その後
──ボクは誰だ。
──ボクは何様だ。
──正義を振りかざすのが嫌いとか言いながら、自分の正義を貫いて人を殺した、ボクは一体何なんだ。
──全ての人を救うために、僅かな数の命を犠牲にしてもいいものなのか。
──命は平等で、等価値で、死ぬべき人なんていない。そうじゃないのか?
──なら何故、ボクは人を殺した。この殺しに、一体何の意味があった。
──救われた人は居るのかもしれない。でも、救われなかった死者を、ボクは一体何と見る。
──ボクは──
──……人殺しだ。
♢
昨夜、スレビス盗賊団を壊滅させた後、アルミリアが連れて来たフェルメウス騎士団によって後処理が行われた。
結局、ボクは殺人罪に問われることはなく、むしろ褒奨金をまた貰えることになった。
アニルドの妹はボク達の部屋で一晩預かり、アルミリアと共に眠った。チルニアも結局日が昇るまで目を覚まさず──パミーの強烈な目覚ましビンタでも起きなかったのは、ある意味凄いと思った──、起きてからも「あれ、あたしアルミリアさんと武器屋に……」などと、状況が全く把握出来ていなかった。まあ、嫌なことは知らない方が精神的にも良いだろう。
アニルドの部屋に向かって妹の事を教えたところ、朝食の後に妹を連れて一度実家に戻ると言っていた。今日からパーティーでの特訓が始まるが、遅れて参加するそうだ。実家はアレニルビアの北の方にある貴族区にあるから、昼過ぎには帰ってくるか。
そして、ボク達四人は、朝食を終えて実技場に集まっていた。
「……ルーシア、大丈夫?」
チルニアの声に、昨日からのことの回想から意識を戻す。手に持った木剣を見つめたまま、ぼーっとしていた。
「う、うん。大丈夫だよ、うん……」
自分に言い聞かせるように、尻窄みながらチルニアの質問に答える。チルニアの視線はボクの顔に向いているが、恐らく今、ボクの顔はかなり難しい表情をしているだろう。それに、無意識に力の入った木剣を持つ右手が、小さく震えてもいた。
昨日の感触が、今もまだ残っている。スレビス盗賊団のボスこそ魔法で首を落としたが、団員やボスの魔力器官を、腹を貫いた感触は己の手で味わっている。肉を裂く滑らかな感触も、骨を断つ硬い感触も、どちらもボクの手に残り、ボクの心を攻撃している。
今、ボクは剣を振るうことは出来ないだろう。魔法も使えない。これは、ある種のトラウマと言ってもいい。
人の命をこの手で絶った、という記憶が、意識が、ボクを苛む。胸をきつく締め上げ、胃も収縮し、朝食が食道を上がってきているような錯覚さえ覚える。もしかしたら、実際に上がってきているかもしれない。吐き気が伴う。
チルニアにはああ言ったが、実際は大丈夫ではない。ゴブリンを殺した時は、こうはならなかった。あの時は、自分の身を守るのに精一杯だったから。それと、異世界に来たばかりで、僅かながら混乱していたのもある。
でも、今回は違う。ボクは自分の力を認知し、勝てると分かっていた。やろうと思えば、殺さずに事件を終わらすことだって出来た。でも、それをしなかった。
怒りに身を任せてしまったのもあるだろう。でも、それだけじゃない。ボクはもしかしたら、殺すことを癖にしてしまっているのかもしれない。命の有無で、物事は簡単に終えられると思っているのかもしれない。
実際は、終わるはずもないのに。
「ルーシアさん」
穏やかな声が、ボクの鼓膜を揺らした。視線を向けると、金髪碧眼の可愛らしい少女──昨日の出来事を、唯一詳しく知っているアルミリアが立っていた。
「フルドム先生に、ルーシアさんの体調が優れていないと伝えたところ、今週と来週は休養を取るように、との指示を受けました。お部屋まで送りますので、向かいましょう」
「いや、ボクは……皆に、集団戦を教えないといけないし」
「私達は私達で、腕を磨いておきます。幸い、アニルドさん以外はあなたの教えを受けた者ばかりです。特訓のメニューくらい、自分達で立てられますよ」
そうかもしれない。彼女達は、去年一年間で見間違える程の成長を見せた。ならば、自分達でボクがいなくとも、なんとか出来るだろう。
ボクは、アルミリアに、フルドムの指示に従うことにした。
寮に向かう途中、フルドムがボクに近寄ってきた。その目は、ある種の力が満ちていた。
「ルーシア。再来週、お前が復帰する時に、学園長室へ来い。話がある」
「……説教、ですか。まあ、また勝手に飛び出しましたしね、甘んじて受けますよ」
