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えなの池

作者: 鈴木りんご


 時間を無駄にした。


 休日の貴重な二時間をドブに捨てたようなものだ。これならまだ昼寝でもしていたほうがましだった……


 私はSF作品が大好きだ。


 小説に漫画、実写映画にアニメやゲーム、媒体はなんだっていい。あっと驚くような、設定の凝った作品が好きだった。


 そんな私に先日、アニメ好きの同僚がとあるアニメ映画を薦めてきた。


 私もそのアニメ映画の評判が良いことは知っていた。


 しかしそのアニメ映画のジャンルはSFではなく、恋愛もの。


 私は先月、三十歳になった。ここ数年、恋愛ものの作品には手を出していない。


 正直、そのアニメ映画にはまったく興味がなかった。


 それなのに同僚は「確かに恋愛ものではあるが、SF要素が強くて、その設定が面白いから」と、強く薦めてきたので仕方なく視聴した。


 その結果がこれだ。


 時間の無駄だった。


 この際、ジャンルが恋愛ものだということはどうでもいい。


 それ以上に納得いかなかったのが、肝心のSF要素の部分だった。


 物語は二人の男女がぶつかった衝撃で互いの魂と体が入れ替わってしまうというもの。


 私はそのシステムに納得がいかなかった。


 ぶつかって魂が入れ替わってしまうのはいい。創作の物語なのだから、そういった突飛な設定は必要だ。


 しかし入れ替わったのが魂だけであるのなら、本来記憶は入れ替わらないはずなのだ。


 もし記憶も移動しているのなら、ぶつかった衝撃で魂ではなく脳が入れ替わっているということになる。


 そもそも魂というものが本当に存在するのかすら怪しい。魂や心と呼ばれるものは過去の記憶によって形作られるものだと、私は考えている。


 だが、もし普遍的で特別な魂と呼べるようなものを一人一人の人間が持っていたとして、それが入れ替わってしまったなら、どうなるのだろう。


 考えてみる。


 たぶん……それほど変わらないのではないかと思う。


 結局記憶が体の方に残り、入れ替わる前の記憶もないのなら、そこまで変化はないはずだ。


 過去の記憶とその器である体が同じであるのなら、もしその魂が入れ替わったとしても、本人はそれに気付くこともなく生きていくことになるだろう。


 強いて何か変化する可能性のある所をあげるのなら、それはほんの少しだけ性格が変わったり、食べ物の好き嫌いが変わるくらいではないだろうか。


 ちなみにこれに似た事例を聞いたことがある。


 それは大きな事故にあって臨死体験を経験した人や、臓器移植を体験した人たちだ。


 どうして彼らの性格は変わってしまったのだろう……


 そんなことを考えているだけでわくわくが止まらない。


 私は本当にSFが大好きだった。


 私が好きなSFは宇宙での戦争やロボットが活躍するような話ではない。


 私が好きなのはシステムや設定に凝った、世界の秘密に触れるような作品だ。


 だから私はホラーも好きだった。


 ゾンビとか殺人鬼の出てくるスプラッターなやつではなくて、心霊系のホラー作品。


 心霊系のホラーの中にはシステマティックでSFっぽい作品が多いのだ。


 そして何よりも、ホラーは実在するかもしれない。


 タイムマシンや平行宇宙より、幽霊はずっと現実味が在る。そしてその幽霊という存在はこの世界の秘密に該当する。


 もしその秘密を解き明かすことができれば、この世界の多くの謎に手が届く。


 魂の有無、死後の世界や輪廻転生。そんな謎を紐解く手がかりになるだろう。


 そんなことを考えていて、ふと思い出した。


 そういえば私にアニメ映画を勧めてくれた同僚は、心霊スポットの話もしていた。


 私の家から車で一時間半ほどの山中にあるトンネル。そのトンネルの先にある小さな池で、人魂が見られるという噂があるそうだ。


 興味があった。


 しかし残念ながら私には霊感というものがない。


 これまでも何度か心霊スポットと呼ばれるような場所に足を運んだことはあったが、一度も不思議な体験をしたことはなかった。


 だからわざわざ池に行ったとしても、何も体験できない可能性はある。むしろその可能性のほうが高いはずだ。


 それでも面白くもない映画を見て時間を浪費するよりはずっと有意義だろう。


 何よりもこのままでは貴重な休日を無駄に消費したことになってしまう。


 今日を価値ある一日にするためには逆転の一手が必要だ。


 うん……行ってみようと思う。


 もし何も体験できなかったとしても、山へとドライブに行ったと考えれば良い気分転換になるだろう。


