サンタクロースは聖夜に夢を見られるのか
今でもあの朝を忘れられない。
息子の、泣き叫ぶ声で目を覚ましたあの朝を。
僕がもっとあの子が何を欲しがっているのかを知っておけば、あの子があんなに泣くことはなかった。
あんな最悪の朝は来なかったと。今でも思う。
あの日から、クリスマスの夜は眠れていない。
僕の名前は、日渡翔。
最愛の妻と、愛しい7歳の息子を持つごく普通のサラリーマンだ。
今、世間はクリスマスシーズン。
街に出れば、飾り付けられたツリーや、イルミネーション。至る所からあの名曲が聞こえてくる。楽しい雰囲気で溢れている。
僕たちの家でも、息子が小学校で作ってきたオリジナルリースを部屋に飾ったり、小さいおもちゃのクリスマスツリーを飾ったりしてクリスマスの楽しい雰囲気に包まれていた。
しかしそんな中で僕一人だけは、精神をすり減らしている。
クリスマスが近いと言うことは、僕のサンタクロースとしての仕事の日が近いと言うことだ。
気が付けば三年前の話になろうとしている。
当時の息子はまだ4歳だった。
幼いなりに欲しいものは色々と口にしていたのだが、僕は結局何が欲しいのかわからないまま前日を迎え、当時好きだったアニメ《クマクマッチョ》のぬいぐるみを買ってプレゼントした。
当時好きなアニメだったし、イベントにも行った直後だったから、これで良いだろう。そう思って当時寝床についた覚えがある。
ただ、翌朝僕は息子の大泣きする声で目を覚ました。
「違う! これじゃない! サンタさん違う人の置いてった!」と大泣きする息子を見て僕は、とんでもないことをしたと気がついた。
未だに当時何が欲しかったのかはわからない。
あれからクリスマスの夜は眠れない。
眠ろうとしても、あのクリスマスの朝がフラッシュバックして寝つけない。
あれ以降、クリスマスプレゼントを間違えたなんてことはないけれど、だからこそより考えてしまうのだ。
眠ってしまえば最後、あの最悪の朝を迎えてしまうのではないか、と。
そんな過去があって、今も神経をすり減らしている。今年はまだ息子が何が欲しいかが全然絞れていない。
当日まではあと4日。売り切れ必至の商品なら予約しても間に合わないかもしれないレベルだ。
まあ、仮に今は余裕のある商品だとしても、今年のクリスマスは平日、水曜から木曜にはかけて催される。
仕事帰りにプレゼントを買って帰ることを含めても、売り切れ商品じゃなくても予約は必須だ。
「真司〜今年はサンタさんに何をもらうんだ?」
ぶっちゃけ、大人からすればあまりにもストレートな聞き出し方だと笑うだろう。
しかし、サンタクロースは難しいと理解して欲しい。どんな試験で満点を取ることよりも、どんな場所から生還することよりも時には難しいこととなり得る。
「今日はタンザーマンのDVDでお願いしますって言ったよ!」
うん、やはり難しい。
今の言葉で、タンザーマンのDVDを買ってくる親は毎年子供に泣かれているだろう。
大切なのは、今日はと頭についている点だ。
当然その場合、息子が一番欲しいものではない。
ここ最近はこの調子で、毎日一日も被らず違うものをお願いしている。
「そんなにたくさん頼んでも、サンタさんは一番欲しいものしかくれないぞ〜」
そんな事実を言いながら、心の中で
まあ、一番欲しいものがわからなくて困ってるから毎日聞くんだけどね。と、自分にツッコんだ。
「そうだよ真司、サンタさんにそろそろお手紙書かないと」会話を聞いていた妻が話に入ってくる。
「え? 手紙?」サンタさんに手紙を渡すなんて聞いてもなかったから、素直に疑問が浮かぶ。
「そう手紙。真司前にクリスマスプレゼント違う人の渡されたじゃない? だから、サンタさん僕が欲しいのはこれです、お願いします〜ってお手紙書くんだよね〜」と、妻が僕の方にウィンクをしながら言うと、真司も語尾に合わせて「ね〜」と妻と顔を合わせた。
僕はなんでいい方と結婚ができたのだろうか、自分がどれだけ幸せ者なのだろうかと幸せを噛み締めながら、欲しいものがわかる喜びを隠してその場をやり過ごす。
良かった。今年は夢も見れるかもしれない。そう、心のどこかで思った。
あっという間に日は経ち、クリスマスイブ当日を迎えた。
息子の一番欲しいもの。ロボット戦隊カタグラーの変身ベルトもキチンと会社の近くの家電量販店で予約をした。
今年のサンタクロースに付け入る隙はない。
そんなことも考えながら、明日の息子の喜ぶ顔も思い浮かべ、幸せな気持ちで仕事をしている中、突如として部下に名前を呼ばれる。
「日渡さん大変です!」
「佐藤さん? どうしました?」