フルドムは頷きも何もせず、一礼して離れていくボクを見詰めるだけだった。
「……ルーシアさん。やはり、昨日のことが頭から離れませんか?」
「うん。ずっとあの血にまみれた光景が、頭の中をループしてる。でもね、いいんだ。これは、ボクが受けるべき報いだ。人を殺したボクに対する、神からの天罰さ」
「……あなたは、どうしてそうも人の命を大切に思えるのですか? あの者達は、たくさんの人を苦しめ、悲しませ、辱めてきたのですよ。そんな人達を殺して、どうしてあなたは魂を自ら攻撃するのですか?」
ちなみに、この世界に心を意味する単語はない。だから、日本でならば心を攻撃する、と表現するところを、魂を攻撃する、と表す。なんとも、違和感を感じるものだが、最近は慣れてきた。
しかしまあ……この考え方は、仕方の無いことだろう。日本という平和に満ちた世界と、未だに死刑が横行するこの世界とでは、命の価値観は違う。ボクとしては、命に価値などつけたくもないが……しかし、そういう考え方も分からなくはない。
ボクだって、昨日はその命の価値を基準に、スレビス盗賊団の十数人を手にかけたのだ。アルミリア達を守るために。
弱肉強食。あのボスはそれに似たことを言っていた。その考えも、分からなくはない。強者が弱者を思いのままにする、それは仕方の無いことだ。だから、強きをくじき弱きを助く、などという言葉も存在する。
でも、命の価値というものは、誰が決める? たかが人間一人に、そんなものを決める権利があるのか? それとも、神の選択故にボクはその価値を定めたのか? 神が価値を定めたから、ボクは殺しても罪に問われなかった?
総じて否だろう。人一人に命の価値など定めることは出来ないし、神は存在するがこの世界はそもそも神の見捨てた世界だ。神の選択など、少なくともこの世界には存在しない。
ならば、複数人でならば命の価値を定めても良いか。
否。何人であろうとも、命の価値は定められない。何せ、そこには私情が入り、同調圧力が入り、これまでの経験が入る。そんなグダグダな価値基準で、人の命など定めてはならない。
「……人の命が、平等で、等価値だからだよ」
「あなたは、あのような愚かな人達が、犠牲者や一般の方達と同等の立場にあれるとお思いなのですか?」
アルミリアの語気が強まる。しかし、すぐにボクに対してするべきではない態度だ、とでも思ったか、「すみません」と小さく声に出して、顔を俯けた。
「同等、ではないだろうね。人を傷つけ、人を辱め、人を悲しませ、人の尊厳を踏みにじった。そんなヤツらが、同じ土俵に上がれるとは思わない」
「ならば、何故……?」
「…………その答えがあるなら、ボクが知りたいよ」
ボクだって、自分がどうしてここまで心を傷つけているのか分からない。
顔を歪めたボクを見て、アルミリアが口を閉じた。
人はそれぞれ、違う価値観を持っている。だから、相容れないからこそ、人は自分以外を恐れ、妬み、そして憧れる。
ボクの価値観は、この世界では異端なのだ。だからこそ、周囲から浮くし、逆に世界を変える先導者となるやもしれない。その唯一の価値観が、今は恨めしい。
その価値観のせいで、今ボクは、アルミリアとの間に理解という名の壁を作ってしまっている。アルミリアはきっと、ボクのことを精一杯理解してくれようとしている。でも、そんなことは出来ない。理解とは、自分の中で妥協する事だから。
相容れないものは、いくら頑張っても、心を削っても、妥協など出来ない。
「……ここまででいいよ。部屋に戻って、ゆっくりしておくから」
「……あまり、自分を責めないでくださいね。授業が終わり次第、すぐにお部屋に戻ります」
寮の入口が見えたところで、ボクはアルミリアと別れた。アルミリアは実技場へと向かった。
『……突っ立ってないで、部屋に行きましょ。話がしたいわ』
「……そうだね」
ピクシルに促され、部屋へと足を向けた。
部屋は、異様なくらいに静かに感じた。ボク以外誰もいないのだ、当然なのに……いつも一人でいる時よりも、静かに感じた。
自分のベッドに、倒れ込むように横になる。アルミリアのベッドに繋がる底が、異様に黒く見える。
『あんた、いつまでそのままでいるつもり? もう、殺してしまったことはどうにもならないのよ』
「……ピクシルには話しただろう、ボクが異世界の人間だって。ボクの世界は、ここに比べて随分と平和なものだったんだよ。人が人を殺すなんて、絶対に許さないってくらいには」
