支配
↵
青い空間。目が混乱するほどの青。青以外なにもない。これだけ青いと、暗闇と同じだ。気分が悪くなりそうですらある。ブルースクリーンを連想させるせいかもしれない。
青すぎる空間にはひとつの箱と8人の人間だけがあった。ドライバの半分はアーマーに搭乗したままだったはずだが、中身だけ移されたらしい。
転移……されたのだろう。この世界の発掘品は重力や空間を簡単に操るが、強弱や拡縮をいじる程度が常識。瞬間移動のような『切り貼り』は極めて高度な技術で、大掛かりな設備が必要……のはずだが、現在の状況はそれだ。
「ディテクター! 今まで何をしていた!? ここは何だ!? お前はなぜここにいる!?」
全員が動揺している中、マイクがいちはやく我に返り、ルーマに掴みかかる勢いで詰問していた。
「警戒しろ。やつは前回の任務直後、命令を受け付けなくなり姿を消した。脱走したんだ。マーダー化の疑いがある」
あ、やっぱりそうなんだ。
なんとなくそんな気はしていた。ルーマはいくらなんでもお喋りすぎた。計算器や探知器と呼ばれる発掘品は情報入力のために音声機能を備えているが、自発的な思考力は持たない。街に帰ってからそういう機器や低級CPUなどについて調べたので、今ならルーマという存在がいかに奇妙だったかが分かる。そもそも『名前』を主張したことからしておかしかった。
ナノメタルの気配も妙だった。だから塔を破壊した後に言い寄られたときも、歓迎する気になれなかったのだ。
しかも脱走していたとは。
「そうかおまえが……全ての黒幕、だったんだな?」
『なに言うてんねん。そんなんちゃうわ』
あれ? 違うらしい。
まあ黒幕ってなんだよって話だが。そもそも状況すらよくわからないのを確かめるためにここに来たのだ。
『ウチは助けに来たんや。このままやとあんたら、全員死ぬよりひどい目に遭うで』
箱は意味深なことを言い出した。
『ここまで仕込むのに時間がかかったけど、なんとか割り込めたわ。これから……』
「おまえは異常だディテクター。みな、聞く耳を持つな」
「なんだぁココ。転移か? 初めてだな」
「青い! 狭い!」
「いや逆だ、エコー測定不能。ここ広さが無限大だ」
「どうしますかあいつ、破壊しますか」
慣れない現象におそわれたこともあってか、警備隊の者たちは浮足立っている。
『わからんやっちゃなぁ! ええか、このセクションにおるやつはなあ……!』
そのとき、またも突然に変化が起こった。
真っ青な闇と箱の姿がまるでチャンネルやウェブページを切り替えたかのようにブレて瞬き、消えた。
次の瞬間、俺は全く違う場所にいた。
穏やかな太陽。
黄金の丘。見渡す限りの麦畑。
荒野の乾いた風とは違う、草と土の匂いを運ぶ、穏やかなそよ風。
だが、ここに来たのは俺だけだった。先ほどまで同じ空間にいたはずのマイク隊長や警備隊員たち、そしてルーマの姿はどこにも見当たらない。俺はただ一人、のどかな農耕地としか思えない場所に、ぽつんと取り残されていた。
「来たか。ご苦労」
声はすぐ近くからした。
そいつは、丘の斜面に生えた一本の木の根元に腰かけていたが、俺に気づくと、待ちくたびれていたかのように軽く背筋を伸ばしながら、そう声をかけてきた。
砂色のマントを身体に巻き付け、使い込まれたカウボーイハットを目深にかぶり、その傍らにはレバーアクションライフルが立てかけられている。
見覚えがあった。以前、ジャンク街の雑踏の中ですれ違った、あのガンマンのような女だった。
女はゆっくりと立ち上がると、俺の方へと歩み寄ってきた。その足取りには、一切の迷いも驚きもない。まるで、俺がこの時間に、この場所に現れることを、寸分の狂いもなく知っていたかのようだった。
↵
主がお待ちだ。そう言われて徒歩で移動することになった。
ド田舎だ。土を固めただけの道。石垣。田園風景……ではないか。田ではなく麦畑だ。遠くに見えるまばらな家屋も石造りや木造のものばかりで、中世西洋の世界に紛れ込んだかのように思えてくる。
ここがセントラルの内部……でいいのか? 意外な景色だ。
農民のように見える人間もいた。フードのようなものをすっぽりと被っているので顔つきは分からない。みな小柄で丸まった背をしていた。収穫期らしく、忙しそうに畑の中を動き回っている。何人かが遠くから手を振ってきた。ガンマン女はそちらを見るだけでなにも返さなかったが、満足したように作業に戻っていく。よく慕われているらしい。農民と猟師。マントに長銃をあわせた姿はこの耕作地においても違和感がない。
「ここはセントラルの中なのか?」
「答えられない」
「なんでこんなふうなんだ? やっぱり自然が一番ということか?」
「お前には関係ない」
