生産
:archivesystem//ジェイ
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風邪をひいたらしい。
朝起きた瞬間「これは」と察した。寒気。胃のムカつき。全身の倦怠感。今日が万全な一日になることはないという諦めの予感。
それから何日か調子が悪い。
超健康優良体の俺としては非常に珍しいことだ。街に来てからどころか、この世界に来てからの6年、一度もないことだった。リンピアとイチャイチャしすぎたせいかもしれない。その程度で体調を崩すのは不覚だが、塔の疲れが残っていたのだろうか。
リビングスペースの大ソファ(木箱にシートやマットを被せたもの)に座り、なにもせず休んでいる。リンピアに安静にしろと言われたからだ。室内のベッドで寝ていないのは、「どうせセキトを眺めていたほうが元気になるだろ?」だからだ。よく分かっている。
俺の体は今、クリーム色の毛玉に埋まっていて、首だけがのぞいている。
ボワボワしたダルマの亜種のような姿だ。
「調子はどうだ?」
「んん……特に辛いってわけじゃないんだけど。ダルさが抜けないな」
「なにか買って来るか?」
「いや、いいよ。ほっとげば治る。そろそろ治りかけっぽいし」
毛玉の正体はリンピアだ。俺の膝に座り、わざとモワモワに爆発させた髪で俺を包んでいるのだ。温めてくれているらしい。
あの毛量すべてを暴走させると、リンピアはまるで妖精か妖怪のような状態になれるようだ。触れていないとどこが頭かも分からない。毛が荒れてしまわないかと心配したが、体内回路で代謝をいじれるので大丈夫らしい。むしろ手荒に扱ってみせるのがドワーフ流とのこと。異文化だ。
最近分かってきたことだが、どうやら彼女は俺のことを髪の中へ取り込んでしまうのがが好きらしい。よく頭突きをしてくるので愛情表現なのかと思ったら、髪に埋めさせようとしていることに気づいた。寝ているとき、布団のようにかけようとしたりもする。マーキングのような意味があるのだろうか。
不快でも鬱陶しくもない。逆だ。
深い親愛を感じる。心地よい。
傭兵と雇用主の関係から、一気に恋人以上になった。大きな変化だが、違和感は無い。ごく自然にこの距離感を受け入れている。
ふりかえると、リンピアはずっと前から積極的に好意をアピールしていたことに気づく。年頃の男を簡単に同居させたり、眼の前で髪をいじくり回したり。とくに『一緒に里帰りしてくれ』なんてのはほとんど直球どストレートだ。これでピンとこないほうがおかしかった。
今にして考えるに、俺は感情を抑え込んでいたのだろう。前世の良識という枷。恩人に手を出してはならないという義理。ブレインエディタすら無意識に使用していたかもしれない。
「ごめんな、足引っ張っちゃって」
「気にするな。休むのも仕事のうちだ。前までが働きすぎだったんだ。これで丁度いいくらいだぞ」
モゾモゾと毛玉がしゃべって慰めてくれる。
リンピアとの関係は大きく変化したが、やることはあまり変わらない。
仲良く働き、金をためて里へ帰る。ご親族様とのご挨拶という意味合いも加わったが、もとより人の命がかかっている重大な目的だ。
「それに、この嵐ではな」毛玉から顔が出てきて、ガレージの小窓を見上げた。頭そっちだったのか……
二日ほど前から、街は砂嵐におそわれていた。真昼でも薄暗く、空が赤茶色に染まっている。もちろん吸い込むと最悪でマスクが無いと俺でも辛い。
荒野の砂には遺跡の微細な残骸や死んだナノメタルがふくまれていて、レーダーなども阻害されるらしい。危険なためディグアウターですら外出するものはいない。街の中でも扉は閉めきられ、人々は屋内に引きこもっている。
ときおり通り過ぎる強風がガレージのシャッターに砂をうちつけ、シャラシャラと音を奏でていく。
「そうだ。いいものを見せてやろう」
そう言うと毛玉の妖精は俺の元を去り、何かを取りに行った。
……さむい。
リンピアはすぐ戻ってきた。
手になにかを持っている。
金色の小物。シンプルな置物に見える。機械が仕込まれている。細かな装飾……彼女が大事に持っているあの黄金の櫛に似ている。
「なんだ、それ?」
「まあ見ていろ」
