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第十話 世界一不器用な恋文〜一日の終わりを告げる君へ〜

「ところでお前は文字の読み書きができるのか?」

御者台のアレクの隣に座るヴィックが尋ねた。


この時代、中央都市や一部の貴族階級を除き、文字の読み書きができない者、すなわち文盲(非識字者)は非常に多かった。


平民にとって、文字は商売やギルドとの契約など、特定の場面でしか必要とされず、日々の生活は口頭伝承や経験則に頼っていたためである。


読み書きは『聖職者』や『学者』、そして『裕福な商人の子弟』が学ぶ特別な技能と見なされており、『漁師』や『農民』といった肉体労働に従事する者は、読み書きを学ぶ機会も時間もほとんどなかった。

読み書きができることは、ある種の教養や地位の証明でもあった。


アレクは、海沿いの村の教会の壁に貼られた布告や、書かれた文字はかろうじて意味を推測しながら読める。しかし、自ら文面を構成し、文字を綴ることは完全に苦手だった。


「え、あ、文字は……その、なんとか読めます。でも、書く方は……はい、ほとんど書けません」


アレクは正直にというか、シドロモドロで答えた。


「ふーん……分かった。夜、宿屋に泊まったら文書を書く特訓だな」

ヴィックはニヤリと笑った。その顔は、手合わせをねだられた仕返しとばかりに意地の悪さを滲ませていた。


「ええっ!なんでですか!?」

アレクは抵抗する。


「文書なんて書けなくても、これまで何の不自由もありませんでした!読み書きは、俺には必要ないです!」


「これから先、もし好きな女が出来たらどうするんだ?いちいち代筆にお願いするのか?……自分で書いて渡したいと思わないか!?」


その瞬間、アレクは顔を真っ赤にして俯いた。ヴィックの言葉は、アレクにとって全く想定していなかった急所を突いた。


「……恋文なんて…」

ボソボソと、アレクの口から小さい声が漏れる。


「何だ!小さいぞ声が!」


アレクは観念したように顔を上げ、ほとんど叫ぶように言った。

「恋文なんて書きません!もし好きな女が出来たら、遠回りなことせず、相手に直接告るので、手紙は必要ないです!」


「ほう」

ヴィックは意外そうに眉を上げた。アレクの真面目すぎるほどの直球な答えに、一瞬言葉を失ったようだ。


「……だがアレク。直接告るのも悪くないが、ロマンチックな言葉を綴りまくった手紙の方が、女はもっと喜ぶぞ」


ヴィックはアレクの頭を軽く小突いた。


「ヴィックは手紙を貰った方が嬉しいんですか?」

馬鹿な質問をしたと口にしてからアレクは思った。


てっきり「私は女じゃないから!」とヴィックに怒られると身構えていたが意外にもヴィックは、

「手紙か…手紙は心にもない美麗賛辞を並べ立ててくるからな…本心かどうかもわからない。私なら手紙より自分の目を見て、自分の素直な情熱を打ち明けてほしいな、美麗賛辞は要らない」


言葉を尽くした手紙よりも、目の前の真実を信じたい。飾られた美辞麗句ではなく、熱の籠もった、揺るぎない眼差しをこそ望む。


もし好きな女性が自分に好意を寄せてくれたら、自分はまさに、遠回りな駆け引きなどせず、自分の全てを晒すようにまっすぐ告白したいと願っていた。

ヴィックが自分と同じ考えだったことに、アレクは驚いた。


「それは、あくまでも私がだからな…」

と言ってヴィックは目を閉じた。

自分がそうだからと言って、他もそうだとは限らないと言う強い意味が含まれていた。


「文字は、剣と同じだ。使い方は様々で、ただ契約書を書くだけじゃない。お前の気持ちを、時間を超えて相手に届ける武器になる。それに、勇者が文字も書けないなんて、かっこつかないだろう」


ヴィックの言葉に、アレクの心は動いた。

「……わ、分かりました。特訓します。でも、夜は疲れてるから、簡単な文章だけでお願いします……!」


「簡単な文章?はは、そうはいかないぞ。特訓の題材は、もちろん『ラブレター』だ!」


「〜〜〜っ!やめてくださいヴィック!」


馬車は、アレクの照れ隠しの叫びと、ヴィックの楽しそうな笑い声を乗せて、秋の街道を進んでいった。


その日の夜、二人が投宿したのは、街道沿いにある小さな宿屋だった。簡単な夕食を済ませると、ヴィックはすぐに約束の『特訓』を始めるべく、古い羊皮紙と、墨、そして羽ペンをアレクの前に並べた。


