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第13章

「ねえ、テディ。ちょっといい?」


「ああ、うん。鍵なら開いてるから、入っておいで」


 俺はベッドルームにいたので、少し大きな声をだした。壁に飾ってある洗礼者ヨハネの絵と目があうと――この時も俺はなんとなく嫌な気持ちになった。彼の手指の先は天国を示しているらしいのだが、その天国にロドニーの魂は今ごろ憩っているに違いない……といったような安息を確信を持って得られないこと、しかもこの絵を描いたダ・ヴィンチ自身が無神論者であったことなども考えあわせると、ますます複雑な気持ちにならざるを得ない。


 右や左に転がったせいで、極上の肌触りのシーツは皺が幾筋にも波打っていたが、俺は特段直そうともせず、リビングのようになっている隣の部屋へ急いでいった。ミカエラのことを寝室のほうにはあまり近づけたくないのだ。


「ロドニーのことなんだけど……」


「ああ、うん。君もショックだっただろ?俺も落ち込むあまり、他の人たちのことまで考えられないほどだったけど、今はきのうやおとついよりは少し良くなった気がする。何もこれは早くも旅先で知りあった友達のことを忘れかかってるってことじゃなくて……」


「わかってるわ」と、ミカエラは寂し気に微笑んだ。「テディ、あなたは優しい人ですもの。ただわたし、ロドニーは自殺するようなタイプの人だとはどうしても思えなくて……」


「たぶん、フランチェスカやモーガンもそう思ってるんじゃないかな」そう答えながら俺は、今日の夕方か明日、モーガンの部屋を訪ねようと考えていた。彼女は間違いなくロドニー・ウエストの死について自殺というよりは他殺の可能性のほうが高いと考えていそうだったからだ。「でも、結局わからないよ。その……人の心は井戸のように深いものだっていうだろ?そういう意味では俺もどのくらい<本当の彼>っていうのを理解できていたかはわからない。ただ、彼が死ぬ前日に色々相談はされたんだ。奥さんと離婚するかもしれないってことや、ずっと確執のある弟のシドニーが奥さんと不倫してるってこととか、色々……」


「ええー--っ!?」


 ロドニーは超のつくほど有名なテニスプレイヤーだったし、よしんば彼のことは知らなくとも、テニス界に帝王として長く君臨し続けたシドニー・ウエストのことはミカエラも知っているはずだと思った。ところが、彼女は前にも『テニスの試合なんてほとんど見たことないわ』と言って俺を驚かせたように……そこにびっくりしたわけではないようだった。


「そ、そんな……奥さんが自分の弟と不倫だなんて……そんなつらい悩みがあるだなんて全然見えなかったけど……そうだったのね。でもロドニーだったら他に女の人なんてすぐ出来そうに思えるけれど、生きる望みを捨ててしまうくらい奥さんのことを愛していたのかしら?」


「わからないよ。それに、そのことだけが自殺の原因とも限らないだろうし……でも、確かに変といえば変なんだ。このあたりは夜になると本当に真っ暗闇になるから……懐中電灯のようなものを持っていたとして、その明かりだけを頼りに海岸の崖までいって飛び降り自殺するなんて、俺は自分が死ぬほど悩んでいて自殺するにしてもそんな死に方を選ぶかなと思ったり……」


「あら。それ、もしかしてモーガンの意見と一緒じゃないかしら?彼女もね、あのあとすぐロドニーが身を投げた可能性のある海岸の崖のほうまで調べにいったみたい。だけど、結局よくはわからなかったみたいよ?でも、ロドニー・ウエストのような人間が自殺することを選ぶよりは、誰かが彼を殺害して崖の上から死体を捨てたって考えたほうがモーガン的にはよりしっくりくるってことだったの」


「だけど、そこまでのことをして一体誰の得になるっていうんだ?第一、クレイグ先生の検視の所見では、ロドニーの遺体には典型的な水死の所見が見られるとかって……つまり、海の中で溺れる前までは岩場で頭を打つなどしていても、息自体はあったってことだ」


