右手の傷
先程までとは打って変わって真剣な声音のレイルに、こちらまで畏まってしまう。しかし、ギルドでの様子やこうして尋ねたことから考えて、レイルはこの傷について何か知っているかもしれない。
今のところ、この傷が理由で魔物を引き寄せた容疑が晴れた、という経験があり、貴族に関わるものではないかと推測している。それに、ボクは捨て子ということもあり、この傷と捨てられたことへの関連性も否定出来ない。
「推測でしかないけど、この傷は貴族と何か関係していて、なんらかの理由で捨てられる時に付けられるもの……だと思ってる。経験則だから、あまりアテにはしてなかったけど」
「推測でそこまで分かってるのは、逆に凄えよ……ああ、確かにその傷は貴族に関係する。捨てられることにも関わっている」
推測は正しかったようだ。でも、ここに至るまでの材料が幾つかあったから思い至ったのであって、自信は無かった。
それに、捨てられたことの関連性も、正直確実性は低いと見ていた。ただ、ルーシアの記憶の中に、この傷は拾った時からあった、その時は塞がりかけだった、と聞かされたというものがあったため、もしかしたらと思っていたのだが。
ここまでで、一つの仮説が出来てしまった。これについては、後で触れるとしよう。
「それで、この傷痕の正体はなんなの?」
「忌み子って分かるか?」
「うん。望まれずして産まれたとか、変な能力とかを持ってるみたいな理由で、存在を疎まれてる子のことだよね」
「ああ。その傷は、本来なら忌み子を捨てる時に付けられる、貴族の風習みたいなものだ。あと、なんか通り名も付くらしいけど……すまん、俺平民出だから、その辺は詳しくないんだ」
忌み子として扱われる理由なら、一つ思い当たることがある。不可思議な涙のことだ。
あれについてはボクもまだほとんど解明出来ておらず、しかも流れると魔物が攻めてくるときた。そうなると、ルーシアが魔物を引き寄せているのではないか、と思われても無理はない。
「……一つ聞きたいんだけど。ボクは、貴族なの?」
「それに関しては俺には分からないな。昨日言った白髪紅目には貴族の血縁関係があるけど、お前はもしかしたら変な特徴を持って産まれてきた、なんて可能性もあるからな」
変な特徴って……アルビノやオッドアイみたいな、突然変異のことだろうけどさ。
先程言った仮説だが、それがルーシア貴族説だ。レイルからは確実性を持たせることは出来なかったが、ほぼ確実と見ていいだろう。
忌み子として扱われるには十分な異能、貴族が忌み子を捨てる際に行われるという風習の傷痕、しかも拾われた時は塞がりかけだったという。これだけの条件が揃っていれば、貴族の可能性はかなり高い。
レイルの言う白髪紅目の二人との血縁関係があるかは分からないが、少なくとも何らかの関係があるように思える。何せ、生来の白髪紅目はこの世界にほとんど存在しないらしいからだ。世界中を旅しているらしいレイルが言うのだ、信じてもいいだろう。
突然変異の可能性については、多分ないだろう。肌の色はアルミリアとほぼ同じくらいだし、アルビノ説はないはずだ。
「まあ、何はともあれ……この傷痕の意味が分かったのは、いい収穫だったかな。ずっと気になってたんだよ」
「まだ確定はしてないと思うけどな……あと、出来れば隠した方がいいぞ。ある程度の教養を受けた貴族は意味を知ってるから、それを見て極端に忌み嫌うこともあるからな」
まるで見て来たかのような言い草だ。そういえば、平民出のレイルがどうして傷痕の意味を知っていたのだろうか。
「もしかして、知り合いにこの傷痕を持ってる人でもいるの?」
「う……まあ、いるにはいるけど……」
レイルの視線が泳ぐ。その視線が一瞬ユリリーナに向いたので、ボクもそちらへ視線を動かすと、ユリリーナが首を横に振った。どういう意図でそうしたのかは分からないが、その知り合いのことは話すな、という意味だろうか。
レイルの言う知り合いというのは、ユリリーナとの関係が深いのだろうか。それとも、あまり話したくない存在なのだろうか。色々と疑問が浮かぶが、あまり掘り下げない方がよさそうだ。
「じゃあ、そこからの情報ってことだね。実際に忌み子として捨てられた子の言うことだ、信頼出来るよ」
ボクが追及しなかったことに、レイルが引き攣った顔を緩めて溜息を吐く。余程話したくないのだろう。それか、その人物を知られてはいけない理由でもあるのだろうか。まあ、そのうち知る機会もあるだろう。
しかし、これから先、旅に出ると貴族と会う機会も増えるだろう。それに、冒険者としてのクエストで、護衛をする機会もあるかもしれない。その時、傷痕のせいで不興を買ってしまっては困る。レイルのアドバイス通り、手袋か何かで隠すとしよう。
それよりも、アンダルドがこの傷痕を忌み嫌う方の貴族じゃなくて、本当によかった。余程、綱渡りなことをしてきたらしい。
「じゃあ、近いうちに隠せるものを買うとするよ。アドバイス、ありがと」
「ああ、気にするな」
笑みを浮かべるレイルから、ユリリーナに視線を移す。その表情は穏やかな微笑を浮かべていたが、右手を覆うように重ねられた左手に、妙に力が篭っているように思えた。
ああ、そういうことなのだろうか。レイルの言う知り合いは、もしかしたらユリリーナなのかもしれない。だから、レイルは先程、ユリリーナに確認をするように視線を向け、ユリリーナが教えるかどうかの可否を判断したのではないだろうか。
