ギルドマスター
「はあっ、はあっ……」
チルニアを担いだまま、方角だけは気にしながら走って逃げ続けた。途中、ドロウスも見かけたのだが、戦う余裕はない。精神的に。
息も絶え絶えになり、森を出た瞬間、ボクとアニルドは転ぶようにその場に倒れ込んだ。アルミリアも、その場で膝に手をついて鼻先と顎先から汗を落としている。全員、呼吸は荒々しい。
体力を消耗しすぎたか視界が霞む中で、チルニアの左手首にボクの左手を宛てる。脈を感じ取った瞬間、心底安心して深く長く息を吐いた。勿論、呼吸もしている。
「アニルド……パミーの、左手首……触って。振動、してる?」
ボクの声に、アニルドが倒れたままパミーの左手首に触れる。しばらくして、サムズアップした様子から、パミーも無事なようだ。つまり、このパーティーは全員無事……あの謎の人物達には、感謝してもし足りないだろう。
一度は大きな穴の空いた腹部に触れる。流石に服までは戻っていないが、体に損傷は見受けられない。体内も、恐らく大丈夫だろう。時空魔法による回復だというのは分かるが、五人同時にあの傷を元に戻すとなると、あの魔法使いは余程の手練れに違いない。
ボク以外も、服が所々破れたり穴が空いたりしている。ただ、どれも致命傷に至るような箇所を穿っているものはなく、脚や脇腹、肩などが多かった。恐らく、トレントから距離があった為に狙いが定まらなかったと予想できる。ボクは一番近かったから、上手いこと腹を貫かれたのだろう。
「ふぅ……危なかったな」
「全くだよ……今はチルニアとパミーが寝てるから、話は後でするよ。ギルドにはボクから報告しておくから、四人は先に寮で休んでて。昼食までに戻れたら、その時に話す」
「ルーシアさん、その……」
「話は後。今は報告を急ぎたいから……まだ動けないなら、もう少し休んでから帰りな。ボクは、先に行くよ」
アルミリアの言葉を止めて、立ち上がりながら二人に伝える。多分だけど、アルミリアは自分のせいで皆が死にかけた、と思っているのだろう。まあ、想定外の事態だったのは事実だが、ボクが根っこの攻撃を予測してなかったのが主な原因だ。アルミリアには、ほとんど罪はない。ゼロとは言い切れないが。
それも、ボクが黙って行ったことを差し引けば、大した問題ではないだろう。そもそも、ボクがトレントのところに行かなければ、こんな事態にはならなかったのだから。
魔法で服を修復してから、皆から離れて行った。
四人を置いて街に戻る。やはり、出立の時と雰囲気はなんら変わらない。それもそうだろう、誰が神樹がトレントになっているなどと思うだろうか。チルニアの言っていた言い伝えも──信じるか信じないかは別として──知っている人はそれなりにいるはずだ。そんな神聖な木が魔物へと化けているなど、事実だとしても信じたくないはずだ。それこそ、チルニアのように。
「ピクシル、いる?」
『いるわ。ホント、無事で良かったわよ……』
「なに、心配してくれるの? 嬉しいなあ」
『べ、別にそういうわけじゃないけどっ! あんたに死なれたら、私の目的を達することが出来なくなるから、困るだけで……』
「はいはい」
周りから見ればボクは独り言を言っているようなものなので、異常者に思われてしまう。なので、ピクシルとの声に出しての会話はここまでにして、ギルドへと足を向ける。
──冒険者の証、一つだけ回収出来たんだよね?
『ええ。ほら』
ピクシルが収納魔法から、金属の枠にうずらの卵くらいの大きさの石が嵌め込まれた、ペンダントのようなものを取り出す。それを受け取って、観察してみる。
石には紋様が浮かび上がっていて、何を示しているのかは分からない。紋様から連想出来るものといえば、獣の爪の引っ掻き痕だろうか。三つの筋が斜めに描かれている。石の色は灰色で、紋様はより黒に近いグレーだ。
「これが、冒険者の証か……」
金属部には僅かに血痕が付いている。既に完全に固まっていて、少し触れば剥がれ落ちてしまうだろう。
中には魔力が込められているらしい。魔力振動での干渉はピクシル同様簡単ではなく、つまりは独立した魔力が含まれているということだ。
独立した魔力というのは、軽度のものならば生物に含まれる先天魔力、重度のものならばピクシルのような妖精や、魔法だ。比喩するならば、マーキングされた魔力と思えばいいだろう。ただ、先天魔力が軽度なのは理由は分からない。身体の損傷を確認する時にあまり苦労しないから、ボクとしてはありがたいのだが。
そして、この冒険者の証も、魔法や妖精と同様に重度の独立した魔力を含んでいる。これが、冒険者の情報を収集する基盤になったりするのだろうか。
──そういえば、ピクシル。あの神樹が素になってるトレントって、一つの魂が操ってるの? あのサイズを一人って、中々な奴だと思うけど。
『そんなわけないじゃない。あんなの、私でも簡単には動かせないわよ。私の予想では、五百は超えるんじゃないかしら』
「ごひゃく⁉︎」
あまりの数の大きさに、つい大声を上げてしまい、慌てて口を両手で塞ぐ。一瞬にして周りの視線がボクへと向き、小さく「すみません」と謝りながら、両手を上げる。すぐに、元の状態へと戻ったのは、ありがたかった。
──じゃあ、あの黒い靄はその五百人の魂が理由なの?