 ということで、私は件の心霊スポットへと向かって出発した。


 カーナビの案内通りに進んで四十分。そこから山道に入って更に四十分。片道一車線の山道から脇道に入る。


 山道に入ってからはずっと上ってきたが、脇道は若干下りだった。


 脇道は老朽化してはいるものの舗装はされていて、幅もギリギリではあるが車ですれ違いが可能な広さだった。ただガードレールもない左側が崖になっていて少し怖い。


 丁寧な運転を心がけてゆっくりと脇道を進んで五分ほど、そのトンネルはあった。


 トンネルの前にちょうどスペースがあったのでそこに車を止める。


 今の時間は午後六時半。ちょうど夕暮れ時で空が赤く染まっていた。


 懐中電灯を手にトンネルの前に立つ。何の変哲もない老朽化したトンネルだ。トンネルはそれほど長くはないようで、入り口から出口が見える。中は真っ暗で光源はない。


 出発前にネットで調べた情報によれば、このトンネルの先には数件の民家があるが、もう十年以上誰も住んではいないという。


 廃村へと続くトンネル……実に心霊スポットらしい。


 私は懐中電灯で足下を照らしながら、その中に足を踏み入れた。


 小暑であるにもかかわらず、トンネルの中は涼しかった。


 トンネルの中に入って数歩。たったそれだけなのに不思議な感じだ。


音が消えた。


 シンとしている。トンネルに入る前に聞こえていたセミの声や風に揺れる葉の音が聞こえなくなった。


 それにここ数日は雨が降っていないはずなのにトンネルの中はなぜか湿気が強い。


 更に数歩足を進めると、シンと静まり返っていたトンネルの中にピチョンと水滴の滴る音が響く。


 よくよく耳を澄ましてみると、その音はトンネル中から聞こえていた。まるでこのトンネルの中だけ小雨が降り始めたような音。


 その音の理由を確かめるために懐中電灯で辺りを適当に照らしてみると、答えはすぐにわかった。


 トンネルの左右の壁のいたるところにヒビが入っていて、そこから水が染み出している。


 その水はトンネルの脇に小さな流れを作っていた。


 しかし、何故だろう。私は今、心霊スポットへと続く暗いトンネルの中にいるわけだが、恐怖心のようなものはまったく感じなかった。


 むしろ、今私が感じているのは郷愁だ。


 ここに来たのは初めてだし、ここと似たような場所を知っているわけでもない。それなのになぜか懐かしさを覚えた。


 本当に不思議だ……


 私は今、ゆっくりと暗いトンネルの中を進んでいる。それなのに何故か、進んでいると言うよりは戻っているような感覚だった。


 ゆっくりと時間をかけて、私はトンネルを抜ける。


 日が沈んでトンネルの外は暗くなっていた。


 ひび割れだらけのアスファルトの道に、その道を囲む木々の群れ。そしてトンネルから流れ出た水の進んだ先には、小さな池のようなものがあった。


 何かがおかしい……


 この感情は何だ。


 トンネルを抜けた瞬間から湧き上がるような、この帰ってきたという感覚。


 辺りは暗く、目の前には人魂が現れるという噂の池があるのにもかかわらず、恐怖心などはまったく沸いてこない。


 あるのはすべてを包み込むような優しさに抱かれた安心感。


 しかし私はその感覚に溺れるようなことはなく、自分がここに来た目的を思い出す。私はここで不思議な体験をして、その謎について考えるために来たのだ。


 よくよく考えてみれば、この感覚もまた不思議な体験だった。


 だから考察する。この感覚の理由を解き明かすのだ。


 辺りを包む深緑に綺麗な水、そして澄んだ空気。


 この感覚の原因はマイナスイオンではないだろうか。マイナスイオンはこういった自然が多いところで発生して、リラックス効果があることで有名だ。


 きっとここでは大量のマイナスイオンが発生しているのだろう。もしかしたら地形的な理由などでマイナスイオンのたまり場みたいになっている可能性だってある。


 憶測ではあるが辻褄の合う答えが出たので、私はさっそく本題の人魂を捜してみることにした。


 まずは懐中電灯を消して辺りを見回してみる。光源はない。あるのは月明かりだけ。


 池を見る。暗いせいだろうか、水面が黒く見える。


 その水面の端には大きな丸い石が顔を覗かせていた。


 池の辺りを中心に辺りを注意深く観察したが、どこにも人魂は見当たらない。


 念のためにスマホで辺りを撮影して、それを確認してみる。やっぱりなにも写ってはいなかった。


 残念に思いながら、何気なく水面の方に視線をやる。


 そのとき一瞬だけ水面に人の顔が見えた気がした。


 確認のためにもう一度水面を覗き込む。


 暗い水面に自分が映っている。でもそれは暗い影のようなもので、さっきはもっとはっきりと見えたような気がした。


