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第十三話 沈黙の抵抗 前編

宿に戻ると、アレクはすぐにヴィックの部屋へ向かった。部屋にアレクが居るのを確認し、ヴィックは安堵の息を漏らす。

買い物に出る前、「伴をする」と散々言っていたので、もしかしたら部屋に居ないのではないかという一抹の不安があったのだ。

自分ならば、たとえ命令されても自分のやりたいようにする。


言われた通り大人しく待っていた、アレクの馬鹿正直さに苦笑しつつ、ヴィックは部屋の机に布袋を置き、買ってきた物を広げた。


「手当てをするぞ。さあ、上を脱げ!」

ヴィックはアレクに向かって命令した。


「いや、結構です!自分でできますから!」

アレクは右腕を庇いながら、シャツの裾を掴んで脱ぐまいと力を入れた。


「何を馬鹿なことを言っている。傷口を綺麗に消毒しなければならないだろう」

ヴィックは冷ややかな目を向けた。

「昨日からずっと服の下で蒸れているんだ。放っておけば化膿するぞ。さっさと脱げ」


「ですが……その、他人の前で、肌を晒すのは……」

アレクは視線を逸らした。


ヴィックは怪訝な顔でアレクの様子を見ていたが、すぐにニヤリと口の端を上げた。

「何を抵抗している!川にスッポンポンで入った男が、今更だろ」


「変な事言わないで下さい!ちゃんとショートブレーは履いていました!」

アレクは必死に否定する。


「否、あれはもうスッポンポンに近い。脱がないと言うんなら、実力行使するぞ!」

本当に実行しかねない剣幕に、渋々アレクは上のシャツを脱いだ。


アレクの筋肉質でダークタンの肌が露わになったが、ヴィックは平然とした顔で消毒に取り掛かった。


手当ての間、ヴィックの顔を間近で見る羽目

になったアレクは、平常心を保てなかった。

至近距離で見るヴィックの顔は、あまりにも美しかった。


オレンジ色の髪に映える、鮮やかな青い瞳。その瞳を縁取る長く整ったまつ毛。

血色の良い、潤んだような唇。

まるで陶磁器のような白い肌。


もし女性であれば、誰もが認める絶世の美女と呼ばれただろう。男として生まれたのが、惜しい。――いや、違う。


アレクは、あの物取りの男の言葉を思い出していた。

「そうだ。お前のそのツラは、ちょっとした好事家こうじかに売れば、銀貨十枚いや、金貨に値する。まさか、こんな街道で大当たりを引くとはな!」


目の前のヴィックの途方もない美しさを改めて認識した瞬間、アレクは激しい動揺に襲われた。

アレクはまともにヴィックの顔を見る事が出来なくなっていた。


「(何だ、なんで俺は。そっちの趣味はないはずだ(2回目))」


「どうした?さっきから私から顔をそらしてるみたいだが」

ヴィックは傷口を拭いていた布を持つ手を止め、不審そうに青い瞳でアレクを覗き込んだ。その整った顔がさらに近付き、アレクは咄嗟に顔を引いた。


「ヴィックはモテるでしょう?」


ヴィックの手が止まった。彼女は消毒に用いていた布を軽く絞り、脇に置いた。手当はほとんど終わっている。しかし、その視線には、困惑の色が混じっていた。


「その質問は何か意図があるのか?」


「意図はありません」

アレクは視線を自分の膝に落としたまま、静かに答えた。

ヴィックの冷たい視線が頭上から突き刺さっているのを感じる。


「そう言うお前だって…モテるだろ?その筋肉とその顔だ。女がほっとかないと思うが」


その顔とはどういう顔なのだろうか。男らしいとかカッコいいとかだろうか。まて…ヴィックにどう言われたいのか?

