がるとそっと離れた。ユリウスは絵本を胸に抱いたまま、母親の側に戻った。


「……行くぞ、アレク」

ヴィックは荷馬車の方に歩き出した。


「待ってください、ヴィック!」

アレクは抗議した。

「連れて行くべきでしょう。あんな冷たい親元に置いて行って、また人買いに売られたらどうするんですか!?」


「例えどんな親であろうと、あの子にとって親は親だ。あの子が親を選んだ……それが事実だ、アレク」


アレクの目から熱いものが滲み出した。

「泣くな!」

ヴィックの低い声が厳しく命じた。アレクは溢れる涙を乱暴に拭った。


「ヴィック……貴方はもしかして、こうなるのがわかっていたんですか?」


「……貧困から子供を売る親は、よくある話だ。だが、貧困の為身を切る思いで子供を売った親はな……せめて子供に最低限の身支度を整えてやるものだ。ユリウスの服装は酷いものだった。あれは、物と同じように売られたんだ」


その一言で、アレクは堰を切ったように涙が止まらなくなった。彼は、自分を育ててくれた人々の顔を思い浮かべ、どれだけ自分が恵まれていたかを痛切に実感した。


「俺は……俺は……自分がどれだけ恵まれているのか、今まで全然わかっていなかった……」


アレクは、ユリウスの姿と過去の自分を重ね、打ちのめされた。


その時、ヴィックの言葉が、アレクの心を深く抉った。

「やめろ、ユリウスの身の上と自分の人生を比較して、『自分は幸せだった』なんて思うのは…それこそ、お前の傲慢おごりだ」


痛烈だった。アレクは反論できなかった。


「その涙でかすんだ視界では御者は無理だ。手綱は私が握る。お前は後ろに乗ってろ!」


アレクは静かに荷台に乗り込むしかなかった。馬車がゆっくりと動き出す。アレクは振り返り、絵本を抱えて遠ざかる荷馬車をじっと見つめるユリウスの姿を見た。


カナス村から『ラナハイム』までの道中、二人は言葉を交わさなかった。重苦しい沈黙が全体を覆っていた。


『ラナハイム』に入ると、ヴィックは商業ギルドの管轄下にある金融機関の馬車置き場に荷馬車を停めた。

アレクは魂が抜けたように座ったままだった。


ヴィックがアレクの様子を見て、小さくため息をついた――その時。


耳をつんざくような、乾いた強烈な炸裂音が響き渡った。雷鳴のような「パンッ!」という銃声が、一瞬で周囲の喧騒を静寂に変える。


はっとしてアレクが顔をあげた。彼の視界に飛び込んできたのは、ヴィックが御者台から崩れ落ちていく光景だった。


それはスローモーションのように映った。鋭い衝撃がヴィックの体を襲い、背の高い体が力なく傾いでいく。


一拍遅れて、通りは大騒ぎになった。人々の悲鳴と、守衛たちの怒号。


アレクは、思考するよりも早く、荷台から地面へと飛び出した。


ヴィックは馬車の脇の地面に横たわっていた。分厚い革の外套の肩の辺り――革を破って、鮮やかな赤黒い血が止めどなく流れ出している。


アレクは震える手で、倒れたヴィックを抱きかかえた。

「ヴィック! ヴィック!」


ヴィックは意識が朦朧としていた。唇は僅かに何かを呟こうと動いているが、声にはなっていない。


「ヴィック! しっかりしろ! どうしたんだ、ヴィック!」


血の熱さと、ヴィックの力の抜けた重みが、アレクの腕の中にあった。アレクは完全に平常心を失っていた。


その時、緊迫した混乱を切り裂くように、強く、よく通る女性の声が響いた。

「ヴィクトリア! あたしだよ、わかるかい!」


振り返ると、体躯の良い、がっしりとした女性が立っていた。

彼女はヴィック――いや、ヴィクトリアの肩を一瞥すると、すぐに周囲に大声で指示を出した。


「そこの若い衆! 誰か急いで、大通りの角にある、理容医者バーバー・サージョンのジャンを、すぐに連れて来な!出血がひどい、急げ!」


体躯の良い女性はアレクに向き直った。

「兄ちゃん、そいつを抱きかかえられるかい?あたしの店はすぐそこだ。こんな人通りの多い所で血を流させておくわけにはいかない」


アレクは反射的に頷き、ヴィックを抱き直した。


「ついておいで!」

ラナと名乗る女性はそう言って、金融機関の建物裏の路地を抜けていった。

