痛み
全身が炎に晒されているかの如く熱く、痛い。もう意識が朦朧とし出した。なのに、痛みは終わらない、終わってくれない、永遠に続くような気さえしてくる。
ピクシルの魔法は予想以上に優秀──そう、優秀すぎるくらいだった。切り離された肉や骨はたちまち回復し、飛び散った血液も何事もなかったかのように体の中に戻って流れる。神経も断たれようがすぐ再生する。それが末梢神経だろうが、中枢神経だろうが関係ない。脊髄も脳も、断たれようが砕かれようが、即座に再生してしまう。
それ故に、痛みは消えることはない。ずっと痛みは続く。立っているのも辛い。いつになったら終わるのだろうか。そもそも、終わるのはトレントの攻撃だろうか、ボクの命だろうか、ボクの意識だろうか……そんな思考が、痛いという感覚の隅を過ぎる。
ピクシルも懸命なのだ。どうしてルーシアをここまでして助けようとするのか、ルーシア本人には分かったものではないが、それでもこれだけの高度な術を使ってまで助けようとしているのだ。いくら魔術に長けているとしても、おそらく神経のみ回復しない、などという高等テクニックを使うのは無理なのだろう。なにせ、ピクシル自身身体の構造をここまで詳しく知ったのは、ルーシアと行動するようになってからなのだから。
十分か、十五分か、三十分か、一時間か……痛みという情報に慣れていない脳にかかる負荷のせいで、時間感覚など残っていなかった。この攻撃がどれだけ続いたのか、予想もつかない。
死にたい苦痛、死にたくなる苦痛、本当なら死んでいる苦痛……でも、後ろには守らなきゃならない人が、支えてくれる人がいる。死ぬわけにはならない。死んではならない。そして、ピクシルの魔法で死ぬことはできない。
──耐えろ、耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろだえろだえろだえろ…………
……攻撃は、唐突に止まった。痛みは襲ってこない。ただ、これまでの痛みが残り、全身が砕け散っているんじゃないかというほどの痛みが持続的にルーシアの意識を刈り取ろうとする。
光の失せた瞳でトレントを見上げる。まだ攻撃しようとしているのか、バキバキと音を鳴らしながら枝の付け根から木片をそこら中に撒き散らしている。
──耐え……きった
そう思った瞬間、体が前へと傾いた。
「『ルーシアッ!』」
二つの声が重なった。それが、引き金になった。ルーシアは右足をなんとか前に出し、体が倒れるのを堪える。痛みで脚はプルプル震え、まるで生まれたての小鹿の如くだ。
「来るなレイル!」
「っ!」
レイルが足を止めた。ルーシアは顔だけを後ろに向けて、痛みで引き攣りながらも笑顔をレイルに見せた。
「ボクは、大丈夫だから……レイルは、後ろでボクを、安心させて」
何も出来ないことを悔やんでいるのだろうか。レイルは歯を砕く勢いで噛みしめながらもバックステップで後ろに下がった。背後では、木が枯れたこととルーシアがトレントの攻撃に耐えきったことで、騒然としている。ルーシアは、トレントに一歩二歩と近寄る。
『……あんた、もう限界近いわよ。気を付けないと、死ぬわ』
「そうだね……ボクの無茶に付き合ってくれて、ありがと。少し、休んでて」
妖精が疲れるかどうかは分からないが、ルーシアはとりあえずそう言っておいた。ピクシルは魔力の操作をやめたのか、姿を消した。
──全身痛い……もう、頭使いたくないけど、ここからが勝負なんだ……頑張れ、ボク
ズキズキと芯から痛む頭を酷使し、骨も筋肉もはち切れそうなくらい痛くても前に進む。ルーシアは剣に手を掛け、剣帯から鞘ごと抜き取って地面に置き、二メートルほど横にスライドさせる。大きく息を吸い、痛みを我慢して声を出す。
「あんたらの攻撃手段は無くなった! その木が栄養を吸い取れる範囲の土は痩せ、木は枯れた。光合成をしようにもレイルに枝葉を切り落とされて、ただでさえ効率が良くないのに今じゃほとんど動くには至らないほどしか作れないはずだ! ボクはこの通り攻撃の意思はない。魔法も使わない。話し合いをしないか!」
