第3章
西暦2097年6月18日、俺は飛行機でマイアミ空港へ向かった。例のミロスというギリシャ系のハンサム男が、その後も連絡係としてなんでも相談に乗ってくれた。しかも、飛行機代についてまでも電子バンクに振り込んでくれるという用意周到さだった。その上、振り込まれた金のほうが実際のチケット代より多かったため、俺は返金しようとしたのだが――「こちらまで来るにも何かとお入り用でしょう。余った差額についてはそうした旅の準備金としてでもお使いください」とのことであった。
正直なところを言って、俺はこのことをただ単純に「ラッキー!」といったようには喜べなかった。むしろ、(こりゃ絶対なんかあるだろ……)という疑いが強まったというだけだった。俺はオカドゥグ島なのだろう場所に電話するたび、このミロスという名のハンサムな好青年に対し、出来るだけのことを聞きだそうとはしてみた。たとえば、「今の段階で何人の参加者が来る予定なんですか?」ということや、参加者の男女の比率、オカドゥグ島における行動範囲、さらにはミスター・フォアマンとはこちらが望めばいつでも会って話せるのかどうかなど……。
おそらく、俺が疑問に感じるようなことは他の『ヒューマノイド当てクイズ』の参加者もモニター越しに聞いてくることなのだろう。ミロスの話し方はスマートかつ要点を得ており、いつでもにこやかかつ爽やかだったものである。
「六月十八日にオカドゥグ島へ来られる方はミラー様含め五名の方々です。お名前や出身地その他については個人情報ですので、私の口からは申し上げられませんが……同じ自家用ジェットに乗っていただきますから、その時からゲームはスタートしたものとお考えください。もちろん、乗車した方の中に人間そっくりのヒューマノイドが存在するとは限らず、あとから来られる方の中にいらっしゃるかもしれません。また、そのような目的があるわけですから、ミラー様もまた色々な質問をされるでしょう。これは他の参加者すべてに同じように申し上げていることですが、その際もし嘘をついたり、「もしかしたら自分がそのヒューマノイドかもしれない」という振りをすることも、決してルール違反ではありません」
「いや、だけどさ、その場合……」俺はやはりこの時、度肝を抜かれていた。「なんていうか、俺が大学の工学科に研究員のひとりとして籍を置いていた時は……『嘘をつけるくらい高度なアンドロイドの研究』なんていうものはやってなかったんだ。第一、アンドロイドが人間と同じように嘘までつくようになったとしたら、それはただ混乱の元になるってだけのことなんじゃないか?」
アンドロイドといったものは、それが比較的高度な知能を備えていたにせよ、『嘘をつく機能』といったものまではない。使役する側である人間にとってメリットがないせいもあるが、何よりアンドロイド自身にとってそれは故障の原因にしかならないものなのだ。簡単に説明するとしたならば、人間同士には明瞭な答えのないグレーゾーン的雰囲気が互いの間に横たわっていることなぞしょっちゅうで、そうした時人は目を逸らしたり、なんとなくタバコをふかしたり、必要のないどうでもいい世間話によって場の空気を取り繕おうとするものだ。アンドロイドはそういう時、「自分の社会的行動として正しい振るまい」を確率論的に推理・選択する。たとえば、1.黙っている=64%、2.誰かに話しかける=23%、3.自分から話題を提起する=11%、4.その他=2%……これらの選択肢の候補には、さらに枝分かれする選択肢が続く。1であれば、様子を見て何秒くらい黙っているべきか、不自然に見えぬようどのように周囲と調和すべきかなど。2であれは、誰に話しかけるか。一度でも話したことのある人物は当然候補者の選択率が高くなるだろうし、相手の社会的身分なども同時に検索し、最適と思われる人物を選ぼうとするだろう。