空白の証明
翌朝。ルーシアは唐突に開けられた扉の音で目を覚ました。時刻はまだ六時を過ぎたばかりだろうか。
「うみゅ……何?」
「ルーシア。ギルドの人が来てるよ」
「ギルド……もしかして、行方不明事件の進展があったの?」
「内容は分からないけど……とにかく、準備して来て。多分、良い話ではないと思う」
幼い頃から接客して来て人間観察には長けたミリアが言うのだ、良い話ではないのだろう。
ミリアが扉を開けたまま宿の受付へと歩いていったので、ルーシアは一度、顔をパシンと叩いて目と頭を起こし、軽く伸びをして体もある程度起こすと、さっさと着替えて念のため剣を持って部屋を出た。
受付には、いつもの受付嬢がやっと息が整ったかのような体で、ギルドの制服で汗を拭っていた。そばにはミリアが立ち、タオルを受け渡している。
「あの、もしかして……行方不明事件ですか?」
「……恐らく、そうだと思われます……ルーシアさん」
受付嬢の目はルーシアの紅い瞳を貫かんとするほどの鋭さで、ルーシアを見つめた。ルーシアもこれは何か重大な問題が起きたのだろうと予想が付いた。
「あなたに、指名依頼が出ています。依頼主は、呉服店ケルシニルの店主、依頼内容は……『そのご令嬢、チルニアさんの捜索』です」
「……え?」
一瞬、ほんの一秒程度だろう。ルーシアの思考が停止した。だが、これは目の避けられないことだとすぐに自分に言い聞かせ、理解を拒否した脳に無理やり理解させる。
「……それ、本当なんですか? 何で、チルニアが?」
震えそうになる声をなんとか出し、受付嬢に尋ねる。その返答は、望むものとは真逆だった。
「……今朝、つい先程依頼されました。昨日の夕刻、夕飯のお使いに出て以降帰っていないとのことです」
昨日の夕刻……それは、ルーシアが店を出て数時間後のことだろうか。
「理由は分かりません……どのような基準で誘拐されるのか、そもそも現在、何人が行方不明になっているのか分からないんです……依頼を出した事実しか、分からないんです」
「……いや、なんだよそれ。だって、ボクは行方不明者が出てるから捜索の依頼を受けて……それで……」
──そうだ。昨日も、誘拐の基準をパミーに伝えようとして、思い出せなかった。まさか、そんなことがあるのだろうか
「……記憶が、ない?」
「……それだけではありません。行方不明者は、ギルドの方でメモに残していました……そのメモから、行方不明者の名前全てが消滅していて、思い出すこともできないんです。それこそ……本当にこの依頼が、正規のものなのかすら不確かになって来ています」
つまり、記憶も記録もほとんど証拠が残っていないということだ。ルーシアは無意識に腕に着いているパミーのところで買ったダイエット器具に触れる。意図せず、そこに力が入っていた。
「……依頼は、受けます。絶対見つけます」
今すぐにでも駆け出したい気持ちだった。だが、ここで闇雲に探しても無意味なことは、ルーシアは分かっていた。だからここは一度冷静に、今ある情報から整理しなければならい。
ルーシアは、歯を食いしばり、爪が肉に食い込むほどに強く手を握った。
♢
部屋に戻ると、ルーシアはベッドに腰を下ろし、ピクシルを呼んだ。
『えらいことになったものね』
「ピクシル、君の力を借りたい……いいかな?」
『いいわよ、別に。私の出来ることなら、何でも』
ここで「今なんでもって?」などとバカふざけする気にはなれない。チルニアが誘拐されたのが昨日の夕方なら、それから既に一晩が経過していた。犯人の目的が何かは分からないが、もし命の危険があるとすれば、今日中に見つけなければ無理かもしれない。
「現状、犯人の居場所は分からない。それに、ボク達は記憶も記録も制限されている状況になる。この制限された記憶は思い出そうとしても簡単には思い出せない……と思う。少なくとも、常套手段じゃ無理だろうね」
『そうね……忘れるはずのない妖精である私が忘れているもの。これは、魔法が絡んでるに違いないわ。でも……魔力は感じていないのよ』
「ボクも、最近は練習も兼ねてなるべく意識してるけど、感じてない。つまり、記憶がないのはボク達に直接干渉する魔法じゃなくて、間接的、それか副作用的にボク達から記憶を消去する効果のある魔法が使われているんだと思う」
ルーシアはともかく、存在が魔力であるピクシルが魔力を感じ取れないなんてことは絶対になかった。つまり、本当にルーシアやピクシルに直接的な影響を及ぼす魔法は使われていないのだ。
「それで、今この街の中を魔力振動で見たけど……チルニアの反応はなかった。だから、チルニアと犯人の居場所の可能性は街の外が高いと思う……」
『何か、引っかかるような言い方ね。思い当たることは全部言っていった方が正解に近付くんじゃないかしら?』
「うん……この感覚、今回が初めてじゃない気がするするんだ」
『この感覚?』
「チルニアが……友達が誘拐されて怒りに震える感覚。でも、どこでこんな目に遭ったのか分からないんだ……少なくとも、前世の記憶じゃないと思う。それに、ボクが覚醒する前のルーシアの記憶でもない……多分、学園生活の中で起きた」
ルーシアは久しく頭を高速回転させている。そのため、既に頭痛が僅かながら思考の邪魔をしていた。しかし、それでもルーシアは考え続ける。理由は簡単だ、チルニアを──大事な友達を助けたいから。
「……そうだ。もし本当にその感覚が初めてじゃないなら、実際に数年前に誘拐事件……しかも、アルミリア、チルニア、パミー、アニルド……それかミリアの誰かが誘拐されたはず。ミリアはともかく、この四人の誰かが誘拐されるとすると、相手は戦い慣れているか誘拐の手練れ……」