まだトレントはバキバキと音を立てて枝を動かそうとしている。しかし、相変わらず木片を散らすだけで動く様子はない。
トレントは本来、普通の木だ。木は成長という形以外でそう簡単には形を変えない。ましてや、あのように高速で動くことなど不可能だ。しかし、ここは世の理を書き換えることのできる物質──魔力の存在する世界だ、木であろうと意思と魔力を使うための器官さえあれば、それは例外ではないのだ。
しかし、例え意思と器官があったとしても、動くにはエネルギーが必要になる。さらに、動くことを想定されていない木を動かすのだ。人間が動くために使うエネルギーとは比べ物にならないだろうし、動かしているのはこの高さ三十メートルは下らない大樹だ。例え五百人の意思があろうとも、莫大に必要なエネルギーによって動きも稼働時間も制限されてくる。
ルーシアはそのことに気付き、これを使えばトレントの動きを封じれるということに、木が枯れているという報告の時点で気付いていた。しかし、どのようにしてそのエネルギーを使い果たさせるか、どのようにして誰にも被害を与えないようにするか。そこに焦点を当てたせいで、踏ん切りがつかなかったのだ。
「どうだい、人間を滅多打ちにして。少しはスッキリしたかい?」
「……あなたは何故、人間などという下劣な存在の為にそこまでするのですか。人間など、命をかけるほどの価値はありませんよ」
「……へぇ、自我保ってる人いたんだ」
これもピクシルと同じように、はたまた声を聞かせる時と同じように魔力の操作なのか、一人の金髪の青年が姿を見せた。二十代前半と見受けられるその整った顔は、怒りに歪んでいる。
「答えてください。聞いているのはこちらです」
「ボクが、幸せを願ってるからだよ。人間だからとかじゃない。ボクはみんなの幸せを願っている。だから、誰かを不幸にするならば、その害悪を排除するだけだよ。それは、人間とか亜人とか、それこそ悪魔や魔物だって変わりない。幸せを願い、他の存在に害を与えないならボクはその存在は守る」
ルーシアは意志の籠もった声で言う。少し前に思い出した前世の記憶。あれがルーシアの──愛斗の思いを強くした。例え自分が関係ないのだとしても、近くの苦しむ人を見たくなかった。その思いは今も前世も同じなのだ。ただ、その見ない手段が違うだけだ。逃げるか、立ち向かい救うか、その違いだ。
「分からない……私はずっと、誰かを幸せにしたくて頑張っていたのです。なのに……なのに私は、夢半ばに殺された。人間など、所詮は自分のことしか考えることのできない下劣な存在だ! まだただ食って寝ての生活を送る魔物の方がマシだとは思わないか?」
「思うよ、すごく思う……でもね、自分のことしか考えることのできない人間は、全員じゃないよ。人間の中にも、人の幸せを願って、自分を犠牲にして、死ぬ間際だろうと誰かの幸せを願う人だっているんだ。たった一部の人間で、すべての人間を語るな。それに、あんただってそうなんだろう? 人の幸せを願って、自分を犠牲にしてきた……まさにあんたがそうじゃないか」
「ああそうさ、私は人の為、国民の幸せのために尽力した。この先も尽力するはずだった……父上だって、尽力したんだ。なのに、国民は極限まで下げた税をもっと減らせとうるさい、弟はそんな甘温いことしてるから国民が喚くんだと口うるさく言う……その挙げ句、私は国王に昇格する日に弟に殺された。ならば、人間なんていなければ、こんな苦しみも、幸も不幸もなくなる。そんな世界、素晴らしすぎやしないか!」
君もそう思うだろう、とでも言いたげに男は言う。国王だのなんだのという話のせいか、男の大振りな身振り手振りはどことなく日本の選挙演説を思い起こさせる。どことなく様になっているのも、王子としての演説などの経験の賜物なのかもしれない。
「……そうだね。そうなったら、ボクも頑張らなくていい」
「そうだろう?」
「……でも、そんな世界、ボクは望まない」
体育の授業で人とぶつかって鼻を打撲しました。鼻血ドバドバでした。
感想待ってます




