あの日の繰り返し
アレン村での魔物の襲来から三年が経った。
あの襲来の日、アレン村を発った二人は、森の中を馬車で一時間ほど走り続け、村の隣にあるアレニルビアという街へと逃げてきた。アレン村とアレニルビアは同じ領主、フェルメウス侯爵が統括しているが、アレン村は特別に独自に自治を行うことを許可されていたのだ。
そして、十歳になったルーシアは、冒険者学校に通う年になっていた。
三年前、ルーシアとミリアが村を出た後、村は魔物により占領されてしまったらしい。生存者は、逃げてきた者が一人もいなかったことから、いないと考えられている。サーレフもその一人だろう。
「今日から三年間、お前らはここで様々なことを学び、戦う術、生き抜く術を叩き込まれることになる」
あの日から三年間、ミリアは馴れ親しんだ、しかし別の宿で毎日働き続けた。ルーシアは毎日魔法に勉強に剣に、とにかく入学試験で落ちないために努力をした。
その結果、今年度入学生で上位十人に入り、奨学生として無料での入学を果たした。
平民、しかも滅んだ村から逃げて来た者ということもあり、下級や中級階級の貴族も通うこの冒険者学校の貴族に、白い目で見られたのは言うまでもない。
あれから三年間、一度も魔物が攻めてこなかった、なんて生易しいことはなかった。合計三度の魔物の襲来があったが、流石冒険者学校のある街ということもあり、全てアレニルビアへの被害はほとんどなく抑えていた。
しかし、ルーシアは気になることがあった。
魔物の襲来が起きる数時間前、あの日と同じように不可思議な涙が頰を伝ったのだ。まるで、魔物が攻めてくると知らせているかのように。
なぜこのようなことが起きるのか、理由には辿り着けなかった。しかし、毎回魔物が攻めてくる前に流れているのだから、これは魔物が来る予兆なんだ、ということだけは断定した。
入学説明は粗方終わり、成績優秀クラス、すなわちAクラスに進んだルーシアは、才能に溢れた他の同年代達と三年間を過ごすことになった。
実技訓練時に使われるらしい校庭での説明が終わり、それぞれの教室へと移動する。
「Aクラスの担当になった、フルドム・ベルダだ。一応貴族の出だが、冒険者B級の称号を持っている。下級クラスに落ちないとは思うが、落ちる者もいるかも知れん。一年の間、よろしく頼む。じゃあ、そっちから自己紹介を頼む。名前、特技、趣味など、必要最低限以上は答えるように」
一番手前、左端にいるのはアニルドという下級貴族の子供だ。目付きが鋭いのが特徴だろうか。
「アニルド・クスカ。クスカ家の長男だ。魔法は使えない。剣が得意だ」
クスカ家は下級貴族ではあるが、それなりに権力は持っている。一応、下級の中でも広範囲の領地を持っている。
その後も似たような淡白な自己紹介が続いた。そして、一番最後のルーシアに回ってきた。
「初めまして、ルーシアです! ……ひっ」
小さく悲鳴をあげたのには理由がある。勿論、周囲からの視線の重圧だ。理由は簡単。平民であるくせに奨学金を受け取って入学したから。
「と、得意ってほどじゃ、ない、ですけど、魔法が、全属性、使えます……あと、剣も、少し……し、趣味は、空をみ……ることです……」
どんどん言葉が小さくなり、途中で喉が渇いて喋れなくなってしまうほどだった。席に座ってすぐに口の中に水を創り出し、それを飲み干した。
「よし。それじゃあ、こらから半年間は主に座学だ。戦いの基本、武器の種類、護身術、薬草の種類、魔物の種類や特徴など、多くのことを教える。しっかり頭に叩き込むように」
クラス編成は四十人で、下級貴族が二十三人、中級貴族が十三人、上級貴族が一人、平民が三人だった。
「今日はこれで解散だ。明日からは授業だから、今日はしっかり休むように」
そして、フルドムが教室を出て行った。
その瞬間に教室が煩くなり、男子貴族は優良物件な女子貴族に話しかけて行った。ちなみに、クラスの男女比率は四対六だ。
