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「お前たちのせいで俺の父ちゃんは死んだんだっ! 生まれたばかりの妹だって……。お前たちさえ……お前たちさえこの国に手を出さなければ……! そうすれば俺の家族は死なずに済んだんだっ」
自国から運んできた雪芋とその栽培方法を民たちに託すべく訪れた国境沿いの町で、ベーゼルとカインはひとりの少年に剣先を突きつけられていた。
目の前に立ちはだかる少年の目の奥に光るのは、絶望だった。家族を奪われ平穏を壊された者特有の、生きる力を失った目。奮い立たせているのはただ憎しみだけだ。そんな目をした人間たちを、カインはこれまで嫌になるほど見続けてきた。そしてその思いは復讐を遂げようと何をしようと、そう簡単に癒えるものではないこともよく知っていた。
「そうか……。君はこの戦いで、家族を……」
すでにこの辺り一帯の食糧難をベーゼルたち一行が救うべくやってきたことを聞かされていた町人たちは、ベーゼルたちに刃を向けるつもりなどなかった。むしろ飢えから救ってくれる人間として心待ちにしていたのだから。
けれどこの少年だけは違った。この戦争で家族を失い、自分の平穏を台無しにされたどうにもぶつけようのない怒りは、痛いほどにわかった。だからこそベーゼルも即座に少年を取り押さえようとはせず、カインも事態を警戒しながら見守っていたのだった。
「ベーゼル様、どうか後ろに下がっていてください! 私には、あなたを停戦調停の場に送り届ける義務があります。ここは私に……‼ 私が説得を……」
けれどベーゼルはしばし少年をじっと見据えると、静かに語りかけた。
「君は……私の娘と同じくらいだな。十五、六才……といったところだろう?」
「それがどうしたっ‼」
少年はベーゼルを強くにらみつけたまま、一歩も後に引こうとはしない。護衛の兵たちがいつでも少年を捕獲できるように剣を向ける中、ベーゼルだけを強い視線で見据えていた。
「君に、見せたいものがある。これは私の娘が九才の頃からはじめた研究の報告書だ。君も話には聞いているだろう? この辺りのやせた土地でも栽培が可能な雪芋の話を」
「……それがどうした? 今さら手の平を返したように食糧を恵んでいうことを聞かせようったって、俺はそんなものにだまされないからなっ‼ 誰がお前たちの世話になんか……」
ベーゼルは成り行きを遠巻きに見つめていた町人を呼び寄せると、懐から一通の手紙を取り出し少年に読ませるように言って手渡した。
「……それは、雪芋の栽培方法や加工技術について娘が書いたものだ。国境沿いのこの辺りは土壌が悪く飢えと隣り合わせだと知った娘は、食べるものが得られず苦しむ民たちのためになんとか安定自給できる農作物はないかと考えたんだよ。それで雪芋に目をつけたんだ」
「あんたの……娘が⁇ この雪芋をこの国で栽培しようって考えたのはあんたの娘……なのか? でもあんた貴族だろ? なんで貴族の娘が土だらけになって、しかも他国のために……」
信じられないといった顔でつぶやいた少年に、ベーゼルは話して聞かせた。これまでどれほどの試行錯誤を繰り返してラフィニアがこの国のため、ひいては世界のためにこの研究を続けてきたのかを――。
「あの子はちょっと不思議なところのある子でね。なんというか……これまでに別の人生を経験したことがあるような……。ある日あの子が言ったんだ。飢えがなくなれば戦争はきっと起きない。だから自国のためとか他国のためとか関係なく、自分にできることをしたい。それが世界の幸せにつながるから、とね……」
「世界の……幸せ……⁇ そのために……雪芋を……? そんなの自国の得にも、自分の得にもならないのに……⁇ 何年もかかって研究を……?」
「我が子ながらすごい子なんだ、あの子は。だから私もそのためにできることをしようと誓った。この命を危険にさらしてでも、剣の前に立つことになっても必ずこの戦いを終わらせてみせよう――とね」
