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幸運のツボ

作者: 蘭子

学校が終わって、部活の時間がやってきた。私にとっては部活こそが学校に来ている意義でもある。多分、中学校生活の中で一番楽しい時間だろう。私は今まで部活の時間以上に楽しいことなんてしたことがない。勉強なんか部活の楽しさに比べたらゴミである。そんな私は美術部に所属している。しかし、美術部といっても、やることは本格的な美術よりも漫画よりといっていい。この部には世間一般にオタクと呼ばれる部類の人間から、本格美術をやる人間、それから何もやる事がないけどとりあえずいる人間の三種類が存在している。私はどの部類に入るかといえば、本格的に美術をやろうと思ってきている人間だ。まぁ、だからといってオタク的な人間や何もしない人間を非難する気はない。私としては彼らが私の邪魔をしなければどうでもいいのだ。そんな事を考えながら、私はいつもの日課どおりに美術部の扉を開けた。すると、三人の同僚が私のほうを青ざめた表情で振り返ったのである。三人とも美術部の人間で、一人は漫画を描いているらしい下級生の狩野美耶子かりのみやこ。描いている血に汗握るバトルとは裏腹に可愛らしい容姿の女の子である。もう一人はよく油絵を描いている同級生の原太陽はらたいよう。描いている抽象的な絵とは裏腹に、しっかりと人生計画を立てる現実的な男子である。最後の一人はよく部室で寝ている同級生の東藤二あずまとうじである。学校にいるかいないかわからないとよく噂されているが、そのこわもてとは裏腹に妙にロマンチックな部分もあり面白い同級生だ。三人は、やってきたのが私だとわかるや否やほっとしたような顔をした。

「なんだ、榎木えのきか。びっくりした」

「先輩、脅かさないでくださいよ」

「渡辺がきたのかと思った……」

三者三様のコメントに、私は少し首をかしげる。ちなみに、渡辺とは我が美術部の顧問の先生の名前である。我が校の美術部教師だが、優しく気のいい先生だ。

「何かあったの?」

尋ねると三人がいっせいに口をつぐんだ。これは何かあったな、と私の直感はいっていた。部屋の中を見回してみる。昨日と変わっているところはあまり見られない。机も昨日と同じで乱雑に並んでいるし、黒板も昨日と変わらず汚れている。美術用品だけは毎日渡辺が手入れしているのか綺麗だ。そこまで考えて私はやっとおかしいところに気がついた。

「あれ、この前渡辺先生が持ってきたなんか幸運になれるらしいツボがないな」

この部屋には美術品もあるが、渡辺の私物も多々ある。彼は幸が薄い上に人を疑わない性格らしく、幸運のツボやら幸せになれるブレスレットやら今時誰も買わないような物を大量に購入し、部室にそれらを置いている。この前も、通販で買ったらしい亀や鶴やらが描かれている幸運のツボを部室に持ってきて一生懸命その効果を説明していた。はたから様子を見るに彼は随分とそのツボを気に入っていたようだった。三人が顔を見合わせ、観念したというようにある一転を指差した。

「故意でやったわけじゃあないんだけどさ」

頭をかく太陽は斜め下を見ている。

「触れたら案外脆くて割れてしまったんですよぅ」

美耶子は涙目で私に同情を訴えかけてきた。

「そのツボが脆いのが悪いんだよ!」

藤二は逆に怒り出した。自分は悪くない、とでも思っているのだろうか。ぼんやりとそんな事を考えつつ、指差された先を見る。そこには、元が何のものだかわからないほどに粉々になった陶器の破片が集められていた。さすがの私もコレには驚く。