ただ、触れられたくない理由でもあるのだろう。今は推測に留めておいて、いつか話してくれるくらいに絆を深めてから、改めて尋ねてみるとしよう。
「ルーシアさん、いますか?」
控え室の入り口から、控えめな声が聞こえてくる。ひょっこりと顔を見せていたのは、アルミリアだ。
「いるよ。さて、ボクは一旦学園に戻るとするよ。明日には宿に住み込むつもりだから、そこでまた」
「分かった。そんじゃ、俺らも帰るとするか」
「うん。じゃあ、ルーシアちゃん、またね」
「うん、また。回復、ありがとう」
ユリリーナが頷いて、その後二人揃って控え室を後にした。
入れ替わりに、アルミリア達が中に入ってくる。皆、揃って大きな麻袋を手に持っていた。もしかしたら、賭けの払戻金だろうか。
「随分稼いだみたいだね」
「ええ、それはもうガッポリと。銀貨一枚が、金貨三十枚になりました」
それはまた、随分と大きく増えたものだ。余程、レイルが勝つと予想した人が多かったということだろう。多分、それが普通の感覚なのだろうが。
「今回は、賭け金の総額が、恐らくこれまでで一番なのではないでしょうか。レイルさんにもルーシアさんにも、たくさんの方が賭けていましたので」
「え、ボクに賭けた人って皆以外にもいたの?」
てっきり、ほぼ全員がレイルに賭けたものだと思っていたが。いや、実際払戻金の倍率から考えて、ボクとレイルのそれぞれに賭けられた金額は大幅に違うだろうが。
「ええ。人数はさほど多くはありませんが、観戦にきていた約六千人のうち、二百人程が賭けていらしたそうですよ。受付の方に聞きました」
領主の娘権限を使ったのだろうか。
にしても、三十分の一とはいえ、二百人もの人がボクが勝つと予想してくれたらしい。もしかしたら、予想ではなく街に住んでるから、なんて理由の人もいるかもしれないが。
それでも、それだけの人がボクを信じてくれた。なんとも、嬉しいものだ。そして、その期待に応えられた今、その喜びは更に大きいものとなっている。
「チルニア、君の声聞こえたよ」
「え、ホント⁉︎やった!」
「もしかして、ボクに賭けてたから勝てって言ったの?」
ちょっとからかうように、聞いてみる。すると、
「そんなわけないでしょ! あたしは、ルーシアに勝って欲しくて、勝てって言ったんだよ!」
「ご、ごめん、冗談のつもりだった……」
ガチギレされた。チルニアは頰を膨らませて、腕を組んでボクから視線をフンッと逸らす。後で何か奢って、ご機嫌を取るとしよう。
「……明日で、私達の学園生活はお終いなんですね。あっという間の三年間だったように思えます」
アルミリアが、憂いの瞳で小さく呟いた。
皆はまだ半年残っているが、ボクを含むこのメンバーでの学園生活は、もうお終いだ。そう思うと、ボクも胸が苦しくなってくる。
前世での学生生活というものは、大して記憶に残っていない。小学校では仲のいい友達はおらず、宿泊学習も修学旅行もタイミング悪く風邪を引いて休んでしまった。運動会もボクが出た競技はボクのクラスが勝ってしまうため、あまり喜ばれた存在ではなかったように思う。
中学に関しては、一年も過ごしていない。すぐに大学に飛び級進学したからだ。だから、本当に記憶にほとんどない。あるとすれば、あのボクに告白しようとした女子のことくらい。
大学でも研究に没頭していたため、こちらも記憶にない。こうして考えると、ボクは本当に学生という一生のうちの大切な期間を、残念に過ごして来たようだ。勿論、卒業式で寂しいだの悲しいだの、そんな感情が湧いたことはない。
でも、今、こうして胸が苦しくなっている。一度死んで、ルーシアという少女の身体を借りて、ボクは今度こそ青春を送ることが出来たのだ。日本での生活とはかけ離れているが、本当に楽しかった。
でも、ボクはまだ死ぬわけじゃない。皆もまだ死なない。だから、学園生活は終わりだとしても、友達として、仲間として、ライバルとして終わるわけじゃない。
「一度離れ離れになっても、また必ず仲間になれるよ。だって今、こんなに楽しいんだから」
「……そうですね。これからも人生は続くのですから、まだまだ絆を深めることはできますね」
微笑みながら胸に手を当てて、アルミリアがそう言った。その言葉には、嬉しさが滲み出ていた。
「さてと。それじゃあ、我らが学園に帰るとしようか。出立の準備もしなきゃいけないしね」
よっと、と声に出して立ち上がろうとした瞬間、視界がフラッと歪んだ。勢いそのまま前に倒れそうになる。が、誰かが支えてくれたのか、途中で止まり倒れずに済んだ。
「大丈夫か?」
「ああ、アニルド……ありがと」
そして、アニルドはボクの腕を掴んだまま、背中を向けた。
「学園までおぶってやる」
上からな言い方なのが少しマイナス点だが、ここは甘えておくとしよう。今の一瞬で、ボクは相当疲れているということを実感したし。
「お願い」
そう言って、アニルドの背中に体重を預けた。
恐らく、こういう時は胸が押し付けられるのを気にするものなのだろうが、残念なことにボクのそれはまな板と遜色ないくらいに平たく、今は革製と言えど防具を着けている。ほとんど感触はないだろう。
アニルドが腿裏に手を当て、短く息を吐きながら立ち上がった。少しくすぐったいが、しばらく我慢するとしよう。




