目覚め
チルニアの実家である呉服店に着くまで、何も問題はなく特にピクシルとの会話もなく到着した。
そして、チルニアのそばにいる間やることのないルーシアは、チルニアの母親に仕事を手伝うことを提案した。そして現在、チルニアの部屋で服を作っていた。
「裁縫なんていつ以来だろ。長いこと機械ばかり触ってたからなあ」
『キカイってのが何かは知らないけど、久しぶりの割には手際がいいわね』
この世界にはまだミシンが開発されていないらしく、ルーシアも手縫いで進めている。しかし、その手の動きに迷いはなく、ミシンと同等と言っていいくらい正確に、布が継ぎ合わされていっていた。
「一応、昔から大抵のことはできたから。このくらいなら、やり方さえ分かれば何ともないよ」
『天才なんて自分で言ってたけど、ホント、あんたって天才とバカの紙一重にいるわよね。何事においても器用なくせに、急にバカみたいなことやるし。学生時代、興味本位であの貴族の子の実家にお忍びで行って、捕らえられてたし』
「なんでそれを例に挙げる。あれはボク一人でなら成功してたんだよ。チルニアがくしゃみなんてするからバレたわけで……」
チルニアの話題が上がり、どうしても意識が目の前の静かな一定のテンポの呼吸を続ける本人へと向いてしまう。集中力が乱れ、一時間続けていた裁縫に休憩を挟むことにした。
針を針山に刺し、一度背伸びをする。一点を見続けて疲れた目がぼやけたので、眉間を揉んで少しほぐす。
「……」
チルニアの顔を見る。この家に連れて帰った当日は眉間にシワが寄り、苦しそうな表情をしていたのだが、今ではただ安らかに眠っている。
顔にかかった髪を払うと、少年じみた、日本人よりも少し北欧寄りの顔立ちがあらわになる。だが、髪が艶やかな黒髪なせいで、日本人のような印象も湧いてくるのだから、愛斗のホームシックを呼び起こすには十分過ぎる要素だった。
「……あっちでは、今どうなってるのかな」
『あっちって、あんたが元々いた世界のこと?』
「あ、ごめん、無意識に言ってた……まあ、うん。ボク、死ぬまで一年か二年くらい、山に篭ってたからさ。家族とも長いこと会わないでいなくなっちゃったから……こっちと向こうの時間の流れがどう違うのか分からないけど、でも……きっと母さんはシワも増えて、ユイは大きくなってるんだろうな……」
『二度と会えないのかしら?』
「分からない。時空魔法でなんとかなるかも、って希望はあるけど、どこのいつにあるかも分からない世界に行くことなんて、できっこないよね」
ルーシアは魔法で水を創り出し、それを口に含む。ピクシルとの会話で少し渇いた喉が潤い、短く溜息を吐く。
「……さてと。チルニア起きないし、あと三時間くらい頑張って帰ろうかな。やってるとなんだか楽しくなってきたし」
ルーシアは体を左右に捻り、凝り固まっていた筋肉を少しほぐして、チルニアの眠るベッドの上に置いてあった衣類になりかけの布を手に取る。針山から使っていた針を手に取った──その時だった。
偶然目に入ったチルニアの目が、うっすらと開いていた。いつもの半分しか開いていない目は虚空を見つめ、何を見ているのかも分からない。それが、もしかしたら自我をもう失っているのではないか、というルーシアの不安を駆り立てた。
「……っ」
チルニアの口が動き、僅かに息を吐いた。
衣擦れの音が部屋に小さく響く。チルニアに掛けられていた掛け布団から左手が姿を見せ、腕に刺さった点滴の管を持ち上げながら、真っ直ぐ上へと上がった。その手は、何かを掴もうとするように、前へ前へと伸ばされている。
「……チルニア」
ルーシアは呼び掛けてみる。返事はない。視線も虚空に向いたまま、腕も変わらない。