ベーゼルの言葉を聞き、少年は剣をゆっくりと下ろした。カインはその目にもはや憎しみも闘志も浮かんでいないのを見てとり、少年の手からそっと剣を取り上げたのだった。
「そうか……。じゃあ雪芋を育てればたとえ最初の年は収穫量がいまいちでも、次の年には土が改良されて他の作物も植えつけられるようになるのか……‼ それはすごい……」
「雪芋がこんなにおいしいものだとは、夢にも思わなかったよ……! ホクホクとして少し甘みもあって……。これなら主食にもなるし、おやつにもなるわ‼」
「干せば一年以上持つし、そのまま食べてもいいし煮込めばやわらかい食感にもなるらしいぞ! 病人に与える食事としても最適で、栄養価が高いらしい」
ラフィニアの書いた栽培方法を書き記した冊子には、丁寧に図入りで栽培のコツや加工の仕方も書いてあった。国に任せてもよかったのだが、ラフィニアが子どもの自分が書けば隣国の誰でもがきっと理解できる内容になるに違いないと言って、自分でやると言い張ったらしい。
カインははじめて食す雪芋に驚きと歓声を上げる隣国の民たちを見つめ、笑みを浮かべた。
「なぁ……。ラフィニアって子、本当にすごいんだな……。こんなに詳しく丁寧に、誰が読んでもちゃんと雪芋を育てられるようにさ……。それなのに俺はあんたたちに剣を向けることぐらいしかできなくて……なんか情けないや」
さっきとは真逆のしゅんとした態度で、先ほどの少年がカインの隣に座り込んだ。どうやら怒りと恨みに我を忘れて剣を向けたことを、今ではすっかり後悔しているらしい。そもそも少年の父親は兵と戦って死んだのではなかった。けれどすべては戦争のせいだと憎しみを募らせたらしい。
カインは少年の肩をぽんと叩き、頭をくしゃりとなでた。
「情けなくなんてないさ。戦争ってのはどんな大義名分があろうとも、憎しみと恨み、それに悲しみしか生まないんだ……。お前が剣を握った気持ちは、きっと皆わかってくれるはずだ。気にするな。……それにラフィニアは別格だ。あれは相当に変わった子だからな」
ラフィニアのはつらつとした笑顔を思い出し、カインは苦笑した。すると少年が何かに気づいたようにからかうような顔でこちらをのぞき込んだ。
「……もしかして、兄ちゃん。その子のこと好きなんじゃない? 顔がにやけてるぞ!」
「なっ……‼ にやにやなどしていないっ‼ 馬鹿を言うなっ」
「へっへーんっ‼ いや、その顔は絶対そうだね! へぇ……。そっか、まぁそんなすごい子なんだもんな。あんたみたいに強そうな男に好かれるのも当然か。そんなすごい子なら一度会ってみたいって思ったけど、やっぱやめとくわ」
少年はどこか残念そうにそうつぶやくと、カインの肩を叩き立ち上がった。
「あんたさ、剣は強そうだけどそっちの方はてんでだめそうだから頑張んなよ? そんなすごい子なら他の男も放っておかないだろうしさ。他の奴に取られる前にちゃんと捕まえなよ! じゃあなっ。あぁ、それと剣なんか向けてごめんなっ‼ 悪かったよ」
まるでこちらの心の中を見透かしたようなその生意気な口ぶりに、カインは顔を朱に染めた。そんなカインをひとり残し、少年は晴れ晴れとした笑顔を浮かべ去っていったのだった。それを少し離れたところで見ていたベーゼルが、カインに告げた。
「あの子のいう通りだと思うがな。いい加減覚悟を決めたらどうだ? ……私も妻も、他のどうでもいい男にくれてやるくらいならお前の方がよほどあの子の幸せになると考えてはいるからな。……国に戻るまで考えておけよ」
ベーゼルのその意味深な言葉に、カインは言葉を失い口をぱくぱくとさせた。
ベーゼルとカインはその後停戦調停の場である王都へと向かい、細かい条件等でひと悶着はあったものの、無事に停戦の合意を取りつけた。それはこの戦争の終わりを意味していた。それにラフィニアが長年苦労して研究してきた雪芋の成果が大きく寄与していたことは、語るまでもない。
こうしてベーゼルとカインは予定していたよりも日程は大分押したものの、無事に自国への帰途へと着いたのだった。
まさかその先で今度は、ラフィニアにとんだ災難が降りかかるとは想像もせず――。




