風と砂とナツメヤシの朝
ここは砂漠の街──リーハ。風が吹かぬ日はなく、砂のざらつきが衣の隙間にまで入り込む。でも、それが当たり前になってから久しい。
街の朝は、ナツメヤシの影から始まる。広場の真ん中に立つ大樹の根元に、商人の老爺が座り込み、焼いた平パンを並べる。その香ばしい匂いに、猫のような魔物──サンドミャが集まってくる。売り物じゃないパンの端を、老爺が一つ放ると、サンドミャはそれを抱えてどこかへ消える。
「お、今日もきたな。ちびっこ旅人」
パンを買いに行けば、そう呼ばれる。
いや、別に旅人でもちびっこでもないけれど、この街では背丈が低いだけでそう言われるらしい。
朝の儀式を終えると、魔道井戸へ水を汲みに行く。
水の精霊が住んでいると噂の井戸は、機嫌がいいと水が冷たく、悪いとぬるい。
今日の水は……冷たい。上機嫌だ。
午後になると、リーハの街は一度眠る。
炎天下、誰もが動きを止め、屋根の下か地下の影に隠れる。私も自分の部屋で、風窓を少しだけ開けて寝転がる。
「今日も来たぞ」
窓から、サンドミャの子どもが顔をのぞかせる。
こいつは昼寝泥棒。足音もなく忍び寄り、冷たい石の上に寝そべってこちらの体温を奪う。
けれどその温もりが、意外と心地よい。
夕暮れ。日が沈む前、街の屋上が広場になる。
商人たちが香辛料や果実を広げ、笛の音が鳴る。
子どもたちは屋根から屋根へ飛び移り、大人たちはそれを眺めながらナツメヤシ酒をあおる。
その中に、時折、旅の魔法使いや剣士が混じることがある。
「この街は静かすぎて、つい長居しちまうな」
誰かが言って、また誰かが笑う。
この街には、魔王も、英雄も、いない。
けれど砂の音と笑い声があって、暑さと風と、パンの香りがある。
それだけで、生きていく理由には十分だ。
明日も、風は吹くだろう。
きっとそれは、同じようで、ちょっと違う日常を連れてくる。