序章
神は、我々がちりに過ぎないことを心にとめておられる。
(旧約聖書、詩篇103章14節)
黄色い森の中で、道がふたつに分かれていた。
残念ながら、両方の道を進むことはできない。
ひとりで旅するわたしは暫く立ちどまり、
片方の道をできるだけ奥まで見ると、
その道は、先で折れて草むらの中に消えていた。
次に、もう一方の道に目をやった。
こちらも劣らず美しいし、
むしろ良さそうに見えたのは、
草が生い茂っていて踏み荒らされていなかったからだ。
もっともそれを言うなら、その道を通ることによって
実際にはどちらもほとんど同じように踏み均されてしまうのだが。
あの日、どちらの道も同じように、
まだ踏まれず黒ずんでいない落ち葉に埋もれていた。
ああ、わたしは最初の道を、別の日のために取っておくことにした!
しかし、道が先へ先へと続いていることは分かっていたから、
ここに戻ってくることは二度とないだろうと思っていた。
この先、わたしは溜息まじりに語り続けるつもりだ。
今から何年、何十年先になっても言い続けるつもりだ。
ずっと昔、森の中で道がふたつに分かれており、わたしは――
わたしは踏みならされていない方の道を選んだ。
そしてそれが、決定的な違いを生んだ。
(『選ばれざる道』ロバート・フロスト)
序章
俺の元に奇妙な手紙――正確には招待状だろうか――が届いたのは、西暦2097年4月1日のことだった。言うまでもなく4月1日といえばエイプリル・フールだ。俺は最初、それを誰かの手の込んだ冗談かもしれないと思った。だが、どうやら差出人のほうでは真剣な気持ちを込めてこの招待状を書き、その『本物のアンドロイド当てクイズ』とやらに出席してもらいたいらしい。
>>親愛なるセオドア・ミラー様へ。
NYでもそろそろ、色とりどりの花が咲き競う、美しい春の便りが次々と相次いでおりましょうか。当方は常夏の島に住んでおりますが、ミスター・ミラーのコラムについては毎週掲載を楽しみにして拝読しております。
突然身も知らぬ人間にこのような手紙を送りつけられ、ミスター・ミラーにおかれましては不審に感じられても不思議でないとお察し致します。とはいえ、ミラー様のコラムを長らく愛読していて思いますのに、おそらく私のような奇妙な人間からの手紙といったものは毎月最低でも数通は届くのではありますまいか。そしてご賢明なるミスター・ミラーのこと、本当におかしな手紙と興味深いそれとの違いについては見分けがつくのでないかと当方では想像致しております。
名乗るのが遅れてしまいましたが、私はアダム・フォアマンと申しまして、随分長いこと生体アンドロイドの研究をしてきた者です。この分野の研究の第一人者は、2055年にノーベル賞を受賞したノア・フォークナー博士にはじまり、以後この分野においては革新的と言っていい目覚ましい進化があったのはご承知の通りのことと存じます。何故ならばいまや、どこへ行ってもアンドロイドを見ぬ日はなく、大抵は単純な作業用ロボット、あるいは表面をある程度人間に似せてはいても、よく見れば見分けがつく……そのような人型アンドロイドが数え切れぬほどたんさん存在します。
一説によれば、無用な混乱を避けるためにも、本当に本物の人そっくりのヒューマノイドといったものは、大学の研究所から出ることはなく、我々が巷で見かけるアンドロイドたちは、わざと『本物のヒトと見分けがつくようにされている』という噂がありますが、ミスター・ミラー、もしご興味がありましたならば、その真偽を確かめるために私が研究をしている島――オカドゥグ島まで見学に来られてみるつもりはありませんか?
