俺がすべきこと
祝勝会の終わった夜。部屋ではパジャマパーティーさながら、皆で遅くまで盛り上がった後。
他の皆は寝静まったのだが、ボクはまだ寝付けないでいた。どうも、まだ完全にあの殺意を孕んだ魔力を、頭から振り払えきれてないらしい。神樹がトレントになっていようがなかろうが、やはり何らかの理由があるはずだろう。この世界をまだ全然分かっていない以上、断定は出来ないが、あの黒い靄はきっと良くないことに違いない。それこそ、含んだ感情が殺意である、というだけで十分に怪しい。
完全に目が冴えてしまっているらしく、恐らくこのまま一時間は寝付けないだろう。一旦寝ることは諦めて、外の空気を吸いに行くことにする。
いつも通り傍に置いてあったコートを着て、音を立てないように部屋を出る。こういう時、アルミリアがよく目を覚ますのだが、今日は誰にも気付かれずに部屋を出ることが出来た。
通路を渡って寮の入口まで向かい、扉を開いて外に出る。開いた瞬間、ひんやりとした初春の夜の空気が、肌を撫でる。
火魔法を灯りとし、薄明かりの中を歩く。今日は満月のようで、空には煌々《こうこう》と月が輝いていた。いつもよりでかい気がするが、こっちにもスーパームーンのようなものがあるのだろうか。
男子寮の西側にある並木の箇所へと向かう。
これ、もし部屋の中から外を見る人がいれば、中々に──人魂とか狐火とかのような──ホラーな絵面になりそうだが、大丈夫だろうか。
などという不安が──二年間のうちに何度もやっているくせに──今更思い浮かぶ。ただ、今までそういった話を聞いた覚えはないので、問題はなかったのだろう。
並木の区域が見えてきた時、一つ人の気配があった。魔力振動を止めていたため、気付くのが遅れた。
「何してるんだい、少年」
「ルーシアか」
ちょうど一年くらい前、折れて枝がアニルドに刺さった並木のうちの一本が生えていた場所に、アニルドが寝転んでいた。
火魔法の位置を二人の中間に移動させ、炎の勢いを少し強めて焚き火のようにする。これで、暖も明かりも同時にとれる。
向かい合うような位置に座ると、アニルドも上体を起こした。そして、ポツリと小さく呟いた。
「……俺は強くなれてるんだろうか」
♢
今日の戦い、正直アルミリアがいなければ、俺はフルドムに負けていただろう。
一年前のフルドムとルーシアとの戦いから、俺ならば一人で勝てると思っていた。しかし、その予想は裏切られ、俺は中々剣を弾くことが出来ず、何度も脱落しそうになった。それも、毎回アルミリアのフォローで防がれたが。
今日まで、何度かアルミリアと試合をしてきた。その中で、本気で立ち向かえばそれなりに打ち合えるようにもなったと、そう思っていた。でも、それはアルミリアが本気でなかったからだ。ルーシアとアルミリアの試合のような、目に捉えることすら難しい、高速の試合……俺には、まだ到底あの位置には達せていない。
夜になって寝付けなくて外に出ると、一年前の記憶が甦った。倒れてきた木に押し潰され、枝が腹に突き刺さった俺は、ルーシアに助けられた。あの時の記憶だ。
あれから一年、ルーシアの下でそれなりに厳しい特訓をしてきた。かつての憧れだったアルミリアと共に。
その中で、俺はどれくらい成長したのか。ルーシアが言い出したパリィアンドスイッチという戦い方も、それなりに身に付いた。実戦でも使えるようになった。
しかし、それは本当に俺の成長なのか。アルミリアが、上手く合わせてくれているだけなのではないだろうか。そんな懸念が、今日の試合で浮かび上がった。
「……俺は強くなれてるんだろうか」
何故か外に出てきたルーシアに、半ば無意識にそう問いかけていた。俺は、この質問にどのような答えを求めているのだろうか。肯定か、否定か、それとも別のものなのか。
「強くなってるよ。実力的にも、精神的にも。そうじゃなきゃ、きっとアニルドはボクの特訓を今日までやり遂げられていないし、フルドム先生を脱落させる一手も、きっと出せなかった。まあ勿論、アルミリアが強過ぎるのもあるけどね」
きっと、今日の試合、ルーシアやアルミリアが本気を出せば、二人で簡単に勝てただろう。現に、ルーシアは俺とアルミリアがフルドムを脱落させるための時間稼ぎをし、その後は一瞬で二人を倒した。更に、魔術師の二人の魔法を使わせるタイミングまで、用意した。
このパーティーは、ルーシアとアルミリアというあまりに強い存在のせいで、成り立っているのだ。チルニアとパミーの二人も、恐らく俺なんかより強いだろう。剣の腕も、きっと引けを取らない。
そんな中で俺は、あまりに矮小で、弱くて、愚かだった。
「……俺は、どうすればこのパーティーの中で役に立てる?」
「役に立ちたいの?」
「……分からない。でも、今のままじゃダメなことは、分かる」
アルミリアにフォローされて、ルーシアの人智を超えた強さを見て、チルニアとパミーの強力な魔法を見て。
俺は、あまりにも弱かった。そして、弱いから努力しているのに、それでもまだ何か足りない。その何かも、まだ分からない。
アルミリアに言われて、覚悟は決めた。何度も打ちのめされて、それでも立ち上がった。それなのに、足りないものがある。
それは何か。ルーシアのように、頭の良さと実力か? アルミリアのように、スピードと正確さか? チルニアやパミーのような、魔法か?
