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塔登り楽しい:9 休息地

 長い地下トンネルを抜けると、そこは湖だった。

 青い空。

 鏡のような水面。

 まっすぐな水平線がどこまでも続いている。それ以外には武装トレーラーが走る車両レールが一本伸びるばかりだ。

 太陽が見える空もある。だがすぐに偽物と気づく。どうやらとんでもなく大きなライトらしい。空が青く感じるのも錯覚だ、本物ではない。

 ここは新たなる階層。工場を潰したあと、マーダーの数が減り、ビル階層の進行は格段に楽になった。解析によって導き出された次のルートは、真っ暗な地下通路。横移動しかしていないが、次元屈折とやらによって上層階へとたどりついたようだ。


『ここは……外、ではない?』

『貯水層やね。上にあるのは紫外線照射ライトと反射壁やで』


 どうやらこの塔の水源を担う階層らしい。


「水なんて発掘品でいくらでも作れると思ってたよ。ちゃんと貯めたりするんだな」

『近くにでかい農業区画でもあるんちゃうか? こんな海みたいな水、リサイクラーか圧縮機でも持ち込めたら大儲けなんやけどなあ』

『……海?』


 武器に内蔵されている弾薬専用解凍器と似たようなもので、用途に特化した圧縮機というものがあるらしい。それがあれば水をどんどん圧縮パッケージすることができ、良い商売になるようだ。

 また、電子マネー(エナ)──として普及している非実体物質──を精製する『リサイクラー』は、単一物質が大量にある場所で最も効率的に働く。特に水分解に特化したリサイクラーであれば、この場所を大金に変換できることだろう。持ち込むことができればの話だが。


「そういえばここはどれくらいの高さなんだ?」

『そろそろ地上には出てるはずやで?』

「そうなのか? 外に出ることは……」

『無理やろね。玄関はどうせ空間転移でしか出入りできんし。最上位権限ゲットせんと』


 最上階まで行かないと無理か。まあ外に出ても意味は少ない。どうせ増援は入れないし、カモメチームが近くで待機しているかどうかも定かではない。俺たちが攻略してしまうほうが手っ取り早いだろう。


「てことは、どうせ農業区画は暴走してるだろうから、ジャングルみたいな環境での戦闘の可能性が……」

「おいジェイ、様子がおかしいぞ」


 リンピアが急に剣呑な雰囲気を発した。なぜかアーマーの装甲を開いて、直接顔を見せている。

 言われて、俺も気づく。

 静かだ。

 武装トレーラーは砲台役として座っているアーマーから動力をとって走行していた。アイドリング状態のジェネレータ音が響いていたはずだが、それが無い。インホイールモーターの駆動音すら無くなっている。レールを回転する車輪のかすかな摩擦音だけだ。

 

「……ここは、どこだ?」


 いつの間にか湖は消え失せていた。

 海。

 あたり一面、海。

 波がある。なぜか海と直感できる、本物の波だ。

 水平線のむこうまで一直線にレールがつづいている。基礎も無く、海に浮いているかのようにのびている。

 空はいつのまにか夕暮れ。ライトによる青一色ではない、本物の黄昏だ。

 薄闇の天上に星々。

 そこには月が2つあった。見覚えのあるこの世界の大きな月と、もうひとつ、やけに赤みを帯びた月だ。 

 問題なのは、その空がどう見ても本物にしか見えないということ。

 俺の目も機体センサーも、それが偽物だと判定することができない。

 ザワザワと潮風が吹く。

 磯の香り。

 磯の香り? 海の匂いの元は魚やプランクトンの死骸によるものだったはずだ。さっきまでの作り物の湖には、そんな気配は無かった。


「まずいぞ。アーマーが起動しない」

「だな。……トレーラーも反応しなくなった」

『わお。こりゃゴツいな』


 機械信号回路に反応が無い。鉄道上の武装トレーラーは俺が操ってもいないのに、一定の速度で滑るように走り続けている。

 こんなことは初めてだ。この世界でナノメタルを肉体に宿してからというもの、回路の力は常に俺の意志と共にあった。完全に本能と結びついていた。それが失われている。体内の肉体管制回路はさすがに機能しているが、体外へ働きかけることができない。手応えがない。