明らかに焦った顔をしている佐藤さんに対し、驚きと嫌な予感を感じる。
普段は大人しくて冷静な子が、今、青ざめた表情で焦って僕の元に来たのだ。
「すみません! 明日納期のプログラムファイルなんですが…… 誤って消してしまいました!」
「そんな……」声は漏れてしまったが、表情は絶望してしまったかもしれないが、ただ、姿勢だけは保てた。
本当は今すぐ地面に転がりたいくらいだけれど、今そこまでやってしまうと、佐藤さんにさらに心のダメージを与えてしまう。
定時の五時半まではあと三十分。
「よし、僕も手伝うから、急いでやろう。バグは残ってしまったら仕方ないで謝ろう。」
そして、一時間半以内に終わらせておもちゃ屋さんに走り込もう。そう決意を決め込んだ。
キーボードを叩く音だけが鳴り響くオフィス。定時は既に過ぎ去り、オフィスにいるのは僕と佐藤さんだけになってしまった。
現在時刻は十八時半、予約をした店の営業時間は一九時まで、走れば十分で着く場所にあることを考えて、一縷の望みにかけ急いで打ち込む。
火事場の馬鹿力と言うのだろうか、普段の自分ではありえない速度で次々と処理が完成していった。
「お、終わったぁ〜 日渡さん、残り手伝います!」先に担当分が終わった佐藤さんが、こちらに気を遣ってそう言った。
しかし、「大丈夫だよ、ここは分担するとややこしくなる場所だし、せっかくのクリスマス、早く帰って大切な人との時間に使いな。 僕の方ももう五分もあれば終わるから。」と断る。
実際に嘘は言っていない。あと五分あれば終わる。今は四十五分。
最後の十分に賭けることができる。
それを聞いた佐藤さんは、多々も申し訳なさそうな表情を見せながらも、「ほ、本当にすみませんでした! お先に失礼します! メリークリスマス!」と聞いたこともない大きな声で挨拶をして先に帰った。
「よし、僕もさっさと終わらせてヘリオンに行かないと……」
「よっし、終わったー!」ようやく全てのコードを打ち終え、伸びをすると同時に時計に目をやる。
十八時四十九分。想像よりほんの少しだけ早く終わり、急いで帰り支度をし会社を飛び出る。
幸い家電量販店までの道に信号はない。
最短で最速で行けば、閉まる前に着けるはず。
僕は必死に走った。途中から降り出した雪に目もくれず。
僕は必死に走った。今ならまだ間に合うと、自分を信じながら。
僕は必死に走った。息子の喜ぶ顔が見たいから。
--それでも、現実は非情だった。
もう店も視界に入ったと言うところで、僕はマンホールで滑ってかけてしまった。
それでもと顔を上げた時には、すでに店の電気はポツポツと消えていっていた。
「そんな……」今度は地面に突っ伏した。
僕は、なんてついてないのだろうか。そんな感情が、僕の中に渦を生み出した。
何がいけなかったのか、佐藤さんを見捨てれば良かった? そんなことできるわけがない。彼女も大切な部下だ。
妻に予約の受け取りを頼めば良かった? 馬鹿げている、ここまで一時間半かかる。
自分がサンタクロースでなければ良かった? そうだ、そうなのかもしれない。僕なんかが、サンタクロースと驕って、一体なんなのだろうか。
息子一人の笑顔も守れない父親の、どこがサンタクロースだと言うのだろうか。
渦巻く感情と、疑問と結論。それらが僕の思考を支配し、気がつけば突っ伏したまま涙が流れてきていた。
一体。
一体明日の朝、どんな顔をして真司と顔を合わせればいいのか。
一体明日の朝、僕はまだ父親と名乗っていてもいいのだろうか。
合わせる顔はない。名乗っていいはずもない。
僕は、父親失格だ。
絶望に打ちひしがれる中、ケータイに一通の通知が入る。
それは、近くのおもちゃ屋さんの閉業の通知。
それを見て、再び僕の中に希望が湧く。
そうだ、まだ空いているお店はある。そこで買うことができれば……
そう思った頃には、体は走り出していた。
通知の来たおもちゃ屋さんは、予約がないからと諦めたが商品は置いていた。
まだ残っていれば……
僕は、時に希望こそが最大の絶望へのステップとなることを知っている。
あれからネットに乗っていて、まだ営業中だった回れる範囲のお店は全て回った。
しかし、どのお店でも、すでに売り切れてしまっていたのだ。
再び自分の中の感情が渦巻く。
プレゼントがないくらいなら、いつかの朝のように、間違えてでもあったほうがいいのか。そんなことまで頭をよぎりだしたその時、無意識に歩いているうちに、知らない場所にいた僕は、古びたおもちゃ屋さんを見つけた。
まだ明かりはついている……と言うよりも、現在進行形で店主らしきおじいさんがお店のシャッターを閉めようとしていた。
