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第十二話 恋敵?登場

物取りによるアレクの右腕の怪我により、二人の旅は一時中断を余儀なくされた。


「大した怪我じゃない」とアレクは抵抗したが、「化膿したらどうする?」というヴィックの強い押しに抗えず、宿屋での逗留を承諾する。


自分も伴をすると言い張っていたアレクを宿屋に残しヴィックは街で買い物をしていた。


「レディ・ヴィクトリア」


振り返ると、深みのあるサファイア色のベルベットのフロックコートに、金の刺繍が施された絹のヴェスト。立ち襟からはフリルがふんだんにあしらわれた白いレースのカフスとタイが見え、下は光沢のある黒いブリ―チズを履いていた。その腰には、装飾的なバックルがついたベルトがあり、全体から高価な香水の香りが微かに漂っていた。

いかにも貴族という服装に身を包んだ、優雅な立ち姿の青年が、友人をつれて立っていた。


いつも彼は『サントゥスの聖騎士団』の軍服に身を包んでいる。だが今は私服なので、公務ではないようだ。

『西のアルカディ王国』で出会うとは思わなかったヴィックは、やれやれといった表情だった。


「ジュリアンか」

少しため息混じりだった。

そう言えばこの街『アルストリア』は、ジュリアンの父親アルスター伯爵の領地だった事を彼女は思い出した。


「まさか、ここで出会えるとは天の配分に感謝いたします」


ジュリアンは、ヴィックの返事を待たず、優雅だが強引な動作で近づいた。ヴィックは右手に布袋といった買い物の荷物を抱えて手が塞がっていたため、ジュリアンは迷うことなくヴィックの左手を取り、その手の甲を一瞬だけ唇に触れさせる、極めて儀式的なキスをすると、再びその手を丁重に放した。