 だがさらに不可思議なのは、この状況に危機感を覚えることができないことだ。何者かの敵意を感じ取ることができない。時間をかけて気づく──ナノメタルの気配がしないのだ。発掘品の気配もマーダーの気配も何一つ感じ取れない。


「暑い……」


 リンピアがジャケットを脱ぎ捨てる。

 俺も汗ばんでいるのを自覚する。気温が高い。耐暑回路を起動、体内で生命活動を補助するナノメタルが体温冷却を優先しはじめる。

 遺跡内はずっと空調が効いているかのような適温だったのに、ここはまるで、夏だ。


 何かが見えてきた。

 駅だ。無人駅。ポツンと小さなプラットフォームが浮いている。

 幽霊のように静かに武装トレーラーが停まる。

 駅名のかわりに看板があった。


『~最高の休日をあなたに~ 常に鳴り続けるニューロアラームやナーヴコールに疲れてはいませんか? テクノロジーを捨てて、自然の癒やしに身を委ねましょう! この島で、あなたは自由です』


 島?

 そう、島だ。

 俺達は島に着いていた。

 小さな無人島だった。


 ↵


『こりゃゴツいなあ。こんなハイレベルな空間隔離と技術封鎖、見たことも聞いたこともないで。足止めのつもり……いや撃退反応にしては遠回しすぎるなあ。いつ範囲内に入ったんや検知もできんかった、いやそもそもこの空間精度は別次元の……』 


 箱が興奮した様子でピカピカと見回している。

 島は直径数キロほど。山があり森があり小川があり、そしてゴミ一つ無い真っ白な砂浜。

 放棄されたリゾート地という印象だ。整備された砂浜、見晴らしの良い森……だが人気が無く、どこか荒廃した雰囲気がある。『心地よい自然』を演出するために作り出されたが、活用されることも廃棄されることもなく古ぼけている……そんな場所だ。


「ジェイ、降りて大丈夫か? これは海というやつだろう、身体が錆びてしまわないか?」

「リン……もしかして、海初めてか?」

「……悪いか?」


 無人駅のプラットフォームは波打ち際にあり、チャプチャプと波が跳ねている。

 リンピアは顰め面でいつでもアーマーに戻れるように身構えていた。警戒する子猫のようだ。


「大丈夫だって。たしかにちゃんと塩水だけど、人体までは錆びない。……ナノメタルは錆びないだろ、たぶん」

「本当か?」

「大丈夫大丈夫」


 俺はザブザブと砂浜に降り立った。トレーラーもアーマーも置物になってしまったので駅に放置するしかない。

 敵の気配は全く無かった。

 そもそもここにはナノメタルの気配が無い。皆無だ。これはとんでもなく異常なことだ。発掘品はナノメタルをもとにして力を発揮する。キメラ蟲や興奮した人間すらもだ。だから街中でも遺跡でもナノメタルが働く気配がそこらじゅうを飛び交っている。前世地球における電波や磁波のようなものだ。それがここには全く無い。だったらなぜこんな超空間へ来てしまったのかという話になるが、それは分からないので仕方ない。