 角度の問題かと考え、いろいろ試行錯誤してみるが、水面に鏡のようなはっきりとした自分が映ることはない。


 懐中電灯で水面を照らしてもみると、逆に自分の影まで消えてしまった。


 さっきのは何だったのだろう。


 ただの錯覚だったのか、心霊現象だったのか、それともたまたまちょうどいい感じで自分の姿が映っただけだったのだろうか。


 答えは出なかった。


 しかし水面をいろいろ確認していて、もう一つ気になったのが丸い石だ。


 水面から顔を出しているのは石の全体ではないので、その全体像は想像することしかできないのだが、見えている限りでは完全な球体に見える。大きさはちょうど手のひらを広げたくらい。


 苔などが生えている様子もなく、綺麗でつるつるとしているように見えた。


 私はその石に触れてみたいと思った。


 この感覚もまた不思議なものだった。


 胸の奥から湧き上がる、石に触れたいという思い。この思いは愛する異性の一番深いところに触れてみたいという衝動に似ていた。


 ここにはそれを拒否する者も、咎める者もいない。


 だから私は手のひらを大きく開いて、その石に触れた。


 ――ちくっとした痛み。


「いたっ!」


 私は叫んだ。


 その声のせいだろうか、水面に波紋が浮かぶ。


 かなりの痛みだった。暗くて気付かなかったがハチやアブでも石の上にいたのだろうか。


 懐中電灯の光を当てて手のひらを確認する。手のひらは赤く腫れていた。


 興ざめだ……


 痛みで一気にテンションが下がってしまった。


 手のひらにヒリヒリとした熱を感じる。もう一度確認してみると、さらに腫れてきていた。


 池の水の中に腫れた手を入れると、ひんやりとしていて少しだけ痛みが和らぐ。


 しかしだからといって、ずっとそうしているわけにもいかない。


 今日はもう家に帰ることにしよう。


 せっかくこの場所の不思議で居心地の良い雰囲気に浸っていたのに、私は追い出されるようにして池を後にする。


 そして足早にトンネルを抜けると、そこにはいつもの世界があった。


 小暑の不快な暑さ、耳障りな虫の声。煩わしいものに溢れた外の世界。


 手の痛みもあって、なんだか声を上げて泣きたいような気分だった。しかし私はもういい大人だ。誰にも見られてはいないからといってそんなことはしない。


 車に乗って、車の中の明かりで手のひらを確認してみるとさらに腫れていた。


 利き手だし運転にも支障はあるだろうが、どうしようもない。運転に気をつけて、家に帰ることにした。


 時刻は午後九時半、特に何事もなく家に到着。


 それでも思ったより時間がかかってしまった。


 明日は仕事だ。


 もう疲れていたし、夕食はとらずにシャワーだけ浴びて寝ることにした。


 手のひらには虫刺され用の薬を塗った。蚊用の薬ではあるが、家にあるのはこれくらいだ。何もしないよりはましだろう。


 明日起きても腫れているようだったら、会社に向かう途中で薬を買っていくことにしよう。


 ――そして翌日。


 朝目覚めて、まず私は自分の手のひらを確認した。


 昨日のことがまるで嘘のように何ともない。痛みも熱もなければ、腫れてもいない。


 ベッドから起き上がり、大きく体を伸ばす。なんだか晴れ晴れとした気分。生まれ変ったみたいな気分だ。


 ふと昨日見た映画のことを思い出す。


 今思うと映画のラストはとても感動的だった。思い出しただけなのにちょっと泣きそうだ。


 そして私はいつものように手早く支度を終えて、会社へと向かった。


 会社の前の自動販売機。私はそこでいつものようにコーヒーを買おうとして、その手を止めた。


 そうだ。同僚の分も買っていってやろう。


 面白い映画と心霊スポットを教えてくれたお礼だ。


 二本の別々のコーヒーを買って、会社の自分の席に座る。


 そしてすでに隣の席に座っていた同僚の机にコーヒーを一本置いた。


「昨日、教えてもらった映画を見たよ。見終えた瞬間はそんなに面白いと感じなかったんだけど、後々思い出してみると最後のシーンとかすごく感動的だった。そのコーヒーは良い映画を紹介してくれたお礼だ」


「ありがとうございます。先輩が気に入ってくらたみたいでよかった」


 そう言った後、驚いたような顔を浮かべて同僚は言葉を続けた。


「あれ? 先輩、コーヒーはいつもブラックじゃなかったですか? カフェオレなんて珍しいですね」


「ああ。なんだか今日は甘い奴が飲みたかったんだ。もしかしたらあの映画の影響かもね」


 そう答えて、私は笑った。



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