『つまり、あんたにとって人を殺すのは、何があろうともタブーってこと? バカらしいわね』
「仕方ないさ。人間は、自分の価値観を曲げることは出来ないんだから」
ピクシルはボクの胸の上に立って、ボクとの会話に応じる。ボクは、異様に暗く感じるベッドの底を見つめながら、応じる。
「ボクは、自分が何者なのか、昨日の夜ずっと考えてた。一睡もしないで。まあ、どのみち寝れなかったけどね」
『それで、答えは出たの?』
「……出なかったよ。ボクはボクで、他の何者でもなくて、でも、そのボクとは一体何なのか。無限ループさ」
そして辿り着いた一つの答え。それが、殺人者。
むしろ、その答えしか思い浮かばなかったのだ。その答えが、一番今のボクにしっくりきた。
「殺人者のボクは、あいつらがした事となんら変わらないだろうね。今も、ボクが死んでしまえば何もかも解決するんじゃないか、なんて考えてる……死が、命の途絶えが、全てを解決するんじゃないかって、勝手に思い込んでる」
今まで、いくつもの死を、多種に渡る死を見てきた。家族の死、人外の死、心の死、自分の死、そして、ボク自ら下した死。いつからか、死こそが全てを解決してくれるんだと、錯覚していた。
父親が死んで、母親は不自由になって、妹は傷付いて。そんな家族を父親の代わりにボクが守るんだと、父親が『死んだ』から、ボクが守らなきゃならないんだと。
実験の為に様々な生物を殺して、色々なことを試してきた。人ならざる生命の『死』が、何かを救えるんじゃないかと思って、ただ命の重さも見ずに眺めていた。
ボクに告白しようとした娘が結局告白に来なくて、何があったかと思って見に行けば、彼女は心神喪失状態になっていた。彼女の心の『死』はボクが引き寄せたのだと思うことで、ボクは逃げることを自分に許した。
一つのミスで重力装置が爆発して、ボクは一度命を落とした。ボク自身のその『死』が、ボクの新たな人生へと導き、何もかもを失った失敗の人生を歩み直せると、心を高鳴らせた。
昨日。ボクはアルミリア達を助けるために、十数に至る人の命を我が手で握り潰した。そのいくつもの『死』が、今はボクを痛みつけている。この死は、一体ボクに何を示しているのだろうか。
そして今、ボクは再び命を絶つことで、この人生を終わらせて、新たな人生を掴もうとしている。いや、この窮地から逃げ出そうとしている。でも、それをさせまいとするものがあった。
「……約束しちまったからな、みんなを助けてって」
『え?』
「この体の持ち主と、約束したんだよ。みんなを助けてくれって。そのみんながどこまでを指しているのかは分からないけど……ボクの過大解釈かも知れないけど、この約束が果たせたのか分からないから、ボクはまだ死ねない。けど、死ねないから、ボクは今陥っている現状を乗り越えなきゃいけない……」
『なら、乗り越えたら……』
「妖精に分かるわけないよ、人間の苦労なんて」
ピクシルが顔を歪めたのが分かる。今の言い方は、多分彼女を怒らせた。でも、ボクの本心でもあった。
『……そうね、分からないし分かりたくもないわ。じゃあ、私があんたの為に出来ることは、何もない。……だから、待ってあげる』
「……何を」
『あんたが、自分でその苦境を乗り越えるのを。考えなさい、あんたは天才なんでしょう? 私に何も出来ない以上、あんたはあんた自身でなんとかしなければならない。期限はこの二週間の休みの間』
「それが出来たなら、苦労は……」
『あんた、全ての人を救うんでしょう? なら、これからも対立する人間はごまんと出てくるわ。そのうち、また殺す必要も出てくるかもしれない。その時、またこんな風になってちゃ、時間がいくらあっても足りないわ。学びなさい、今回のことから。あなたにとって今回の事件がなんなのか、この休みの間にあんたなりに決着をつけなさい』
ピクシルなりに、ボクのことを心配してくれているのかもしれない。例えそこに、ピクシルの目的という下心があったとしても。
でも、そうだね。このことは、誰にも相談できない。だって、ボクはこの世界では異端児だから。だからボクはボクで解決しなきゃ行けない。アルミリアにも、チルニアにも、パミーにも、アニルドにも、ミリアにも、誰にも頼ることは出来ない。
きっと、前世の僕なら目を逸らしていただろう。でも、今のボクは違う。ボクは一人じゃない。ボクの中で、ルーシアという一人の少女が居てくれる。きっと、影ながらボクを支えてくれている。