異性から『美しい』と言われるような今流行りの線の細い顔立ちではないはずだ。自分の顔は、平凡でどこにでもいるような顔だとアレクは思っていた。


「俺は…そんなにもてませんでした」


「ん?」と言ったあと、ヴィックは片眉を上げた。その仕草には、アレクの言葉を信じていないという意図が明確に見て取れた。


「御屋敷のお嬢様がお前にご執心だったと聞いたぞ」


御屋敷のお嬢様?それはイザベラお嬢様の事だ。アレクが領地から離れる事になった原因だった。その話をヴィックにした覚えがない。

不思議に思い、アレクがその疑問を問いかけた、その時、扉がノックされた。


宿屋の主人だった。何の用なのかと疑問に思いながら扉を開けると、そこには憲兵が二人立っていた。


「アレクサンダー・ハートレイはここに居るか?」

一人が威圧的な声で尋ねた。


アレクが返事をしようとする前に、ヴィックが冷ややかに答える。

「何の御用でしょうか?」


「我々はグレイ伯爵家令嬢、イザベラ様の捜索に関する事情聴取で来た。部屋に入れろ」


憲兵の一人が強引に部屋に入ろうとする。

ヴィックは、その進路を塞ぐように一歩前に出た。


「無許可で個人の部屋に立ち入る権利はあなた方にはありません。用件があるなら、ここで伺います」


ヴィックの毅然とした態度に、憲兵たちは一瞬ひるんだが、すぐに強硬な姿勢に戻った。

「貴様、伯爵家の捜索に協力しないつもりか?」


憲兵はヴィックを上から下まで値踏みするように見つめた後、手配書を取り出した。手配書に描かれたイザベラお嬢様は、ヴィックとはまるで似ていなかった。

特に、ヴィックの強烈なオレンジの髪と鮮やかな青い瞳は、手配書の記述とはかけ離れている。

憲兵は手配書とヴィックの顔を何度も見比べ、やがて舌打ちをした。


「ちっ、人違いか。だが、御屋敷から行方が分からなくなってから数日後に若い男と一緒に居たという情報がある。特にアレクサンダー・ハートレイ、お前だ。お前がイザベラお嬢様を唆し、誘拐した疑いがある」

憲兵はアレクを指差し、冷酷な目で告げた。


「俺がイザベラお嬢様を!」

アレクは反射的に声を上げた。


「誘拐だと?何処にそんな証拠がある!そんな事実は一切ない!」

ヴィックも怒りを滲ませる。


「黙れ!事情聴取だ。憲兵所まで来てもらうぞ」


憲兵たちはアレクの腕を掴もうとした。アレクは即座に抵抗し、ヴィックも憲兵に反論を浴びせる。


「確かな証拠があるのか?何の権限があってそのような乱暴を――」


ヴィックが言葉を言い終わる前に、憲兵の一人が苛立ち紛れにヴィックの顔を殴りつけた。


「うるさい!公務執行妨害だ!」


ヴィックはバランスを崩し、口の端を切って鮮血が滲んだ。その様子を見たアレクは、激しい怒りに襲われ、反射的に憲兵に向かって拳を振り上げかけた。


しかし、口元から血を流しながらも、ヴィックは冷静な眼差しでアレクを見つめ、低い声で鋭く忠告した。

「アレク、止めろ!大人しく従え!」


アレクは拳を固めたまま動きを止めた。


ヴィックは冷静に続けた。

「いいか、何を言われても一切喋るな。黙っているんだ!奴らの誘導に乗せられるな!」


その言葉に込められた強い意志と、傷を負いながらも状況を見据える冷静さに、アレクは従う他ないと悟った。


「わかった…」

アレクは抵抗を止め、憲兵たちに腕を捕らえられ、部屋から連行されていった。


宿屋を出てから数刻後、アレクは、憲兵所の一室に座らされていた。冷たい石造りの壁に囲まれ、湿った空気が漂う簡素な部屋だ。正面には、宿で乱暴な振る舞いをした二人の憲兵が、腕を組み、冷酷な表情で彼を見下ろしている。