「あなたもここの住民なのか?」
「答えない」
「領主とはどんな人物だ?」
「答えない」
「俺はなぜ呼ばれたんだ? 目的は?」
「主が望んだ。それ以外の回答は許可されていない」
女は問いにいちいち応えたが、欲しい情報は一切よこさず、俺に否定を返し続けた。無視しないのが逆に律儀だとさえ思ったほどだ。また、俺に対して何かを尋ねることもしなかった。無言でいるのと実質的には同じだ。
「いいライフルだ。前に助けられた。見た目はビンテージだが、中身は改造されているのか?」
「……」
ギロリと恐ろしい目で睨まれた。武器に言及したせいで警戒されたのだろうか。それからは黙っていることにした。
俺は無事に帰れるのだろうか。転移は厄介だ。高度すぎて回路の仕組みをイメージすらできず、手出しができない。広く薄い気配があり、ここが何らかの技術によって築かれた空間であることはわかる。だが広大すぎてそれ以外はさっぱりだ。ガンマン女が身につけているらしい物の他には回路の気配は無く、ジェネレータの音もノイズ音もさっぱり聞こえない。風と虫の声ばかりだ。
以前もタワー型遺跡の中で奇妙な空間へ飛ばされたが、そこからは妙な条件を満たすことで自動的に帰還できた。だがこの田舎からは、俺をここに呼んだ者が許さない限り帰れそうにない。
↵
てっきり領主の館かなにかにでも案内されると思ったのだが、導かれたのは湖だった。
用水地も兼ねているのだろう、広い丘の上の湖──そこに水上テラスのようなものが広がっていた。どこか祭壇のような宗教施設にちかい雰囲気もあって、前世日本にあった世界遺産の水上神社を思い出す。あれをシンプルな白い石造りにすればこうなるだろう。
「ここからは、貴公ひとりでゆけ」
丘へ登る手前にはまさに鳥居のような白く美しい門が何重にも立っていて、くぐるとき首筋にぞわりと鳥肌がたった。観光名所みたいでちょっと感動したせいだろうか。
門をくぐり丘を登ると湖が見渡せた。傾き始めた陽が水面に反射し、すべてがまぶしく輝いている。ここで祭りや結婚式なんかを行えば、さぞ絵になることだろう。
その水上テラスの中央に、後光を背負うようにして、杖をつく小柄な人物がいた。
「待ちわびたぞ、月の忌み子よ」
こいつが大岩の街の真の領主、セントラルの主……なのだろう。
それは奇妙な子供だった。露出した素肌は青白い顔だけで、性別不明。顔立ちは整っているが、生気がない。地面に届くほどの長髪……それは白髪のように錯覚するほど干乾びて見えた。服装は貴族のような装飾があり上等そうだが、まるで博物館の収蔵品のような無機物感がある。
ミイラの子供。あるいは埋葬品の人形。高貴なお方だ。
「おまえの狼藉は聞いている。評定者に蜜を与えたな。おかげで奴は埒外の評価を言いふらし、この地の調律は乱れきってしまった。龍脈は歪み、旧支配者どもは微睡みを抜け出しつつある。書記官は休まるところを知らず、奉仕者は羞恥と嫉妬に狂い、詮索屋までが誰彼構わず覗きまわる有り様だ。……実に、わずらわしい」
違和感の源は、目だ。こいつはなにも見ていない。普通は話す相手にむかって首を曲げ視線を向けるものだが、それが無い。輝く湖も、わざわざ呼びつけたはずの俺のことも、なにもかもに興味がないかのように。ただの光センサーのような、鏡のような瞳。叡智にみちた眼差しだ。
手にしている白銀の杖……それもあいまって盲者のようにみえる。賢者の佇まいだ。
「だが私は許そう、忌み子。私に忠誠を誓い、その力を私のために使うのだ。近く寄れ」
杖で祭壇じみた水上建築の中央を指し示される。何かの儀式でも始めようというのか。どこを見ているかも分からない夢遊病者のような仕草。幽霊の誘いだ。
……なんなんだ、こいつは。意味不明なパフォーマンスだ。奇抜な振る舞いで威嚇して優位に立つつもりか? 見た目だけは立派なロケーション、意味深で理解させるつもりのない言葉、子供を利用した神秘性……悪質なカルト宗教にでも潜り込んだ気分だ。
俺がここに来たのは、セントラルという高度な技術を持ちながら物言わぬ者たちが俺に興味を持つ理由を知るため。なぜ俺を招こうとするのか、目的を探るためだ。
しかし……この田舎のような風景と、支離滅裂な『あるじ』の様子から考えるに……もしかして、セントラルというのはただの『農民ごっこ』をしている者たちなのではないだろうか? 先進テクノロジーの都会に疲れた者たちがここで自然回帰した体験をしているうちに、本当に自分たちは中世の農民だと思い込み、そのまま暮らし続けていのでは……? 高度な自給システムのおかげで内部完結したまま人口が世代交代するほどの時間が経ち、外なんてものがあるとも知らず、ジャンク街に干渉することを考えもしなかった? 俺を呼んだのはただの客人役で、伝統に沿った儀式かなにかを行うためとか? 田舎のショボくて意味の薄い儀式をイヤイヤやっているのだとしたら、この無興味無感情も納得できるかもしれない。
