表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/44

 

 それから少しして、私は除隊になった。

 もう私の後ろ脚は使い物にならない。二度と走ることはおろか、まともに歩くことすらできない。片脚を引きずるようにしてゆっくりと歩くことしか。こんな体になってしまっては、隊員を守るどころか足手まといにしかならない。除隊になったのは当然だった。

 そして別れの日。


「ペトラ、元気でな……。俺が昔世話になった老夫婦が、これから先のお前のご主人だ。安心しろ。きっと大事にしてくれる。だからもう戦いのことなど考えず、ゆっくり生きるといい。……近いうちにまた会いに行くよ。そうしたら今度はのんびり散歩にでも行こう」


 カインはそう言って私の頭を優しくなでてくれた。寂しそうな、けれどどこか安堵した顔で。


 守れなくてごめんなさい。恩返しがしたかったのに。私を――ルナをあんなに幸せにしてくれた感謝の気持ちを守ることでお返ししたかったのに、守りきれなくてごめんなさい。

 そばにいたかった。たとえ人じゃなくて犬でもいいから、そばにいてその優しくてあたたかな声を聞いていたかった。

 必死にそんな気持ちを込めてカインの手の甲をなめて頭をすりつけて鳴く私を、カインはずっと優しくなで続けてくれた。別れのその時まで、ずっと。



 私は余生を、昔カインが世話になったという心優しき穏やかな性質の老夫婦ともに過ごすことになった。老夫婦はすでにひとり娘が遠方に嫁に行き、ひっそりと静かになった小さな家で暮らしていた。カインの提案で、そこに引き取られることになったのだ。


 ふたりはとても穏やかな性質の良い人たちだった。私のために庭に小さなかわいらしい犬小屋を用意してくれ、家の中と庭とを自由に行き来できるように脚に負担のかからないふかふかの足場まで作ってくれた。


『さぁペトラ。今日からここがお前の寝床だよ。けれどもし寂しくなったり寒かったりしたら、いつでも家の中に入っていいからね』

『ペトラ? たんとお食べ。これからおいしくて栄養のあるものをいっぱい食べようね。あなたがきてくれて本当に嬉しいわ』


 ふたりはそう言って、私を愛情いっぱいに包み込んでくれた。それはなんだか懐かしい記憶で、ルナだった私が両親に愛されていた頃を思い出させた。


 ふたりは今はもう亡きカイルの両親と知り合いだったらしく、幼い頃からカインに良くしてくれていたらしい。だからこそカインは、信頼できる心優しいこの老夫婦に私を預けたのだった。

 時折カイルも老夫婦に会いに、顔を見せに来るらしい。ならばその時を心待ちにしていよう。そう思いながら、老夫婦とともにのんびりと余生を過ごしていた私だったのだけれど。

 そんな幸せで穏やかな日々は長くは続かなかった。


「……あぁっ!! た……助けてくれっ!! 誰かぁっ!!」


 ある日、老夫婦と散歩中に川べりを歩いていた時だった。先日の大雨でぬかるんでいたのだろう。泥に足を取られ、老夫婦が続けざまに川に落ちてしまったのだ。

 必死に速い川の流れにもがきながら助けを求めるふたりの姿。けれどこんな辺鄙な場所近くに人家などなく、通りがかる人の姿もない。助けを求めに走ろうと思っても、こんな脚では到底間に合わないだろう。

 だから私は急流へと近づき、老夫婦の着ていた服を口にくわえ必死に川からすくい上げようとした。


 カインの大切な人たちなのだ。そして私をこんなにも深い愛情であたたかく包み込んでくれた大切な家族。そんな人たちをみすみす死なせるわけにはいかない。その一心で、必死に鋭い歯を使ってふたりの体を引き上げる。

 そうして何度も何度も失敗しながら、やっとのことでふたりを流れの中から助け出し地面へと引きずり上げることができたのだった。


「っ、はぁっ……! はぁっ……、ふぅっ……!!」


 草の上で荒い息を吐き出しながらも、どうやらちゃんと呼吸はできているようだ。見たところ、ケガらしいケガもない。


「はぁ……はぁ……。ペトラ……ありがとう。もう大丈夫だ……。はぁ……」

「……ごほごほっ!! はぁ……はぁ……。ペトラ、お前のおかげで助かったわ。ありがとう……」

「さぁ……。急いで体を乾かさなければお前も病気になってしまう。おいで、ペトラ……」


 主人の手がこちらに伸びる。ふたりの声を聞きながら、なんとかふたりを助けられたことにほっとする。


(良かった……。本当に良かった。カインの大切な人を助けられた……。私を愛してくれた人たちをちゃんと助けられた……)


 けれど安堵した瞬間、限界を迎えた私の体がぐらりと傾いだ。


「あぁっ!? ペトラ!! ペトラが……!!」


 気がついたら、水の中にいた。もう川の強い流れに逆らう力は残っていなかった。


(あぁ……。苦しいな……。なんだか頭がぼんやりしてきた……)


 その後のことはよく覚えていない。けれど遠くなる意識に、私は願った。


(神様。剣より防具、防具より犬の方がずっと幸せだったけど、でもやっぱり私は人がいいです……。私、カイン様に会いたい……。会って今度はちゃんと思いを伝えたい……。今分かったの。私が生まれ変わりたかった本当の理由は、本当は……)


 薄れゆく意識の中、私は自分が転生を願った理由を知った。

 私は自分に希望の光を見せてくれたカインにただ会いたかったわけじゃない。私が本当に望んだのは――。


 ――私は、あなたに好きだって言いたかったの……。子どもの私が生まれて初めて恋をした、あなたに。あなたが好きですって……、あなたに会えて恋することができてとても幸せだったのって伝えたい――。


 こうして私の隊犬ペトラとしての短い生涯は終わった。


 

 ◇◇◇◇


 そよそよと爽やかな風が吹き抜ける庭の片隅にある小さなお墓。色とりどりの花できれいに飾られたそこに、ひとりの青年が佇んでいた。

 その青年の手が、そっとその墓の上に置かれた。その手つきは愛おしむように優しく、穏やかで。


「……ごめんな。結局幸せにしてやれなくて。今度はこんな戦いなんてない平和な時代に生まれてくるといい。きっと俺がそんな世の中にしてみせるから……。その時は、今度こそ一緒に散歩に行こうな」 


 ふわり、と柔らかな風が吹いて墓のそばに植えられた小さな花たちを揺らした。 

 青年は静かに立ち上がると一瞬名残惜しそうに墓を振り返り、そして立ち去っていったのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