ボス戦前の特訓
日が昇り出すまで随分と長い時間、部屋の中でだらけていた。電球なんかはまだ発明されていない世の中だ、蝋燭を使うのももったいないため、火魔法を灯りとして、土魔法の練習を兼ねてフィギュアを作ってみた。中々に良作ではなかろうか、このアルミリアは。
着色は後々やるとして、細かいところまでこだわったため時間が掛かり、既に日が上がり始めていた。寝間着から特訓用の衣服に着替える。
今日は本戦の前日ということもあり、明日に備えて軽く動く予定だ。二日程筋肉痛で無駄にしてしまったし、今日で仕上げなくてはならない。準備不足で、反応が間に合わなくて死んでしまったなんてことになっては、なんとも情けないからね。
食堂へ向かうと、昨日と同じくミリアが慌ただしく動いていた。昨日と同じ席に座り、昨日と同じものを注文して食べる。客足が少し落ち着いたところで、昨日と同じようにミリアが近付いてきた。
「今日はどうするの?」
「道場で軽く動いてくる。筋肉痛も、やっと落ち着いたからね」
「そっか。頑張って」
「うん。リアも、いつも通り頑張れ」
「もちろん」
短く言葉を交わす。忙しい上に、ボクの内心を考慮してだろうが、今はミリアはあまりしつこく話し掛けてこない。恐らく、昨日のことも関係しているのだろう。変に気持ちを乱されるよりは、こちらの方がありがたいが。
問題が終わったら、沢山話をするとしよう。きっとミリアも色々話したいことが溜まっているはずだ。
「じゃあ、行ってこようかな」
「いってらっしゃい」
ミリアの見送りを受けて、装備を整えて宿を出る。
道場までのおよそ一キロ半の距離を、準備運動も兼ねてジョギングで向かう。休みを挟んだからか、どことなく体が軽く感じるのは気のせいだろうか。
貴族区に少し入ったところにある道場の周りは、少し着飾った人が大勢いた。華やかさを感じる中に、人々の心の中の黒い部分が見えてきてしまいそうだ。
道場に入り、少し息を整えたところで、筋トレや体幹トレーニングを始める。この数日で少し鈍った身体は重たいが、すぐに感覚は戻ってくる。
既定の数をこなしたところで、戦う予定はないが、剣を抜いて素振りを始める。学園生時代の日課のトレーニングメニューに入っていたから、その名残のようなものだ。それに、やっておいて損はない。
『何か手伝うことはある?』
脳内に、直接ピクシルの声が響く。姿は見えているが、恐らく魔力で見せている虚像の方だろう。
「じゃあ、レイルと戦う前にやってたアレ、頼めるかな。反応速度を鍛えるなら、やっぱりアレがいいと思うんだ」
『分かった。準備が出来たら呼んでちょうだい』
ピクシルが消えるのを横目に見ながら、素振りを続ける。
肌に触れる空気は冷たく、チリチリと痛くもあるが、動いて上がった体温と放出されているだろうアドレナリンのせいか、あまり気にならない。
「三百! っと。こんなもんでいいか。ピクシル、お願い」
いつもなら千回はするところだが、数日のブランクとこの後の特訓、明日のことも考慮して少なめにしておく。
『了解。休憩なくていいの?』
「本当の戦いに休憩はないからね。それに、このくらいじゃ音は上げないよ」
『そ。じゃあ、行くわよ!』
周囲の魔力が乱れるのを感じながら、剣を構える。数秒かけた深呼吸をして、精神を落ち着かせ、集中力を高める。
次の瞬間、魔力が数十、数百の土塊や氷塊へと形を成し、ボクへ向けて放たれる。
それらを、時に剣で弾き、時に体を捻り躱す。徐々に周囲の雑音は遠ざかり、視界はよりクリアに、意識はより深くへと落ちていく。
数分も続くと、腕と脚が徐々に重くなってくる。これ以上続ければ、ミスも増えて怪我が出来るかもしれない。
でも、あえてその状況に自分を置いて、更に続ける。根性で自分を追い込み、自分の限界と向き合う。そうすることで、今よりも強くなる。
「ぐっ」
顔の真横を、もみあげの髪を数本巻き込みながら、氷塊が通過する。僅かにバランスが崩れるが、その流れに身を任せて片手で側転をしながら大きく移動する。
それでも飛来し続ける氷と土の礫を、回避と斬撃で凌ぐ。
「ピクシル、ストップ……!」
