番外編 ルナの幸せな夢
遠くで子どもたちの歓声が聞こえる。はしゃぎまわる楽しそうな声に、なんだか懐かしくなる。そうだ。こんなこと昔にもあった気がする。このお屋敷のご主人夫婦が見つめる中、その子どもたちが庭をにぎやかに走り回ってその後を私とペトラがついて回って……。
でもなんだかものすごく遠い昔な気もする。だってあれから随分時は過ぎたもの……。
――クゥーン……。クゥ……、クゥ……。バフッ……。
隣から聞こえる間抜けな寝息に、思わずニヤリとする。
――きっとお兄ちゃんてば、おやつを食べてる夢でも見てるんだわ。まったく食いしん坊なのは年をとってもお変わらないんだから……。
私とお兄ちゃんのペトラがこのお屋敷にもらわれてきて、もうどのくらいたったのだろう。ご主人夫婦もすっかり年をとって、最近は時々遊びにくる孫と遊ぶと腰が痛いなんて騒いでいたっけ。
でもご主人たちは昔と変わらずいつもふたり暇さえあればくっついて、川の辺りをのんびり散歩したり、時には原っぱで僕たちを連れてピクニックをしたりする。そういうところは相変わらずだ。
私たちがこの屋敷にきてからいくつもの新しい命が生まれてにぎやかになったお屋敷だけど、最近の私たちはなんだか日がな一日寝てばかりいる。お兄ちゃんのペトラも、私も。
でもこうして遊びに来たご主人たちの孫とかいうちびっ子たちの声を聞きながらうとうとするのは、とっても気持ちがいい。昔を思い出して胸がきゅうっとなったりするし、それに不思議と色々な夢を見るから――。
そう、なんだかとっても不思議な夢を――。
『ルナ、お母さんの分はちゃんと別に取ってあるから全部食べちゃっていいのよ? ……ふふっ! 子どもがそんなこと気にしないの! さぁ、口を開けて? あーん……』
優しい優しい、ふわふわの綿毛を集めたみたいなその声になんだかじんとする。
誰の声なのかは分からないけれど、時々夢の中に出てくるの。いつもとびっきりやわらかい声で『ルナ』って呼びかけてくれるその声は、今のご主人の声とは違う。
――あぁ、でもなんだかとっても嬉しいの……。ずっと会いたかった気がして……。懐かしくて、ちょっぴり胸が痛くて……。
『さぁ、ルナ! 今日はお前の好きなパンが配給されたぞ? お父さんの分も食べていいぞ。お前はしっかり栄養を取らないと。じゃないと病気が治らないからな』
優しい声はもうひとつ。さっきの声よりもっと低くって少ししゃがれているけど、すごくあったかくて安心する声。ふたりともとっても優しく私の名前を呼んでは、たくさん食べなさいとか今日はすごくいい天気だぞ、とか言ってくれる。
――うん。お天気なのはちゃんと知ってるよ! だってほら、窓からも見えるから。青い空にきれいな白い雲がたなびいていてきれいでしょう? この小さな窓からだってちゃあんと見えるんだから!
そんなことを思った瞬間、はて? と首を傾げたくなった。
小さい窓なんてこのお屋敷にあったかな、って。だってこのお屋敷はとても立派で大きいし、どの部屋の窓ももっとたくさん景色が遠くまで見渡せるはずだもの。
でも、夢の中のその窓から見える景色を、確かに見た覚えがある気がした。
『ごめんね……。もう薬がないの。本当に……ごめんね……。ルナ……』
『すまん……。ほうぼう手を尽くしたんだが……、もう何もこの町には届かないんだ……。野菜もパンも、お前の薬も……。許してくれ……。ルナ……』
悲しい、悲しい、振り絞るようなその声に、涙が出そうになる。
――泣かないで。私は平気だから……。薬なんていらない。その分皆の食べ物を買って? だから泣かないで……。
胸が痛くてぎゅうぎゅうと締め付けられて、苦しくなる。悲しそうな姿は見たくないの。皆には笑っていて欲しいの。悲しいのは外の世界から聞こえる音だけで十分。せめてこの部屋の中だけは、悲しいのは見たくないの……。
『お母さん……。お父さん……。私はとっても幸せよ! だって私、今この瞬間ちゃんと生きているんだもの!! だから笑って……? ね! お母さん、お父さん!!』
そう。たとえ思い切り外をかけ回れなくても、風を切って走れなくても。この小さく切り取られた窓の外の景色しか見られなくても。それでも私は生きていることが嬉しい。こうしてあたたかい愛をいっぱい注いでもらえて、優しい声で名前を呼んでもらえることが。だから。
『きっといつか私が生まれ変わったら。今度はお父さんとお母さんがびっくりするくらい早く外をかけてみせるから、いつかのその時を楽しみにしていてね!! どこまでもびゅんびゅん風を切って走ってみせるからね!! 約束よ!!』
――あぁ。この約束を、私はちゃんと覚えてる。ずっと昔の私が約束したの。いつかきっと生まれ変わるから、それまで待っていてねって。その時は笑顔で会おうねって。
ふと、風がふわりと動くのを感じた。そして体にふんわりと何かがかけられた感触。
――……? あぁ、これは私のお気に入りのブランケットね。洗いたてのいい匂い……。
「……ルナ? ふふっ……。よく寝てる。何かいい夢でも見ているのかしら?」
「ペトラもぐっすりだ。いびきまでかいてる」
くすくすと笑い合うご主人たちの声。その声をぼんやりと聞きながら、夢と現実をいったりきたりする。
――なんて気持ちがいいんだろう……。どっちの世界もふんわりとあったかくて優しくて、とろけそう……。だから寝ても寝てもなんだか眠くて……。
そっと頭をなでる優しい手のひらを感じながら、薄っすらと開いた目をまた閉じる。
次に見た夢は、広い広い草原をお兄ちゃんと一緒に思い切りかけ回る夢だった。
空はどこまでも青くて澄み渡っていて、鳥が忙しなく鳴いていて。時々後ろを振り向けば、私とお兄ちゃんが走り回るのを楽しげに笑いながらご主人たちが見つめている。
そしてなぜかその傍らには、夢で見たあの優しい人たちも見える気がする。
その優しい声と眼差しにほっとして、私たちはまたどんどん遠くまでかけていくのだ。
どこまでも行ける。どこまでだって走っていける。
体が痛くなったりもしないし、息が苦しくなったりもしない。なんて気持ちがいいんだろう。なんて楽しいんだろう。
私はお兄ちゃんとどこまでも走った。むせそうなくらい濃い草の匂いと、時々聞こえるご主人たちの声を感じながら。どこまでも、どこまでも――。