ミラー様におかれましては、おそらく今、非常なる不審の念をお抱きのことと想像致します。ですが、ご心配めされますな。これはあくまでも私アダム・フォアマンの個人的な身内におけるパーティのようなものなのですから。もしミスター・ミラーが私の招待状を「くだらぬ、行く価値のないもの」とご判断されようとも、その場合には他の招待客数名とともに、この『本物のアンドロイド当てクイズ』を開催するだけのことなのです……。
ミスター・ミラー、貴方様と同じようにこの招待状を受け取った人々が他に十数名おります。その中には私の直接の知己なども混ざっておりますが、貴方様と同じく突然このような手紙を送りつけられた人もおり、ゆえに当方でも今のところ何人の方々に招待に応じてもらえるかは判然としておりません。ただ、私がミラー様に望んでいるのが実は、貴方様のお書きになるコラムの文章同様、『非常なる公平な精神』をお持ちの貴兄が、この件についてどのような御判断、あるいは審判を下されるか、その点に大いに興味を持っております。
つまり、私がオカドゥグ島に招待した人々は厳選された人物で構成されており、それぞれ私なりに招待した人には意味があります。そして、中には単に『本物のアンドロイドを当てることが出来た人には100万ドルをプレゼントする』という、少々下品な言い方をしたならば金目当ての出席者もおられるかも知れません。ここまででおわかりいただけましたでしょうか、ミスター・ミラー。当然、貴方様にもこの100万ドルを手にすることの出来る可能性があるということを……そのかわり、ただ一点だけ注意していただきたいことがあるのです。
賢明なるミスター・ミラーにおかれましては、すでにご推察のことかもしれませんが、ミスター・ミラー、貴方様がこの招待に応じてオカドゥグ島へやって来られた場合――「実はこのセオドア・ミラーという人物こそが本物のアンドロイドなのではあるまいか?」と、招待客全員から疑問の目で眺めまわされ、色々な質問をされることでしょう。また、お金に目のくらんだ招待客がいた場合、突然ナイフか何かでグサリと突かれ、本物の人間かどうかの確認を取られるような可能性というのもゼロとは言えないかもしれません。あるいは、命の危険といったことも……おそらくないとは思いますが、一応、可能性としてまったくのゼロではないということだけ、頭の片隅のほうにでも留め置いていただきたいのです。
それでは、親愛なるセオドア・ミラー様、我が招待にお応えいただけるものと心より期待してお待ち致しております。
まるで、燃える薪でも背負ったような春の宵、椰子の木揺れるオカドゥグ島にて。アダム・フォアマンより。
――手紙の二枚目のほうに、カリブ海の簡略な地図、オカドゥグ島のある場所、それに招待日などについて詳しく記してあった。また、連絡先である住所や電話番号、メールなどについても最後にきちんと記載してある。
「ふう~ん。『アンドロイド当てクイズ開催期間、2097年6月18日~9月13日まで』かあ。この期間ならいつでも参加可能で、何日オカドゥグ島へ滞在しても滞在費用はタダか……」
俺はジャーナリストのはしくれとして、(こんな面白い話に乗らない手はない)と、直感的にそう感じていた。というのも、俺が毎週コラムを掲載させてもらっている新聞社(無論今ではオンラインのみ)では、金曜日に載せる記事のために、その前の週が一応締切日とはなっている。とはいえ、俺がこの仕事をはじめて約八年、その前日にギリギリ滑り込みセーフといったことなど、何度となくあった。話せば長くなるが、最初に俺の書いたコラムが掲載になったのが二十四歳の時のことだった。その頃俺はニューヨークにある大学の工学科の博士課程の最後の一年を過ごしているところで、それまでにも何度となく新聞に投稿してはいたがすべて不採用だった。ところが、アンドロイド工学科にいたことで、少しばかり専門的な話を展開できたことで――ある時、とある記事が初めて採用になったのである。
その頃、ヒト型アンドロイドよりも注目されていたのが実はペット型ロボットだったのだ。あらゆる種類の犬や猫はもちろんのこと、ネズミやハムスター、オウムや九官鳥にインコなど……色々な動物の生態パターンを学習したAIを搭載したペット型ロボットが市場を制しつつあった。というのも、巷のどこにでもいる作業用ロボットというのは、姿かたちが人間に似ているように見えても、近くでよく見ればアンドロイドだとわかったり、あるいは話しているうちに必ずパターン化した解答が散見されるため、相手が本物の人間でないと見破ることは容易い。だが、天才科学者と称されるアルバート・アップルゲート率いるアップルゲート社が販売した犬型ロボットや猫型ロボットは、甘噛みした時の感触やよだれの垂らし具合までもを再現した――本当に本物の動物そっくりのペット型ロボットだったのだ。