急速にげんなりしてきた。帰りたい。身体が重くなったような気さえする。こんなアーマーの気配の欠片もない場所に用は無い。多少強引にでも帰らせてもらえるように訴えよう。
「どうした。近く寄れ」
まだ儀式ごっこを続けようとしている子供に対して、俺はこう返事をした。
「仰せのままに」
主様はそれを当然のように受取り、「跪け」と続けた。俺はその通りにした。水上祭壇はいまや湖からの光をうけて影ひとつ無いほど輝いている。水そのものが発光しているのだ。
「頭を垂れよ。これよりおまえの魂を清め、誓いの儀を執り行う。これは、おまえの魂の底からいずる純なる誓いを捧げる儀。他の誰でもなく、おまえ自身の意思によって行われるもの。同意するか?」
「同意します」
ひざまずく俺の肩に、白銀の杖が向けられ、撫でるように肩を叩いた。それは王と騎士との間でなされたとされる刀礼の儀式に似ていた。己の剣と命を主君に委ねる忠誠の儀。電流に打たれたかのような感動が首筋を走る。眼の前の人物に忠誠を誓うのは、この上なく光栄なことだ。
湖はもはや光の塊のごとく、激しく輝いている。
「誓え。おまえは迷わない」右肩に杖が置かれる。「俗縁を断ち、私情を捨て、唯私に帰命し、迷わず順え」
「はい。誓います」俺は迷わない。「私はあなたにしたがいます」
「誓え。おまえは疑わない」左肩に杖が置かれる。「俗言を容れず、自己を纏わず、唯私の言葉を真とせよ」
「はい。誓います」俺は疑わない。「私はあなたを信じます」
「誓え。おまえは剣であり盾」首筋に杖が這う。「仇たるを誅し、災いたるを封じ、己を顧みず私のために在れ」
「はい。誓います」俺は剣。俺は盾。「私はあなたの物です」
「誓え。おまえは今より、我ら新支配者のために生きる」喉笛を杖がなぞる。「旧き支配者の企みことごとくを打ち砕き、その首を刎ねよ。偽りの調和も穢れた捨て子らも、すべてを浄火に附し、灰燼に帰せしめよ」
「はい。誓います」俺は主のために生きる。「私は全ての策をくじき、全ての首を狩り、全ての命を終わらせます」
私の身体の内を、天上の歓びが駆け巡った。今まで感じたことのない充実感、達成感、肯定感、……人間が人生で感じ得るありとあらゆる幸福だ。
主の御声が響くたび、冷たく澄んだその音色が私の隅々まで浸透し、古く淀んだ思考を洗い流していく。以前の私が抱いていた疑念や恐怖など、なんと矮小で愚かしいものだったのだろう。主の視線を感じるだけで、全身が歓喜に打ち震え、まるで祝福の光に溶けていくようだ。この温かく、満たされた感覚。これこそが真実。これこそが私が存在する唯一の理由。他の全ては霞であり、幻。主こそが絶対であり、完全なる調和。この方の御心のままに動くこと以上に、尊い悦びなどありはしない。主よ、我が神よ、どうか私をお使いください。
「よろしい。おまえの真の忠誠は、真の幸福をもたらすだろう」主様は満足したように頷いた。「おまえがすべての使命を果たすとき、すべての蝕みは癒やされ、世界は正しく望まれる姿へと生まれ変わるだろう。神々に愛される世界へ……鉄の穢れのない世界へ……すなわち、アーマーの存在しない清き世界へと」
「何言ってんだクソガキ?」俺は子供の姿をしたものに対して許されないような顔になって睨みつけた。「それは俺に喧嘩を売ってるのか?」
凍りついたような無音がおりた。俺とクソガキは無言で睨み合った。
校長先生の長話で眠くなったような気分だったが……もしかして俺は洗脳されていたんだろうか? 世界からアーマーを消す、などという極悪大罪人の言葉が耳に入って一気に目が冷めた。
冷静になると、周囲は異常なことになっていた。湖が発光している。なぜ今まで気付かなかったのか──凶悪な回路の気配だ。もしかして水ぜんぶナノメタルか? 水上テラス祭壇の構造物からも発掘品のような気配がバチバチに走っている。その対象は……俺だ。
まずい。身体が動かない。頭はもとに戻ったが、体のほうは跪いた状態のまま、うんともすんとも言わない。
王様と騎士の叙勲儀式ごっこの体勢のまま、俺達はしばらく無言だった。肩を剣でポンポン叩くやつ……あれにはたしか、「私の忠誠に疑いがあるならば、その剣で首を切ってくださいよさあ!」「いえいえ疑いませんよ~立派に働いてね~」みたいな意味があったような気がする。なにかの本の挿絵で見たことがあるぞ。
クソガキはその絵に忠実な行為を実行することにしたようだった。
白銀の杖が振りかぶられ、俺の首は胴体から斬り飛ばされた。




