翼の里へ
大陸南の内陸部にあった銀麗の別邸から翼の里まで、最短で馬車で五日かかる。
この「最短」は、何者にも邪魔されずに全力で馬を走らせればということだけど、御者台のシェードが神眼で馬車を狙う何かを見つけては殺気をブチ込んでいるせいか全く邪魔は現れない。
一日目の宿を発った後も、馬車の中では外で大っぴらに出来ない知識を教わり、宿に着けば設定通りに振る舞って夫婦ごとの部屋に分かれて休んだ。
シェードが「夫婦設定を怪しまれないため」と言って、毎晩私を抱き枕のように腕に抱えて眠っているのを、会話の流れで五日目の朝食の時に銀麗に知られたら、一瞬絶対零度より凍りつきそうな視線でシェードを突き刺していたけど、何かマズかったんだろうか。セシルは嬉しそうにニコニコ聞いていたんだけどな。
果樹花王国を突っ切れば、もっと早く翼の里に着けるけれど、結界が綻びていると言っても一応は全種族で協定を結んだ立入禁止の遺跡だから、魔人族の王子である銀麗がそれを破るのは色々マズイ。
それに、今は悪霊使いが潜伏している筈だから、下手に遭遇して任務完了になって塔に強制送還されるのも避けたかった。
果樹花王国を迂回して、『隠者の森』と名付けられた翼の里がある森の近くまで馬車で行き、そこからは徒歩で向かうルートを取っている。
馬車の中での勉強は非常に興味深いものだった。
塔で得た知識との違いを確認したくて、かなり基礎的な常識すら質問を重ねたのに、銀麗も、それにセシルも、呆れたり嫌な顔をすることなく、私が納得するまで答えてくれた。
専門的な話や人族には秘されている知識、裏情報などは銀麗が、人族が基礎学校で教わる内容はセシルが先生だ。
おかげで、自分が魔力は馬鹿みたいに多いのに魔法が使いこなせない理由も分かった。
ワンブックにおける魔法は、主に自分の魔力を体内に循環して使う補助系の魔法と、体外に放出する攻撃系の魔法がある。
他にも治癒とか適性があれば使える特殊な魔法があるけど、魔力を有し使い方を会得すれば使えるのは補助系と攻撃系だけ。
魔道具を使うときには、体内に循環させた魔力を接した魔道具のスイッチに移すので、補助系の魔法を使いながら同時に使えるのは普通。
私も補助系の魔法は一通り使えるし、それを使いながら魔道具を使うこともできる。ただし、複数の魔法を同時に使うことは私には出来ない。
だから、任務中に危険があっても身体強化とか使わなかったんだよね。
私の変身や体の一部の色を変える効果は補助系魔法の一つだから、それを維持したまま他の補助系魔法は使えなかった。
魔法の発動には、魔法一つにつき思考が一つ必要なんだそうだ。魔法を使う以外の計算とか考え事なら同時に可能なんだけど、一つの思考で使える魔法は一つだけ。
つまり、複数の魔法を同時に発動出来るのは、並列思考の持ち主だけなんだって。
私にはそれが無いから、どれだけ膨大な魔力を有していても、変身や変色を保っている限り、他の魔法を同時には使えない。
塔の書庫で魔法の本を読み漁って、本の通りに訓練しても、そりゃあ変色中は何も魔法が発動できない訳だ。
かと言って、黒い瞳を見られるのはワンブックでは色んな意味で一発アウトだから変色を解くわけにはいかない。
これ以上厄介な獣人族のストーカーが増えるのも、妙な宗教の狂信者に刺客を向けられるのも、眼球コレクターに狙われるのも勘弁だ。
カラコンとか目の色を変える薬品なんかも存在しないし、魔法で変えるしか今のところ手段は無い。
それでも、体の一部の色を変える魔法は稀有で、姿を風景に同化させたり音や気配を消す隠密魔法の適性があっても、それが可能な者は千年に一人出るか出ないからしい。
シェードがコロコロ色を変えてるのは神だからなのかと思ったけど、獣人族の途絶えた種でそういう特殊能力を持つ獣種がいたそうだ。
シェードは犬だったらしいけど、犬種って途絶えたの? と銀麗に訊いたら、表向きに名乗る獣種は、とても大雑把に分けられた一般名で、本当の獣種は同族以外には教えないことになっているのだと言う。
獣人族は獣種により異なる特徴や能力があるけれど、犬や猫や熊といった見た目で分かる獣種は、表立って見せない種の固有能力でもっと細分化されているらしい。
神獣から神に進化した犬種であれば、1500年前に神になった影犬という種だろうと銀麗は言った。
影犬の中でも能力の高い者は、影を操り影を渡る能力を持ち、自身に色を投影することで体の色を自在に変化させることが出来たそうだ。
能力が高い方ではなくとも、条件付きで似たようなことが可能だったため、諜報や暗殺にその力を利用したい権力者がどの種族にも多く、家族や伴侶を人質に能力を酷使された影犬種は、神獣から神に進化した椿という名の男性の個体を最後に途絶えたらしい。
思わぬところでシェードの過去を知ってしまったけれど、私もシェードも互いに態度は変わらない。へー、そうなんだ、という程度だ。
研究者で知識収集オタクの銀麗の知識量は凄まじく、どうして神獣の口伝が魔人族に知られているんだ、と宿でシェードが頭を抱えていた。
さすがに銀麗も代々の神獣を網羅してはいないけど、神に進化した神獣と現在仙境のトップに君臨している神獣の情報は持っているからと教えてくれた。
影犬の椿の前に神獣から神に進化したのは、3300年前の椛という名の華炎熊種だそうだ。
火を操る種で、炎の中でも火傷一つしない特性を持っていた。
持って「いた」。過去形。
つまり、華炎熊も途絶えた獣種だ。
防火壁代わりに仙境では危険な任務に駆り出され、他種族に拐われて皮を剥がれるということもあったと言う。
熊じゃなくて熊種の獣人だよね。皮を剥ぐって頭の中どうなってんの。
力の神の血縁者の壮絶な過去も知ってしまった。
ていうか、ワンブックの暗部って相当にドロドロだよね。世界は美しい箱庭を創ったんじゃないのかよ。
現在の仙境のトップである黒目ストーカーの柊は、猫種と蛇種の混血と言っていたけど、正確には跳猫種と怪力蛇種の混血らしい。
跳躍力と移動速度がとんでもないけど持続力は低いのが跳猫種の特性で、怪力で疲れ知らずなのが怪力蛇種の特性・・・欠点がカバーできちゃってるじゃないか。
疲れ知らずでとんでもない速度で追い回されて、捕まったら怪力で逃げられないとか恐ろし過ぎる。しかも蛇種の特性として異常に執念深いって。何ソレ、私もう詰んでる?
移動中、ワンブックの常識や歴史のおさらいと、仙境や水晶国や翼の里の私が全く知らなかった話、そして果樹花王国の歴史や文明と妖精人族滅亡の調査結果を聞いて、翼の里に到着する頃には私は一つの仮説を立てていた。




