5話
「……緊張する」
僕は今、最寄り駅から二駅移動したところにある喫茶店に向かっていた。そこまで遠くは無いのだが、精神的にその距離が実際の距離以上に遠く感じる。
「ここ、かな?」
僕は「あなば喫茶」という店の前に到着する。スマホの画面で名前を確認する。
うん、ここで合っている。
「……あれ?」
喫茶店の前に一人の女の子が立っていた。普通ならこんなことで驚いたりはしない。しかし、そこに立っている人物に僕は見覚えがある。
三浦美智子。クラスメイトの彼女は、顔を隠すように黒髪を伸ばし、いつも本を読んでいるような子だった。ぽっちゃりの三村くんが言うには、周囲の人間からは「地味子」というあだ名を拝命しているらしい。美智子から美智子。そして、少し弄って地味子と言うことなのだろう。
それにしても、どうして三浦さんがここに?
僕はそんなことを考えながら、彼女の隣を通り過ぎる。ちらっとこちらを見た気がするが、彼女も特に話しかけてくることはない。おそらく、クラスメイトだということは知っているだろうが、街であったとしても話をするほどの仲でもない。いわゆる「赤の他人」という間柄だ。
「いらっしゃいませ! お一人様でしょうか?」
「いえ、待ち合わせをしていて。後でもう一人来るはずです」
「畏まりました! では、奥のテーブルへどうぞ。すぐにお冷をお持ちします」
店内には流行りの音楽が流れている。
土曜日のおやつ時なのに、そこまでお客が入ってはいない。閑散としているわけでも無いが、繁盛しているとは口が裂けても言えない状況だ。
僕は店員さんに言われた通りに奥のテーブルに座る。
ガラス窓からは未だ外で立ち尽くしている三浦さんの姿が見える。待ち合わせなのか、キョロキョロと周囲を見てはスマホ画面に視線を落としている。それにしても、大きなバッグだ。インドア派だと思っていたけど、もしかするとアウトドア派なのかもしれない。
そういえば三浦さんは沢頼中の出身だったはず。ここら辺の中学校のなかでは、かなり荒れている学校だと噂の学校だ。
「……あ、そういえば。ちゃんと喫茶店についたって送らないと」
僕はスマホを取り出してGFOのチャット欄を開く。
GFOはパソコン版のゲームなのだが、チャットアプリとしてスマホのアプリも出している。普段はパソコンでのみチャットをしているのだが、こうして外で会うということでスマホにGFOのチャットアプリを入れていたのだ。
『ジミーさん、指定の喫茶店につきましたよ』
『私もついているのですが、どこにいますか?』
打ち込んだとともに、返信が返ってくる。どうやら、ジミーさんも喫茶店についていたようで、どこにいるのかという旨の内容だ。どこと言われても、
『お店のなかです。窓際の一番奥』
僕がそんなチャットを送ると、視界の端で何かが動いた気がした。その何かは、からんからんっという音とともに喫茶店のなかに入ってくると、僕とばっちり目が合う。そして、その何かは驚愕の表情を浮かべていた。
「……え、江川くんが『ワヤ』なの?」
彼女の行動を見て、何となく察してしまってはいたが、その言葉が僕の疑念を確信へと変える。僕のネッ友は、クラスの「地味子」さんだったようです。
◇
昼過ぎの喫茶店。その片隅で、僕たちは意味もなくストローをいじって中の氷を転がしていた。重苦しい空気に、居心地の悪さを感じる。
それにしても、まさかあのジミーさんが……。
「……三浦さんがジミーさんだったんですね」
「う、うん」
ジミーさんこと三浦さんもこの空気に耐え切れないようで、目線を右往左往させながら注文したメロンソーダを一気飲みしている。そんなに一気に飲んでしまったら気持ち悪くならないか心配だけど。
こうしてみると、どことなくジミーさんっぽい気もする。
ジミーさんは確かに頼りがいのある人だけど、たまに抜けているところもある。例えば、GFOで初めて会った時なんて、クエストの受注方法が分からずに右往左往していたし、サブジョブのことも全く理解していなかった。にもかかわらず、戦闘に関しては超一級というアンバランスな存在だった。
だからだろうか、僕はジミーさんのことを大学生くらいの男性だと勝手に思い込んでいた。
「……僕、ジミーさんって男の人だと思ってたから、ちょっと意外だったなぁー……なんて」
「わ、私も、ワヤは女の人だと、思ってた」
「え」
三浦さんの言葉に、僕は首を傾げる。
確かに、ジミーさんに性別について話したことはないと思う。それどころか、リアルのことはほとんどひた隠しにしてきたと言っても過言ではない。でも、一人称は「僕」だし、てっきり男性だと認識されていると思っていた。
「……ちなみに、どの辺が女性だと?」
「文章の感じとか、戦闘スタイルとか? あと、何となく雄々しくないって言うか、なんと言うか……」
三浦さんはそこで歯切れが悪くなる。多分、何か言いづらいことをオブラートに包もうとしているのだ。そう、つまり彼女が言いたいことは……。
「……女々しい、と?」
「そ、そこまで言ってないよ!!」
顔を真っ赤にして、三浦さんは僕の言葉を否定する。しかし、「そこまで言っていない」ということは、多少なりともそう思っていたと半分認めているようなものだ。
とはいえ、別に怒っているわけではない。なぜなら、僕はよく「女々しい」と言われるから、有体に言えば慣れているのだ。勿論、そう言われていい気はしないけど、目くじらを立てて怒るようなことでもない。男子としては低身長の部類に入るし、目を隠してしまいそうなほどに伸びた前髪といい、三浦さんを「地味子」と言えないくらい、僕も「地味男」だから。