伸ばされた腕へと、布と針を置いたルーシアは自分の右手を伸ばす。一瞬触れるのに躊躇ったが、意を決してその左手を自分の小さな右手で包む。続いて、左手も使って両手でチルニアの左手を包んだ。
掛け布団の中にあったにも拘らず左手は冷たかったが、ルーシアが包んだ箇所から徐々に温かくなる。そして、しばらくすると、自分の手が包まれていることに気付いたかのように、指先がピクリと動いた。
「チルニア」
ルーシアはもう一度、はっきりと呼びかける。すると、チルニアの光の消えた瞳が、しかし確かにルーシアを捉えた。
小さく開いた口を閉じ、数日間動かしていなかった表情筋をゆっくりと動かして、チルニアはその少しやつれた顔に笑顔を浮かべた。
「……ルー……シア」
痛みに叫んだせいか、それとも数日間喋っていないからか。掠れた声が、ルーシアの名前を確かに呼んだ。そして、チルニアの目が滲み、目尻にゆっくりと溜まった涙が、枕へと頰を伝って落ちた。
ルーシアも、知らず知らずのうちにその目尻に涙を浮かべ、下唇を噛んで嗚咽を堪えていた。
安堵で力が抜け、ベッドの横に膝から崩れ落ちた。でも、チルニアの手を握るその手だけは、力が籠もっていた。決してもう、失わないという決意を滲ませて。
♢
魔法を使ってチルニアの身体の様子を確認したルーシアは、記憶や意識を確かめるために何度か短いやり取りをしてから、チルニアの母親へと報告に向かった。
部屋を出て、階段を下りる。ただ、その足取りはどことなくだが、今日ここに来た時よりも軽くなっていた。
「チルニアのお母さん」
「どうかした? ルーシアちゃん」
チルニアの母親は、娘とまるでリンクしているかのように、日に日にやつれていた。食事もまともに摂っていないのか、うっすらと頬骨が浮かび上がっていた。
商品の陳列を整えていたチルニアの母親を呼び止めて、チルニアのことを話す。
「さっき、チルニアが目を覚ましました。意識はまだ朦朧としてますが、記憶ははっきりしてますし、身体にも害はありませんでした。チルニアのことですから、あと一週間もあれば結構元気になると思いますよ」
「──っ!」
人間、本当に嬉しい時は何も言えなくなるらしい。チルニアの母親は、その場にすとんと座り込み、声も出さずに涙を流した。
「今日は、帰りますね。点滴はまだ必要なので、この前教えた方法で取り替えてください。食事は……摂れそうなら、少しは食べても大丈夫だと思います。ただ、魔法の影響が残ってるかもしれないので、パンひとつ……か、それ以下がいいと思います。それじゃあ、まあ明日伺います」
ルーシアが店を後にしようとすると、コートの裾を掴まれて出ることができなかった。何かと思いチルニアの母親に視線を向ける。
「……あり、がと……ございます。本当、に……」
嗚咽混じりの、切れ切れなお礼だった。
「……ボクは、チルニアのことが大事だから助けただけです。お礼を言われるようなことは、してません」
ルーシアが言うと、チルニアの母親はコートを離した。それを、これ以上は何も言えないのだろうと考えたルーシアは、今度こそ店を出た。
『良かったわね』
「ピクシルのお陰だよ。あの時、ボク一人だったら、チルニアもボクも死んでた。本当に、ありがとう」
『な、なによ。あたしは大したことしてないから……っ!』
照れて姿を消してしまったピクシルに、ルーシアは安堵の混じった笑みを溢した。
──今日から、また前の賑やかな日常が戻ってきてくれたらいいな……
次かその次……まあ、少なくとも五話以内に新キャラ登場予定です。可愛いピンクの、男の娘? いや、女の子? でもない……まあ、とにかくちっちゃくて可愛いピンクっ子が出てきます。お楽しみに




