支え
夜も更けて、皆寝静まった。チルニアのために神樹をトレントから元に戻すと決めたものの、やはり足は地面に着いてくれない。
女子は集まって、アニルドは少し離れたところに横になる。皆の寝息が聞こえ始めた頃、ボクはとある重量に押し潰されそうだった。
「重い……」
想定はしていたが、まさか本当になるとは思っていなかった。寝相の悪いチルニアが横で寝ると分かった時点で、もっと警戒しておけばよかった。
ボクの隣で眠りに着いたチルニアは、その豊満なお肉を躊躇いもなく押し付け、幸せそうな顔で眠っている。なんというか、凄く邪魔なのに憎めないのが悔しい。せめてもの仕返しと、ほっぺたを抓るが、「ふぇ〜」とだらしない声を出すだけでなんの仕返しにもならなかった。
「まったく……」
チルニアを起こさないように押し退け、他の皆も起こさぬように、ボクはその場を立ち去った。勿論、歩けないので四足歩行──赤ちゃんの移動手段ことハイハイで。
空き地から少し距離を置いたところで、木を背に支えとし、右足だけでとりあえず立ち上がる。このまま勢いでいけるものならいいのだが、やはりそうご都合主義とはいかない。魔物が現れて荒療治、なんてことになってもいいのかもしれないが、出来れば皆を巻き込む危険は避けたいものだ。
「まったく、面倒なこった……」
内心としては、とっとと普通に両足で立てるようになりたいし、表向きは恐怖心などない。
しかし、心は──脳はそうは問屋が卸してくれない。一度刻まれた恐怖は、ちょっとやそっとでは消えてくれない。下へと脚に力を加えてみても、プルプルと震えるだけでちっとも動かない。さて、どうしたものか。
スマホかパソコンでもあれば、「トラウマ 克服方法」とかで調べるのも一手だが、流石にこの世界にはそんな未来の便利道具はないので、どうしようもない。それに、そういった機器があったとしても、インターネットがないから検索などできるわけが無い。
「まだダメなのか?」
「ふぉっ!」
突然の声に、奇妙な声が漏れる。魔力振動はしていたのだが、考え事に夢中で意識がそっちのけになっていたらしい。いやはや、危機感のないヤツだ、ボクめ。
「起きてたんだね、アニルド……」
火魔法で作り出した火を光源とし、明かりにする。ほぼ真っ暗だった視界に明瞭に周囲の物が見て取れるようになり、その中に帯剣したアニルドがいた。さっきまで寝ていた、という様子ではない、多分まだ寝付けてもいなかったのだろう。
「寝れるかよ、こんな状況で……」
「え? ……ああ」
この状況で寝付けるわけない、ということを理解した。ボクも随分と慣れてしまったものだな……女子に囲まれて寝るという状況に。
考えてみれば簡単な話だ。何せ、このパーティーは元々女子四人の中にアニルドが男子一人で入ったもの。よく紅一点の冒険者パーティーなんかはアニメで見るが、現状は逆転した状況である、云わばハーレムのようなものだ。しかも、アニルドにとってかつての憧れだったアルミリアもいる。
「うん、寝れないね」
かつての自分のことを思うと、凄く共感出来た。ボクも初めの頃は中々寝付けなくて苦労したものだ……一週間程度で慣れたけど。でも、それはボクが今は女子である、という事実があったからだろう。
「でも、まだクエスト終わってないから、寝てないと倒れられても困るんだよなあ」
「それに関してはなんとかするよ……それで、まだ脚はダメなのか?」
「ああ、聞いてたねそういや……うん、まだ無理っぽい。正直、早く元に戻ってほしいんだけどねえ」
「……何か、俺に出来ることはあるか?」
苦虫でも噛み潰しているかのような、そんな表情をしている。恐らく、まだボクのこの脚を自分のせいだ、とでも思って、自分を責めているのだろう。
正直、これはボクの心の問題であるため、アニルドに出来ることなどないに等しいだろう。しかし、ここで何もやらせなければ、アニルドに心の傷が残ってしまう。