どれも俺にはないものだ。そして、どれも俺が手に入れるべきものとは感じない。
確かに、頭の良さも実力もスピードも正確さも魔法も、あればいいのだろう。しかし、そうではないように思えた。俺に必要なのは、それ以外の何かなのだ。
「俺は、どうすればいい?」
俺が問い掛けると、ルーシアは小さく微笑んで、空を見上げた。つられて、俺も上へと顔を向ける。大きな月と、辺り一面に散りばめられた星が、綺麗に輝いていた。
「今ボク達が見てる星の光って、いつ星が放ったものだと思う?」
「は? そんなの今だろ」
唐突な訳の分からない質問に、少しキツい口調で返してしまう。しかし、ルーシアはそんなこと気にも留めず、話を続けた。
「残念。正解は、星にもよるけど遠いものだと何万年も前のものだよ」
「何万年……」
想像もできない。俺にとってすれば、今日までの十二年ですら長く感じた。なのに、何万年といえば、この俺の人生幾つ分だろうか。
「何万年前……それこそ、人間がまだ人間ですらなかったような時代に放たれた光が、今こうしてボク達の目に見えているんだよ。神秘的だと思わないかい?」
「……よく分かんない。何が言いたいんだ」
ルーシアは、「せっかちだなあ」と呟いて、言葉を続けた。
「星の光は、今言ったように何万、何億年もかけてボク達のいるこの星に届いている。でも、ボク達が目を閉じていたら、目を逸らしていたら、その光は見えないままだ」
ルーシアは俺へと視線を下ろし、月明かりと炎の光にその綺麗な白髪と紅い瞳を輝かせて、告げる。
「見続けるんだ。例え時間がかかったとしても、星の光が長い時間をかけてここに届くように、いつかその答えは見えるところにやってくる。悩んで、倒れて、立ち上がって、前を向いて、目を凝らして、いつか見える答えを探すんだ。人生の中の答えは、誰も与えてくれない。君自身で見つけるしかないんだ」
その言葉が、胸に響いた。俺のやるべき事を示していると思った。
「……お前は、やるべき事は分かってるのか?」
「さあ。今は全ての人を幸せにするっていうのが目標だけどね」
「何だそれ。夢見過ぎだろ」
「うん、すっごい夢見過ぎ。自分でも分かってるよ。でも──」
──夢見ることが、全ての始まりになるんだ。
空を仰ぎ見ながら、ルーシアは小さく呟いた。その姿が、夜空に輝く星よりも、暗闇を照らす月よりも、温もりと明かりを与える炎よりも、何よりも綺麗だった。そして、その顔は、決意に満ちた笑顔を浮かべていた。
「だから、アニルドは何をするべきかよりも、何をしたいかを見つけな。そうすれば、きっと強くなる理由も見つかる」
「何を、したいか……」
パッと思い浮かぶものはない。しかし、胸の中に小さな蟠りがあるのに気付いた。このモヤモヤが解れば、もしかしたら俺のやりたいことも理解出来るのかもしれない。
いや、本当はもう、解っているのかもしれない。今日まで特訓してきて──ルーシアの背中を見てきて、何を求めていたのか。その背中から、何を得ようとしたのか。
「……俺は、守りたいものを守るための、力が欲しい。もう二度と、失って、悔しい思いも、苦しい思いも味わいたくない」
アルミリアが遠い存在になって、何のために特訓しているのか分からないでいたと思っていたが……本当は、最初から解って、ルーシアの下で強くなろうとしていたのだ。
一度は失ったと思っていた妹を、ルーシアが助けてくれた。それが、きっと俺の追い求める強さになっているのだろう。
俺には、ルーシアのような人智を超えたかのような強さも、アルミリアのような高い技能も、チルニアやパミーのような強力な魔法もない。剣の才は、多分多少はあるのだろうが、それでもこのパーティーの中ではあまりにも小さい。
そんな俺が、どうすれば追い付くことが出来るのか。努力は必要だろう。でも、それでは足りない。それでは、追い付けない。
「……俺一人じゃ無理だ。だから、ルーシア、俺は力を借りたい。いや、力を貸してくれ」
ルーシアが、驚愕の表情を浮かべた。どこにそんなに驚く要素があるのか分からないが、しばらく口をモゴモゴと動かしている。しかし、すぐに顔を上げて笑顔を浮かべて、
「いいよ。必要と言うのならば、貸してあげる」
そう言った。
俺に足りないものは、沢山ある。本当に、色々と、沢山足りない。ならば、それをどうするか……簡単だ、他人の力を借りればいい。今は他人に力を借りて、自分で補えるように努力すればいい。完全体な人間なんていないんだ、ならば、力を借りて何が悪い。
立ち上がって、服に付いた土を払い落とす。向かいのルーシアも、少し遅れて立ち上がった。
この二年で俺の身長はかなり伸び、最初は拳ひとつくらいしか変わらなかった身長差は、今では頭半分以上ついていた。ルーシアの身長がほとんど伸びていないのもあるだろうが。
少し高い位置から、ルーシアを見下ろす。すると、ルーシアが不意に炎を消した。月明かりで姿はそれなりに見えるが、細かい表情などは見ずらかった。
次の瞬間、ルーシアが俺に近付き、首周りに手を伸ばす。かと思えば、一瞬のうちに耳元がルーシアの口の近くへ引き寄せられていた。
「アニルドは凄いよ。ボクなんかより、ずっと、何倍も」
そう呟かれると、俺は解放された。そして、ルーシアは意味の分からない言葉を残したまま、おやすみと手を振って寮の中に消えた。
「……お前より凄い奴なんか、いないだろ?」
そう思うが、どういう意図で言ったんだろう?