「さあ、始めようか、アレク。まずは題材だが、お前が今想像しうる、世界で一番好きな女を思い浮かべろ」


ヴィックは興味津々といった様子で、肘をついてアレクを見つめた。

アレクは途端に顔を熱くし、俯いたまま声が震える。


「そ、そんな人はいません!想像できません!」


「バカなことを言うな。想像力がなければ、ロマンチックな文など書けるわけがないだろう!いいから、とにかく想像しろ。その相手に、お前の真っ直ぐな気持ちを伝えるんだ」


しぶしぶと、アレクは目を閉じた、女性の顔を思い浮かべるはずが、何故だが彼の脳裏に浮かんだのはヴィックだった。

彼は(そっちの性癖はない)脳内で必死に否定した。


「さて、手紙の始まりは?」

ヴィックが促す。


彼はまず、書き出しを何にするかで五分ほど唸り、

「拝啓。元気ですか」と口にした。


「……拝啓はいけい?いきなり手紙の教科書みたいな書き出しだな」

ヴィックは思わず吹き出した。


だが言われた通り、ヴィックは文字を書いた。


その文字をお手本にして、

アレクは羽ペンを恐る恐る手に取り、羊皮紙の上に、震える手で、文字を書き始めようやく一行目を書き上げた。


「で、次は?彼女への情熱を語れ」

アレクは、深く息を吸い込み、思い切り自分の『情熱』を込めることにした。

文面は、ヴィックの想像を遥かに超える素朴さだった。


「貴女に会ったときから、俺の心は大きな船のいかりのように、貴女の元にドスンと落ちました。」


「錨がドスン……」

ヴィックは羽ペンを噛みそうになった。


「錨は船を繋ぎ止める、一番力強い道具です!俺はしっかり繋ぎ止めたい!」


「わかった、わかった。しっかり繋止めたい気持ちはわかった。次はどうだ。彼女のどこが好きか、もっと詩的に表現しろ」


アレクは首を傾げた。詩的とはどういうことか。彼は、想像して、ただひたすらに具体的に言った。


「貴女の笑顔は、冬の朝でも俺の体を温める焚き火の炎です。

そして、貴女の髪は、沈む夕日の輝きで、一日の終わりを告げるようで俺は好きです。」


ヴィックは、思わずゴホゴホと咳き込んだ。

「一日の終わり!?」


ヴィックはアレクの肩を掴んだ。

「待て、アレク。『沈む夕日』はまだましだが、『一日の終わりを告げる』は、おそらく褒め言葉として機能しないぞ!『絹糸のように滑らかだ』とか『夜の帷のように漆黒の美しさ』とか、他に言葉はないのか!?」


「でも、綺麗に沈む夕日を眺めていると一日が終わって、あぁ今日も無事に終わったと安心出来るんです!」


アレクは一生懸命だ。彼の比喩は、彼自身の漁師としての生活と自然に対する愛からしか生まれてこなかった。


ヴィックは頭を抱えた。

「くそっ、純粋すぎて矯正できん。わかった、次だ。彼女を守りたいという気持ちを伝えろ。勇者として、お前の決意を!」


アレクの瞳に力が宿った。武術となると、途端に真剣になる。

「貴女がもし、危険な魔物や山賊に襲われたら、俺の体が盾になって、貴女を守ります」


「ふむ。シンプルだが、力強いな」

ヴィックは少し頷いた。


「貴女は、俺の大切な荷物です。」

「はっ?」


「荷物は、旅の間、一番大切で、絶対に失くしちゃいけない!だから、荷物なんです!」

アレクは得意げだ。


ヴィックはもう何も言えなかった。ロマンチックな言葉を綴るという目標は遥か彼方に消え去っていた。


「わかった、アレク。もういい。もう十分だ。」

ヴィックは疲れたように、机に突っ伏した。

もう恋文の修正を諦めたが

ヴィックは、この飾り気のなさ嘘のなさこそがアレクの本質だと悟った。


「これは、間違いなくお前にしか書けない最高のラブレターだ。この手紙を読んだ女がもしお前を嫌いになったら、そいつはお前の良さがわからない女だから、諦めて次を探せ」


ヴィックが代わりに書き上げた羊皮紙の上には、


―拝啓。元気ですか。

貴女に会ったときから、俺の心は大きな船の錨のように、ドスンと貴女の元に落ちました。

貴女の笑顔は、冬の朝でも俺の体を温める焚き火の炎です。

貴女の髪は、沈む夕日の輝きで、一日の終わりを告げるようで俺は好きです。

貴女がもし、危険な魔物や山賊に襲われたら、俺の体が盾になって、貴女を守ります。

貴女は、俺の大切な荷物です―


という、素朴で不器用だが、これ以上ないほど正直な恋文が完成していた。


そのお手本通りにアレクが文字を書く。


アレクは自分の書いた恋文を読み返し、これを渡す女性を想像して、一瞬だけヴィックの顔が浮かんだ――

全力で気のせいだと思うことにした。


「よし!出来た。ありがとうございました、ヴィック!」


翌朝、アレクの隣でヴィックが尋ねた


「剣の稽古と文字の特訓、どっちが嫌だ?」


「圧倒的に文字です!」アレクは即答した。


「ふ〜ん、だがこれからも両方続くぞ!覚悟しとけ」


「ええっ!やめてください!」

アレクはまた叫んだが、その声には昨夜のような本気の抵抗ではなく、どこか楽しそうな響きが混じっていた。


ヴィックはアレクの隣で意地悪そうに微笑む。

「お前がいつか本当に恋文を書く日を、楽しみにしているぞ、アレク」


恋文を書き終えたアレクは「捨ててください」と言って席を立ったが、ヴィックは羊皮紙を畳む際に、アレクが苦心して書き上げた恋文だけは、そっと手元に残して胸ポケットにしまい込んだ。アレクの文字は、彼が不器用ながらも一生懸命努力した証であり、ヴィックにはそれを捨てることなどできなかったからだ。


二人の言葉を乗せた馬車は、秋の穏やかな日差しの中を、ゆっくりと、しかし着実に、次の目的地へと進んでいった。


『本編を読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』


アレクは、ヴィックから文字の特訓として恋文を書かされる。漁師特有の奇妙な比喩に呆れるヴィックだが、その飾らない誠実さにアレクの本質を見出す。特訓を通じ、二人は絆を深めながら秋の街道をゆく旅を続ける。

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