そう声を絞り出し、最後に飛んできた土塊を斬り払う。
集中を解いて、深呼吸をして上がった息を整える。
『大丈夫?』
「うん。ちょっと追い込みすぎて、疲れただけ」
『そう。休憩でも挟む?』
「そうする。ああ〜、腕ダルい……」
床に座り込む。手をついたところは凸凹としていて、ピクシルの魔法の威力を物語っている。強度のある木材を使っているから穴は空いていないが、時空魔法などで修復した方がよさそうだ。
「ピクシル、時空魔法で道場の修復頼めないかな?」
『えぇ〜……そのくらい自分でしなさいよ。苦手だとしても、やんなきゃ上達もしないわよ』
「分かってるけどさぁ……分かった、自分でやってみるよ」
よいしょ、と立ち上がり、凹みだらけの床を見下ろす。
空間に関わる魔法はそれなりに使えるようになったのだが、一向に時間に関わる魔法は上手くいかないのが、現状だ。原因はなんとなく分かっているが、主には時間に干渉することは無理だ、という愛斗時代の意識が働いているのだろう。
でも、ピクシルの言う通り、練習せずして上達はないだろう。仕方なくやってみる。
「時間を戻すイメージ……時計を逆回転……」
目を閉じて、今の凸凹な床を思い浮かべる。次に、その床のイメージを保持したまま、時計が逆回転するイメージを浮かべ、徐々に床が元の平面に戻る様子を描く。そして、床が平面になったところで、時計の回転を止める。
あくまでボクがしやすいイメージで行ってみた。これまで何度か似たようなイメージで行ったことはあるものの、成功確率は三割といったところで、決して高くはない。むしろ低い。
どうせ今回もダメだろう、という悲観的な先入観に溜息を零しながら目を開いてみる。
「およ?」
『何よ、出来てるじゃない』
予想に反して、成功していた。ここ数週間の特訓で凹みだらけだった床は、綺麗なフローリングへと戻っていた。
苦手な魔法の成功に、少し胸が高鳴る。剣を持っていない左手で、小さくガッツポーズを作るくらいには、気分が高揚していた。
『これで私の仕事が減ったわね』
「残念かい?」
『別に。働いたところで何かご褒美があるわけでもないし、むしろ楽になるわ』
「ちゃんとお礼は言ってるだろ。まあ確かに、ピクシルって何に喜ぶのかよく分かんないけど……いや、たまに食事分けてるだろ!」
『……確かにもらってたわ』
等価交換の原理でいけば、どう考えてもボクの方が与えているように思える。確かに、魔法やこの世界の知識なんかは、ピクシルから聞いたけれども、日々の提供は圧倒的にボクの方が多いはずだ。
「……また何かしてもらわないと」
これで修理の成功率が百パーセントになるとは思わないが、イメージの仕方が分かった以上、以前よりは格段に成功しやすいだろう。つまり、ピクシルからの供給が減るということだ。
『……な、何よ。変なことはしないわよ!』
半目でジトーっとピクシルを見つめていると、体を抱きかかえながらピクシルがそう言った。
「変なことって何さ」
『そりゃ、変なことってのはあれよ、変態なやつとか、変人なやつとか』
「悪いけど、ボクに身長数十センチの妖精体に欲情するような性癖はないよ。お願いするとしても魔法関連だろうから、あまり変な期待はしないでくれ」
『私が望んでるみたいに言わないで欲しいのだけれど。まあいいわ、魔法だったら大抵は朝飯前だから、お好きにして』
ちょっと意地悪なお願いを今度してみよう、と心に誓った。
ちょっと喉の渇きを感じて、魔法で水を作り出し、氷のコップに入れて一気に飲み干す。コップも魔法からなっているから、放っておけば水蒸気と魔力で霧散するだろう。
コップを縁側から外へ投げ捨て、屈伸などで軽く筋肉を伸ばす。剣を握る右手に何度か力を加えて、柄を握る感触を確かめ、問題なさそうなので「よし」と小さく呟く。
「ピクシル、さっきより数は少なくていいから、速くて重いの頼めるかな?」
『重いの……このくらいかしら?』
「いや、それはもう重いどころか潰れるよ」
ピクシルが大玉転がしで使う球並みの土塊を示してくるものだから、若干青褪める。でも、冗談だったらしく、ボクの反応を楽しんでか少しニヤリと笑みを浮かべてから、その土塊をソフトボールくらいの大きさの球十数個に分裂させた。
