戦いの時は近い
ミリアの住み込みで働いている宿の、一番東端の部屋を借りたボクは、宿に着いてからさっさと夕食を食べ風呂に入り、そのまま眠りについた。風呂は、設備としてはあるものの、魔法で入れれる者がいない限りは使われていないらしく、めちゃくちゃ汚かった。魔法で一瞬間のうちに掃除した。
翌朝、部屋の扉のノック音で目が覚めた。ちょっと待ってと伝えて、衣類や髪を整えてから待たせ人と相対する。
「よ。寝起きか」
「まあね。そっちこそ、随分と早起きなんだね」
「有事でもなけりゃ、いつもは日がほぼ昇るまで寝てるんだけどな……」
苦笑いを浮かべながら、寝癖であちこちに飛び回った髪もそのままのレイルが、若干掠れた声で言う。
時刻はまだ六時を過ぎておらず、そのためにボクもまだ起きていなかった。レイルの先程の発言を顧みるに、何かあったということだろう。
「何があったの?」
「さっき、セルガストが朝っぱらから言伝に来たんだ。内容は、おほん……『神樹が街に接近し出した。速度からして数日の猶予はあるが、なるべく早く対処したい云々』だそうだ」
なんでモノマネ、云々ってなんだよ、と、ツッコミどころは色々あったが、確かにこれは有事だ。いつもは昼前まで寝ると言うレイルが、現時点でシャキッと目を覚ましているのも、頷ける。
「数日か……距離とおよその速度からして……」
魔力振動を展開し、神樹をその中に捉える。確かに、先日よりも近付いているのは確かだ。進行速度は、およそ時速百メートル。街からの距離は約十五キロだから、ボク達に与えられた時間は六日程。
ただ、近付きすぎると対処中に街に影響が及びかねない。出来れば、五キロは離しておきたいので、四日以内には対処したいところだ。
計算してみて分かったが、やはり進む速度は凄く遅い。歩いても追い抜けるくらいだ。一秒間の進度から計算したが、一瞬では動いていないようにも思える。
だが、確かに神樹──トレントは街に近付いている。放っておけば、一週間後にはここは無人の街として、将来の心霊スポットになってしまうだろう。それだけは避けたい。
「出来れば今日は休養に充てたい。一昨日の疲れがまだ取れきってないんだ。だから、対応は明日以降、そうだな……今日中にある程度の用意はするから、明後日の早朝にしよう」
「昼間じゃダメなのか?」
「別に構わないんだけど、相手は一応植物だからね。出来るだけ、弱った状態の相手と戦いたい。まだ、死にたくないし」
この前の調査で、トレントは夜でも昼間と変わらないくらいには動けることは分かっている。しかし、もしあの巨木を動かすのに栄養が必要なのであれば、光合成のほとんどしていない夜を過ぎ、移動でほとんどの栄養を使っているだろう早朝がいいはずだ。
もちろん、トレントが動くのに栄養を使うという根拠はないし、推測だ。でも、可能性を一パーセントでも上げるなら、確実性のない根拠も信じてみるのもいいだろう。
「ま、俺じゃ何を狙ってるのか分かんないけど、お前が言うなら何かあるんだろう。頑張って起きるわ」
「前日は早く寝ること」
「はいよ。んじゃ、俺は軽く動いてくるか。今更寝るのも、ちょっとあれだしな」
そう言い残して、レイルは部屋へと戻って行った。レイルの借りている部屋はボクの部屋から三部屋西側にある。もし何か用があれば、すぐに行けば良い話だ。
レイルと話をしたし、既に身支度も整えてしまった。眠気も多少飛んでしまったから、筋肉痛を和らげるのも兼ねてどこか出掛けようか。そうだ、防具を新調しないといけないし、武具屋でも行っておっちゃんと駄弁るか。
「の前に飯だな」
寝起きはあまり空腹を感じることはないのだが、今日は少しお腹が空いている。あと一時間もすれば、音が鳴り響いて赤面する羽目になるだろうし、ミリアに頼んで作ってもらうか。いつも通りなら、ミリアはもう起きているだろうし。
コートに腕を通し、剣帯に鞘に入った剣を挿す。一度大きく伸びをして、長時間の睡眠で凝り固まった筋肉を解す。至る所で筋肉痛が悲鳴を上げているが、一昨日あれだけの勝負をしたのだから、仕方のないことだ。
「痛いものは痛いけどな」
