巨大トレント
空き地から神樹までの距離は、おおよそ三キロだ。
森の中は木が生い茂っていて、方角を見失いやすいため、精神的な疲れは大きく伴うが、仕方なく魔力振動による索敵の範囲を拡げる。今のところ、まだアルミリア達は動き出していないらしい。
「ルーシア、こっちで合ってるのか?」
「大丈夫。さっきまでもちゃんとドロウスまで、案内してただろ」
アニルドが「そうだな」と小さく答える。
今のアニルドの心情は、なんとも想像しやすい。怖いのだろう、本当に命の危険がある所に向かうのが。それを紛らわすために、今こうしてボクに話しかけたのかもしれない。
「アニルドはさ、卒業したらどうするの?」
「は?今関係あるか?」
「関係ないから、聞いてるの」
アニルドも、自分の心情が分からないほど馬鹿ではない。ボクの気遣いを理解したのだろう、少し考え込んでから答える。
「……今は、迷ってるんだ。俺、下級でも一応貴族だからさ、跡取りのために家に残った方がいい。けど、本音を言えば、旅に出てもっと強くなりたい。多分、今の俺じゃ、家族を守ることなんて出来ないから」
「そっか、旅か……ボクと、同じ道だね」
「お前も、旅に出るのか?」
「卒業してすぐって訳じゃないけどね」
苦笑を混じえながら答える。アニルドも、今の会話で少し落ち着いたのか、表情から角が取れたように思える。
「……ドロウスが近くにいるけど、どうする?」
「どうせ討伐対象だ、倒そうぜ」
「分かった」
すぐ近くにいたドロウスを一体、さっきまでと同じ手順で討伐する。もう随分と慣れてきて、一体を倒すのに一分と掛からなくなった。
この調子なら、ドロウス討伐のクエストはそう日数も掛からずに終わりそうだ。
♢
しばらく歩いていると、遂に神樹の近くまでやって来ていた。距離はもう、百メートルとないだろう。
予想通り、周囲の木々は尽く枯れ果てている。お陰で、神樹はよく見えるのだが、それ以上に気分が悪くなりそうなくらい重い空気と黒い靄が、その威圧感を数倍にも数十倍にも膨れ上がらせていた。
いつも遠目で見ていたが、近くで見るとよく分かる。高さは、優に五十メートルは超えているだろう。周りの木が枯れ果てているのに、神樹は太陽の光を通さず黒々とした木の葉を微風に揺らしている。
「……近付こう」
「ま、待て、これ以上は!」
「いいよ、アニルドはここで待ってて。危険のないくらいまで、近付いてみるだけだから」
アニルドが歯を強く食い縛っている。きっと、ボクを止めるべきか、行かせるべきか、自分も着いて行くべきかで悩んでいるのだろう。
しかし、ボクはここで引き下がる気はない。少なくとも、この神樹──トレントの攻撃範囲は確認するつもりだ。
アニルドを置いて、一歩二歩と近付く。魔力振動の範囲は神樹が入るギリギリまでに絞り、いかなる攻撃にも反応出来るように集中する。
後ろから、腕を引かれた。アニルドだった。
「……お前だけに行かせるわけにいかない」
手の震えも、恐怖の表情も消えている。今の言葉に、相応の覚悟が篭っていることも伝わってきた。
アニルドの覚悟を受け、これを断る理由はない。頷くと、アニルドは腕を離した。
重苦しい空気の中、黒い靄に囲まれた大樹に向けて歩みを進める。
アニルドは大切な仲間だ、傷付けたくはない。集中力を高めるべく、深く息を吸い、細く長く吐く。
七十メートル、六十、五十……
木々の配置はどんどん疎らになり、あと三本越えると、その先はもう一本も立っている木はない。いや、神樹のみが立っている。周囲には、冒険者の装備だったであろう防具や武器、本人だっただろう骨も転がっている。
そして、一番近くの木を越えた瞬間──
「っ!」
地面を揺るがす轟音が森の中に鳴り響いた。少なくとも手榴弾の爆発なんか足元にも及ばないほどだ。
咄嗟に右に跳んでアニルドを突き飛ばしたボクだったが、トレントの攻撃はあまりにも速すぎた。
魔力振動の範囲内で、僅かでも動きがあれば回避行動をするつもりでいた。実際、トレントの枝が動いた瞬間に、ボクは横へと跳んだ。
だというのに、一番太い枝は躱したものの、分かれた細い枝によって、ボクは予想外のダメージ──左脚の脛を、半ば断ち切られたのだ。たかが一本の枝で、骨ごとだ。
「────────っ!」
あまりの痛さに、まともに声を出すことも出来ない。視界が真っ赤に染まり、過呼吸になり思考すらまともに出来なくなる。
痛いのだ。痛い、本当に痛い。痛みで意識を失いそうになるのに、痛みで意識が覚醒する……そんな相反する境界で彷徨う。
第二の心臓と呼ばれる脹脛の断ち切られた血管から、赤黒い血がドロドロと溢れ出る。とめどなく流れ出て、地面を染めていく。
「ルーシア!」
アニルドの声が遠くに聞こえる。近くにいるのに、近くで叫んでいるのに、遠くに聞こえる。
ダメだ、回復魔法をかけないと、死んでしまう。分かっている。分かっているが、あまりの痛さに集中力が削がれてしまう。こんな状態では、体の時間を戻すことも、接合のための細胞を作り出すことも出来ない。普段は、ぼーっとしている時ですら維持している魔力振動ですら、今は維持出来ない。
「おい、しっかりしろ!早く回復魔法をかけるんだ!」
「屈め!」
嫌な予感がして、痛みで掠れた声を出す。しかし、アニルドにはちゃんと届いたらしく、ボクを抱きかかえるようにして屈む。直後、アニルドの首があった位置で隠れ蓑にしていた木が切断された。
恐怖か、絶望か。アニルドの顔もぼやけて見えるが、それに準じた表情を浮かべて、アニルドはボクを抱えてその場を駆け出した。
……ゲン…………ス
声が聞こえた気がしたが、脚の痛みが酷く意識を向けることが出来なかった。