「うん、そのくらい。速さは、トレントの攻撃を参考でお願い」
『分かった。じゃ、準備しなさい』
ピクシルの言葉に頷いてから、一度剣を回して正面に構える。腰を落とし、魔力振動の感度を上げ、先程と同じく集中力を高める。
徐々に、ピクシルを中心に周囲の魔力が乱れ始める。
流石にあのサイズを斬れば、刃が欠けるのは容易に想像がつく。念のため、刀身に魔力を纏わせて強度を上げておく。
『行くわよ』
ピクシルの合図に、顎を引いて小さく頷く。
瞬間、右側から氷塊が飛来する。正面に構えていた剣を右へと水平斬りをしながら、右半身を九十度、右足を引いて回転させる。そして、刀身が氷塊に触れた瞬間、氷塊が砕けると同時に、ボクの右腕も少し跳ね上がる。
「っ……!」
予想以上の威力に、左と後ろからコンマ数秒の時差で飛んでくる土塊を、斜め右前へ跳んで躱す。
前回り受け身で衝撃を殺しながら元いた場所へと向きを変え、両手で持った剣で、対戦車ライフルの弾丸の如く飛んでくる土塊を叩き砕く。今度は、衝撃で体勢を崩すことも、剣を弾かれることもなかった。
球の速度は、恐らくマッハ一は越えるだろう。どこから飛んでくるから分かるから反応出来るものの、これを出所も分からず躱そうとすることは、まず無理だ。恐ろしや、音速。
その後も、ソフトボール大の大きさの土や氷で出来た、音速で飛んでくる球を、回避を中心にダメージを喰らわないよう防御する。これは、後でまた道場の修復をしなければならなさそうだ。
三次元で繰り出される音速の攻撃は、予想以上にボクの体力を奪っていく。まだ二分と経っていないだろうが、既に腕は重く、息は上がり始めている。
正面から飛んできた氷塊を右水平斬りで砕いた直後、左に次の攻撃が現れる。しかし、重くなった腕は、その攻撃へと間に合わない。
四メートル程離れた位置に出来た土塊は、ピクシルのコントロールによって、マッハの初速をその無機物に纏う。半ば反射的に、左腕の新品の盾を構え、腰を落としてその衝撃に備える。
土塊は盾と衝突した瞬間に、その衝撃に耐え切れず砕け散った。しかし、その作用反作用の法則でボクに加わった力は勿論消えることはなく、土塊と盾との接点から生じた加速度で吹き飛び、裸足と床との間に生じた摩擦力で脳が焼けるような痛みを味わう。
思わず跪き、次の攻撃への備えが遅れる……が、その攻撃は来ることはなく、魔力の乱れも生じていない。
『ちょっと、大丈夫でしょうね⁉︎』
近寄ってきたピクシルが、鼓膜を揺らす肉声で心配の言葉を掛けてくる。正直、足の裏はジリジリと火傷のような痛みは残っているし、かなりの衝撃を受けた左腕はジンジンと鈍い痛みを主張している。
ふと、盾を見下ろしてみるが、ほとんどない装飾には、一切の傷が付いていなかった。魔力付与の武器防具というものは本当に頑丈なのだと、身を持って思い知る。
「うん、一応は」
痛みに耐えながら、少し引き攣っているだろう笑みを浮かべて答える。ピクシルも、このくらいならどうともないと分かっているのか、安堵……だと思いたいが、小さく溜息を零した。
胡座をかいて座り、左腕と両足の裏に回復魔法をかける。勿論、修復速度上昇の方だ。時空魔法の方は、まだ怖いから簡単な擦り傷などで練習中なのだ。
『特訓、続けるの?』
「もうちょっとだけお願い。十一時くらいには戻って、夕方には寝てしまいたいから、出来てもあと一時間くらいかな」
『この特訓続けるつもり? そのうち酷い怪我するわよ。あと、明日の筋肉痛』
「あはは、確かに。でも大丈夫。怪我は治せるし、終わったらアイシングもマッサージもちゃんとするから、あまり心配しなくていいよ」
『……ま、あんたが言うならいいんだけど』
回復が終わり、一度寝転んでから曲げた脚を伸ばす勢いを使って、立ち上がる。時空魔法で床を直したところで、もう一度ピクシルに同じものを頼む。
その後一時間程度、その特訓は続き、ボクの体は何度も怪我をした。でも、最後になるにつれて、その数は減っていった。