「じゃあ、肩貸して。木にもたれかかってると、髪が汚れちゃうからさ」
「わ、分かった」
そう言って、アニルドが近寄ってくる。身長差があるため、横に来ると少し屈む。
てきとうに理由を付けて頼んでみたが、どうやら本人に効果はあったらしい。凄く真剣な表情をして、取り組んでくれている。
アニルドの肩に腕を回し、木から背中を離す。
「腰とか大丈夫?」
「何ともない」
「そっか」
多分、本当はちょっとキツいだろう。でも、理由は何であれ我慢するつもりらしい。アニルドのためだ、ここはその意志を尊重しよう。
なんて、他人の心配をしているが、やはりボクの脚は降りてくれない。いっそもう一度斬り落としてやろうか。いや、痛いのは嫌なのでやめておこう。それで戻らなかったら骨折り損ならぬ脚斬り損だ。怖。背筋凍るわ。
「……ルーシア」
「何?」
「変なこと、考えるなよ」
「変なこと? ボクがアニルドにそういった感情を抱くわけないでしょ。むしろそういうのは男子であるアニルドの役目だろうに」
からかうつもりで言ったが、アニルドの表情は真剣そのものだ。勿論、ボクもどういう意図で言ったのかはなんとなく察しはついている。
「はあ。心配してくれるのは嬉しいし、こんなになってる以上、アニルドの言い分が正しいのも分かってる。けどね、ボクは出来ることは全部やりたいんだ。例えそれに、命の危険があったとしても」
「トレントの存在は分かった。冒険者が不明になっている理由も分かった。それ以上、俺達学生に出来ることなんてないだろ」
「そうだね」
アニルドの言い分は最もだ。それに、トレントの攻撃で脚を切り落とされかけた恐怖から、こうなっているのだ。もしそれを克服して、普段に戻れたとしても、次はトレントに対して恐怖が湧き上がるかもしれない。そうなれば、ボクは強敵を前に足が竦んで動けなくなり、ジ・エンドだろう。
「アニルドは、ボクがいなくなるのは寂しいかい?」
「……別に。ただ、いつもいる奴がいなくなるのは嫌だし、お前にはまだ特訓をつけてもらうつもりでいるから、いなくなるのは困る」
「強がっちゃって」
「……寂しいとか、そういうんじゃないんだよ」
「そっか」
きっと、怖いのだろう。アニルドは一度、この森で妹をスレビス盗賊団に攫われて、しかも目の前で護衛の死に様を見ている。それを乗り越えたからこそ、今こうして戦えているのだろうが、それでもその時のことを思うと、やはり怖さが滲み出てくるのだろう。
「俺は、寂しいなんて言ってられない。強くなって、あんな目に二度と遭わないためにも……」
ボクの手首を掴むアニルドの右手に、力が籠る。すぐそばにある顔が、苦しそうな表情を見せる。食いしばった歯から、ギリギリと歯軋りの音が聞こえた。
あの日、アニルドの妹を助けた翌日、再会した時の二人の笑顔は忘れられない。きっと、お互い余程怖い思いをしたのだろう。妹に何もなく助けられて本当に良かったと、今でも思う。
あの出来事がアニルドの道を作ったのだとすれば、それは良かったのかもしれない。原因はボクにあれど、アルミリアという目的を失っていたアニルドが、もう一度覚悟を決められたのなら、あの事件に意味はあった。
しかし、アニルドに──恐らく妹にも──大きな傷を残したことは、否めない。それが彼にどんな影響を及ぼすのか、それはボクには分からない。でも、アニルドなら乗り越えられる……そんな気はしていた。
「……強いね、君は」
「は? 何言って……」
「辛い思いを、前に進む原動力に変えられる君は、強いよ。きっとアニルドは強くなる」
「……お前がいなきゃ、俺は前になんか進めてない。あの時、俺はどうすればいいのか何も分からなくて、ずっと塞ぎ込んでた。でも、お前が俺を覆ってた壁をぶち壊した。だから、俺は今、こうして進めてるんだ」
