番外編 メルヴィンの恋
次のお話で完結となります。
ここまでお読みくださった皆様、ありがとうございましたっ!!
残り一話、よろしくお願いしますっ!!
感想や誤字などありましたらぜひお教えいただけると嬉しいです〜!!
その子を見た時、まるでガラス細工みたいだと思った。どこまでも透き通って光も影も写し込む、ガラスのようだって。美しいという意味でももちろんだけど、それ以上に今にも粉々に割れて壊れそうで心配になった。
ま、人の第一印象なんて大してあてにはならない。ディクリーヌという娘は想像以上に気が強く、かわいげのない女性だった。
カリカリカリカリ……。カリカリカリカリカリカリカリカリ……。
静かな職場にペンを走らせる音だけが響く。うっかりお腹の音でも鳴ろうもんなら、とんでもなく冷ややかな目が飛んできそうだと思った。
「あの……、もうお帰りになってはいかがですか?」
そう言った彼女の顔には、さっさと帰れとありありと書いてあった。声にもかすかな苛立ちがにじんでいて、そのわかりやすい反応についニヤリとする。
「明日の分の準備がありますので。……あなたこそ連日遅くまで働きすぎでは? 若さを過信すると後々痛い目にあいますよ」
これは彼女より少しだけ長く人生を生きた者からの正しい助言だ。若いうちは多少の無理もきくが、実際問題たった数年経過しただけで体力も気力もガタンと落ちるのだから。せっかくの若い貴重な時間をたまには遊びにあてたって罰は当たらない。
けれど彼女の反応は――。
「早く仕事を覚えたいんです。じゃないと皆さんに迷惑がかかりますから。ですからメルヴィンさんはどうぞ先に上がってください」
そしてまたペンを走らせるのだった。
まったくこのディクリーヌという人は、それだけ自分に厳しくすれば気が済むのだろう。もっと自分をかわいがってあげるとか甘やかすとか、たまにはしてもいいじゃないか。確かに父親は罪を犯したかもしれないが、子には何の非もない。勝手にあの男が自爆して笑いものになっただけで。
なぜだかディクリーヌを見ていると、感情が波立つ。それは色々な意味で。いつも自分を壊しそうなくらい追い込んで声も上げないその姿に苛立ちもするし、その口の中に強引に甘い菓子でも突っ込んで休憩させたくもなる。
そんな自分の中に湧き上がるわけのわからない感情が、恋というものだと気がついたのはつい最近のことだ。
ある日クタクタの体と頭で職場を出て、寮へと向かって歩いていた時だった。先に上がっていたはずのディクリーヌが、なぜか廊下の真ん中で見知らぬ男と何やらもめていた。
(なんであんな男とつるんでるんだ……? いや、あれは絡まれてるのか……? もうこんな遅い時間なのに……。だからさっさと帰れといったじゃないか)
どうみても親しげに会話してるって感じじゃない。どちらかと言えばしつこく言い寄られてるって感じだ。
(助けに入るべき……なんだろうか。でもあいつのことだからきっと俺が口出ししたらまたにらみつけてきそうだし……。余計なことするな、とか言ってさ……)
そんなことを考えて躊躇してる間に、ディクリーヌは男が馴れ馴れしく肩に触れようとしたその手をパシンッ、とはたき落とし急ぎ足で立ち去ってしまった。その時の横顔と言ったら――。
男は勢いを削がれたように、「チッ!」と舌打ちすると消えていった。
どうやらディクリーヌはあの男に微塵も興味がないらしい。軽くあしらってさっさと立ち去るその横顔はなんとも勇ましくて、何の手助けもいらないんじゃないかと思わせた。けど。
その後も似たような場面に何度も遭遇し、その度にディクリーヌは毅然とした態度であしらっていた。けれどきっぱり「近づくな!」とか「人を呼ぶわよ」といった拒絶の言葉はなくて、いつも黙って態度だけで同じ男から逃げ回っているようだった。
そのことに、気がつけばイライラしていた。なんできっぱり言葉でもいってやらないんだって。お前なんかお呼びじゃないし気持ち悪いから二度と近づくなって。
それからだ。どうせ気になって気になって仕方ないなら、ディクリーヌが仕事を終えるまで自分も一緒に残ればいい、と考えるようになったのは。
実際一緒に職場を出るようになってからは、男はつきまとわなくなった。自分の行動がどうやら功を奏したらしいと分かって安堵もしたし、ディクリーヌは迷惑そうな困った顔をしていたけどまぁそれは元からだ。
が、事件はそれから間もなく起きた。
その日はダコタ女史に命じられて急遽他部署への応援に行っていた。それがすっかり長引いて、自分の職場へと戻れたのはもう大分遅くなってからだった。さすがにディクリーヌももう残業なんか終えて寮に戻っているだろうと思いつつも、念のため向かってみれば――。
「……って!! やめっ……!! きゃあっ……!!」
ガタン、バタンッ、というただならぬ物音と断片的に聞こえる悲鳴のような声に、慌てて職場のドアを開けて飛び込んで見れば、そこには例の男に羽交い締めにされたディクリーヌがいた。
体が勝手に動いていた。気がつけば男と取っ組み合いの格闘劇を繰り広げていて、ディクリーヌは蒼白な驚いた顔でそれを見つめていた。
でも確かに聞こえた気がしたんだ。「メルヴィン、助けて!!」と叫ぶディクリーヌの声が。
男を警備に突き出した後、ショックのためか気を失ったディクリーヌを抱きかかえて女子寮に運び込んだ。ディクリーヌを気にかけてくれていたらしい女が手を貸してくれたのは幸いだった。なんかにやにや何かいいたげな顔でじろじろ見られたのはともかくとして。
まぁでもこれであの男につきまとわれることもないし、残業の時ももう少し警戒するなり自分の身を大事にするなりするだろうとほっとしていた。危ないところだったけど、無事にディクリーヌを守れたことに心底安堵した。
でもまさか翌日ダコタ女史に半強制的にふたりで骨休めに行ってこい、なんて言われるなんて思ってもいなかった。戸惑いながらもぎこちない距離感を保ちつつふたりで出かけた町で、まさかあんなことを口走ってしまうなんて自分でも想定外だったけど――。
あれからしばらくたって――。
「メルヴィン!! お待たせ!!」
かけ寄ってくるその顔に浮かんだ少しの恥ずかしそうな困ったような表情が愛しい。
「じゃあ、行くか」
「ええ! 今日はお天気もいいからきっと夕焼けもきれいね!」
今日はディクリーヌたっての希望で、久しぶりに時計塔に上る予定だ。しばらく雨続きで景色を楽しめなくてがっかりしていたらしい。
「あぁ。楽しみだな」
そう声をかけたら、ディクリーヌはふわり、とあどけない無防備な顔で笑った。
――さぁ、いつ切り出そうか。どうやら俺は君に本気で夢中らしい。だから他の男にかっさらわれないように、今すぐは無理でも結婚を前提とした約束をしないか、って。
仕事好きなディクリーヌのことだ。結婚なんてあと数年はしたくないなんて言うかもしれない。でもそれならそれでかまわない。せめて約束だけでもしておきたいだけだし。
そわそわドキドキ落ち着かない俺の横で、ディクリーヌがきょとんと不思議そうな顔で、また花が綻ぶように笑った。