なにか操作をしてテーブルに置くと、リンピアはまた俺の膝に戻る。
置物が光を発しはじめた。
「これは……」
ガレージの中に、大自然がうまれた。
雄大な森。
峻険な岩山……いや、それはすべて建築物だ。山脈そのものが巨大な都市だ。
その頂点に立つのは、黄金の城。
川がせせらぎ、鳥が踊り、天から光が降っている。
それらは半ば透け、ほんのりと発光していた。
置物は空間に映像を投影する装置だった。プラネタリウムに似ている。
「すごいな」
「気分転換にはなるだろう?」
「岩とか砂とかばっかりだもんな。こういうところに別荘とか持ってみたいもんだ」
「それは……難しいな。これは、存在しない場所だから」
リンピアは自慢げに言う。
が、同時に自嘲するようでもある。おかしな表情だ。
「これは私達の前世の景色なんだ。作り物の、な」
「前世もちなのか?」
「そう。集団で転移したんだ、この世界に。私たち一族の者は皆、前世を持っている。私は姫などと呼ばれる身で何不自由なく暮らしていた。でもある日、何か悪いことが起きて……記憶は皆曖昧なんだが、とてもとても酷いことが起きて……気がつくと、魔力のかわりに液体金属が流れるおかしな体になっていた。それから……苦労をした」
前に聞いた。発電機すら不足し、出稼ぎに頼るしか無い、貧困にあえぐ村。
リンピアは首を振った。
「暗い話だな。おまえの気を晴らすつもりだったんだが」
「いや、聞かせてくれよ。詳しく聞きたい」
「……わかった」
彼女は語り始めた。
ドワーフ族には、前世がある。そこは神々も魔法もすでになく、しかし小さな神秘はまだ残っている、そんな世界だった。
ドワーフ族は大陸のほとんどを支配するほど繁栄した種族だった。身体は頑強で、賢く商売にも強い。工業文明に一番乗りで達し、鍛冶と錬金術を組み合わせた技法により無限の鉄を操った。
王都は地上の楽園だった。翠玉の森と始祖の岩山に囲まれた、黄金の都。
そこからこの世界へと叩き落された。目覚めた石洞はもとの世界にあった聖域とよく似ていた。ドワーフたちは信仰を拠所に団結し生き延びた。
「これは実際の景色ではない。読み取った記憶をもとに、自動で脚色されたものだ。森はこんなに鮮やかな緑色ではなかった。山は種族発祥の地とされている聖地なんだが、実物はもっと普通だ。金も装飾の一部にあるだけで、こんなに使われていない。……この映像装置は、私が始めて見つけ出した発掘品なんだ。望むものを映像化して保存する機械。金にはならなかったが、みなが夢中になって美しい記憶に浸った」
リンピアは実体のない枝を撫で、飛び去る白鳥を見送った。
遠い眼差し。同族の者たちを想っているのだろう。
だがそこには哀しさが混じっている。
「皆、いつか『ここ』に帰ることを望んでいる。一族が流刑にあったことには意味があると。正しい使命を果たせば、世界樹の根を再び芽吹かせれることができれば、悲願は果たされると。純粋に信じている。……そんな確証は、どこにもないというのに」
転移者は、記憶障害の病人。
異世界へ移動する道具は、存在しない。
この世界の常識……それを俺に教えたのは、他でもないリンピアだ。転移者は意外と多く居る。が、元の世界へ帰った話は皆無。最も有力な説では、その正体は何らかの理由でデタラメな記憶を書き込まれて保管されていた人間たちだとされている。
理解した。リンピアは、囚われている。異郷へ出て見聞を広め、現実を悟りつつも、故郷の同族を見捨てられない。いまだに姫と呼び慕ってくれる者たちを導かずにはいられない。金銭だけの問題ではく、もっと大きな意味で救おうとしていて、しかしそれは不可能だと半ば諦めている。そして諦めきれていない。背負ってしまう。捨てられない。
分かってしまう。リンピアはそういうやつだ。大事な人間のためなら、苦しむと知っていても進んでしまう。頑固で優しいやつだ。
「前に言ったな? おまえが村に来たら、面倒に巻き込むことになると。忘れるな、おまえは自由に生きるべきだ。私たちに囚われるべきじゃない。気が変わったら、いつでも言ってくれ」
「……」
存在しない理想……こんなものを持たされて、リンピアは故郷を発った。そして今まで戦い続けてきた。
自由に生きるべき。
自由に生きるべき?
