しめっぽい村とスイレンの朝
ここは湿地の村──ミルド。
川と池と水たまりに囲まれた土地で、地面はいつも柔らかく、靴がすぐぬかるみに沈む。
けれど村人たちは気にしない。というより、誰も靴を履かない。
みんな裸足で、どろりとした泥の上を平然と歩く。
「足の裏で土地の機嫌がわかるのさ」と、村の年寄りは言う。
朝の始まりは、スイレンの開花。
村の広場──という名の浅い池には、毎朝決まってスイレンが咲く。
そのタイミングで子どもたちは「スープ当番だー!」と叫びながら走る。
なぜかというと、スイレンが咲く日はカエルが鳴く。
カエルが鳴くと、湿地のキノコがよく育つ。
だからその日はキノコスープの日になるのだ。
昼になると、ぬかるみが陽を受けて湯気を立てる。
この“湯気の道”をたどっていけば、各家のキッチンにたどり着く。
ミルドでは、においと湯気が地図代わり。
人の家に行くときも、「あのぬかるみを右、ガマの根元を左」
そんな曖昧な案内で十分。
午後は“虫の時間”。
水辺に住む透明な羽の虫たちが舞い始める。
村の少年ニルは、虫たちが作る音をまねるのが得意。
今日も「ピィー、チリリ」と妙な声で虫に返事をしている。
すると、どこからか本物の虫が返事をしてくる。
それを聞いた村の長が、ぽつりとつぶやく。
「こいつ、前世は虫だったんだろうなあ」
夕方になると、湿地は霧に包まれる。
それはまるで村全体が水に沈んだかのような景色。
家々の灯りがぼんやりと揺れ、誰がどこにいるのかも分からない。
だからこそ、ミルドでは「声」が大事。
「おーい、今日は魚が釣れたぞー」
「こっちはドクダミがとれたよー」
見えなくても、声でつながる。
ミルドの暮らしは、ぬるくて、湿っていて、すこし不便。
けれど、足裏で感じる土地のやさしさと、ぬかるみの温もりがある。
それが、この村のしあわせ。