「あれまぁ」

「あれまぁ、じゃねぇよ! どこの婆だ」

あきれ返ったように藤二。

「じゃあ、あらまぁ」

「どこのご婦人ですか」

脱力する美耶子。

「ここのご婦人よ。まぁ、そんなことはひとまずおいて」

軽口はその辺までにして、まじめに考えることにする。

「良くこんなに粉砕できたね。このツボに何か恨みでも?」

三人の方を窺うと、慌てて弁解する。

「いや、嘘だと思うかもしれないけど、本当にちょっと触れただけで壊れたんだって!」

「そうなんですよ! 指先でちょこんって触れただけなんです!」

自分たちに非はない、と告げてくる太陽と美耶子に対し、藤二は私をにらみ返して告げる。

「そんなんどうでもいいだろ。それよりも、これをどうやって直すかが先決だ」

「素直に謝ればいいんじゃない? それで渡辺先生は許してくれるよ」

気の優しい先生だし。付け加えれば三人とも苦い顔をする。私はさらに言葉を続ける。まぁ、大方彼らの言いたい事はわかっているが、あえて気がつかないフリをしよう。私は、絵を描く時間を削られて少し苛立っている。暁はいい構図が浮かびそうな気がしたのに、今の会話で何を考えていたのか忘れてしまった。だから、これは軽い八つ当たりなのだ。

「まぁ、先生はしばらく部室に来ないし、謝る気がないなら言い訳でも考えておけば?」

冷たく言い捨てれば、部屋の中にいやな沈黙がめぐる。しかし、そのいやな沈黙を破るように美耶子が私に縋り付いてきた。

「見捨てないでくださいぃー、先輩」

「ちょ、胸を押し付けないでくれ、惨めな気持ちになる」

巨乳の美耶子に対し、私の身体は貧相で、その事を実は少しばかり気にしている。だが、彼女は私の言葉を理解せずに、自分の気持ちだけを訴えかけてくる。

「見捨てないでー見捨てないでくださいー、先輩ー。この前行きたいって言ってた美術館のチケットおごりますからぁ」

思わず息を呑む。実は今月、画材を買い込みすぎてお小遣いがピンチなのだ。しかも、その美術館は毎月、展示してあるものが変わってしまうため、今月の展示品は今月しかみることができない。けれど、絶対に見行きたい。だから、お小遣いを前借しようと思っていたのだが、これはいい事を聞いた。確かめるように尋ねる。

「それは、本気と書いてマジ?」

「真剣と書いてマジです」

腕に美耶子の巨乳が当たっている惨めさも、その言葉で吹き飛んだ。見詰め合うこと数秒、折れたのは当然のごとく私だった。

「……わかった。それで、私に何をしてほしいの?」

尋ねると、場の空気が一瞬にして明るくなった。太陽も藤二も安心しているようである。私はそこまで頼りがいのある人間だったのか。自分でちょっとその事を疑問に思った。きゃっきゃっと子供のように喜ぶ美耶子を落ち着かせ、話を促す。すると、口を開いたのは太陽だった。

「とりあえず、俺達に協力して話をあわせてほしい」

太陽の言葉に美耶子が付け加える。

「できれば、つぼを直す方法も一緒に考えてください!」

ついでとばかりに藤二も口を開いた。

「後、渡辺へのいいわけも、だ」

「……つまりとにかく手伝えってことね」

大きく頷き、思案するための情報収集をする。

「それで、三人はどういう風にしたいわけ?」

「渡辺先生が傷つかないようにしたいです!」

「相当あのツボ大事にしているようだったし、割れたって聞いたらただでさえ幸が薄いのにすっごく落ち込みそうだし」

「まぁ、色々世話になってるし、落ち込ませたくはねぇ」

「つまりは、ツボを元通りにして、かつツボが割れた事を先生に気がつかれないようにしたいと」

話を簡潔にまとめると絶賛する言葉が飛び交う。

「そういうことです!」

「さすが、榎木。話がわかる」

「伊達に頭がいいわけじゃねぇな」

なんだか癪に障るような絶賛だが。特に藤二の言い方がひどい。

「君たち三人は私をなんだと思っているんだね」

尋ねてみると、似たような答えが返ってくる。

「便利な助っ人」

「頼れる先輩」

「こういうときしか頼れないやつ」

しかし、藤二の答えはいちいちいやみったらしい。なので、腕を組んでこんな事を言ってみた。

「藤二、君には今後フォローするのを遠慮させてもらうよ。一人で生きて生きたまえ」

「……冗談だよ。悪かったな! つーかなんで伯爵風の喋りになるんだ」

素直に謝るところがなんというか、可愛らしい。まぁ、このかわいらしいという言葉には皮肉が大いに含まれているが。自信を持って私は言い切る。

「気分」

「殴っていいか」

真顔で尋ねてくるので、肩をすくめた。

「暴力反対。仮にも一応女を殴ろうとするとは、藤二最低」

「お前……、仮にもと一応は余計だろ」

あきれ返った声など気にしない。藤二をからかうのもこの辺にして、本題に入りたいと思う。組んだ腕を組みなおし、真面目に思考をめぐらせる。しかし、割れたつぼが勝手に元通りになってくれるわけがない。