自由に生きるべきなのは、リンピアだ。
「俺さ、大学に入って初めて一人暮らししたんだよ」
「?」
「俺の実家近くは、名所になるくらい自然が豊かでキレイなとこだったんだけどさ、そこから一気にゴミゴミした都会に引っ越したんだ。最初は嫌だったな、空気は悪いし、景色は悪いし、人も車も多いし。ホームシック。田舎が恋しかった。でも……すぐに都会バンザイになった。便利だからな、都会。時給は良いし、回線爆速だし。電車は何本も走ってて、自然が欲しくなりゃいつでも遊びに行ける。親戚にもいたなあ、それまで典型的な田舎老人だったのに、土地が高く売れたから都会に引っ越して旅行三昧の婆さんとか」
「……??」
リンピアは困惑の様子だ。
構わず続けた。
「俺が連れてってやるよ、『ここ』に。理想の故郷に。圧倒的に良いトコに住ませてやればいいんだよ。異世界の古巣になんて、帰らなくていいんだ。作ればいい。山ごと建設できるデカい発掘品とかを使って、ドワーフの考える最高の街を、この世界に作ってしまえばいい。そしてそこには……数え切れないほどのアーマーもいる。都を守る世界最強の巨人騎士たちだ。力の象徴として、王族自らパトロールとかするかもな。編隊を組んだのが何十機も、鳥の代わりに空を飛び交うんだ」
「……」
強く思う。リンピアが真に喜ぶ顔が見たい。なぜか。目に焼き付いているからだ。自由に飛ぶリンピアの笑顔。アーマーを操縦できず絶望したとき、彼女は俺を赤兎に乗せて空を踊ってくれた。その光景が心の奥に刻まれて消えない。あの瞬間、俺は……
「もっと稼ごう。俺たちならやれる。もっともっと稼いで、すごい発掘品をたくさん集めて、昔のことなんて思い出になるくらい豊かにして……いい国作ろう、ドワーフ幕府」
「……なにを言っているんだ、おまえは」
ふふ、とリンピアが笑った。
ため息に似ていたが、確かに笑顔だった。
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イチャイチャした。
良い雰囲気になったので。
なんかさっきまでなんか難しい話をしてた気がするけど、忘れた。なんだかんだ、俺達は若い。
健康な肉体最高。
そう、健康だ。風邪の症状がおさまってきた。
「良さそうだな。そろそろ治癒回路を使ってみろ」
今まで治癒回路を使っていなかったのは、回路の方がバグってる可能性があったからだ。この世界の人間はめったなことでは風邪をひかない。回路が生理的に働いているおかげだ。にもかかわらず風邪をひくのは、回路が不調な時。その状態で治癒回路を走らせると誤作動を起こし、むしろ悪化してしまう。
本調子に戻りかけているときなら、治癒回路で一気に回復してもいいらしい。
「むむむむむ……」
治癒回路を起動。特に名前はない。治癒回路はほとんどの人間が無意識に使っている体機能促進の総称だ。止血成分を増加させたりアドレナリンを放出したりする緊急用もあるが、今は自然治癒を促進させる基本的なものを起動する。
温かいものが全身を巡るような感覚。
「む……へっくしょい!」
急にクシャミが出てきた。
「へっくしょい! へっくしょい! へっくしょい!」
「大丈夫か? まだ治ってなかったか?」
まるで花粉症みたいだ。止まらない。体の芯から衝動が湧き上がる。
身体がそれを正しいと考えている。
異物を外へ弾き飛ばす行動をとれと、回路と本能が言っている。
「ぶえっぐしょい!!!!」
すぽんと、何かが飛び出た。
べチャリとテーブルに着弾し、勢いあまってペチャペチャと転がった。
なんだ?
俺の喉から何かが飛び出してきた。柔らかく弾力のある何か。鼻水などではなく、確かな塊。
それはテーブルの上に立ち、そして言葉を発した。
『命令せよ』
10センチほどの銀色の立方体。
細く小さな足が4本生えている。
……ダイス型に似ている。あれは立方体が2つ連結したものだが、半分にすればそっくりだ。
……そういえば俺は、半分に壊したあの指揮官機から、ナノメタルを奪ったような気がする……。
『命令せよ。我にはそれが必要だ』
我とか言っている。確定だ。あいつの声だ。ノイズ混じりだったものが平坦な低音ボイスになっているが、間違いない。俺にしか聞こえない謎のノイズではなく、普通の音声になっている。
そいつはキョロキョロと周囲を見回し、投影された木や小鳥に近づいていっては「命令せよ』と声をかけてまわりはじめた。虚像だと理解していないのだろうか。
「おい、なんだこれは」
ティッシュを持ってきてくれていたリンピアが、目を丸くしてテーブルを見る。小さな立方体は興味をひかれたようにそれを見返している。
リンピアの表情がコロコロ変わっていった。訝しむように眉を寄せ、ハッとしたように俺を見て、ハアとため息をついた。
それから悪戯っぽくニヤリと笑った。
「私たちの子供か?」