苦笑いを浮かべつつ、独り言を溢す。部屋から食堂へと向かい、掃除をしているミリアを見つける。向こうもボクに気付いて、一度中断してこちらに近付いてきた。
「おはよ。よく寝れた?」
「ぐっすり。寝過ぎたくらいには寝たよ。朝ご飯、もう頼める?」
「もうちょっと待ってて、ここで掃除終わりだから」
「りょ」
ミリア以外誰もいない食堂の中、座席の一つに腰を下ろす。頬杖をついて、モップで床を磨くミリアをぼーっと眺める。
冬も本格的になりだした最近にも拘らず、ミリアは袖を捲り上げ、額に汗の粒を光らせている。ここが最後と言っていたし、他の廊下やトイレなんかは既に終えているのだろう。毎朝一人で宿中を掃除するというのだから、凄いものだ。昼間には全部屋ベッドメイキングしているらしいし。
それを六年間、ずっとやり続けているのだ。ミリアは昨日、自分なんかちっぽけだ、などと言っていたが、これだけでも十分に凄いことだと思う。少なくとも、ボクは二ヶ月ももたない。
ボクの学園への出費がない以上、自分の生活費以外にかかるお金は本来ないはずなのだ。なのに、ここまで頑張るのには、他の理由……例えば、村を取り返した後、自分の宿を建て直すみたいな理由があるのだろう。
「終わったよ。何食べたい?」
「サラダとスープで」
「分かった。すぐ作るから」
掃除道具を片付け終えたミリアに、注文する。このメニューで小銀貨一枚というのだから、安いものだ。大盛りにしても、銅貨五枚追加するだけ。
「おまちどー」
数分程でミリアが戻ってくる。宿のおばさんが既に準備を進めていたのだろう、湯気を立てるスープと、ボクがレシピを提供したドレッシングのかかったサラダが、机の上に置かれた。
「ありがと」
「今日はどうするの? 朝、ギルドマスターがレイルさんに会いに来てたから、何かあったっていうのは分かるけど」
「今日は武具屋行って、その後は体力回復に努めるよ。ちょっと大きいクエストに行かなきゃいけないからね」
トレントのことは街には公表されておらず、勿論ミリアも知らない。一足先に卒業した理由も、さっき言った大きいクエストに参加する、ということにしてある。あながち間違いでもないのだが、ギルドに今回のクエストの詳細は、口外禁止にされているのだ。
確かに、変に不安を煽るのは街の中で暴動なんかが起きかねないし、理に適っていると思う。だが、もしボクが討伐に失敗すれば、その時は公表して街の外に逃げることになるだろう。それこそ、色々と反感を買いそうではあるが……まあ、それに関しては、ボクが負けなければいい話だ。
「……うん、いつも通り美味い」
「なら良かった。私、仕事に戻るね」
「うん、ありがと」
ミリアが離れていき、厨房の方に姿が消えたところで、スープに目を落とす。これも、ボクが少し手を加えたレシピで作っているのだが、ボクが始め作ったものに比べると味が濃い。多分、それも一つの特徴なのだろうが。
スープとサラダを五分程度で食べてしまい、食器は机の上に置いたまま、洗面所へと向かう。そこで歯を磨いて、宿を出た。
いつもの武具屋に着いたはいいが、早過ぎたのかまだ開いていなかった。ただ、ノックしてみるとおっちゃんが姿を見せて、中に入れてくれた。ちょっと文句は言われたけど。
「ンで、今日は何の用だ。剣はこの前研いだばかりだろう」
「防具を買いに来たんだよ。お金はあるから、なるべく機能性のいいものない? こう、魔力防具みたいなの」
「あるにはあるが。お前さん、何か大きな仕事でもあんのか?」
でかい手で、禿頭を撫でながらおっちゃんが聞いてくる。勿論、一般市民であるおっちゃんも、トレントのことは知らない。口外禁止ではあるが、学園を一足先に卒業などという普段はないことが起きている。それに、一応強さは知れ渡っているボクが、だ。何か問題があると勘付いている人も、少なからずいるだろう。おっちゃんのように。
「まあね。ちょっと東の森の探索をしないといけなくて」
「ああ、あれか。冒険者が消えてるっつう」
「それだよ」
しみじみと、「そっか」と繰り返す姿は、どこか哀愁を感じた。恐らく、いなくなった冒険者の中に、知り合いも何人かいたのだろう。それこそ、自分が打った武器や防具を使っていた冒険者もいただろう。何せ、この街にある武具屋は、ここともう一軒しかなく、そのもう一方はどちらかと言えば貴族向けの店舗だから。