「……分かった。ボクなりに、決めるよ。今すぐは無理だけど、期限内に、必ず」
──愛斗君なら、きっと大丈夫だよ。
聞き慣れた声で、懐かしい名前を呼ばれた気がした。でも、すぐにその余韻も消えてしまう。
ただ、その声が確かに、ボクの心を支えてくれた。ボクは、乗り越えられる、その自信を与えてくれた。
──ああ。乗り越えよう、二人で。どんなことでも。
心は苦しいままだ。自分で自分を責めているままだ。でも、どこかに解決の小さな小さな、細く脆い糸が見えた気がした。その糸口を掴むため、ボクは心の奥底へと潜っていった。
♢
およそ二週間。ボクは、来る日も来る日も心と向き合い、あの事件のことを自分の中で整理した。
今日から授業に参加再開する朝、いつも通り体力作りのランニングを終えて、部屋に戻る。少し長めに走っていたので、アルミリア達は既に朝食に向かっていた。これはまあ、予定通りだ。
『それで、結論は出たの?』
汗を拭き終わると、ピクシルが話し掛けてくる。魔力で姿を見せているが、その表情には真剣さが窺い知れた。
「そうだね。結論は、出た。今回の事件について、ボクなりに纏められた……と思う」
『そう。じゃあ、聞かせてもらおうかしら』
「うん」
今日まで纏めてきたことを、頭の中で整理する。
「今回の事件、ボクは人を何人も殺した。この殺人でボクが決めたことは……二度と、人を殺さない。どんなに危険に陥っても、必ず何らかの方法で命を奪わなくていいようにする」
『……あんた、それがこれから先あんたにどれだけ苦労がかかる選択なのか、分かって言ってる?』
「ああ、分かってるよ。殺したら一瞬で片がつくかも知れない……そんなことがたくさん起こるかもしれない。でも、ボクは強い。多分、誰が見てもそう思える程には……だから、この力を誰かを傷つける為じゃなくて、救うために使う。そして、救う対象は人類全員だ。例えどれだけ残忍で、クズで、どうしようもない奴でも」
ピクシルが目を伏せて考え込む。恐らく、ボクの愚かな選択を噛み締めているんだろう。そして、ひとつ溜息を零したと思うと、
『あんたの選択なら、何も言わないわ。好きにしなさい。でも、もしあんたに本当に危険だと思ったら、あたしが人を殺すこともあるかもしれない。その時は見逃してね』
「うん、分かった。そんなこと言ってくれるなんて、ピクシルは優しいな」
『べ、別に優しいとかそんなんじゃ……あんたに死なれると、私が困るのよ』
ピクシルの目的にはボクが必要不可欠。だから、ボクに死なれては困る。でも、それでもボクを守ってくれると言う。嬉しいものだ、誰かに大切に思われるのは。
『でもあんた、もしなんらかの理由で人を殺したら、どうするつもり?』
「その時は……ボクは、二度と武器を人に向けないし、魔法も人に向けない。非暴力を貫くことにする」
『そ。まあ、平和ボケしたあんたらしいっちゃあんたらしいか』
「武器はもうとってるから、平和ボケはしてないと思うけどなあ」
この世界の存在からして見れば、ボクは平和ボケしているように見えるのか。それも仕方ないかもしれない。
「ルーシアさん、遅いですよ」
アルミリアが扉の向こうから声を飛ばしてくる。中々朝食に来ないボクを案じて、迎えに来たのだろう。
日々のボクを見ていたし、心の傷も分かっていたアルミリアだ。今日のボクは、もう大丈夫だと見て分かったのだろう。
「分かった。準備したらすぐ行くよ……てわけで、ピクシル。ボクなりにあの事件、受け止めたよ」
声を小さくしてピクシルに言う。ピクシルは小さく息を吐き、微笑を浮かべて答えた。
『そうね。あんたの意思は、ちゃんと理解したわ』
そう言うと、ピクシルは姿を消した。
ボクも急いで準備を進め、扉の前で待っているであろうアルミリアにお待たせと言いながら、扉を開けた。
「さあ、早くしないと朝食を食べる時間が無くなりますよ」
「うん、分かってる。走ろ」
「ランニングしてたはずでしょうに……でも、元気になったようで、良かったです」
「アルミリア達が支えてくれたからね」
それに、ピクシルや……ボクの中で眠っている、本物のルーシアも。みんなが支えてくれたから、ボクは決意を決められた。今回の事件を、乗り越えられたのだと思う。
その時間をくれたフルドムにも、お礼を言おう。どうせ、この後会うだろうから。