「そんな風に思っててくれるなら、光栄だよ」
「お前には、救ってもらってばかりだ……だから、今度は俺がお前を救いたい。俺がお前の支えになりたい!」
その言葉には、アニルドの本気が篭っていた。そんな風に言ってくれる人は、少なくとも前世には一人もいなかった。こっちではピクシルやアルミリアや皆が助けてくれることも多いが、支えてもらうということに慣れていないボクは、どうしてもそんな言葉に弱い。その言葉が、どうしてか強く心に響く。
胸から込み上げてくる何かを、無理矢理腹の中へ落とすかのように呑み込む。本当に、この世界に来てから、ボクは涙脆くなった。いや、もしかしたら、本当は元からこうだったのかもしれない。ただ、前世ではこういった涙を流すような経験がほとんどなかっただけなのかもしれない。
だとすると、この世界はボクを泣かせるのが上手いものだ。十七年で赤ちゃんの頃を除いて数え切れる程しか涙を流さなかった僕が、この世界に来てから何度本気で泣いたことだろう。
「……やめてよ、そういうの。そんな風に言われたら、ボク泣いちゃうよ?」
「え、いや、泣かせる気は……!」
「はは、冗談だよ。ああ、ホント、冗談……」
歯を食いしばって、溢れそうになる、胸から込み上げてくる感情を抑え込む。溢れそうな涙を目を強く閉じて抑え込む。漏れ出そうな嗚咽を強く唇を閉ざして抑え込む。
どうしてだろう。アルミリアの前だと躊躇いもなく泣けるのに、アニルドの前ではそんな姿を見られたくないと思っている。多分、チルニアやパミーの前でも泣くことに躊躇はないだろう。なのに、どうしてか。アニルドが男だから?
いや、違うか。きっと、ボクはアニルドに劣等感を抱いているんだ。アニルドはボクより弱いし、頭も良くないし、魔法も使えない。でも、ボクより心が強いし、ボクより早く誰かを頼ることを覚えた。だから、そんなアニルドに弱い姿を見せたくないんだ。
深呼吸をして感情を抑える。なんとか涙は流れずに済んだ。安堵の溜息を零す。すると、アニルドが急に驚いたような声でボクの名前を呼んだ。
「お前、足……」
「え?」
アニルドの視線を追って、ボクも足元へと視線を落とす。
「……はっ」
つい、笑みが零れた。さっきまで全然思い通り動かなくて、ずっと空中で静止してた左足が、いつの間にか地面に着いていた。
相変わらず、ボクは人を頼るのが苦手だなあ。こうやってアニルドがそばにいたら何とかなったのに、一人で全部なんとかしようとして……ああ、本当にバカだ。劣等感なんて抱いてる場合じゃないよ。
「ありがとう、アニルド」
「べ、別に、俺は何もしてねーし……」
「ううん、アニルドのお陰だよ」
火が赤く燃えてるからだろうか、アニルドの顔が紅かった。その顔が面白くて、ついニヒッと笑いが零れていた。
ああ、本当にアニルドのお陰だ。君がそばにいたから、支えてくれるって安心出来たから、きっとこうして心が恐怖に打ち勝てた。やっぱり、人の支えは凄く大きいんだ。思い知ったよ。
アニルドの肩に回していた腕を下ろし、自分だけで立つ。何度か左足で地面を踏みしめるが、もうあの光景が強く思い浮かぶことも、足が動かなくなることもなかった。
木を使ってバク宙もしてみたが、何ともなかった。後ろでアニルドが目を逸らしていて、何事かと思ったが。うん、回っている最中にスカートの中でも見えたのだろう。まあ、スパッツ履いてるから別に構わん。
「よし、これで大丈夫……そうだ、アニルド。ほれ」
「おっと……なんだ、布?」
「一緒じゃ寝れなさそうだし、離れて寝るなら必要でしょ」
「……別にいらん」
「じゃあ、風邪引いてもらっても困るから、使え」
収納魔法から取り出した大きめの布を、アニルドが(命令形に従って)素直に受け取ったのを確認し、ボクは皆が寝ている場所へと戻るため、アニルドを横切る。
