第一話 死んじゃった
辺りは静寂──。
俺は暗闇を漂う。
熱帯夜の中、ベッドで寝ていたハズなのに、今自分の体は宙を浮いているようだった。上下に制限はなく、足もつかなければ頭もぶつけない。ただ、深海の中を彷徨うような感覚だ。
「ウソだろ。俺、まさか」
悪い予感。夢でなければこんなところにいるなんて一つしか考えられない。
「左様。そのまさかじゃよ」
途端に辺りは光に包まれ、真っ白な空間に俺と白髪の老人。彼は白い布のようなものを体に巻きつけた出で立ち。
なんというか、その……。神のような感じだったのだ。
「おたくは?」
「ご明察の通り、ワシは神様じゃ」
やっぱり。なんだ、この小説にありそうな展開。
ちょっと待て。つまり俺は死──?
死んじゃったの?
まだ28歳なのに?
彼女も奥さんもいない。人生これからだったのに?
「すまん。こちらの手違いじゃて」
「はぁ?」
ますますの展開だぞ。つまり、そちらの手違いで死んでしまった。だから能力あげるから異世界で第二の人生歩んで、的な。
「そ、そうなると俺……、私は異世界転生するのでしょうか?」
「……異世界──? なにかねそれは」
ほぅわ!? 異世界知らない? まさかモグリかよ神様!
俺は異世界転生について神様にあれやこれやを話した。
「ふぅむ。つまりファンタジーな世界で剣や魔法を使って第二の人生を送りたいと。そういうわけかね」
「そうです。当然神様はそちらのほうをご用意で?」
「馬鹿な。そんな不思議な世界などあるわけなかろう。常識で考えよ」
ない、と仰有いますと?
なんですか。私は死に損? つか、今神様が目の前に居ることがすでにファンタジーなんですけど?
そちらのミスなのに常識とはなんたる言い草。こりゃクレームもんですよ!
「いやいや、神様。先ほどなんと仰有いました? そちらの手違いと仰有った。それで一度きりの人生を失った私は希望の能力すら貰えないと?」
そちらのミスを強調しつつ、食い下がってみた。しかし神様は顔色を変えない。
「そりゃこちらのミスだが、どんな生き物も平等に死ぬ。人間だけ特別だと優遇するわけにはいかん。そなたも同じように扱うぞ」
で、でたー! さすが神様。どんな生き物も一つの魂。すなわち、人間だろうが単細胞生物だろうが、死んじゃえばみんな一緒だよねー。生きてればハッピー! みたいな魂の価値!
そんな馬鹿な。そちらのミスのクセして。
「そんな神様。たしかに仰有ることは分かります。全ての魂の価値は同じ。しかしながら申し上げます。私は人として生命を得ました。計画もありました。それが神様の無慈悲な手違いで全てを失ったのです。せめて人生をやり直すというわけにはいきませんか?」
くぬぅ。どうしてこちらが譲歩しなくてはならないのか? しかし、この雰囲気だと、『殺してゴメンね。次はクラゲで頑張って』みたいになっちゃうかもしれない。
「なるほど左様か。せっかく備前クラゲの魂を用意したというのに、不満か」
不満だよ。そんでクラゲ一択だったのね。ヒドい。
「本来であれば、そんなサービスはしないのだが、元々死ぬはずだった魂の肉体と入れ換えということでどうだ。その魂はこちらの世界に来てクラゲとなり、そなたは現世にその肉体を依り代として生きる。それならよいであろう?」
くそぅ。それしかないのかよぉ。断ったらクラゲだもんな……。
「あの。神様。その肉体の情報を教えて下さい」
「そうか。では教えてやろう。それはそなたと同じ名前で日之出光朗という。生年月日も同じ。それがために間違えたのだ」
「ええと、同じ名前で同じ歳……なるほど」
「籤で当てた三億円の隠し財産があるが、それは伴侶に伝えていない」
「さ、三億円! 伴侶ってことは妻がいるんですか? 可愛いですか?」
「ふむ。人間の基準では整った顔立ちをしておろう。そなたの魂が入り込むときに、彼女はその肉体に馬乗りになっておる」
う、う、う、馬乗りですか!?
それって、つまり夫婦生活というやつで、あわれ日之出光朗氏は三億円を奥さんに伝える前に腹上死……いや腹の下か。
でもすごい。大金と顔立ちの整った奥さん付き。それって出会いもない、肉体労働者でアパート暮らしの俺にとっては、かなりいい条件じゃないかい? 神様!?
「どうだ。そなたがそれでいいといなら魂の交換をしよう」
「いいです。お願いします」
「おお、即決だな。これで儂の肩の荷も下りたわい」
そういって神様は手に持っていた杖を回す。すると白い空間はクルクルと回って──。
気付くと俺はベッドの上だった。目の前にはパジャマ姿の女性。それが馬乗りになって涙を流し、俺の顔を覗き込んでいた。
つ、つまりこれが日之出光朗氏の……。いや俺の奥さん!!
その可愛らしい顔に感動!
ウソだろ? この人が俺の奥さん?
つーか、なんで泣いてんの? あ、そうか。日之出光朗氏はここで死んじゃうわけで、俺の魂が入り込むときに、いくらかのタイムラグがあったんだろう。
それで死んだと思ったんだ!