「同じつぼを用意すればいいんじゃない? それ、どこに売ってんの? ひとっ走りして買ってくるわよ、藤二が」

「俺かよ!」

「この中で一番足が早そうなのは藤二だし、藤二ならいなくてもそんなに怪しまれないでしょう。逆に美耶子や太陽だったら、先生に妙な勘繰りを受ける」

抗議してきた当時の言葉を一蹴すれば、口の中で何かもごもごいっていた。

「ま、まぁ、俺はいつもいないみたいなもんだし、一理あるけどよ。はっきり言われるとなんだか傷つくって言うか、なんていうか」

「じゃあ、今後その点を直す事ね。それより話を戻す。このツボ、どこで買ったか誰か知ってる?」

だが、それは無視して話を進める。藤二の愚痴など聞いている暇はないのだ。今は早く現状を打破しないと。絵がかけない上に、話し合っているうちに渡辺がこの部屋にやってきたら私たちは終わりだ。

「あー、一応知ってるけどなぁ」

いうのを渋る太陽。どうにもまた面倒な事実を知ることができるようだ。

「通販で、注文して一週間くらいしないとこないみたいなんですよぉ、先輩」

「一週間か。それじゃあダメじゃん」

「そうなんです」

だから困ってたんですよぉ、と泣き言を言う美耶子。私はすぐさま代案を出した。

「じゃあ、今からつぼを作るとか。似たようなつぼ」

「でも、陶芸やってる先輩、今日は確かおやすみですよね」

困ったような顔をする美耶子に、はっきりと宣言する。

「呼び出す、藤二が」

「また俺か」

「お前が呼べば従順な犬のように俊足で来るだろう」

藤二はなまじ不良っぽいもんだから、部内でも怖がられている。最上級生という事もあり、あまり彼に逆らう下級生はいない。納得いかないという顔で藤二は答える。

「まぁ、そうだけどよ……。もっと言い方、なんとかならねぇのか」

「では、貴方専用の執事のように俊敏にやってきてくれるでしょうよ」

「気色悪い言い方やめろ。なんか、お前俺に風当たり強くねぇか」

顔をしかめる藤二に事実をはっきり言ってやる。

「好きだからよ」

「え?」

驚きの顔で、少し照れたような表情を作った彼に私はすぐさま言葉を付け加えた。

「藤二をおちょくるのが」

すると、一瞬にして先ほどの表情が消える。そして、妙に真顔になった。

「なんでお前男に生まれなかったんだよ」

「私もそれが残念でならない」

「男なら殴れたのに」

ものすごく悔しそうな顔をする藤二。そんな彼を挑発するようにニヤニヤ微笑む私。そんな私たちを見かねたのか、太陽が話を元に戻した。

「お前ら、漫才はその辺にして、真面目に考えようぜ」

「俺のせいじゃねぇよ、太陽。こいつが」

抗議しようとする藤二だが、マイペースな美耶子に邪魔される。

「でも、東先輩ってからかいやすいですから」

「狩野まで何言い出すんだよ」

少し傷ついたような表情をする藤二はがっくりと肩を落とす。慌てて美耶子はフォローを入れた。自分の先ほどの茶化すように笑い飛ばして。

「あはは、冗談ですよぉ」

そこまでの動向を見て、私は話を戻した。

「じゃあ、そろそろ話を戻す」

「お前がまぜっかえしたんだろうがっ!」

的確な藤二のツッコミに、軽く謝罪を入れて命令する。

「あぁ、うん。ごめんね。ってことではなしを戻して、陶芸君よびだせ」

「あいつそんな名前じゃないだろ! 呼び出すけどさ」

あきれ返りつつも、携帯を開く藤二。私はてきぱきと命令する。

「その間に私たちは破片片付けとこう。ツボ知らないっていわれたら、知らないって口裏あわせね」

「ラジャーです」

「おー、ちりとりもって来るわ」

ちりとりで砕け散った破片を仲良く片付ける私たちだったが、当時の唐突なる驚きの声に場は戦慄した。

「な、なんだと!」

「どうした、藤二」

私が皆を代表して彼に訪ねると、戦慄した顔のまま、彼は重苦しい口調で答えた。

「陶芸の野郎、現在、渡辺と一緒に居やがる……!」