「だから、お酒や食事や何かに睡眠薬でも混ぜて、ロドニーがぐっすり眠り込んだとするでしょ?そして、そんな状態の彼のことを担架か何かで運び、崖の上から投げ捨てる……う゛~ん。でもね、モーガンも殺し方としては手が込んでるみたいにはフランチェスカに言ってたわ。だってそうでしょう?このホテルからロドニーみたいな背の高いがっしりした男性を真夜中に運ぶだけでも大変ですものね。下手したら自分たちだって岩場で転んで怪我したり、そんなこんなで担架の上のロドニーを変なところで落っことしちゃったり……まあ、自殺に見せかけたかったら、誰も見てない真夜中にそうする以外なかったんでしょうけどって……」


 俺はここで妙におかしくなった。おそらくモーガンとフランチェスカはロドニー・ウエストが自殺などするはずがないという意見が一致したことで、その後お互い知っていることについて話しあったりするようになったのだろう。もしかしたらロドニーの死を受け悲しみに打たれるより速く、彼女たちは怒りの感情のほうが先に燃え上がったのではないだろうか?


「そっか。じゃあ俺も、なるべく早くモーガンに自分の知ってることを多少なり教えたほうがいいんだろうな」


 そう思い、俺がソファから腰を上げようとした時のことだった。本当はミカエラにレモネードでもご馳走しようと思ったのだが、フランチェスカとモーガン・ケリーの間では今どんな推理が組み立てられているのか――そちらのほうがよほど気になったそのせいだ。


「あ、ちょっと待って!テディ……」


 ぐいっとカーキ色のショートパンツの裾を引かれ、俺はもう一度座り直した。俺がこの世界で一番大嫌いな名画――『モナ・リザ』と目があう。ちなみに、何故俺がこの世界一有名な名画を嫌うか、理由を言ったらロドニーは腹を抱えて大笑いしていたものだ。『だってそうだろ?元のモデルだった女性はきっと美人だったんだろうけど、問題はそういうことじゃない。こんな薄気味悪い顔でいつでも笑ってる女がいたら……俺は結婚した三日後にはたぶん「おまえの笑い方が気に入らねえ」とか、「腹の中じゃ俺のこと笑ってやがるんだろ?ああん!?」とでも叫んで、自分の女房に暴力を振るった挙句、最後にはブッ殺しちまってるだろうからな』――というのが大体のところ、俺がダ・ヴィンチの『モナ・リザ』を嫌う理由だったからだ。


「えっと、今のこれ、一体なに?」


 ミカエラは俺のことをソファに座らせると、何かの魔法にでもかけるように正面から俺にキスした。とはいえそれは、性的な欲望をまったく感じさせない、清らかな中学生を思わせるキスだった。むしろそのことに戸惑うあまり、俺は逃げるように後ずさっていたほどだ。


「だから、いいのよ。フランチェスカにも言われたの。テディは今とっても落ち込んでるから、そういう時、女の人とせっくすすると心が慰められて元気になるって……」


「い、いや、いいよ。というより、ミカエラ。むしろ今の君の話を聞いて少し元気になった。だから、ありがとう」


「あら、そうお?わたし、すっかりそのつもりで下着も一番気に入ってるのにしてきたのに……」


 ミカエラがワンピースの裾を上げ、ちらとパンティを見せようとしてきたので、俺は慌てて立ち上がると部屋を出た。確かに今までにも「きゃっ、テディたら!」とか、「まあ、ダーリン!」などと言われ、チュッと頬にキスされたことは何度もある。けれど、これは明らかに別だった。俺にしても心が弱くなっていたせいもあり――その前にモーガンやフランチェスカの名前が出てなかったとしたら、おそらくミカエラの誘いを拒むことは到底出来なかったことだろう。


「うふふっ。ダーリンったら、顔まっか」


「うるさいっ!!」


 俺はそう言いながらも、後ろから追いかけてきたミカエラが腕を組むのを許した。すると、海色の絨毯の敷き詰められた廊下の向こうから、ミロスと介護ロボットのシノブがやって来るのが見える。