女子が多いのは、この学園に通うのは貴族の中でも中級以下、そして、皇位の後継者とならない者が通うからだ。長男はおろか、次男もここに来ることは少ない。それこそ、余程金に困っていなければ。
逆に、経済的に余裕のある貴族は、基本才能のある男子は国の王都にある上級学院に入学させるのだ。多分、アニルドは何らかの理由があってここに来ているのだろう。
「ルーシアさん、お話ししません?」
ルーシアに二人の少女が話しかけてきた。勿論、三人の平民のうちの二人だ。残り一人は言うまでもなくルーシアである。
「い、いいですよ」
「そう硬くならないで。私達も平民だから、気にしないで。敬語もいらないから」
焦げ茶色をした髪の毛を肩口で切り揃えた少女が、ルーシアにやんわりと告げる。
「わ、分かった。それで、お話しって?」
「私達で同じ部屋に行きませんか? 寮の部屋」
♢
部屋の中は静まり返っていた。
それもそのはずだ。女子寮は全ての部屋が四人編成で、平民であるルーシアたちの人数は三人。そして、基本的に一つの部屋には確実に四人入るよう調整されているので、どうしてもあと一人入ることになる。
誰かが入ることに関しては、別に良かった。部屋を選んで二時間後、最後の四人目が入ってくるまでは。
「そう硬くならないでください。これから三年間、共に過ごすルームメイトなのですから」
お淑やかな話し方をするのが、その四人目だ。そしてその四人目と言うのが、クラスで唯一の上級貴族の娘だったのだ。
「あ、あの……」
意を決したルーシアが上級貴族の娘、アルミリア・スームド・フェルメウスに話しかける。姉の名前が含まれるから僅かながら親近感を覚えたが、それも束の間だった。
ウェーブのかかった金髪は綺麗だが、透き通る空よりも青い碧眼を見ると、震え上がる思いだ。それに、このアルミリアは家名が指し示す通り、このアレニルビア及びアレン村の領主、フェルメウス侯爵の息女だ。
「どうかしました、ルーシアさん?」
「……どうして、このお部屋に?」
「簡単なことです。私は最後にお部屋を選んだのですから。Aクラスはあなた方以外は貴族。つまり、あなた方と同じ部屋になりたいと思う方はいないと思ったのです。それに、次女と言えども上級貴族。平民のことを知りたいんです」
平民の位置に立って考えることのできる上級貴族。そこらの下級、中級貴族に比べれば神に等しき尊さだろう。それに、可愛い。貴族というと可憐さを思い浮かべるのだが、この子はどう見ても可愛いという言葉の方がしっくりきた。
「わ……私達も平民ですけど、学院にいる間はみんな同じようなものだと思うんです。だから、平民を見るなら、街に出た方が……」
「分かっています。それも踏まえて、あなた方に休息日に街を案内してもらおうかと思いまして」
お断りします! などと、誰が言えようか。大抵の人は分け隔てなく接するルーシアですら話しかけて質問するのが精一杯なのだ。残りの二人、パミーとチルニアは既に石となっていた。いや、比喩的な意味で。
「その……私、この街はあまり詳しくなくて……三年程度しか住んでないし、いつも宿の中で勉強するか、森の外れで剣を振るか魔法を使うかくらいしかしてこなかったので……」
「存じてます。いえ、あなたを知らない人はいないと思いますよ。魔物に襲われた村から逃げてきて、全属性魔法を使えて、剣も使える美少女。貴族だったなら、すぐに男子どもに目を付けられてましたよ」
現状は勿論上級貴族であるアルミリアが注目を受けている。むしろ、ルーシアは目の敵みたいな立ち位置であることは、人間を見ることが好きなルーシアは、勿論理解していた。
「今日はもうこんな時間ですし、明日からは忙しくなります。夕飯を食べて、早いうちに寝ましょう」
ルーシアが三人を代表するかのように「はい……」と答えたが、三人の心中は一致していた。
(((上級貴族いるのに、すやすや落ち着いて寝れるわけがない!)))