「……チッ、タイミングの悪いやつ」

「先輩、舌打ちしないでください。なんか怖いです」

「第一案は没か……。他にいい考えはないのか?」

太陽の尋ねに、じゃあ、と代案を告げる。心なしか、この提案をするのはなけなしの良心が痛む様な気がする。しかし、これは言わざるをえないだろう。

「いつの間にか、つぼはなくなっていた。私たちが気づいたときには何もなかった。知らず存ぜぬを突き通す」

告げた瞬間、私の中のプライドが少し傷ついたが、それで場を誤魔化せるのなら上々だろう。でも、と美耶子が尋ねてくる。

「でも、先輩。そうなるとこの破片どうします?」

「今すぐ焼却炉に行って処分だ。後、太陽は新しいつぼを購入しろ。高いのか?」

「いや、あんまり高くなかった」

「じゃあ、四人で割りかんする。藤二は、今すぐ渡辺と陶芸のところに言って足止めしてこい」

「何故俺だけ体力勝負ものばかりなんだよ!」

「無駄に体力が有り余っているからだ。さぁ、行け下僕ども」

それぞれに指示を出し、まるで漫画の中の女王様のように冷たく言い捨てる。美耶子が可愛らしく答え、太陽がドイツ軍人のような返事をした。

「あいあいさー」「やー」

「誰が下僕だ!」

しかし、やはり藤二だけが反抗した。元よりプライドが高いからだろう。まぁ、そんな抗議は軽くスルーだ。それぞれが私の指示を実行しようとして、部屋を出ようとした。そのときだった。のんびりとした悪魔の声が聞こえたのは。

「あれ、みんなで仲良くお話しているなんて珍しいね」

がらり、と扉を開けて部屋の中に入ってきたのは、渡辺だった。のんきな顔をして、なんだか嬉しそうだ。その後ろには陶芸の姿も見える。本当にタイミングの悪いやつだ。

「何を話し合ってたんだい?」

人のよさそうな笑みで尋ねてくる渡辺。他三人が一斉に私を見る。すがるように見る。しかし、優秀な私の頭脳も時には役に立たない事もある。真っ白になった頭は上手い言い訳すら思い浮かばなかった。いやな沈黙が部屋の中に流れる中、陶芸が驚きの声を上げる。

「あっ、先生の大事なツボが、ないっす!」

大変じゃないですか、と陶芸。余計な事に気がつきやがってこの馬鹿が。舌打ちしたいが、そんなことしている場合じゃない。美耶子が蒼白になり、太陽が気まずそうに床を見つめ、藤二がこの世の終わりだというように天井を仰ぐ。なんとかしなければ、と私は思い、口を開きかけた。しかし、何も言う事は思い浮かばなかった。すると、のんきに渡辺は衝撃的な事を告げた。

「あぁ、それね。うっかりして割っちゃったんだー」

言われた言葉に、美耶子が首をかしげた。太陽が、間抜けな顔をした。藤二も似たような顔をしていた。私は、どんな顔をしていたかなんて自分ではわからない。陶芸と渡辺はのんきな会話を続けている。

「へー、先生ってば相変らずドジっすねー」

「そうなんだよーハハハー。足元のコードに引っ掛けちゃってさー、足」

「もー、そんなんやるの先生と漫画の中の人だけっすよ」

二人の笑い声が室内に響き渡る。脱力したらしい美耶子は私に満面の笑顔を向けた。太陽も安心したらしく、二人の笑い声に交じってから笑いをしていた。藤二は私に眼を向ける。私も彼を見かえした。

「なぁ、殴って良いか」

真顔の彼が私に許可を求める。私は、すぐさま告げた。

「やってよし」

部屋の中に渡辺と陶芸の断末魔の悲鳴が響き渡ったが、私にはまったく関係ないことである。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  人物の行動や周りの状況などの説明がとてもわかりやすいです。 しかもそれを、話を追うのに邪魔にならないような簡潔な表現を適切な場所に持ってきているのがますます素晴らしいです。  ドタバタ…
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