「おやすみ。今日はありがとね、色々と」
「……おやすみ」
小さく答えたのを聞いて、火魔法を消滅させてその場を離れた。
その後、すぐに眠りに着いたため、アニルドがその後どうしたのかは知らない。
♢
「よし、十五体目」
「……なんかね、あたし、ルーシアからいつもと違う雰囲気を感じるんだ」
翌日、ドロウス討伐の効率は格段に上がっており、今日の探索開始から──ドロウス探しや休憩、昼食も含んで──ものの五時間で十五体も倒していた。体力温存のために索敵範囲を狭めているせいで、探すのに時間はかかるものの、一時間で三体倒せているのならば上出来なのは確かだろう。実際、倒すのには数分程度しかかかっていない。
ただ、倒しているのはほとんどがボクである。なんというか、ドロウスを見るとどうしようもない衝動が湧き上がってくるんだよ。こう、こいつは生かしちゃおけねえって。
昨日のあれのせいだっていうのは分かるけど、まさかここまでとは思いもしなかった。というか、ボク、いつの間にこんなに女の子の心が芽生えていたんだ。
「昨日あのようなことがありましたし、仕方ないと思います」
「むしろ、今平気でいることが不思議に思えてますよ、私は」
アルミリアの言葉に、パミーが続く。まあ、確かにドロウスに対してはこうだが、別に下着を見られたとか、多少のストリップシーンを見られるくらいなら問題は……うん、普通に嫌だ。そういや前世からそういうの嫌いだったわ。アルミリア達と風呂に入る機会が増えてて、麻痺してた。
ただ、それで引き籠もりになるとか、鬱みたいになるなんてことはない。それに、昨日はそれ以上に事件があったのだから、ドロウスだなんだなどと言っている余裕もなかったし。
「昨日のことはいいとして。どうする、正直もうクエスト切り上げてもいいと思ってるんだけど」
「まだ二日目ですよ? 終了日時はまだ十二日先のはずですが……」
アルミリアの言う通り、クエストの期限は二週間で、今日はまだ二日目だ。つまり、まだ日数はだいぶ残っている。
「クエストは終わり次第帰ってもいい。無駄に長居して、疲れて大怪我でもしたら元も子もないから、ボクとしては早めに切り上げたいと思ってる」
それに、トレントのことも、早めにギルドに伝えた方がいいだろう。森への侵入禁止令を出して、討伐のために対策を練る必要がある。これ以上の被害が出る前にそうした方がいいのは違いない。
「……俺はルーシアの意見に賛成だ。いくら俺達でも、慣れない環境に置かれての生活は、疲れが溜まりやすいはずだ。ミスを犯す可能性が上がる」
「そうですね。討伐数は書いていませんでしたし、ギルドも二、三体を想定していたでしょうから、十分だと思います」
「はい!私お風呂入りたいです!」
「ふふっ。そうですね。その意見には私も賛成ですよ、チルニアさん」
ビシッと手を挙げたチルニアに、アルミリアが微笑を零して同意する。これで、今日か明日には切り上げることになるだろう。
「今から帰ってもいいけど、今日はまだ森で過ごそう。この演習は野宿とかの練習も視野に入れてるから、念の為もう一日だけね」
「分かりました。では、もう準備に取り掛かりますか?」
時刻はまだ三時頃だ。今から準備して一時間かかるとしても、終わる頃にはまだ四時。だが、あまり遅くに始めても暗くなっていては手間取ってしまうだろう。
「先に野宿の準備は済ませて、その後様子を見てドロウスの討伐を続けるか決めよう」
「では、そのように」
ドロウスという単語に怒りが湧いてくるが、ここで私恨を優先して皆を危険に晒すのはゴメンだ。ここは安全を優先しよう。
……それに、せっかく一日延ばしたのだ。やるべき事をやらなければ。これは、ここにいる誰にも頼れないことだから。
そんな考え事をしているボクを、訝しげな目でアニルドが見ていたことには、気付かなかった。