♢
案の定、ルーシアは寝付けなかった。
体感時間的に、日が落ちてから六時間は経った。そろそろ少しずつ空腹感が襲ってくる頃合いだ。
学園内なら、夜中だろうと寮を出てもとやかく言われることはない。寝る寝ないはその人の自由だからだ。
春とはいえ、夜はまだ冷え込む。空を眺めようにも、今窓を開けるのは他の三人に迷惑がかかるだろう。
ルーシアにとっては、この状況で寝付くことに成功しているパミーとチルニアが羨ましかった。
「ちょっとだけ、外行こうかな」
枕のそばに置いてある上着を手に取る。ルーシアは冷えるのが苦手なため、寝る前にこの上着をそばに置いておいたのだ。それが別の意味で役に立った。
腕を通さず羽織るだけにし、ベッド脇に置いているブーツを履く。
ベッド四つだと部屋の全てを使わないとならなくなるため、この寮では全ての部屋が二段ベッド二つ、そして四人分のロッカーのような荷物入れで構成されている。
なるべく足音を立てないように部屋を後にする。
廊下では、多少足音を立ててもそこまで問題はない──アルミリアが来た時、三人はその足音が一切聞こえなかったため、心臓が止まる思いをした──ので、今は不必要に大きいわけではないが、普通に音を立てて歩いていた。
「あの切り株、懐かしいなぁ……もう、ママもグルさんもいないんだよね……」
母親であるサーレフも、宿の常連だったグルベスターもあの魔物の襲撃でこの世を去った可能性が高い。
その事実を認めたくはないが心に留め、胸がキューッとなる感覚を覚える。
寮の入り口である木造の扉を静かに開け、学園寮の庭へと出る。来る途中にある程度見ておいたので、どこに何があるかはなんとなく分かる。
火魔法を明かりがわりにして、土がむき出しの庭を進む。向かうのは、男子寮の西側にある木が並んでる区画だ。数メートルごとに等間隔に木が並んでいるが、一つだけ、ポツンと切り株が離れたところにあったのだ。
そこに着いたルーシアは、そこに座って火魔法を消し、空を眺めた。
ルーシアが眺める空は、時間など関係ない。昼間の真っ青な青空も、真夜中の真っ暗な中に星が輝く空も、青と赤が混ざり合う夕焼けも、徐々に明るくなっていく朝焼けも、全ての空が好きだった。それこそ、雨の雲ばかりな空も、雪の空も、雷が鳴り響く空だって好きだった。
流れる雲を眺めるのが、太陽の光に照らされるのが、窓の隙間から木製の窓に当たるパタパタという雨音を聴くのが、雪の冷気に当てられるのが好きだった。
吐く息はまだ少し白い。自分の白い息が空気中を流れ消えていくのを横目に見ながら、強く光るものもあり、弱く光るものもある夜空の星を眺める。
チカチカと輝く星も好きだ。光り輝くのは太陽と同じだが、あれはただ眩しいだけ。でも、星は幻想的だ。視界の端には月も見えていた。
不意に、胸がキュッと締め付けられたような気がした。それは嫌な感じではなく、どこか温かく、誰かに包まれているような錯覚さえ覚えた。いや、もしかしたら本当に包まれていたのかもしれない。
そして、不意に不可思議な現象が起こる。無意識に涙が頰を伝った。今度は、嫌な予感が脳裏をチラついた。
「また、涙……あの日と、同じ……」
また、来るのかな……そう思ってしまった。
ルーシアの不可思議な涙。それは、魔物の襲来を告げるものだった。