それを見た僕は、自分の意思が体を動かすより先に「おじいさん! 待ってください!」と叫んでいた。
それにギョッとしたおじいさんは、こちらの方に振り返りこちらをじっと見ている。
ようやく追いついた意思と体はおじいさんの方へと翔ける。今度は転けてしまうこともなくおじいさんのもとに辿り着く。
「迷惑なのはわかっています! すみません! カタグラーの変身ベルトありませんか!!」
僕の言葉を聞いたおじいさんは、剣幕に押されながらも「すまんな〜おもちゃ屋として恥ずかしいが、誰がなんの商品かパッとわからんのじゃ」と、申し訳なさそうに返した。
「そうですか……すみませんご迷惑をおかけしました。失礼します」これ以上おじいさんに迷惑をかけるわけにもいかない。僕は諦めてお店とおじいさんに背を向ける。
頬を汗と溶けた雪が伝い落ちていく。
それでも雪はまだやまない。
大きな重たい一歩を踏み出した時、おじいさんが僕を引き留める。
「ちょっと待ちや、お兄ちゃんクリスマスプレゼントなくて困っとるんじゃろ? 欲しいもの的に子供の物買いにきたんじゃろ? 入り、おっちゃんからのプレゼント、特別営業じゃ」
おじいさんの言葉を聞いて、涙が溢れる。
「おいおい、まだあるか分からんのに泣くなや〜ほら、寒いからはよ入り」
おじいさんはそう言いながら、涙で視界が歪む僕の背中をそっと押して迎え入れてくれた。
お店の中は、全体的に古びており、箱が錆びたプラモデルの箱や、僕が子供の時にやっていたアニメのボロボロのポスターなんかまで貼ってあった。
「変身ベルト言うのは、最近出たやつかい? それなら、あそこのゲームの近くにあると思うけどな〜」
おじいさんの言葉を聞き、僕が子供の時でもなかったような格闘ゲームの筐体の横の棚を見る。
「あった……あった! おじいさんこれ! 変身ベルトこれです!」
色々なおもちゃが積まれた棚の奥、そこに確かに僕が探していたプレゼントはあった。
「お〜良かったな、ほらこっち持ってきなさい会計せんとな」
「しかし、最初に叫び呼ばれた時は何かと思ったわ」
「す、すみません……」
「いいんじゃよ、最初は何も思わなかったがな、なんかお兄ちゃん背中見てると、どうにも放っておけんかったんじゃよ」
「はは、本当はお店で予約してたんですけれど、残業で受け取りに行けなくて、僕なんてサンタクロース失格ですよ」
「そんなことはないぞ! お兄ちゃんは、自分の子供のためにこんな雪の中地図にも載ってないようなこのお店を見つけ出したんじゃからな。卑屈にならずとも良い、お兄ちゃんは立派なサンタクロースじゃ」
おじいさんの言葉がグッと心を温めてくれたからか、帰り道は全く寒くなかった。
家に着くと心配そうな顔をした妻が玄関に立っていた。
色々と連絡をもらっていたけれど必死になって返せていなかった。連絡もないまま日付を跨いで家に着いた僕。
ビンタぐらいならされる覚悟を持っていたけれど、妻は優しい笑顔で「お帰りなさい」と抱きしめてくれた。
その後、真司がいつもサンタクロースからプレゼントをもらう大きい赤い靴下に、物を入れ、どうせ今夜も眠れないだろうと、ソファーに寝転がって映画をつけたところまでは覚えている。
とても懐かしい光景を見た。
それは僕が九歳の時、布団に眠る僕の足を踏んづけて僕を起こしたサンタクロースの姿を見た。
陽気な表情で真っ白なお髭に、赤い服なんかじゃない。
やつれた表情で、無精髭が生えたスーツ姿のサンタクロース。
当時の僕は、あれで夢が壊れたな〜
それでも、お父さんを嫌いになんてならなかったけれど。
当時はとてもショックだったな〜
そんなことを回想する僕の夢に、大好きな笑い声が聞こえてくる。
最愛の息子の笑い声が聞こえてくる。
いつかの記憶が混ざった複雑な気持ちで、重い重い瞼を開ける。
眩しい光の中に見えたものは、その光に負けないほど輝く息子の笑顔だった。
「あ! パパ見て見て! カタグラーのベルトだよ! サンタさんちゃんとお手紙読んでくれた!」と、部屋のあちこちをベルトをつけて走り回る。
そんな息子の姿を見て、僕はホッとしたのか、それとも単純に夢から覚めたのか、ある事実に気がつく。
「やばい、遅刻だ」
-END
サンタクロースは聖夜に夢を見られるのか、それはサンタクロースにしか分からない。
けれど、たくさんの人間が気にすることはない、なぜならサンタクロースはクリスマスの日だけが仕事だから。
それでも、心優しき子供は考えるだろう。
サンタクロースは聖夜に夢を見られるのか、と。