『どうかしらね。今はそれで説明が付くけど、私はあの神樹が生えた頃から見えていたわよ』
じゃあ絶対違うじゃん。チルニアの話が事実だとしたら、神樹が神に植えられたのって何百何千年も前じゃん。トレント事件が始まったの二ヶ月前なんですけど。
黒い靄については更に謎が深まってしまった。でも、トレントに関係ないのであれば、今は無視することにしよう。
そうこうしているうちに、気付けばギルドへと到着していた。普段は冒険者の証で討伐については確認するらしいのだが、ボクらはそんなもの持っていないので、口頭上での報告になる。まあ、一体だろうが百体だろうが、体験なので金額は決まっている。倒したという報告だけでいいのだが。
入り口の高さ二メートル半近い扉を開き、中に入る。ほとんどの冒険者の視線がボクへと向き、少し顔を青褪めた。恐らく、ボクが一人で来たものだから、他のメンバーがやられたと勘違いしているのだろう。
近付いて行った受付嬢も若干表情を硬くしている。いやはや、皆さんお優しいことで。
「大丈夫です。仲間は少し休憩してから帰ってくるので。ボクは、ちょっと報告があって先に帰ってきただけです」
「そ、そうなんですか……無事なら、よかったです。それで、報告というのは?」
「ギルドマスターにお会い出来ますか?」
♢
ギルマスの部屋へと通されたボクは、白黒混ざり合った長めの髪と髭を拵えた、怖そうな人物と相対していた。この人が、ギルドマスターだ。名前はセルガスト。
ボクは二年半前にも面識があって、あのゴブリンの群れが街を襲ったのを撃退した時、冒険者に連れられて一度だけ言葉を交わしたことがある。口調はちょっとキツイが、優しいことは知っている。
「して、久々に訪ねて来たと思えば、報告とはなんだ?」
渋い声でセルガストが聞いてくる。視線から放たれる圧が怖えよ。
「最近有力な冒険者が東の森で消息を絶っているという事件についてです」
「ほう。確か、お前は東に向かっていたんだったな。それで、何が分かった?」
どこか、こうなるのを分かっていたかのような口振りだ。それに、何か演技っぽさを感じる。
「冒険者の消失は、東の森に生えている神樹──あの巨木が、トレントになっていたのが原因です。実際、この目で見て来たので確かです。それと、これを」
収納魔法から、ピクシルから預かった冒険者の証を取り出す。それをセルガストの前にある机に置くと、セルガストはそれを手に取り、目付きを鋭くした。
「……あいつのか」
どうやら、見覚えがあるらしい。というか、見ただけで誰のか分かるのだろうか。あれか、紋様が一人一人違うのかな。
「それ、トレントのところで回収したものです。何か役に立ちますか?」
「待ってろ」
そう言って、セルガストは机の中から小さな直方体のものを取り出した。そこに、冒険者の証を嵌め込む。どうやら、このブロックのようなものには、冒険者の証を嵌め込める穴が開いているらしい。
しばらくすると、ブロックが何やら薄らと輝き始めた。驚いたが黙って見ていると、その上部に半透明のパネルが現れた。
「嘘だ!」
「急に大声を出すな」
「あ、はい、すみません……」
予想外の事象に、つい前世で見たアニメのセリフを言ってしまった。だって、半透明のパネルだぞ? 近未来と言ったらこれだろ。え、もしかして古代文明があったりしたの、この世界?
「あの、それって……」
「冒険者の証とこの装置を使うことで、冒険者の情報を見ることが出来る。この証を作れるのはこの国に数人しかおらん故、希少なものなのだ。この石が特殊で、登録した者の情報を記録する……そして、この装置はこの石と連動させることで、情報の閲覧が出来る」
なにそれプログラミングでもしたのかな。というか、これだけ見れば日本より技術進んでそうなのだが。マイナンバーと同じ仕組みだよね、ほぼ。
予想外の物品に興味が惹かれるが、ここは大勢の命が懸かる大事な場面だ。あまり変な行動はよそう……冒険者になって安定したら、受付嬢のお姉さんにでも聞いてみるか。あと、分解して仕組みを見て見たいものだ。
「……確かに、トレントに殺されたと書かれている。こいつが並のトレントに負けるとは思えぬからな、信じるしかないか」
死因まで書かれてるんだ。恐るべし、冒険者の証の情報収集力。神様がデータ入力でもしてんのかな。どんどん冒険者の証とあの装置の謎が深まるばかりだ。いや、今日謎増え過ぎでしょ。困るよー、全く。
セルガストが冒険者の証を装置から取り外したと同時、部屋の外から声が聞こえた。こっちの世界にノックという概念はないということは、今日までで分かっている。たまにやってしまうが。
「入っていいか?」
 