三浦さんは、僕が怒っていないか様子を伺っているようで、今は飲むつもりのないメロンソーダのグラスを触っては移動させ、ちらっとこちらに視線を向けてくる。気にかけてくれているのはありがたいけど、沈黙されることのほうがよっぽど居心地が悪い。
何か話のネタはないかと、三浦さんのほうを見る。すると、三浦さんが外にいるときから気になっていた大きなカバンが目に留まる。大きめのショルダーバックでいかにも重そうなそれは、話題にするにはぴったりだった。
「それにしても、大きなカバンですね」
「う、うん。ワヤ、話し合うから趣味も近いかと思って……」
三浦さんも僕の意図を察してか、かなり乗り気でカバンのファスナーを開く。すると、そこには大量の本やゲームソフトのケースが詰め込まれていた。その中で、真っ先に僕の目に飛び込んできたのは、その大量の本たちの一番上に積まれた「ステルス・バスターズ」というゲームソフトだった。
「あ、『ステバス』! ジミーさんも好きなんだ!」
「──ッ! は、はい! やっぱり、ワヤも好きですか!?」
「はい。あんまり有名な作品じゃないですけど、ストーリーの構成といいグラフィックの綺麗さといい、文句なしの傑作ですよねー」
「そうなんです!! でも、『ステバス』のいいところはもっとあって──」
三十分後。
「──だから、私はこう思うんです」
さらに三十分後。
「──ですから、あそこで出る選択肢はですね」
そのまたさらに三十分後。
「──と、『ステバス』はやはり名作という結論に至るわけです!」
紅潮した頬に、爛々と輝く瞳。人は、好きなものを語る時が一番輝いていると言うけれど、どうやら本当らしい。楽しそうにゲームのことを語る三浦さんは、本当に輝いていた。それはもう、周りの元気を吸い尽くす勢いで。
一時間半話続けて喉が渇いたのか、三浦さんは手元のグラスに手を伸ばす。しかし、そのグラスは既に空になっており、ふと近くの時計に視線をやる。そして、自分が一時間半も一方的に話していたということに気が付いたのか、時計を見上げた状態で数秒間固まっていた。我に返った瞬間、僕と視線があった三浦さんは、さっきまで紅潮させていた顔色を真っ青にする。
「っは! わ、わたし、またやってしまいました……」
どうやら、ヲタク全開で語りすぎてしまったことを今更ながらに恥ずかしく思っているようで、僕はそんな三浦さんを見て少し笑ってしまった。僕が笑ったことに、再度ショックを受ける三浦さんだったが、僕は手を振って三浦さんの誤解を否定する。
「いえ、ジミーさんがどれだけ『ステバス』を愛しているのか、よく分かりましたよ」
ジミーさん──いや、三浦さんは本当に「ステバス」が好きらしい。同じゲームを好いている僕ですら、ついていくのが困難なほどに。でも、同じヲタクだからこそ、三浦さんの気持ちはよく分かる。好きなものを誰かに勧めたい。好きなものを共有したいという気持ちは、誰しも持っている共通感情だろう。
三浦さんは一瞬固まった後にこくりと頷いた。そして、そのまま俯いてしまう。
「……やっぱり、ワヤは……です」
「え、今何か言いましたか?」
「い、いえ、何も言ってませんよ! あの、これ!」
三浦さんは焦った様子でカバンに手を突っ込むと、分厚い本を取り出して僕に差し出してくる。どうしてそんなに焦っているのかわからなかったけど、珍しい三浦さんが見れたので少し楽しかった。
と、内心そんなことを考えながら、僕は差し出された本に視線を向ける。すると、そこには「GFO最新攻略」という文字があった。
「これは、GFOの最新攻略本じゃないですか! どうして」
「ワヤ、前に欲しいって言ってたから。その、プレゼント、だから」
「そんな……悪いですよ」
確か、この攻略本は先日発売されたばかりで、値段はかなり高かったはずだ。しかし、その内容は非常に有益なものが多いらしく、トップランカーには必須なアイテムと言われていた。今月は懐が心もとなかったので購入を控えていたのだが。
流石に、プレゼントとしてもらうには気が引ける。何より、プレゼントされる理由に心当たりがないので、受け取るにも受け取れなかった。
しかし、三浦さんは引かない。
「いいの! いつも仲良くしてくれてるし、それに……それに……」
「それに?」
ごくりと唾を飲む。
三浦さんの表情はひどく真剣だ。こうして三浦さんと話すのは初めてだけど、僕たちはGFOのなかで多くの時間を共有してきた。その中で、友情以上の何かが芽生えても、おかしくはない。
真剣な表情に、僕の中でいろいろな可能性が生まれる。そう、例えば、こくh──。
「それでワヤがもっと強くなたら、強力なクエストも楽になるし」
僕のなかに生まれた可能性が、一気に収束していく。
「……そっちが本音ですか?」
「そ、そんなわけないよ! ……ちょっとしか考えてないもん」
どうやら、三浦さんは僕の想像した通りのジミーさんらしい。不器用だけど優しくて、生粋のゲーマー。リアルで会うのは少し怖かったけど、想像通りの人で安心した。
「これからもよろしくね! ワヤ!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。ジミーさん」
こうして、僕はジミーさんこと三浦美智子さんと友情を深めたのでした。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
とりあえず、5話まで投稿しましたー。
物語はここからが本番。ここまでがチュートリアルのようなものですね。
遅筆ですが、お付き合いいただけると幸いです。