しかし、ルーシアはここで行き詰まってしまう。なにせ、ルーシアの記憶は主に愛斗の記憶なのだ。ルーシアの記憶は年数が短い上、意識が愛斗の意識を優先的に表に出しているため、記憶の主張も愛斗のものが激しい。つまり、ルーシアはこの世界についての、特に歴史や世界情勢には疎かった。
今思い出そうとしているのは、名の知れた誘拐犯もしくは犯罪グループ。しかし、ルーシアがそれをこの場でパッと思い出せるかと言うと、ほぼ不可能に近い。
『この世界について、ほぼ全てを知ってると言っても過言ではない存在がいること、お忘れじゃないかしら?』
「! そうか、ピクシルは六千八百年生きた生ける証人……! ピクシル。ここ数年……特に、二、三年以内に噂や名前を聞かなくなった有名な犯罪者かグループ、分かるか⁉︎」
『そうね、犯罪グループ……あれは六年前だし、ブラッド団は四年前に王都で潰された……そう言えば、ここ一、二年、スレビス盗賊団の噂を聞かないわね。幼い少女の誘拐をよくしてた誘拐グループだけど』
「スレビス……もしそいつらがこの街で犯罪をして、そのターゲットがアルミリアかチルニア、パミーだったとすると……ボクはそこにすぐに向かう自信がある。そういえば、二次学年になった当初、アニルドの顔が暗かったな……何でだ? でも、集団戦の特訓が始まった頃には元に……それに、ボクは何かが原因で集団戦のヒントを得た……アニルドには妹がいたはず……ああ、そうか……それらを繋げたら、そうなる……これが事実なら……」
『何一人で納得行ってるのよ。私にも分かるように説明してよ』
恐らく思考を読めるのだから、本当は理解しているのだろう。だが、ルーシアが口から説明することでその仮説の理解を深め、本当に起きたことを思い出させる手掛かりにしようとしているのかもしれない。
「あくまで仮説だよ、これは……二次学年が始まる前、長期の休暇があった。その休暇でアニルドは街から出ていたって聞いた。そこで妹がそのスレビス盗賊団に誘拐されたなら、アニルドが暗くなる理由には十分になり得る。その後のスレビス盗賊団がこの街で隠れ、アニルドの妹も共にいたとする。そしてそこでボクのパーティーのうち、誰かがそいつらに誘拐されてボクがそれを助けに行った……歴戦の誘拐グループなら集団戦にも慣れてるから、ボクが集団戦のヒントを得るとすれば、可能性はある。そこで盗賊団が壊滅したなら、音沙汰ないのも頷けるし、アニルドの調子が戻ったのも分かる……どうかな?」
確かにこれは仮説で、事実として起こったこととは限らない。しかし、筋は通っている上起こらなかったとも言い切れないのだ。
『……確かに、可能性はあるわね。それが今回のことにどう繋がるの?』
「ピクシル、もしボクがこの世界……ううん、この時空にいなかったものとなったら、ピクシルはボクのことを覚えていられる?」
この質問は、ルーシアの──いや、愛斗の勘だ。前世で培ったさまざまな知識や、アニメなどで手に入れたものもある。それを踏まえての質問だ。
『時空……分からないわ。存在しなかったことになるって言っても、それまでの出来事はあったって訳でしょう? なら、忘れない……もし忘れたとすれば、記憶の空白が出来ると思うわ』
「……ボクは魔法には詳しくないけど、こんな気がするんだ……この記憶と記録の喪失は、時空魔法で切り取られたからだって。そういう魔法、あるんでしょ?」
『……ええ、あるわ。確かに、一時的に自分をこの時空からズラすことで、相手の攻撃を躱すなんてこともする奴はいたわ。それを長時間続ければ……その人は、モノはこの時空にいなかったことになってもおかしくない……』
「……じゃあ、もう解決まであと少しだよ。スレビス盗賊団の件が事実だとすれば、ボクはこのことを忘れていたことになる。つまり、今回の行方不明事件とスレビス盗賊団の事件は、何らかの形で関係しているから忘れた……時空を切り離して忘れたとすれば、それはスレビス盗賊団が潜伏していた場所って考えれないかな?」
場所ごと切り離す。そうすれば、その場所で起きた出来事はなかったことになり、その場にいた者の記憶には空白が出来る。ルーシアは、その空白を感じていた。つまり、この誘拐の犯人はスレビス盗賊団が潜伏していた場所で、そこを時空魔法で切り離して隠れている、ということになる。
『……あんた、意外と頭回るのね』
「その話は後だよ。次に問題になるのがそれがどこか……魔力振動でも感じ取れないから、どうしようもないよね?」
『あんた、魔力振動を使った範囲は?』
「この街全体」
『ちっがう。立体的なことを聞いてるの』
「立体……確かに、人のいる場所だから地上と地下しか調べてない……まさか、空に?」
『空に人はいないけど……私も今気付いたとこよ。空の魔力の流れ、見てみなさい』
ルーシアは木製の窓を開け、そこから空を仰ぎ見る。集中力を高め、魔力を見通す──そして見えたもの。それは、街の中へ降りていく、魔力の流れだった。それは自然に起きるものではない。つまり、人為的な魔力の流れ──すなわち魔法だ。
──チルニア、今助けに行く……!
ユメジユ……夢の中の自由譚との交互投稿(実際は別サイトでもう一つ書いてるのでその三つのトライアングルサイクルだけど)にするつもりでいるので、ゆっくり気長に待ってください。じゃなくて、気長に待ってくれると助かります……あと、気分が乗らないと書けないので、それも兼ねて……