「アレクサンダー・ハートレイ。貴様はグレイ伯爵令嬢、イザベラを唆し、誘拐した容疑で連行された」

一人が威圧的な低い声で告げた。机の上には、イザベラ嬢の手配書と、署名するための羊皮紙と羽根ペンが置かれている。


「貴様が素直に罪を認め、彼女の現在の居場所を話せば、多少は情状酌量の余地があろう」


アレクは座っている椅子の上で、ぴくりとも動かなかった。


「(何を言われても一切喋るな。黙っているんだ!奴らの誘導に乗せられるな!」


ヴィックの、口元から血を流しながらも冷静に放たれたあの警告が、脳裏に焼き付いている。あの時、怒りに任せて拳を振り上げようとした自分を止めた、ヴィックの強い意志が、アレクを支えていた。


「どうした? 聞こえなかったか、平民出の若造。貴様の未来は、今、この場でどう答えるかにかかっているんだぞ」


憲兵は机を拳で強く叩いた。ドン!という鈍い音が部屋に響き、アレクの体は反射的にわずかに揺れたが、彼は顔を上げることも、目を合わせることもせず、視線を膝に落としたままだった。


「…チッ」

憲兵は苛立ちを露わにし、相棒と視線を交わした。


「観念しろ、アレクサンダー。我々は既に知っている。貴様はグレイ伯爵家でお嬢様に取り入り、その為に領地を追放された。その逆恨みだろ?」


「お嬢様は、貴様のような卑しい身分の男に騙され、道を踏み外したのだ。貴様一人が悪役を演じて終わりにしてやろうというのだ、感謝しろ!」


二人は次々と、アレクの過去の経歴や、イザベラ嬢との関係性を仄めかす言葉を投げかけた。それは、彼が口を開き、「違う」と否定するか、「そうだ」と認めるか、何らかの言葉を発することを誘うための巧妙な誘導尋問だった。


しかし、アレクはヴィックの言葉を忠実に守った。彼は頑なに口を開かない。


沈黙。


その沈黙は、拷問の部屋の冷気よりも冷たく、憲兵たちの焦燥を掻き立てた。


「我々を馬鹿にしているのか? 貴様!まさか、お嬢様に乱暴を働いたわけではあるまいな?」

一人が意地の悪い笑みを浮かべ、身体的な暴行を匂わせた。酷い侮辱だった。だが彼はそれでも沈黙した。


「…黙秘権を行使するつもりか。いいだろう」


憲兵は椅子から立ち上がり、アレクの正面に回り込んだ。


「我々はな、貴様を合法的に三日三晩、この部屋から出さないことができる。食事も水もなしだ。それでも貴様は、その頑なな口を開かないでいられるか?」


低い声が耳元に響き、獣のような息遣いが感じられる。極限の心理的圧迫。普通の人間なら、恐怖に駆られて「違う」の一言でも漏らすだろう。

だが、アレクはやはり、表情一つ変えなかった。


彼は自分が不利な立場にあることを理解していた。言葉を発すれば、全てが憲兵たちの望む誘導の餌食になる。彼にできる唯一の抵抗は、完全に存在を消すことだった。


「チッ、時間の無駄だ。一度、牢にぶち込んで、餓えと孤独を教えてやれ。明日になれば、その口も軽くなるだろう」


二人の憲兵は、アレクの完璧な沈黙に苛立ちながらも、これ以上の尋問は無意味だと判断した。

憲兵に乱暴に腕を掴まれ、アレクは再び連行されていく。


「(ヴィック……)」


アレクは、冷たい地下の牢獄に投げ込まれながら、あの時、自分を庇い、憲兵に殴られてたヴィックの事を思い浮かべていた。


『本編を読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』

宿でヴィックに手当を受けるアレクだが、そこへ憲兵が乱入。伯爵令嬢誘拐の疑いでアレクは連行されてしまう。ヴィックの「黙秘せよ」という忠告を守り尋問に耐えるアレク。地下牢に投獄される中、彼は自分を庇って傷ついたヴィックの身を案じ続けていた。

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