3であれば、やはり人々がなんの理由でそこに集っているかなど、沈黙の隙間を縫って場を和ませるのに最適な話題を提供しようとするかもしれない(人間には「すべったらどうしよう」とか、「無視されるかも」といった不安や恐怖が伴うが、アンドロイドはそうした不要な感情に悩まされることがない)。4のその他は……まあ、とにかくその他だ。アンドロイドはこうして文字で起こすとあまりに長い項目について、人間と同じかそれ以上に速い情報処理能力によって思考し、それを行動に移すわけである。ゆえに、場合によっては「最適解のない」ケースが連続していくつも続くと、アンドロイドはフリーズしてしまう。つまり、彼らのこうしたアルゴリズムがもし「嘘」という極めて人間らしい行動によってさらに混乱させられるとしたならば――そのロボットを製造した会社のプログラムにもよるが、俺の知る限りではとりあえず「僕はどうしていいかわからない」と頭を抱えてみせたり、あるいはロダンの「考える人」のポーズを取る、手のひらを天に向けてウィンクし、「お・手・あ・げ」などと口にする場合もある。
一応誤解しないで欲しいのは、アンドロイドなぞまだ「そんな程度の知能しか有していない段階なのだ」という、これはそうした話ではない。何より、こうした一連の作業を思考し、なめらかに行動として連動できるだけでも、彼らには「自律した思考能力と行動力がある」ように見えるし、シリコン製の皮膚の下にあるのが白い骨と軟らかい臓器でなく、それより長持ちする固い金属と機械ジェルであったにせよ、アンドロイドは人間の脳以上に多くの情報を搭載・検索することが出来、それを決して忘れることはないという記憶力の良さまで有しているのである。
だが、それと同時に人間らしさをさらに模倣して――「嘘がつける」、そのような矛盾を当たり前のように処理できる段階までさらに進化したのだとすれば……それは俺にとって、間違いなく想像を超える驚異となることだった。
「ひとつ、他の方々にも明示してある情報について先にお話したほうがよろしいかもしれませんね。このことについてはもう一度、基本的なゲームのルールをオカドゥグ島到着後に説明することにはなるでしょうが、みなさま方に当てていただくヒューマノイドはそもそも自分のことを人間と思っています。ゆえに、幼い頃からの記憶もあるのです。ですから、その偽の記憶自体が嘘の可能性がありますし、そのことを基盤としてこのヒューマノイドは行動しているわけです。ゆえに、人間がよくそうするように自分にとって都合の悪いことは隠そうとするでしょう。その上でこのヒューマノイドに本当のことを話させようとするならば、ある程度信頼度や親密度を互いの間で上げる必要があるかもしれません。また、このヒューマノイド自身、自分をそのようなヒト型アンドロイドとは思っておらず、みなさま方と同じく招待状を受け取り、『ヒューマノイド当てクイズ』に参加することになった一参加者としか思っていません。この前提に立ち、みなさまにはこのクイズで大金を当てていただきたいのです」
「そんな……そんなこと、あんまり残酷なんじゃないですか?自分を人間と思い込んでいるのに、実はロボットだったなんて……それに、これはSF映画で見たことですが、彼らには自分の皮膚を思い切って引き裂いて人間か否かと確認を取るということも不可能ではない。もしかしてあなた方は……いや、ミスター・フォアマンは『その時アンドロイドはこの悲劇を情報としてどのように処理するのか』を見たいなんていうことではないんでしょう?」
「さあ、どうでしょう。御主人様の崇高な理念については私のような使用人には理解しかねますが」と、ミロスは何故か優しく微笑んだ。俺はそれまで好感を持っていたはずの彼の爽やかさに、なんだかイライラするものを初めて感じた。「そのヒューマノイドが発狂しようと矛盾を処理しきれずにフリーズしようと、あとから有害となる記憶については消去し、再び甦らせればいいだけのことですからね。それと、ミスター・フォアマンがお創りになったヒューマノイドは本当に人間そっくりなのです。肉体的には毛細血管に至るまで再現してありますから、体のほうはどこを切っても赤い血が流れ……内臓についても完璧に再現してあります。ゆえに、もし参加者のどなたかが『絶対こいつがヒューマノイドだ』と確信し、その証拠を求めて体の一部を引き裂いた場合でも――殺人者の気分を味わうというだけで終わるだけなはずです」