 大事なのは、ナノメタルの気配が無いということは危険な敵も居ないということだ。せいぜいが野生の獣くらいだろう。体内回路なら機能しているので問題無い。


「ほら降りてみろよ。気持ちいいぜ」

「……ムッ」


 リンピアはプラットフォームを一段一段おそるおそる降り、しかし波が来ては後ずさりを繰り返した。

 駄目そうだな。意外な弱点だ。


「ほらほら、舐めてみろよ、しょっぱいぞ」

「や、やめろ!」


 リンピアは俺の肩を蹴りつけて跳び、島へと上陸することに成功した。


 ↵


 島をぐるりと歩くと、すぐに元の場所についた。見かけどおり、数キロの小さな島だ。人工物は駅とプラットフォーム以外には無かった。

 その駅だが、看板に発見があった。

 裏に文字があり、こう書かれていた。


『~休日プラン~ 1,大自然を堪能する夕食 2,満天の星に抱かれる夜 3,旅立ちの朝   ※ご満足いただくまでお楽しみいただけます』


 なんだそりゃ。

 駅と看板以外、島には自然以外の何も無い。島から先へ進むレールは途切れており、トレーラーもアーマーも動かない。

 だが、『旅立ちの朝』とある。

 朝になれば何かあると信じたい。

 仕方ないので看板の言うことに従って休むことにした。

 実際、遺跡攻略で疲れた身体を休めるのにはいい場所だ。少なくとも景観は抜群に良い。

 リンピアは依然として警戒態勢だったが、俺は遺跡の言う通りにすることに慣れつつ有る。遺跡が本来の役割の範囲で働いているうちは大丈夫だろう。危険は姿を表したときに対処すれば良いのだ。

 一方、箱は看板にかじりつくようにして動かなかった。


『ここからだけ、かすかにシステムの臭いがするねんな。ウチはここで解析にガチるわ。邪魔せんといてや、こんな貴重な機会めったにないねんから』


 言われてみれば確かに、駅と看板のほかはただの無人島だ。箱がそう言うなら任せるしかない。

 そういうわけでそっとしておいた。海辺にたたずむ看板と箱。風景画にありそうだな。


 俺とリンピアは野営。さすがに森は避け、浜に腰を落ち着けることにした。

 キャンプ場のような炊事場も、ましてグランピングのような宿泊施設も無い、完全なる自然そのまんま。文明の利器を封印してこれに挑むのはストロングスタイルすぎる。『大自然を堪能する』というのはこういうことじゃないと思うんだが。これが前世地球だったら絶対流行らないだろうな。クレームどころか事故が起きるだろう。

 ライター代わりのレーザーソードが光らないので、原始的な摩擦式で火を熾すしかない。無限水筒もだんまり。困ったことに、圧縮結晶の時間解凍すら起動しない。俺の体内から《取り出す》ことはできたが、解凍できないうえに《しまう》こともできなかった。

 すべて手作業。なんだか地下生活を思い出して懐かしい気分だ。あの頃は謎植物から家具や武器などを手作りしていた。

 よし、椅子完成。

 ハンモックも作るか。

 風よけもあったほうが過ごしやすいな。


「見事なものだな……いや、見事すぎないか?」

「遭難中、何度もいちいち作るの面倒くさかったからオート回路組んだんだよ。じゅうぶんな材料があれば家もできるぞ」 

「また無駄な回路を……一般人が聞いたら怒るぞ」

「無駄じゃないだろ、こうして役立ってるんだから。ほら、ブランケットもできた」


 あっというまに2人分の生活スペースが完成した。海を眺めることのできる半開放的なテントのようなものだ。テントとタープの中間か。


「おかげさまでとても快適に休めるだろうな」

「疲れてるだろ? 大人しく寝とけよ」

「そうしたいところだが……気づいてるか? 空を見ろ」


 空。

 ここに来たときと同じ、黄昏の空だ。

 同じ空?

 そう、夕陽の位置も全く同じだ。別世界のような2つの月も、さっきと同じ位置にある。

 それはおかしい。夕陽はあっというまに落ちてしまうものだ。島を見回り、テントを構えるまでに、それなりの時間が経った。数時間もあれば夜になっているはずだ。


「時間が……経っていないのか?」

「これは、まずいかもな」


 一日が明ければなんとかなると思っていた。適当に休んでいるだけで遺跡のトリガーを踏んで道が現れるだろうと。しかし朝が来ないなら話が違ってくる。かといって、戻ることもできない。トレーラーとアーマーを置いていってしまうと戦力は大幅に低下する。鉄道がもとの下層につながっている保証も無い。

 その後、時間を測って3時間が経過。

 太陽は微動だにしなかった。

 ここが人工的に作られた環境ならまだわかる。空がディスプレイになっていて、スイッチで昼夜が切り替わるのなら、夜にならないのも受け入れやすい。だがここは完全な自然だ……少なくともそうとしか感じ取れない。月が2つある以外は本物の海と島だ。だからこそこの異常現象が際立って不気味に感じられる。

 俺もさすがに身を引き締める。

 この島はやばいかもしれない。


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