「…相変わらず三文芝居の役者のような挨拶だな、ジュリアン」

ヴィックは、周囲の視線と、ぬぐいきれない芝居がかった雰囲気に、苛立ちではなく深い諦めを滲ませた表情で、低く言った。


「帰る途中だ。何の用だ」

彼女は会話を切り上げるように本題に入った。ジュリアンの行動は、もはや彼女にとって驚きでも怒りの対象でもなく、『いつもの厄介事』でしかなかった。


「これはこれはあいも変わらず手厳しい。用がなければ声をかけてはいけないのですか?」


「いけなくはないが…用がないのなら、私はこれで失礼させて貰う」

ヴィックは釣れない態度だった。

この目の前にいる面倒臭い男から、早く解放されたかった。


「お待ちください。レディ!…物取りに遭われたとか。お怪我がなくて何よりでした」


ヴィックはジュリアンの情報網の広さに目を見張った。あの場での大立ち回りからすれば、噂になるのは早いに違いない。

だが、この街の憲兵か何かならその情報を知り得ても不思議はないが、領主の耳にまで、下々の事件が入るはずもない。


「よくそんな話を君が知っているな?」

ヴィックはそう切り出した。声には、わずかな皮肉が混じる。


「君はスパイか何かだったか?」


ジュリアンは、ヴィックの挑戦的な視線を受けて、唇に優雅な笑みを浮かべたまま、少し大げさに肩をすくめた。


「レディ・ヴィクトリア。騎士たるもの、ご婦人のご危難に関する情報は、即座に掴んで然るべきでしょう。それに...」


ジュリアンはそこで言葉を切ると、心配そうな表情に切り替えた。


「あの事件で、貴女の伴の方が負傷されたとか。彼の容態はいかがですか?」


「君には関係のないことだ」

ヴィックは即座に、冷たく突き放した。その表情には、これ以上アレクについて詮索させないという強い拒絶の色があった。


ジュリアンは、ヴィックに嫌われることを何よりも恐れている。

彼はアレクの無力さを指摘したい衝動をぐっと堪え、ヴィックの険のある態度を見て、ただ優雅に微笑み返すに留めた。


「レディ・ヴィクトリア。もし何かありましたら、いつでも私を呼んでください。私なら必ず貴方の御役に立てるはずです」

そう言い残し、ジュリアンは深く優雅な会釈をして、友人を伴いその場を去った。

ヴィックは、その場に残った高価な香水の微かな残り香に、ふたたび深くため息をついた。


ジュリアンは、友人のカイルを伴い、賑やかな通りから外れた人通りの少ない裏路地へと入った。その優雅な笑みは、すでに消えていた。


友人のカイルは、ジュリアンに並び歩きながら、いら立ちを隠せずに言った。

「ジュリアン、一体どういうつもりだ? どう見ても平民、しかも男装してるような女に、なぜそこまで丁重な態度を取る」


ジュリアンは立ち止まり、まるで愚かな子どもを見るような冷たい視線で友人を一瞥した。

「カイル。君はあのお方を知らなかったのか?『 ルベライト商会』いくら情弱な君でもこの商会の名前位知っているはずだ」


「『ルベライト商会』だと!」

カイルは心底驚いた。


『王権統一戦争』以後、王家と貴族の権力は落ち始めていた。代わりにこの大陸を支配し始めていたのは経済力(商人)だった。

『ルベライト商会』はここ数年で成り上がった新興の商会であるが国家勢力にも値する程の経済力と影響力を持つ商会である。


「そう、『ルベライト商会』の親方が彼女の父親だ。娘を溺愛してる。おまけに『東のローゼリアン王国』の女王マリア・ロゼ様も亡くなった親友の娘である彼女を愛娘同然として可愛がっている。

彼女を知る人間は、この二人が最も厄介で『二つの大厄災』と言っている。レディ・ヴィクトリアに、もしもの事があれば、…想像しなくてもわかるだろ?」

ジュリアンは、静かに、しかし冷酷に言い放った。


かってアレクが銀のチェーンを検問所の役人に奪われる事件で出てきた南西のギルド長オーランド。彼が馬車の中で言っていた。

「こんな事が…に知れたら」

「いや、あのオヤジ殿が知ったら」

「アプシト・オーメン(破滅の前兆)」

とはマリア・ロゼ女王とヴィックの親父の事なのである。


他にもヴィクトリアを愛する人達がいるが、この『二つの大厄災』は、ヴィックの事となるといわゆる愛ゆえに暴走するヴィクトリア馬鹿だった。


このヴィクトリア馬鹿に、もう一人加わる事になるのだが…彼はまだこの時点でヴィックの本当の名前も知らないし、男だと思っているので、それはまだ先の話である。


「まぁ、『二つの大厄災』の力等借りなくても、彼女自身が知恵と胆力の女性だからな。商会ギルド本部評議会メンバー、そのメンバーに去年、最年少でなられた程のお方だ。彼女をただのつまらない女だと思わないことだ。今度から最低限の礼儀と扱いで振る舞いたまえ」


カイルは口を真一文字に結び、冷や汗をかいた。ヴィックが持つ見えない権力と、彼女自身の能力の大きさを思い知らされ、先ほどの自身の軽率な態度を後悔した。


「それにしても」

ジュリアンは再び歩き出し、低い声で続けた。


「彼女の連れが右腕を物取りから庇って負傷したという話だ。連れとは一体何者なのか?実に気になる」

ジュリアンは舌打ちをした。ヴィックが若い男といるという情報は彼にとって我慢にならない事実だった。


「ジュリアン…その連れという奴の身元は私が調べようか?」


ジュリアンは、今すぐにでもヴィックをアレクから引き離したかった。カイルの提案は、彼自身の焦燥を掻き立てるには十分だった。しかし、彼はその言葉に乗ることをかろうじて止める。


「必要ない」

ジュリアンは冷たく一言で切り捨てた。その声には、自分自身を諫めるような響きが混ざっていた。


彼はアレクの素性が気にはなったが、それを表に出してしまうには彼のプライドが許さなかった。


ジュリアンは、ヴィックにとって自分が彼よりも価値のある人間であることを証明したかった。そのためには、裏でこそこそと動くのではなく、正々堂々とした態度を崩すべきではないと判断したのだ。


「奴の正体など、いずれ判明する。取るに足らない男なら、レディ・ヴィクトリアはすぐに飽きるだろう。」


ジュリアンは立ち止まり、冷酷な目で空を見上げた。


「それに、レディ・ヴィクトリアの傍にいる者を、私が軽々しく詮索すれば、かえって彼女の不興を買うだけだ。彼女は自分の領分に他人が踏み込むことを何よりも嫌う」


「……わかった。君の判断に任せる」

カイルはそれ以上何も言えず、深く頭を下げた。ジュリアンの瞳の奥に宿る、嫉妬と優越感が入り混じった複雑な光は、彼に反論の余地を与えなかった。


ジュリアンは再びため息をついた。優雅な貴族の笑みはすっかり消え、そこに残ったのは、冷徹な顔だった。


一方ジュリアンと別れたヴィックは、

「全く、余計な事に時間を取られた」

と呟いて布袋を握り直し、早足に宿屋に向けて歩いた。


今、彼女の心を占めるのは、宿に残してきたアレクの事だけだったのだ。


『本編を読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』


アレクの負傷で滞在中の街にて、ヴィックは執着心の強い貴族ジュリアンと再会します。強大な商会の令嬢でありながら高い才覚を持つ彼女を、ジュリアンは慇懃に誘惑しますが、ヴィックは冷淡にあしらいます。不穏な視線を背に、彼女はただ一人、宿で待つアレクの元へ急ぐのでした。

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