『クリストファー・ランド博士の死と、ロドニーの死は世界に向けていつどんなふうに公表されるんですか?』


 俺がミロスにそう聞いた時、彼は『しかるべき時にしかるべき方法によって』と答えていた。ふたりとも一般人ではない超のつく世界的有名人であるだけに……その死といったものは隠しようがないはずだった。それが仮にCIAであったにせよ、隠蔽しきるのは限界があるはずだとしか思えない。


『ご心配には及びませんよ。現在そのことについてはまだ審議が続いているものですから……ですが、「本物のヒューマノイド当てクイズ」が終わる頃には――おそらくあなたにも納得できる答えがでているはずです』


 俺はこの時、クリストファー・ランド博士の死に続き、ロドニーの死にも彼がまるで動じてないのを見て、妙に腹が立った。そして、この彼の奇妙なまでの冷静さは、クレイグ医師にも同様に見受けられるものだった。他のホテルの従業員たちは、宿泊客の死について戸惑い、以前は従業員同士でふざけあったりといった姿を見ることがあったものの、最近は招待客の死を悼んでか、歌を歌いながら仕事をしたり、踊ったりする姿を見ること自体めっきり減っていた。料理人たちは裏庭あたりでタバコを吸ってることがよくあったが、彼らにしてもはしゃいで軽口を叩くような姿は見なくなっていたほどである。


「何か、おかしな取り合わせですね」


 一礼して通り過ぎようとするミロスに対して、俺はどうしても何か言わずにはいられなかった。ミカエラが「こんにちわ」というようにシノブに向かって笑顔で手を振ると、彼女もまた微笑み、もう一度ぺこりと頭を下げ礼をする。


「おかしな取り合わせとは?」


「だって、そうでしょう?介護ロボットのシノブさんの所有者はアンダーソン夫妻ですよね?それなのに、何故……あなたがアダム・フォアマンさんの優秀な秘書か何からしいのは知っています。ですが……」


 ここでミロスはくすりと笑った。こういう時俺はつくづく思い知らされる。ミカエラが一目惚れするとしたら、間違いなくこういったタイプの容貌の男だろうに、彼女は「テディも悪くないけど、ミロスもいいな」といった態度をちらとすら垣間見せることがないのは何故なのか。


「いえ、メンテナンスのほうを頼まれただけなのですよ。もっとも、シノブさんに何か不具合が見受けられたわけではありません。ただ、定期的にあらゆる領域について異常はないか、技術者が診断する必要があるものですから……シノブさん自身の持つ自己修復プログラムといったものだけでは限界があるというのは、アンドロイド工学を専攻されていたあなたに説明する必要はないかもしれませんが」


 この時俺はカッと頭に血が上った。ミロスが何か慇懃な態度を装いつつ、こちらを馬鹿にしてきたと感じたわけではない。ただ、彼が『あらゆる領域』と口にしたことで、介護ロボットのシノブが性的機能も備えていることを思いだし――ミロスとシノブが定期点検と称し絡み合っている姿が思い浮かんだせいだった。


「えっと、ここにはそうした専門の技術者の方がいるのですか?」


(俺、もしかして欲求不満なのかな……)と思い、自分でも顔が赤くなっているのを自覚した。暑かったこともあり、頭が鈍くぼんやりしているせいもあったに違いない。


「それは……当然そうでしょうね」ミロスは何故か、俺の単純な今の質問に戸惑ったようだった。「そもそも、ミラーさまはこちらへ招かれた理由についてお忘れなのでは?もし招待客の中のひとりが人間そっくりのヒューマノイドであった場合、誰かしらがメンテナンスを行うことになるのではありませんか?」


「いや、そりゃそうだけど……それで、シノブさんやそのヒューマノイドに何かあった場合、ミロス、お宅が修復したりなんだりするってことでいいんだよな?こんなこと言っちゃなんだけど、ランド博士やロドニーについてはヒューマノイドじゃなかったってことだろ?じゃあ、残りの招待客九名の中にヒューマノイドは間違いなくいるっていう判断でいいっていうことだよな」