アレクは意識を失いかけたヴィックを抱きかかえ、血の匂いと銃声の余韻に支配された通りを必死に後にした。


ラナは力強い足取りで進み、大きな建物の前で立ち止まった。建物の正面には『白カモメ亭』の文字が掲げられている。


「ここだ、裏口から入る!」

ラナは店の裏口らしき重い木戸を、肩で押し開けながら指示した。


アレクが中に入ると、そこはすぐに調理場、つまり厨房だった。


「兄ちゃん、真っ直ぐ奥へ! 肉さばき(ミート・カッティング)の作業台に寝かせるんだ! 血まみれになっても構わない、すぐに手術になる!」

ラナは強い口調で指示を飛ばした。


アレクは言われるまま、ヴィックを抱え直し、その分厚い木の作業台にそっと横たわらせた。


ラナは清潔な布と湯を準備し、アレクに躊躇する暇を与えなかった。彼女は迷いなくヴィックの革の外套とシャツを破り、銃創を露わにした。


「深いな……。弾が残ってないことを祈るしかない」

ラナは傷口を手際よく拭い始めた。


「兄ちゃん、外はまだ騒がしいだろう。店の前と裏口の戸締りをしっかりして来な。誰が撃ったかわかるまで、あたしらの場所を知られるわけにはいかない」


アレクは頷き、重い足取りで戸締りを確認した。


――誰が、ヴィックを撃ったのか?


戸締りを終え、再び厨房へ駆け戻ると、ラナは既に処置を進めていた。


ナイフで革の外套とシャツを更に深く切り裂いた事で、ヴィックの胸元のさらしのような白い布が晒された。

華奢な肩の線と丸みを帯びた体つき、さらしのような白い布の下の胸の谷間が厨房の薄暗い光に浮かび上がる。


ヴィックは、女だった。


男装していたことを、アレクは初めて理解した。

「……ヴィッ、ク……」

アレクの震える声が、作業台の周囲に響いた。


ラナは顔を上げず、低く言った。

「兄ちゃん……悪いけど、この厨房の隅で待機してな。理容医者バーバー・サージョンが来たら、すぐに通す。それがあんたの仕事だ!」


アレクは全身の力が抜けるのを感じながらも、言われた通り厨房の隅へと下がった。


厨房の片隅で呆然としていた時、裏口を叩く音が響いた。


「ラナ! ジャンだ、開けてくれ!」


アレクは我に返り、戸を開けた。

現れたのは理容医者ジャン。


ジャンはアレクを押しのけるように、すぐに作業台へと向かった。


やがてラナが、厨房の隅にいるアレクに告げた。

「兄ちゃん、力がいる。手を貸してくれ!」


アレクは即座に頷き、作業台の側へ駆け寄る。


作業台の上のヴィックは、苦悶に顔を歪めていた。手足は革紐で固定され、口には布が噛まされている。


ジャンは消毒済みのメスを握りしめ、アレクに叫んだ。

「あんたは肩の上! 頭を動かせないように押さえろ、全力だ!」


アレクはヴィックの肩と頭を両手で押さえつけた。その肌の下に感じる、華奢な骨格。


ジャンがアルコールをかけ、メスを入れる。「いくぞ!」


皮膚を裂く瞬間、ヴィックの全身が硬直した。布の向こうから、押し殺された苦悶の唸り声が漏れ出す。


アレクは全力で押さえつけながら、心が締め付けられるのを感じた。


「……あった! 弾は深い!」


金属が肉を掻き分ける音。

ヴィックの体は弓なりに反り返り、顔は青紫色に変わっていく。


「う、うううっ……!!!」唸り声が続く。


「あと少しだ……動くな!」

ジャンの手に握られた鉗子が、何かを掴んだ。

「――抜けた!」


血にまみれた鉛の塊が、トレイの上に落ちた。


その瞬間、ヴィックの体から一気に力が抜け、彼女は深い失神に沈んでいった。


『本編を読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』


非情な親の現実に直面し、アレクは己の無知を悟る。ユリウスと別れ、町へ戻った直後、凶弾がヴィックを襲った。治療の中で暴かれたのは、彼が女性であるという衝撃の事実。命の危機と秘密の露呈、二人の運命は銃声を境に激変していく。

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