「終わるだけなはずですって……」ミロスの顔の表情のほうは変わらずにこやかだった。まるでコールセンターへ問い合わせた時、モニターに映る専用アンドロイドが見せる完璧な笑顔とそれはほぼそっくりだった。「それははっきり言って犯罪じゃないですか!第一、人間は間違う生き物なんですよ。もし参加者の中に金に目の眩んだ人物がいて、『おまえがヒューマノイドなんだろうがよ!!』と確信し、動かぬ証拠を求めて相手――この場合、本物の人間を間違えて傷つけたりした場合……あなた方は一体どう責任を取るっていうんですか!?」
「そうした事柄については以前もご説明したような気が致しますが……」ミロスはいかにも(心外だ)というような顔をして、厳粛な顔つきに戻って言った。「もっとも、ミスター・フォアマンのお話によれば、ミラー様、あなたはそれが百万ドルでも、あるいはそれ以上の金額であっても、そんなことのためにオカドゥグ島へ来るわけではないということでしたね。ですが、私にはそちらのほうが動機として不思議な気がするのです。これは個人的な興味からお聞きすることですので、もしご不快に感じられましたらお答えくださらなくて結構です。ミスター・ミラー、あなたさまはもし大金が目的でないとしたら、何を目的としてオカドゥグ島までやって来られるのですか?」
この時、俺は初めて終始一貫して爽やかで優しげなミロスの『感じの良さ』について理解した。おそらくすべてはギブ&テイクの関係、そしてミロス自身も自分にあてがわれた役と仕事を出来得る限り完璧に演じようという、ただそれだけのことなのだ。
「まあ、一言で簡潔にいえば……ただのジャーナリスト魂とかいうやつじゃないかな。古くさい言い方をすればね。もちろん俺だって人間だ。棚からぼたもちとばかり百万ドルが手に入ったらどんなにいいだろうな~くらいにちらと考える気持ちはあるよ。けどまあ、世の中そんなに甘かあないってのかね。確かに、俺の第一の目的は金じゃないかもしれないけど、今回のことを記事としてまとめられたらいいものになるんじゃないかって強い予感があるもんでね。でもちょっと今の話を聞いていて雲行きがあやしくなってきたなと感じたよ。どうやら俺は、自分の見たまま感じたままのことについてすべて自由に書けるわけじゃなさそうな気がしてきたからね」
「まあ、なんとかなるでしょう」ミロスはいつもの爽やかさと優しさと感じよさにプラスして、何故かこの時嬉しそうに微笑んでいた。「殺人未遂云々なんていうのも、そうしたことが起きる可能性というのはゼロではない……くらいのことなのですし、オカドゥグ島で見聞きしたことについては他言しないようにという契約書にまず最初にサインしていただきますが、ご主人さまも私も、大金を得た参加者以外の口を塞ぐことは不可能と考えております。つまり、ミスター・ミラー、あなたさまにおかれましても、そのような契約書にサインしたからとて、その後無事ニューヨークへお戻りになられれば――オカドゥグ島のことを記事にしたいという誘惑に打ち勝てず、やはり新聞の記事として公表なさるかもしれない。ご主人さまも私も、人間とはそのようなものだということをよく理解しておりますから大丈夫ですよ」
「…………………」
俺はミロスの最後のこの言葉に、なんとなく引っかかるものを感じた。気のせいかもしれなかったが、なんだか彼自身も彼のご主人だというアダム・フォアマンも、実は人間ではない――すでに人間の如き存在を超越したその上の存在なのだと、この時、漠然とではあるが言外にそのような響きを感じとったそのせいだ。
>>続く。