しかも、毛の感触などもそっくり再現してあるとはいえ、それは洗剤によって手入れされるべきものであって、皮膚炎といったものとはまったく無縁なのである。餌を与える必要もなければ、当然糞尿の始末をする必要もなく、散歩へなぞ、その日のご主人さまの気分によって連れて行っても連れていかなくてもいいのだ。このペット型ロボットは発売当初高額であったが、それでも爆発的に売れた。というのも、餌代やペットシーツ代もかからないし、ワクチンの費用といった医療費も必要ない。となれば、トータルで考えた場合、この「死ぬことも老いることもない」健康元気なペット玩具は――本物の血統書付きの犬や猫などを極限られた期間飼うよりも、遥かに費用面において経済的であったのだ。
とはいえ、多くの方々が想像するとおり、このことに反発する人というのも数多くいた。「命の尊さについて子供に教える時弊害になる」とか、「餌も食べずうんこもせず、元気がなくなってきたら充電させればいい。そんなペットはただのおもちゃであって、本物の命を持つ犬や猫には到底かなわない」といったような意見である。まったくもってごもっともな意見だが、市場の動きはその正反対に動いていたと言えるだろう。俺も当時通っていた大学院の研究所にて、仲間たちとその本物そっくりとしか思えないセント・バーナードやゴールデン・リトリバー、チワワやペルシャ猫などを見て驚嘆したものだった。何分、動作のほうも滑らかで、触り心地や撫でられた時の反応など……すべてが完璧としか思えなかった。というより、まったく同じ犬種や猫が数体いた場合、本物の動物とアップルゲート社の製品とを見分けるのはほとんど不可能なほどだったのである。
『とうとうこんな時代がやって来たかあ~』
元気がなくなってきて、「キュウーン」などと気弱に鳴くゴールデン・リトリバーを充電器に繋ぎ、同じ科の友人ユージィン・タナカが感心したように腕を組んで言った。犬の肉球部分を専用の充電器に置くと(大抵の場合、この時「おスワリ!!」と一声かけると、犬は自分から上手におっちゃんこしてみせる)、動作がピタリと止まり、目のあたりが蛍光黄緑に輝く犬の頭を、彼はがしがし優しく撫でていた。
『瞳のあたりもさ、コンピューターで制御されてる感じでもなく、ほんと、自然なんだよな。ま、ディープラーニングによって犬や猫の生態を学ばせた結果ってことだったけど……人間を摸したヒト型アンドロイドの場合、唯一他の動物のようにはなかなかうまくいかねえんだよな』
ユージィンの言う通りだった。そして、犬や猫でここまでそっくりに出来るということは――当然、ヒト型アンドロイドの分野においてもさらなる進化が期待されようというものだったが、現実のほうはなかなか上手くいかず、SF小説やSF映画に登場するようなタイプのヒューマノイドといったものは誕生が遅れていたのである。
俺はひとりのロボット工学科の研究員として、それが何故なのかを説明したわかりやすい記事を書いた。そしてたまたま時節を得たことでその記事がヒットし、読んだ人々の反響も大きかったことで……大学院における研究員としての地位は低かったものの、以降、最初は掲載がひと月に一度だったのが、やがて二週に一度となり、最終的に週に一本、ロボット工学に関することでない記事についても多岐に渡ってルポルタージュするノンフィクション・ライターのような立場になっていったのだ。
今のところ、AIエレクトロニクスに関する本がシリーズ物で四冊、コツコツ書き続けたコラムをまとめたものが五冊、他に個人的なエッセイ集が二冊など、俺は住むにはやたら不経済で金のかかるニューヨークという街で、どうにかこうにか暮らしていけているといった状態だった。
俺自身の人生にそうした経緯があったことから、まだ直接会ってもいなければ、直接会っていないということは当然握手したこともないこのアダム・フォアマンなる男の手紙について、実はさしたる不審の念を抱かなかったようなところがある。何故かといえば、彼自身が手紙の中で指摘しているとおり、新聞社のコラムニストとして顔と名前がある程度知られるようになってから――葉書や手紙やメールなど、確かに時々おかしな内容のものが届くということがあったからだ。それは、自社の抱える問題について取材してもらいたいといった社会的なものもあれば、極めて個人的なお悩み相談的なものもあり、さらには自分の写真を同封した「わたしを個人秘書として絶対雇うべき!」といった明らかに会わないほうが賢明な女性のものに至るまで……面白いくらい俺の元には形を変えて色々なものが届いていたのである。