変に触れない方がいいだろうと思い、何も言わずに待っていると、おっちゃんが奥の部屋から何かを取り出してきた。
「ほれ」
「……防具?」
おっちゃんがボクに手渡してきたのは、黒みがかった金属の防具だった。盾というよりは、籠手と言うべきか。ただ、手首から肘にかけてのもので、ちょっと違うようにも思うが。ボクが使っていたあの防具を本格的にしたもの、とでも思えばいいだろうか。
「お前にやるよ」
「え、タダで?」
「ああ。それは、少し前に東の森に調査に行った、魔術師が魔力を込めたもんだ。もし帰って来なければ、次調査に行く奴にあげてくれ、って言い残して置いてった」
なんというか、悲しいストーリーのある防具だ。こうして渡してきたということは、その人は既にこの世を去っているのだろう。
それに、この形状の防具はつい先日まで使ってきたものと同じだ。むしろ、いきなり盾に切り替えるのよりはいいのかもしれない。
「そういうことなら、ありがたくいただくよ。えーと、これをこうして……出来た」
おっちゃんから受け取った防具を、装着してみる。これという目立った装飾こそないものの、今までのに比べれば見栄えは良くなっただろう。手首の動きも阻害されないし、もし左手で剣を振る日が来ようとも、問題なさそうだ。
魔力を含む防具ということもあり、強度は抜群だ。ちょっとやそっとのダメージでは、びくともしないだろう。
「うん、上々」
「ならよい。他にいるものはあるのか?」
「あまり装備し過ぎても、動きにくいだけだし……胸の防具くらいかな、後は」
「そこにあるのから選べ。魔力ものも一応あるからな」
「はーい」
ぶっきらぼうに告げるおっちゃんに返事をして、胸の防具が並べられた棚を眺める。
男性用のチェストプレートから、胸の大きい女性用のブレストプレート、鎖帷子なんかもある。値段が書かれた木札も置かれていて、それも確認しながら一通り見て回る。
まず、体格の小さいボクは、小さめのものに限る。それに、胸もないに等しいので、女性用のものは大き過ぎるのが多い。
冒険者自体、十歳からなれるので、子供用のものも置いてある。その中から、一番値段が高いものを選ぶ。魔力も含まれているし、サイズもちょうど良さそうだ。値段は、金貨五枚だった。
「よし、ぴったり」
「それなりに冒険者っぽくなったじゃねえか。ガキにも衣装だな」
「うっせえ」
日本で言う「馬子にも衣装」だ。
本音を言えば、衣服も戦闘用に買いたいのだが、それは後回しにする。スカートに普通の上着という、なんとも戦闘向きではなさそうな服装ではあるが、スパッツを穿いているだけマシだろう。あまり見られたいとは思わないが。
それに、チルニアと卒業後に店に寄る、と約束している。その時に服も新調するつもりでいる。
「さて、用事は済んだし……また来るよ」
「勝手にしろ」
つっけんどんに言い放たれた言葉に苦笑を浮かべながら、武具屋の扉のノブに手を掛ける。
「おい、小娘……いや、ルーシア」
珍しく名前で呼ばれたかと思い、振り返ると、真剣な表情のおっちゃんがボクを鋭い目で見つめていた。
「死ぬなよ」
激励か、心配か、どっちもか。意図は読めないが、その言葉に胸がぐっと熱くなる。
「お得意様が減っちゃうもんね」
「ハッ、言ってろ」
でも、素直にその言葉を受け取るのが気恥ずかしくて、ふざけた返答をしてしまう。いつものことだとばかりにおっちゃんはぶっきらぼうに言い返すが、その顔には普段あまり見せない笑みが浮かんでいた。
こうしていると、ボクを応援してくれる人って、沢山いるんだな……と、しみじみ思う。性に合わないような気もするが、やっぱり素直に嬉しい。
武具屋を出て、宿へと戻る道を歩く。戦いの日は、刻一刻と迫ってきている。明日が終われば、もう命を懸けた戦いだ。何度も戦う決意はしてきた。してきたが……やはり、本当は怖い。今踏み出す一歩が死へと続いていると考えると、その一歩すらも怖くなる。
「このままじゃ、ダメだよな……」
小さな声で、呟いた。