前世のトラウマ
「はぁ……めんどくさいことになった」
部屋に戻りすがら、ボクは溜息を零す。仕方ないじゃないか、こんなめんどそうな異分子がこれからずっと張り付き続けるんだから。
「めんどくさいとは酷いわね。妖精の神聖さが分からないのかしら? この世界で最も神に近しい存在よ?」
半ば脅されながらピクシルの面倒を見ることが決まったはいいが、間違いなくこれは面倒なことになる前触れだろう。いや、そうとしか思えない。
しかし、ボクが男であることが広められてしまえば、ボクの学園での居場所が狭くなってしまう。
「……せめてボクにも何か利益があれば、許容できるんだけどな」
「あら、こんなに可愛い妖精様が近くにいて、ご不満?」
「五不満通り越して六不満だよ……いや、どうでもいいギャグは置いといて。君にとっては黙っててあげるというボクにとっての利益があるかもしれないけど、ボクからしたら脅しなんだよ。何かこう、妖精ならではのボクに利益が出るようなことないの?」
ピクシルは少し面倒臭そうな表情を見せる。ボクの方が面倒被ってるんだが。
「そうだ。妖精なら寿命も長くて、魔法にも知識豊富なんじゃない? ボク、この世界の常識とか魔法の知識とか浅いからさ、その辺のこと教えてもらえると嬉しいな」
「ええー。めんどくさい」
「頭潰そうか?」
「無駄よ。あれ、何、変な感じ……い、いだい! 何これ、は⁉︎ ちょ、やめっ、分かった分かったから! 魔法の知識あんたにあげるからああああ!」
イメージでピクシルに痛みを与えてみたが、どうやら成功したらしい。いやはや、この世界はイメージで何でもできそうだ。というか、ピクシルは出来ないってさっき言ってたけど、やりようによってはできるじゃないか。
「な、何なのよ今の……私ですら知らない魔法……?」
「ピクシルに痛みをー、って強くイメージしただけだよ。これに懲りたら、ボクをあまり下に見ないことだね。次は今の一点五倍くらい試してみようか」
「ひっ!」
よし、脅し返し完了!
これで魔法の知識も手に入るし、ちょっと面倒ごとに巻き込まれるような予感はするけど、まあその辺もこの便利な能力で捻じ潰せばいいか!
「……おや、ルーシアさん。お早いのですね」
「ほ? ああ、えーと……」
金髪碧眼の少女……確か、アルミリアさんだったか。この街の領主の次女だっていう記憶がある。
「あー……おはようございます、アルミリアさん。ちょっと嫌な夢を見まして……それに、寝癖が酷かったので、脱衣所の鏡で整えてました」
二割ほど嘘を孕んでいるが、まあ大丈夫だろう。
……それに、何故か胸が騒つく。人と話すくらい、なんともないはずなんだけど……ルームメイトだから、昔みたいに不幸なことが起こるって思ってるのか? そんなバカなことがあるかよ。
「左様ですか。嫌な夢……大丈夫ですか? 私で良ければ、話は聞きますが」
「大丈夫ですよ、慣れっこなので。じゃあ、部屋に戻って着替えます」
ダメだ。騒つきが収まらない。三年間世間から隔離して、新しい世界に来て、昔のことは振り切れたと思ったのに……。
「……」
「……何?」
「別に」
ピクシルが見つめていたものだから聞いてみたが、すぐに目を逸らされた。ちょっと不審に思えるが、問い詰める気も起きなかったので思考から振り払った。
部屋に戻ると、右のベッドの一、二段目でチルニアとパミーが熟睡していた。朝食にはまだ時間があるし、準備も時間がかかるものでもないから、もうしばらく寝かせておくことにした。
「……とりあえず着替えよう」
時間が経って、胸の騒つきはある程度収まった。やはりまだ昔のことがトラウマに残っているらしい。ただの思考バイアスであり、因果関係などカケラもないはずなのに。
部屋の入り口近くにある荷物入れのうち、ルーシア用のところから制服を取り出す。麻製の布で作られたもので、地球のポロシャツのような硬い襟はついていない。
寝巻きを脱いで制服を身に付けていると、ピクシルが唐突に尋ねてきた。
「あんた、転生者なの?」
「……そうだよ。ピクシルは多分、ボクの思考読めるんでしょ。ボクの魔力周波? が、少し男寄りってだけでボクが男だと判断は多分出来ない……その魔力周波の男女差は、体によって決まるものじゃなさそうだしね。それに、ボクは自分が男であると思考以外で発した覚えはない。だとすれば、思考が読めると判断するのが妥当だろうからね……転生者であること、黙ってると、無駄な時間がかかるだろう。否定はしない」
「……意外と頭回るのね。話が早くて助かるわ」
ピクシルが目の前でホバリングするので、手を差し伸ばすとその上に座った。触覚を操っているのか、ボクの手にサラサラの衣服とすごく僅かな重みが加わる。
「転生者って言葉があるってことは、これまでもいたの?」
「ええ。と言っても、この世界に来た転生者は一人だけよ。しかも、かなり前のこと……そうね。数千年は前かしら」
この世界と地球の時間の流れの差がどれだけあるか……それに、その転生者が本当に地球から行ったのかも分からない。でも、転生者という存在があったのならボクの存在の理解も早いだろう。
「ちなみに、その転生者は何かしたの?」
「さあ、記憶がないわ。実際、噂に聞いただけで会ったことはないの」
「ふうん。じゃあいいや。そろそろアルミリアさんが帰って来そうだな……一旦話は終わりにしよう」
「分かった。それじゃ、これからよろしく、転生者さん」
「ルーシアでいいよ。そんな、ゲームの主人公みたいに……って言っても、分からないか」
その瞬間、扉のノブが回った。それと同時に、ピクシルがボクの手の上から姿を消した。多分、この辺を漂ってるのだろう。
「二人とも、まだ寝ていらしたのですね。そろそろ起こした方がよさそうでしょうか?」
「……そうですね。起こしておくので、アルミリアさんはどうぞ準備してください」
「お言葉に甘えさせていただきます」
胸の騒つきが蘇る。やはり、ボクには人と関わることは許されないのだろうか。そんな思考が過るが、頭を横に振って振り払う。
「……ルーシアさん。何か悩んでいるようなら、話して下さいね」
「っ……はい。その機会があれば」
一瞬、怖気立つような感覚がした。ピクシルの時はある程度覚悟していたが、アルミリアさんに対しては何も考えてなかった……思考を読まれるとは、思いもしなかった。
実際、詳細までは掴めていないようだ。だが、ボクが何か悩みのようなものを感じ取ったあたりから見れば……アルミリアさんは、感覚が鋭いのかもしれない。具体例を挙げるならば、HSPのような。
「……そのうち、打ち明ける日が来るのかな」
誰にも聞こえないよう、小さく呟く。
一度短く深呼吸をした後、視線を前に上げて、大きく手を鳴らす。
「はーい二人とも、朝だよー!」
背後で「びっくりしたぁ……」と声が聞こえた。どうやらアルミリアさんまで驚かせてしまったらしい。
ボクの声と手を鳴らした音に、チルニアとパミーも目を覚ました。