「そうなりますね」ミロスは再び微妙に戸惑ったような顔をした。そんなことは自明の理なのに、何故わざわざそんなことを聞くのか、といったようにも見える表情だった。「ミスター・フォアマンの造りだしたヒューマノイドは脳梗塞で死ぬことのない構造をしていますし、崖から落ちたとすれば……この場合もクレイグ医師が検視する必要はないということになります。確かにクレイグ・ウェリントンはミスター・フォアマンに雇われているという意味で我々側の人間ではあるでしょう。でもそこまでするのは流石にルール違反ですので」


「そう、だよな」俺は何か腑に落ちないものを感じて、ミロスに重ねて聞いた。彼は明らかにこの場から速く立ち去りたいようだったにも関わらず。「それで、シノブさんのことはお宅がメンテナンスする技術者ってことでいいのか?」


「この場合はそうですね」


「けど、あんたがもし何かの用でここにいない時……シノブさんに突然不具合が起きたり、例のヒューマノイドに何かあった場合――一体誰がメンテナンスというか、修復作業といったものを行うんだ?」


「技術者であれば、スタッフの中に他にもいますから」


「それが誰なのか、聞くのはルール違反なのかな?」


「…………………」


 ミロスは一瞬黙り込んだ。俺は今までこんな簡単なことにも気づかなかった自分を愚かだとすら感じた。アダム・フォアマンはおそらく、仕事のために島から離れたのではないのだろう。今もホテルのどこかにいるか、島の別の場所にでもいてこちらを観察しているのではないか?


(いや、もちろんそれが必ずしもミスター・フォアマンである必要はない。他のなんという名前の誰であれ、黒幕のようなすべてを知っている人物が存在していると仮定すれば、すべて説明がつこうというものだ……)


『シノブさんをメンテナンスするところを見てもいいですか?』――との言葉が喉まで出かかったが、その時にはすでにミロスはシノブの肩を抱き、その場をあとにしていた。


(だが、本当にそうだぞ!一応俺は、このホテル内をそれとなく一通り見ては回ったんだ。確かに<Staff Only>といった部屋はあったけど……それは明らかに休憩室か何かだとわかる場所だったし……)


 隠し部屋、と聞いて俺の頭にパッと思い浮かぶのは、映画などでよくあるパターンだった。図書室のある本を引いたり抜いたりすると、奥からゴゴゴゴ……ッとばかり別の部屋への通路が現われるといったような。


(よく考えたら、ウェリントン医師の部屋だって実は結構あやしいんじゃないか?ロドニーの遺体を見た時のショックで、そんなにあれこれ室内を見る余裕まではなかったけど……そもそもそんな部屋があるってことがわかったのだって、ランド博士の死があってのことなんだからな……)


「んもう、ダーリンったらミカエラ嫉妬しちゃう!シノブさんはそりゃ可愛い人だと思うけどお、もしかしてやっぱりテディはああいう東洋系の美人さんのほうが好みなの?」


「そんなんじゃないよ。第一相手は介護ロボット……いいや、とにかくそういうことじゃなくってさ、速くモーガン・ケリーの部屋へ行こう。俺ひとりじゃ全然まともに考えがまとまりそうにないけど、モーガンやフランチェスカに相談すれば、あのふたりなら何かいい知恵が思い浮かぶかもしれない」


「うふふっ。テディ、もしかしてほんのちょっとだけ元気になった?」


「ああ、うん。ミカエラ、君のキスのお陰だよ」


 エレベーターに乗り込むと、➄のボタンを押し、俺はあらためて地階へ行くための隠しボタンでもないかと探した。他に、実は五階と六階の間に5.5階とも言うべき場所があるのではないか――と、エレベーターが上がっていく間に想像しなくもなかったが、到着の仕方がわからなければそんな仮定自体あまり意味がないかもしれない。


 五階へ上がっていくまでの間、誰も乗り込んで来なかったため、俺はミカエラの額にチュッとキスしておいた。ロドニーの死後、俺が彼女のお陰で元気になったのは確かに間違いなかったからだ。




 >>続く。






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