第六話 有希の秘密
土曜日。有希が朝九時に出て行くのを玄関先で見送り、一時間ほどリビングでゴロゴロしたが、部屋の片付けを始めた。
しかしそれは僅かな時間で終わったので、大好きな有希の部屋に行ってみた。夫婦の役得だ。有希も怒りはしないだろう。
「可愛い部屋だな」
あれ以来、俺のセミダブルベッドに二人で寝ていたが、有希のはシングルベッド。そこにゴロリと横になった。
「有希の匂いがするなー」
仰向けに寝ていると白い洋ダンスの上にプラスチック製の箱を見つけた。
「なんだありゃ。有希の秘密のお菓子かな?」
気になってそれを手に取り、床に下ろして広げてみるとそこには……。
日之出氏が数々の女と密会している写真だ。殆どホテルから出ているところ。会社で手を切った女以外にも知らない女が数人。
日之出氏が寝ている間に指紋認証でスマホのロックを解除したのであろう。女たちとの不実なメッセージの数々のプリントアウト。
そして探偵事務所からの裁判したら確実に勝てるとの手紙。さらにはボイスレコーダー。
俺は冷や汗を書きながら再生のボタンを押した。
それは日之出氏の車での羽良美和子との会話だった。
「じゃあ事故に見せかけて殺しちゃいましょ。そして保険金を手に入れてその後で私が家に入ると」
「へっへっへ。悪ィ女だな。でもちょっと待て。あいつのジイサンがくたばりそうなんだ。そうなると莫大な遺産が入る。その後でいい」
「ふふ。悪いのはどっちよ」
俺は烈火の如く怒った。この二人は有希を殺そうと共謀していたのだ。
しかし、有希は先手を打っていた。その情報や証拠を集め離婚を目指していた。
だが腑に落ちない。
「じゃ、なんで日之出氏を殺そうと──?」
その箱の中には茶色の薬瓶が入っていた。俺は急いでラベルを確認する。
睡眠薬だった。
「──光朗さん……」
声に驚いて振り向くと、有希が震えながら立っていた。俺は素早く立ち上がって有希の頬を平手で打った。有希は膝から崩れ落ちる。そんな有希に俺は叫んだ。
「馬鹿! なんで死のうなんて考えたんだ!」
有希は、日之出氏を殺した後で自殺しようとしたのだ。離婚の証拠を持ってなお、あの男の後を追おうとしたことに腹が立った。しかし有希はうわごとのように呟く。
「ごめんなさい、光朗さん。もう殴らないで」
俺はハッとした。有希を衝動的に叩いたが、それに対してこの恐怖に陥った様子はどうだ。
俺は彼女の服の袖をまくり上げると、生々しい痣の跡がある。彼女を抱く際は部屋を暗くしていたので気付かなかった。
有希は日之出氏に日常的に暴力を振るわれていたのだろう。
俺は泣いてしまった。そして震える有希を抱きしめた。
「ごめん。有希、本当にごめん。叩いたりして悪かった」
「光朗さん……。どうして泣いてるの?」
「うっうっう……」
「光朗さん?」
俺たちは抱き合ったまま、時間が流れた。有希は自分から話し出した。
「弁護士さんに会ってきたの……」
「そうだったのか……」
「もう結構ですって断ったわ……」
「馬鹿な……。別れちまえばいいのに」
「いやよ。愛してるもの。最近の光朗さんは特に」
「そうか?」
俺たちは微笑み合った。そして有希の手を取って立ち上がる。
「塩ラーメン食べるか?」
「うん。食べたい!」
「キッチンにゴー!」
「わーい!」
有希は俺の作った塩ラーメンに本当に驚いて、全部食べてくれた。よかった。
しかし、俺の中に一つの思いがわき起こった。
彼女は、日之出氏が好きなのだ。
ここにいるのは、日之出氏の皮を被った偽物だ。それを知ったら彼女はどう思うだろう。
俺は──、どうしたらいいんだろう。
◇
俺と有希の生活は順調に続いた。有希の笑顔は増えた。彼女はもともと無邪気ではしゃぎ屋な性格だ。毎日が楽しそう。
俺に寄り掛かったり、すがったり。そんな有希をとても可愛いと思う。しかし、気持ちは複雑だ。本来それを受け取るのは日之出氏なのだから。
半年経って季節は冬。有希はますますくっついて来たが、俺は溜まった思いを爆発してしまった。
有希の前に正座し、腰を浮かせて彼女の両肩を掴んで顔を伏せた。
「? どうしたの光朗さん?」
「有希……」
「何か変よ?」
「……有希。俺、日之出光朗じゃないんだ──」
しばらく静寂。どちらとも動けない。有希は引きつった顔をしていたが、そのうちに笑い出した。
「やだ。光朗さんたら、可笑しい」
「本当だ! 本当なんだ……」
有希はまたしても引きつった顔をして、少しだけ身を離した。
「俺も元の名前は日之出光朗だ。だけど有希の愛した日之出光朗じゃない。別人だ。有希が枕を顔に押し付けた日、魂が入れ代わったんだ」
有希はさらに体を離す。ついには五十センチほどの開きとなってしまった。
「や、やだ。ウソよね? それじゃ本物の光朗さんはどこ? どこに行ったの?」
当然の疑問だ。俺は震えながら答える。
「もういない。生まれ変わった」
有希は泣き伏してしまった。俺は彼女に触れようとしたが手を弾かれた。そして彼女は元の部屋に行ってカギを閉めてしまった。
言うべきじゃなかった。黙って日之出氏の振りをしていればよかったのに。
でもいつまでも彼女を騙すわけには──、いかない。