ただ、いくつか問題がないわけでもなかった。というのも、もしその『本物のアンドロイド当てクイズ』に参加し、取材して記事にすることがオーケーなのだとすれば、俺は初日からそのヘドヴィグ島……じゃないな。ええと、なんだっけ。オカドゥグ島とやらへ行っておきたかった。だが、このオカドゥグ島の記されたカリブ海の地図の描かれた隅のほうに――驚いたことには※印とともに次のように書き記してあったのだ。「※オカドゥグ島にはインターネット設備が整えられておりません。ゆえに、いかなるデバイスも使用不可能であり、言うまでもなくパソコンも一切使用できません。その点、くれぐれもご注意くださいますように」と……。
実をいうと、このミスター・フォアマンの手紙の中で、俺が一番不審に感じたとすればその点だったろうか。(今どきインターネット設備もなければ、いかなるデバイスも使えないだって?マジかよ)というのもそうだが、それよりも(その状態で本当にこのオカドゥグ島で人間そっくりのアンドロイド研究なんてことが可能なのか?)という疑念のほうがより大きい。もっとも、そのような隔絶した孤島でヒューマノイドの設計・研究をするメリットというのがないわけではない。またこの場合、研究用のインターネット設備のインフラは整っているが、よそから来た一般客にまで使用させるつもりはない、あるいはそちらのほうは電波が不安定であるなど、招待状に注意書きのあった理由は色々考えられるだろう。
(まあ確かに、オカドゥグ島にやって来られてから「インターネットもスマートフォンも使えないなんてマジ!?」なんてぶうぶう客から文句言われるよりは、あとから「ここらの島は電波不安定なんスよね~」と話したほうがいいのかもしれないが、それにしてもしかし、という話だ……)
ここで俺はふと気になって、フィールド・パーソナル・ネットワーク(FPN)を開くと、音声入力で「オカドゥグ島・アダム・フォアマン」と何もない場所に向かって呟いた。壁に現われたスクリーンに表示された検索結果はゼロ。次に「カリブ海・オカドゥグ島」と入力してみたが、『カリブ海にはオカドゥグ島という名前の島は存在しません』との、AIスピーカーからの返事。
(いや、ありえなくはない。オカドゥグ島という名で登録されていないというだけで、その島の所有者自体はアダム・フォアマンであるとか、彼の支援者やスポンサーの所有であるとか、可能性はいくらでもあるだろう……)
また、俺は「アダム・フォアマン・研究者」であるとか、「アダム・フォアマン・アンドロイド研究」であるとか、「アダム・フォアマン・大学」であるといったようにも音声入力してみたが、検索結果のほうは芳しくなかった。そもそも、「アダム・フォアマン」という名前自体極ありふれたものだし、ゆえに、検索結果のトップに来たのがサーフィンを小脇に抱えたイケメンの筋肉バカ男のSNSでも、その次がネット界で有名らしいVチューバーの動画でも……おそらく驚くにはあたらないだろう。
「第一この手紙自体、AIが自分で文面考えて書いたっていうようなニオイが若干しなくもねえっつーか……」
俺はあくまでもノンフィクションライターであって、架空の小説といったものは読むのが専門でそちらについては書く側ではなかった。とはいえ、小さな頃からSF小説の類については読むのが好きだったし、この場合のフィクション的展開についてちらと想像しなくもない。
「そーだよなー。たとえば、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』的展開でいえば……この招待状書いたアダム・フォアマンって奴がそもそもAIで、自分は人間だとか思い込んでるってのはどうだ?ところがこの『本物のアンドロイド当てクイズ』とやらが進む過程で、消去法でいった場合、招待客の中にはアンドロイドはいないということが判明する……ま、実はヒト型アンドロイドであるヒューマノイドはひとりもいませんでした――というのが答えでも、決してルール違反とは言えまい。だがその場合、ちょっと気になることが出てくるわな。つまり、この招待主自体に百万ドルなんつー金を支払う用意がそもそも最初からなく、実は他に目的があったというそうしたことになるだろうからな……」
俺は用心深く一応、そこまでのことをちらと脳裏の片隅に思い浮かべてみた。ちなみに、俺自身は百万ドルなぞという大金が当たるとは思っていない。にも関わらず何故そんなうさんくさい場所へ、しかももし本当に何かあった場合、容易に助けも呼べぬであろう孤島へ出かけていこうとするかと言えば……ありていに言えばそれは<好奇心>の一言に他ならない。あるいは、ノンフィクションライターとしての鋭い勘が働いたといったようにしか。
だが、この時俺は知らなかった。この時もしカリブ海のオカドゥグ島へ行くという決心をしていなかったとすれば――俺の人生はその後、百八十度まったく違う過程を辿っていたということ、さらには生まれて初めて殺人疑惑のある事件に巻き込まれるといった経験もすることなく、おそらく終わっていたろうといったことなどは……。
>>続く。